お米を研いでいると、ふと「自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)」という言葉が頭をよぎりました。
どんな話だったかなぁと記憶が蘇らず、なぜこの言葉がふと頭に浮かんだのかをいぶかしく思いました。
調べ直してみたら、「自灯明・法灯明」は、お釈迦様が入滅の際、弟子に伝えた言葉でした。
「自らを頼りとして、他人を頼りとせず、(仏)法をよりどころとして、精進して生きて行きなさい。」といった意味だそうです。
さしずめ、「自分の判断力と決断力を持とう。」といった、バッカーズ少年教育10則のようなプリンシプルを大切にして、生きていくということだな、ともつなげて考えてみました。
完全に忘れていたと思ったこの話が、ふと記憶の奥底から呼び覚まされて、意識に上ってきたことの不思議を思いました。
やはり大切な話というのは、忘れているようでも、心の深いところに眠って、静かに堆積しているものなのだと思いました。
ということは、私の教育も無駄ではないのかもしれない。そうも思いました。
・・・ん?まてよ。
うちのスタッフが持ってきて、ベランダに置いてくれている豆苗を、今日こそ食べなければと思ってたんだ!
自豆苗、飽豆苗。
ばちあたり。
どんな話だったかなぁと記憶が蘇らず、なぜこの言葉がふと頭に浮かんだのかをいぶかしく思いました。
調べ直してみたら、「自灯明・法灯明」は、お釈迦様が入滅の際、弟子に伝えた言葉でした。
「自らを頼りとして、他人を頼りとせず、(仏)法をよりどころとして、精進して生きて行きなさい。」といった意味だそうです。
さしずめ、「自分の判断力と決断力を持とう。」といった、バッカーズ少年教育10則のようなプリンシプルを大切にして、生きていくということだな、ともつなげて考えてみました。
完全に忘れていたと思ったこの話が、ふと記憶の奥底から呼び覚まされて、意識に上ってきたことの不思議を思いました。
やはり大切な話というのは、忘れているようでも、心の深いところに眠って、静かに堆積しているものなのだと思いました。
ということは、私の教育も無駄ではないのかもしれない。そうも思いました。
・・・ん?まてよ。
うちのスタッフが持ってきて、ベランダに置いてくれている豆苗を、今日こそ食べなければと思ってたんだ!
自豆苗、飽豆苗。
ばちあたり。