Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

非常時の心構えとして

2020年04月15日 | Weblog
こういうときだから、無責任な発言は慎みたいと思います。無責任にならないということは、自分がやらないのに、また、そのことをよく知りもしないのに、非難をしないということです。

今、政府も官僚も、必死にフル稼働されていると思います。国を背負う思いと覚悟をもって、その任にあたって、忙殺されている人がほとんどだからです。

お金を配るにしても、公平性・平等性・スピード・事後処理、様々な仕事が発生します。100人ぐらいでも大変な作業量だと思いますが、一億人を超える国民を抱えている日本ですし、年齢も所得も様々ですから、そう簡単にはできないと思います。

外野は気楽なものです。自分でプレーしないし、責任もありませんから、何でも言えてしまいます。

やっている人たちは、やる前も、やっているときも、やった後も責任を負わなければならない人たちです。前例の無い事態ですから、判断に迷うことも、間違った判断を下すこともあるでしょう。しかし、私は、どんなときでも困難の中で「やっている人たち」に敬意を払いたいと思います。

気楽でない、生活に困窮して大変な人たちもいらっしゃいます。直ぐに手を差しのべることが必要な人たちもいます。

その時こそ、まずは、家族や親戚、友人、仲間たちが少しだけでも支えてあげることが大切なのだと思います。勿論、それが出来ない人たちも現実には沢山いると思います。

それなのに、私があえて、そう言っているのは、日頃から、家族の絆や、友人との絆を私たちはどれほど大切にしてきたかが、こうした非常時に問われていると思うからです。

「鬼滅の刃」が流行っているのは、私たちがなくしつつある、家族の絆や、兄妹愛、友情、信頼、正義、思いやり、困難に立ち向かう姿が、見事に描き出されており、そこに感動するからではないかと思います。

個人の自由や権利を追求する余り、私たちは祖先が持っていた、そうした大切な心を失いつつあるのです。「鬼滅の刃」の描かれている時代が大正であるというのは、まだ、そうしたものが残っている時代だからなのかもしれません。

勿論、いつの時代にも、善人もいれば悪人もいます。能力のある人もいれば、ない人もいます。しかし、非常時において、リーダーや、やっている人たちに、石つぶてを投げつけて平気でいられるような人間には私はなりたくないと思います。

言論の自由は大切ですが、その言論には常に人間性が表れてくることを肝に銘じたいと思います。

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BCとAC

2020年04月15日 | Weblog
つい先日まで、第三次産業革命という大きな変革期の只中を、世界は只管に走っているかのように思っていましたが、突然出てきたCOVID-19によって、その様相は一気に様変わりしています。勿論、IT化、グローバル化の流れは止まることなどありませんが、大きく水を差された感はあります。

過去のスペイン風邪などに鑑みて、この新型コロナウイルス禍が、終息しないということはないのだろうと思いますが、終息後の世界と終息前の世界とでは、色々なことが大きく変わるのかもしれません。

それを、BC(Before COVID-19)、AC(After COVID-19)と、後に呼ぶようになるのかどうかは分かりませんが、大きな意識の変化が起きるのかもしれません。

このような事態に直面して、心ある人たちは、「死とは。生とは。人生とは。家族とは。働くとは。結婚とは。子どもとは。子孫とは。人間とは。自然環境とは。」そうした哲学的な問いに向き合わざるを得なくなったのだろうと思います。

それが人間の行動にどのような変容をもたらすのかはよく分かりませんが、私はとにかくこれまで通り、地に足をつけた生き方をしていきたいと思います。

ただ、それを加速させたいと思い始めています。


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