Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

美の創造者 北大路魯山人

2020年04月23日 | Weblog
足立美術館に新しく北大路魯山人館ができました。
4月1日オープンでしたから、今月に行きたかったのですが、6月30日までに行けるかさえ怪しくなってきました。6月30日までが、「美の創造者 北大路魯山人」という展示の開催期間なのです。

人生の時間には限りがあります。芸術を楽しんだり、食事を楽しんだり、様々な彩りがあってこそ人生は豊かになるのだと改めて思います。

そんな時間を取り戻すためにも、今は忍耐だと思います。

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リーダーの重責

2020年04月23日 | Weblog
首相が疲れている印象でした。
一国のリーダーとしての重圧は、今現在、凄まじいだろうなと思います。リーダーとして1億2595万人を背負い、様々なことを矢継ぎ早に判断していかなければならないのですから。

この新型コロナウイルスで大変なときにも、アジアの軍事的な動きは休むことがなく、その対応にも日々迫られているのです。また、コロナ後の経済をどうするか。多くの国民を路頭に迷わせるわけにはいかない。そんな思いもあるでしょうし、国民の277人を新型コロナウイルスで既に死なせてしまったという苦しい思いもあるでしょう。諸外国に較べて圧倒的に少ない犠牲者で済んではいます。しかし、地震災害の時も、台風災害の時にも、多くの人が亡くなり、傷ついているのです。一人ひとりの人生、家族のこと、色々と考えれば、考えることは尽きません。

それを皆さんは背負えますか?

私には無理です。だから、託すしかないのです。リーダーの大変さが分かっていれば、応援はしますが、石つぶてを後ろから投げ続けるようなことはしたくありません。ものの言い方がマスコミも野党も与党も、下品になっているように感じます。

私には大した能力もありませんが、それぐらいの感受性と想像力はあります。

教育に携わる者として、今の日本の状況を作った一人であることを認め、申し訳なく思います。そして、やりもしないのに、批判ばかりする大人が、一人でも減っていくように、教育の改革に全力を尽くそうと思います。









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新型コロナ感染のお詫びは必要か

2020年04月23日 | Weblog
医療崩壊を防ぐためには、新型コロナウイルスの患者を減らすことです。
患者を減らすためには、まずは自分が患者にならないことです。
一人ひとりがそう思って行動すれば、次第に沈静化されていくはずですし、医療崩壊も起こらないはずです。こんな単純な理屈が分からない人もいるのには困りものです。
医療関係者を支えるための行動をとらなくてはならないのです。

ここ数日、感染した人を責めてはいけないという言説と、感染しても謝らなくて良いというという言説が広がっています。

私は前者については賛成ですし、責めるつもりもありません。しかし、謝らないかと言えば、私は謝るだろうと思います。

今、私も感染防止のために、三密を避け、手洗いを丁寧にし、こまめにアルコールで消毒をしています。マスクは当然のことしています。

ただ、そうやって、最善を尽くしても、感染するかもしれません。だからといって感染を開き直ることは私には出来ないと思います。

なぜなら、仮に感染したら、その時に、「もっと自分には、できることがあったのではないか。油断はなかったか。もっと丁寧に、細かく注意すべきでなかったか。」色々と、ふり返って反省するだろうと思うからです。

人事を尽くして天命を待つと言いますが、人事を尽くせてなかったかもしれないことに対して、申し訳なく思うという意味でのお詫びです。それは言われたことをやっていなかったとか、そういうレベルの話ではありません。本当の意味でのベストを尽くせたのかという反省です。

そんなこと言っても、完璧など無理だというのはその通りです。だから、他人にそれを求めることはしませんし、してはいけないのです。

ただ、自分に対しては、もっと気づくべきことを、気づかなかったことがあるのではないか。もっと見えないところを見ようとすべきではなかったかと反省すると思います。だから、感染を防げなかったことに謝罪の言葉が自然に出てくるのだと思います。

この話とは少しずれてしまいますが、リーダーとは、自分以外の者の責任をも背負う覚悟を持った人間のことです。組織全体のことを自分のこととしてお詫びできる人のことです。

その姿勢は、おかげさまでという日本人の心の持ち方と同じです。自分は目に見えないところで多くの人たちに支えられ、お世話になったからこそ、今の自分がある、そこに感謝の念を抱くという心の持ち方です。

見えないものはないという人が多くなっていると思います。自分は直接関わっていないのだから知ったこっちゃない、それはあずかり知らぬことであると言って憚らない人もいると思います。その方が、要領の良い生き方なのだろうと思います。しかし、私は見えないものを見ようとする心を大切にしたいと思います。

見えないところでの努力が足りなかった可能性が否定できないから、申し訳ないとお詫びもするし、見えないところで支えていただいているからこそ、おかげさまでと感謝をするのです。

お詫びが要らないというのは良いのですが、そうした心が分からないでそう言っているとすれば、おそらく、おかげさまでということも分かっていないのだろうなと思います。

どれだけ自分が見えないところで支えていただいているかが分かればこそ、自然と感謝の念が湧き上がってきます。その逆に、見えないところで十分なことができなかった自分の甘さに対して、皆様に申し訳ないなぁという思いが沸き起こるのだと思います。









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