つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

中国史跡・誌跡を訪ねて学ぶセミナー

2012-09-16 | 海外旅行
 中国が尖閣列島がらみでモメていて、まるでヤラセのように激しい反日デモが続いています。このような中での旅行計画ですが、放送大学から11月に出かけることになっています。それまでには終息を願い、セミナーに参加しました。

 講師は中国文学の碩学の安東先生。先生は長く中国について研鑽されていますが、大の海外旅行ぎらい。パスポートも持っておられなかったのですが、生徒から是非にと勧められ、重い腰をあげられることになりました。
 行き先は、蘇州、上海、鎮江など・・・その地について昨日は、講義を受けました。

 まず、蘇州について。春秋時代は、呉の都として登場。司馬遷の「史記」によると、始祖は太伯。この時代に軍師・孫武がいて、この人が書いたのが、孫子の兵法です。「史記」越王句践世家第十二には、越王は、出兵し、会稽山に包囲され、敗れた時、胆をそばにおいて舐めたと書かれ、これが「臥薪嘗胆」のいわれとなりました。

 蘇州には、寒山寺、拙政園、虎丘塔などがあります。拙政園は、唐の詩人陸亀蒙の私邸として建てられ、庭園は、明の王献臣が16世紀前半に造営。中央政界から失脚したため、拙い政治という意味の名前がつけられました。

 鎮江は、詩のふるさと。多くの詩を教わりましたが、王昌齢の作品一編だけ記します。

 寒雨江に連なって夜に呉に入る
 平明客を送れば楚山狐なり
 落陽の親友如し相問はば
 一片の冰心玉壺に在りと

 上海の預園は、明の潘允端が父親のために、1577年に完成させた明代の代表的な庭園。
 魯迅公園の魯迅の墓と魯迅の故居も、先生の希望でコースに追加。魯迅が、1933.4.11~1936.10.19まで住まいしました。55歳でこの邸宅で逝去。

 実は22年前と、20年前、大方は訪問しているのですが、当時は無知のまま出かけました。下の写真は、通りすがりに撮った赤いピンカ。

    



 

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする