友人のすすめにより、また地産地消ということもあり、地元のひるがの牛乳を近くで買いました。友人は、長くスーパーを経営していて、安くて美味しい食品をモットーに販売していました。今は引退。彼の話によると、このひるがの牛乳が最も美味しいと言うことでした。昨年9/1にupした関牛乳は、特定のところしか扱わず入手困難。近くのスーパーにはあらゆる牧場のものが並べてあるのですが・・・最近ひるがのの低温殺菌のパックも見つけました。
以前は、蛭ヶ野と書かれていましたが、読みにくいこともあり、今は「ひるがの」。郡上市にあります。ひるがの高原は、標高900m. 冬はスキー場となり、初夏には水芭蕉が咲きます。
ここまで書くといかにも明るいところというイメージですが、ここは引揚者の開拓村でした。1/1~毎週日曜夜10:00 NHKBSで、「開拓者たち」が放映。引揚者の苦難の歴史のドラマ化です。終戦前、国際条約を破ったソ連軍の非情な侵攻で、日本人は満州から辛酸をなめながら逃避行。27万人のうち、8万人が死亡。せっかく生きて帰国しても、那須はやせ地で農作物も作れないため、酪農に道を見出すことになるのです。岐阜の引揚者も、ひるがのの牧場に生きる道を見つけました。
以前は、蛭ヶ野と書かれていましたが、読みにくいこともあり、今は「ひるがの」。郡上市にあります。ひるがの高原は、標高900m. 冬はスキー場となり、初夏には水芭蕉が咲きます。
ここまで書くといかにも明るいところというイメージですが、ここは引揚者の開拓村でした。1/1~毎週日曜夜10:00 NHKBSで、「開拓者たち」が放映。引揚者の苦難の歴史のドラマ化です。終戦前、国際条約を破ったソ連軍の非情な侵攻で、日本人は満州から辛酸をなめながら逃避行。27万人のうち、8万人が死亡。せっかく生きて帰国しても、那須はやせ地で農作物も作れないため、酪農に道を見出すことになるのです。岐阜の引揚者も、ひるがのの牧場に生きる道を見つけました。
ようやく結論が出たという感じです。
まだここの水芭蕉を見たことがなくて・・・
一度行きたいです。
もうそちらへ行かれたのですね。
昔はやせ地で大変だったと思います。
長くスーパーを経営されていた方が「一番美味しい」と仰るのですから、お墨付きですね。
もしかしたら、『牧歌の里』で飲んだことがあるかもしれません。
ひるがの高原にそのような悲しい過去があったとは、初めて知りました。
分水嶺公園に咲く水芭蕉、その近くでは8月の終わりにコスモスが咲き誇っていました。
それらの美しい自然も、今の季節スキーを楽しむ人々も、先人の人々の御苦労があってのことなのですね。
実はあの朝お出ししたのがこれでした。
あの時初めてこの牧場のもの買ったのです。
Hくんが教えてくれたものですから・・・
あれ以来これにしました。
蛭がいたかどうかはよく分かりませんが多分
そうかもしれませんね。
50年前くらいには岐阜のどこにも蛭はいましたね。
我が家は農家でないので田には入ったことがないのですが
農家は平気で蛭をつかんで道に捨てていました。
夫と母が好きなのです。
こちらも寒いながら天気はよいです。
満州で苦労し、また引き上げてきてからこんな苦労の末に酪農の道を築かれたとのこと、強い日本人のお話です。昨年放映されたアメリカの開拓民のを思い出しました。
岐阜から北の飛騨の方にあるのですね。
蛭と付くので、蛭がいっぱいいて大変だったのでしょうか。
美味しそうですね
この頃牛乳はほとんど飲んでいません
好きなんですが家にはないんです
今日もこちらはよい天気に成りました