岐南町南町民センターで短歌会を始めて何年になるでしょうか。スタートしたのは平成16年ですから、いつの間にか20年になろうとしています。鬼籍に入られた方も多いです。
昨日は激しい雨の中でしたが、予定通りすすめました。やはりあの雨ではカートを引くのも無理のようで、最高齢のHさんは欠席。作品は添削して次回お渡しすることにしました。
歌話は、天田愚庵を取り上げました。江戸末期から明治にかけた人で禅僧。戊辰戦争の時は15歳。従軍して父母妹と生き別れて20年。探しても再会できずでした。やがて清水次郎長の養子となりました。次郎長が全国に名が広まったりは彼の書いた伝記によるものでした。佐賀の乱で誤認逮捕で獄中生活。獄中で歌人に会い、そこで短歌を学びます。彼に影響を与えたのは山岡鉄舟との出会い。斎藤茂吉も彼の歌を認めています。正岡子規との交流もありました。しかし、病弱のため51歳で亡くなりました。
50歳の時の歌
かぞふれば我も老いたり母そはの母の年より四年老いたり
今月の一首
四年ぶりやうやく戻りし故郷はどこまでもどこまでも青き山 Hさん
写真上は郷里の福岡に帰られたHさんからのお土産のニワカ煎餅 包装紙の裏側には博多弁が・・・
今朝のNHIBS火野正平さんの自転車旅は、30年前に住んでいた加古川市の場面でしたので、思わずくぎづけ。私たちが住んでいたころはまだ文化財に指定されていなかった八仏を紹介していました。これに似た仏像は見たことがあります。古墳時代の石棺の蓋に8体の仏像が彫られています。南北朝時代に彫られたらしいです。
加古川市の八仏
「天田愚庵・・・」↑ について不勉強でしたので詳しく学ぶことができました。
50歳の時の歌、素敵に詠まれました歌を拝見させて頂きました。
H様のお歌「どこまでもどこまでも青き山」にお喜びがあふれていらっしゃいますね。
しました。
ある月刊誌に紹介されていたからです。
埋もれている歌人と申しましょうか。
Hさんも久しぶりに郷里の博多に帰ることができて
嬉しかったようです。