つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

宮城まり子さんと「ねむの木学園」

2016-02-25 | ボランティア

 毎月、WFWPの機関誌のハーストーリーを皆で輪読し、話し合いの場を持っています。先週のある日の午後、岐阜地区退職女性校長会長のH先生を囲み、楽しいひとときを過ごしました。今月の記事は、宮城まり子さんと「ねむの木学園」。

 掛川市にもう49年も、ハンディを持った人が暮らす「ねむの木村」を経営。記事のテーマは、「ダメな子なんか世界中ひとりもいない」。まり子さんは、30歳のとき、脳性まひの子供の役をして、はじめてその症状を知りました。そして日本で初めての肢体不自由児施設を作りました。併設されるねむの木こども美術館には、美智子皇后も鑑賞に来られました。

 誰にも相談せず、パートナーだった吉行淳之介さんだけに、打ち明けると、「きのう今日言い出したことなら、僕は止めるけど、君は10年も前から言い続けていたことだからいいでしょう。その代わり三つの約束をしよう。愚痴をこぼさない、途中で止めると言わない、お金がないと言わないことを」この約束が支えになっているようです。

 下は、本誌の内村鑑三の詩のページ。

 

 

お正月に娘から届いた雲南黄梅が開花

   

   夫の誕生祝いに届いたラナンキュラスも開花


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5 コメント

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Unknown (tona)
2016-02-25 10:44:54
吉行淳之介の宮城まり子さんへの約束の言葉、素晴らしいですね。
その約束を守って続けてこられた宮城まり子さんは凄い。
もう88歳になられるのでしょう。
エリザベスサンダースホームの澤田さんも思い出します。

お嬢さんからの雲南黄梅の色のきれいな事!
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tonaさま (matsubara)
2016-02-25 15:37:36
淳之介さんが亡くなられたとき
決してまり子さんは表に出てこなかった
ですね。わきまえておられるのだと
察知しました。

そんな年には思えませんね。
お母上は小学生のとき結核で亡くなられた
そうです。

雲南黄梅はかなり大きな木があるのですが
知らなかったそうです。これはこれとして
大切にしています。
返信する
Unknown (Saas-Feeの風)
2016-02-25 21:56:37
人気女優だったときにねむの木学園に注力なさり
いつの間にかお茶の間ではその姿が見られなくなりました。
欧米では財力あるひとたちが財団を作って
このような学園を設立するようですが
わが国ではそのようなカルチャーが育まれませんね。
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トラックバックを・・・ (Saas-Feeの風)
2016-02-25 22:09:06
ありがとうございました。
10年前には行っておられたのですねえ。
さすがに好くご存知です。
細部まで観察なさっていることにも感服しました。
返信する
Saas-Feeの風さま (matsubara)
2016-02-26 08:14:37
二つもコメントありがとうございます。
確かに日本では公立ばかりですね。
財力があっても公的には使われませんね。

旧岩崎庭園は公開される前から気になっていた
ところでした。前は公的に使われていて中には
入れませんでした。一般公開の記事が出て
すぐに行きました。三菱のことですので気にして
いたのです。
細部は風さまの記事の方が上です。
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