カメカメハ五世司法史センターの向かいには、1882年創建のイオラニ宮殿があります。カラカウア王の創建ですが、リリエオカラニ女王の時代には悲しい歴史があります。女王は、夫に死別され、国を治めきれなくなり、ハワイ革命が起きて、宮殿の一室に8ヶ月幽閉。作曲や刺繍をしながら女官と暮らしました。政治は政府が行い、政界から追放されたのです。砂糖きび産業もうまくゆかなくて・・・
宮殿には、世界に先駆けてウォッシュレットのトイレまであります。そして地下の厨房で作られた料理は、手動式エレベーターで上の食堂まで運ばれていました。調度品も当然素晴らしいものばかり。
しかし豪華な調度品も革命のとき、競売され世界中に散逸。今は何年もかけて古物商などから買戻し、半分程戻ったようです。買戻しはこれからも地道に続けるので、又ここに来てどれが増えているか見て欲しいそうです。過去の写真と照合して探しています。
明治天皇に会うため、大王は来日しておられます。まさか宮殿で菊の御紋のある花瓶を見るとは思わなかったです。日本人の写真も掲げてありました。その中には、日本赤十字創始者の佐野常民氏もありました。
ハワイ語はもともとは文字はなくて、言葉は耳により伝えられました。このあたりはアイヌ語と同じです。皇族はイギリスに留学していたので、英語を話せました。その後ハワイ語はアルファベットによって表記されることになりました。
4泊5日の旅はまたたくまに過ぎ、1日夜中部国際空港に着陸。帰りの飛行機はクラシック三昧。DVDで、ベートーベンの交響曲第三番、第五番、第六番、第七番、第九番を続けて聞き、モーツァルトのピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、フルート協奏曲などなども・・・7時間も聴いたのは初めてでした。
旅の前日、病気のドイツ人副操縦士による墜落事故があり、気が気でないものがありましたが無事帰国出来て、感謝です。旅の間に優勝を期待していた高校野球の県立岐阜商業高校が、準々決勝で敗退していたのは残念でした。高橋投手は評判がよかったのに・・・

イオラニ宮殿

宮殿階段

階段脇の花瓶 右は明治天皇からの下賜品

食堂

の部屋

女王の寝室 隣のバスルームの脇にはウォッシュレットのトイレが設置

右上の勲章は明治天皇からカメハメハ大王に贈呈されたもの

競売で買ったの部屋の青い椅子は秘密裏に赤く張り替えられていました

悲劇のリリエオカラニ女王(アロハオエの作曲者)

飛行機のモニター