未唯への手紙
未唯への手紙
持続可能な開発目標
『公民連携白書 2016~2017』より 国連「持続可能な開発目標」に見るコンパクト化の役割と欧州に見るヒント
持続可能な開発目標とは
2015年9月の国連総会で、2030年までの新しい開発アジェンダとして「持続可能な開発目標(SDGs)」が定められた。SDGsは、17の目標とそれに関連した169のターゲットから構成される。2030年までに貧困を撲滅することをはじめ、包括的で幅広い目標が定められている。
SDGsの前身であるミレニアム開発目標(MDGs)などでは、発展途上国における貧困撲滅が主眼に置かれてきた。一方で、SDGsは、先進国を含む国際社会全体の開発目標となっており、それぞれの国が発展の段階に応じて取り組むとされる普遍性が最大の特徴である。
また、もう一つの特徴は、「パートナーシップ」への着目である。SDGsの序文には、持続可能な開発の重点分野として5つのP一人間(People)、地球(Planet)、繁栄(Prosperity)、平和(Peace)、パートナーシップ(Partnership)--が掲げられ、ゴール17には、民間企業や市民社会を含む全てのステークホルダーとの「グローバルパートナーシップの活性化」が謳われている。
持続可能な開発目標とコンパクトシティ
持続可能な開発目標のゴール11は「包摂的、安全、強靭で、持続可能な都市と人間居住の構築」を掲げる。他のゴールがグローバルな目標であるのに対して、このゴールは「都市」という限られたエリア・規模を対象とした目標である。また、都市はさまざまな分野で縦割り的に定められた目標を結びつけ、分野横断的な解決を必要とする。
都市部は今後爆発的な人口増加を経験することが予見されている。 2014年の国連の調査によると、2014年時点で世界の人口の半分以上(54%)が都市部で生活をしているが、都市居住者は2050年までに25億人増加(2014年現在は39億人)し、割合も66%に達する。この急成長の大半は途上国、新興国で起こる。
ゴール11の中に定められたターゲットには、「適切、安全かつ安価な住宅及び基本的サービスヘのアクセス」「持続可能な輸送システムヘのアクセス」「自然災害による被害の削減」「大気及び廃棄物管理など環境的悪影響の低減」「緑地や公共スペースヘの普遍的アクセス」などが含まれている。たとえば公共交通は移動の安全性を向上させるだけで無く、自家用車等からの置き換えによる大気汚染や化石燃料消費の抑制、女性、子ども、障害者など社会的弱者の教育や仕事へのアクセス向上など、SDGsが目指す複数分野の目標達成に貢献する要素を持つ。
公共交通の充実は、都市のコンパクト化、持続可能性向上の要である。 Burgess(2000)は、「実現可能な最も直接的な持続可能性の改善は公共輸送機関の燃料効率改善、規制と執行、環境に配慮した大量輸送システムの建設に関連している」とする。自動車への依存から脱却する公共交通指向型開発(TOD)などもコンパクトシティ実現の手段の一つと考えられている。SDGsで列挙されているゴール、ターゲットと、コンパクトシティ開発は、一見親和性が高い。コンパクトシティ政策の展開によって、都市の持続可能性の向上、持続可能な都市の形成が期待される。
しかし、Burgessは、途上国と先進国の都市の構造、特性、歴史的・文化的背景の違いから、先進国でのコンパクトシティ化の取り組み、コンセプトがそのまま途上国に適用できる訳では無いと指摘する。
現在の先進国の多くは、工業化の進展とともに都市人口比率の増加、モータリゼーションの進展、都市の拡大、環境の悪化を経験し、社会の成熟によって生活の質向上を求める人々の人口の郊外流出、第二次産業から第三次産業への転換による都市部の空洞化・低密度化という道を辿っている。そのため、コンパクトシティ政策は、都心居住などによる都心の高密度化と郊外開発の抑制、公共交通機関による自動車依存からの脱却と環境負荷低減、土地の複合利用などによる都市再生、規制・誘導による開発のコントロール等、都市の再生に主眼が置かれている。
一方で、途上国の問題は爆発的に伸びる都市人口の適切な吸収だ。多くの都市は既に過密で、(非公式セクターによる活動も含め)活動は集中し、土地の複合的利用が進んでおり、これ以上の高密度化、活動の集中はさらなる都市環境の悪化をもたらしかねない。インフラ投資は全般的に不足しており、現居住者の移転補償や需要リスクを伴う公共交通の整備は、地価の高騰や所得向上による自動車所有欲の高まりも相まって大きな困難を抱える。居住パターンも「貧しい都市中心部vs裕福な郊外」のような単純な図式ではなく、貧困層は職や住居を求めて農村から都市の中心へ、そして郊外へと広がっている。さらに、途上国の当局には計画、規制、ガバナンスの能力が十分ではなく、持続可能な都市開発、都市環境の改善、コンパクト化を進めるための大きな障害ともなる。
密度や土地利用だけを見れば既に「コンパクト」な性質を持ちながら、依然として発展段階にある途上国においては、コンパクトな都市形成だけを目指すのでは、急増する都市人口や悪化する過密な都市環境に追いつくことができず、持続可能な都市を形成することは難しい。
持続可能な開発目標における企業の役割
前述の通り、新しい開発目標の特徴は、先進国の役割に加えて、民間セクターの役割を明確に認識し、計画に位置づけたことである。
開発目標の17には、グローバル・パートナーシップの活性化が謳われている。「活性化されたグローバル・パートナーシップは、政府、市民社会、民間セクター、国連機関、そのほかの主体を集結させるとともに、あらゆる利用可能な資源を動員し、すべての目標とターゲットの実施を支援するための全世界の強い関与を促進する」とする。国連の開発目標において民間セクターの活動、取り組みとの連携が明確に位置づけられた。民間セクターについては、「民間企業の活動・投資・イノベーションは、生産性及び包括的な経済成長と雇用創出を生み出していく上での重要なカギである。我々は、小企業から協同組合、多国籍企業までを包含する民間セクターの多楡匪を認める。我々は、こうした民間セクターに対し、持続可能な開発における課題解決のための創造性とイノベーションを発揮することを求める」とされ、その役割、技術への高い期待が示されている。
民間セクターも、この期待に応えようと努力を始めている。 PwCが民間企業や市民を対象に行ったSDGsに関する意識調査によると、民間事業者の回答者のSDGsの認知度(92%)は、市民の認知度(33%)よりもけるかに高い。また、71%の企業がSDGsに関連した事業の計画作りなどに着手しており、90%が5年後にはSDGsの達成に向けた行動を取るという。SDGsは様々な業種にとって関係の深い分野が含まれており、回答した企業の3分の1は、少なくとも自社に関係がある目標については、自社の活動によるインパクトの評価を行っていくと回答している。また、回答した市民の78%が、SDGsに取り組んでいる企業の商品・サービスを購入する可能性が高いとした。
日本の企業(37社)だけを見ると、SDGsの認知度は非常に高いが(97.3%)、特に行動はとっていない割合(35.1%)が他の国々(20.8%)に比べ高かった。また、市民の認知度は低く、知らないまたはほとんど知らないと回答した割合が70%(他の国々では56%)に上った。また、SDGsによって事業機会がもたらされると期待している分野としては、「気候変動」「クリーン、エネルギー」が30%を超えている。「持続可能なまちづくり」についても、2割超が事業機会をもたらすと捉えている。
企業の意識が高まっても、政府が対応できなければ事業が進まない。途上国の政府に企画・立案の能力がない場合、民間事業者が自ら事業の構想を練り、提案をする方法もある。近年、アジアをはじめとする途上国・新興国では、アジア開発銀行や世界銀行などの支援を受けて各国政府がppp制度の整備、拡充を進めており、多くの国の制度では、非公募型提案(Unsolicited Proposal)を認める規定が盛り込まれている。国によっては、非公募型提案に対して、随意契約や政府による直接、間接の支援を認めている。
持続可能な開発目標とは
2015年9月の国連総会で、2030年までの新しい開発アジェンダとして「持続可能な開発目標(SDGs)」が定められた。SDGsは、17の目標とそれに関連した169のターゲットから構成される。2030年までに貧困を撲滅することをはじめ、包括的で幅広い目標が定められている。
SDGsの前身であるミレニアム開発目標(MDGs)などでは、発展途上国における貧困撲滅が主眼に置かれてきた。一方で、SDGsは、先進国を含む国際社会全体の開発目標となっており、それぞれの国が発展の段階に応じて取り組むとされる普遍性が最大の特徴である。
また、もう一つの特徴は、「パートナーシップ」への着目である。SDGsの序文には、持続可能な開発の重点分野として5つのP一人間(People)、地球(Planet)、繁栄(Prosperity)、平和(Peace)、パートナーシップ(Partnership)--が掲げられ、ゴール17には、民間企業や市民社会を含む全てのステークホルダーとの「グローバルパートナーシップの活性化」が謳われている。
持続可能な開発目標とコンパクトシティ
持続可能な開発目標のゴール11は「包摂的、安全、強靭で、持続可能な都市と人間居住の構築」を掲げる。他のゴールがグローバルな目標であるのに対して、このゴールは「都市」という限られたエリア・規模を対象とした目標である。また、都市はさまざまな分野で縦割り的に定められた目標を結びつけ、分野横断的な解決を必要とする。
都市部は今後爆発的な人口増加を経験することが予見されている。 2014年の国連の調査によると、2014年時点で世界の人口の半分以上(54%)が都市部で生活をしているが、都市居住者は2050年までに25億人増加(2014年現在は39億人)し、割合も66%に達する。この急成長の大半は途上国、新興国で起こる。
ゴール11の中に定められたターゲットには、「適切、安全かつ安価な住宅及び基本的サービスヘのアクセス」「持続可能な輸送システムヘのアクセス」「自然災害による被害の削減」「大気及び廃棄物管理など環境的悪影響の低減」「緑地や公共スペースヘの普遍的アクセス」などが含まれている。たとえば公共交通は移動の安全性を向上させるだけで無く、自家用車等からの置き換えによる大気汚染や化石燃料消費の抑制、女性、子ども、障害者など社会的弱者の教育や仕事へのアクセス向上など、SDGsが目指す複数分野の目標達成に貢献する要素を持つ。
公共交通の充実は、都市のコンパクト化、持続可能性向上の要である。 Burgess(2000)は、「実現可能な最も直接的な持続可能性の改善は公共輸送機関の燃料効率改善、規制と執行、環境に配慮した大量輸送システムの建設に関連している」とする。自動車への依存から脱却する公共交通指向型開発(TOD)などもコンパクトシティ実現の手段の一つと考えられている。SDGsで列挙されているゴール、ターゲットと、コンパクトシティ開発は、一見親和性が高い。コンパクトシティ政策の展開によって、都市の持続可能性の向上、持続可能な都市の形成が期待される。
しかし、Burgessは、途上国と先進国の都市の構造、特性、歴史的・文化的背景の違いから、先進国でのコンパクトシティ化の取り組み、コンセプトがそのまま途上国に適用できる訳では無いと指摘する。
現在の先進国の多くは、工業化の進展とともに都市人口比率の増加、モータリゼーションの進展、都市の拡大、環境の悪化を経験し、社会の成熟によって生活の質向上を求める人々の人口の郊外流出、第二次産業から第三次産業への転換による都市部の空洞化・低密度化という道を辿っている。そのため、コンパクトシティ政策は、都心居住などによる都心の高密度化と郊外開発の抑制、公共交通機関による自動車依存からの脱却と環境負荷低減、土地の複合利用などによる都市再生、規制・誘導による開発のコントロール等、都市の再生に主眼が置かれている。
一方で、途上国の問題は爆発的に伸びる都市人口の適切な吸収だ。多くの都市は既に過密で、(非公式セクターによる活動も含め)活動は集中し、土地の複合的利用が進んでおり、これ以上の高密度化、活動の集中はさらなる都市環境の悪化をもたらしかねない。インフラ投資は全般的に不足しており、現居住者の移転補償や需要リスクを伴う公共交通の整備は、地価の高騰や所得向上による自動車所有欲の高まりも相まって大きな困難を抱える。居住パターンも「貧しい都市中心部vs裕福な郊外」のような単純な図式ではなく、貧困層は職や住居を求めて農村から都市の中心へ、そして郊外へと広がっている。さらに、途上国の当局には計画、規制、ガバナンスの能力が十分ではなく、持続可能な都市開発、都市環境の改善、コンパクト化を進めるための大きな障害ともなる。
密度や土地利用だけを見れば既に「コンパクト」な性質を持ちながら、依然として発展段階にある途上国においては、コンパクトな都市形成だけを目指すのでは、急増する都市人口や悪化する過密な都市環境に追いつくことができず、持続可能な都市を形成することは難しい。
持続可能な開発目標における企業の役割
前述の通り、新しい開発目標の特徴は、先進国の役割に加えて、民間セクターの役割を明確に認識し、計画に位置づけたことである。
開発目標の17には、グローバル・パートナーシップの活性化が謳われている。「活性化されたグローバル・パートナーシップは、政府、市民社会、民間セクター、国連機関、そのほかの主体を集結させるとともに、あらゆる利用可能な資源を動員し、すべての目標とターゲットの実施を支援するための全世界の強い関与を促進する」とする。国連の開発目標において民間セクターの活動、取り組みとの連携が明確に位置づけられた。民間セクターについては、「民間企業の活動・投資・イノベーションは、生産性及び包括的な経済成長と雇用創出を生み出していく上での重要なカギである。我々は、小企業から協同組合、多国籍企業までを包含する民間セクターの多楡匪を認める。我々は、こうした民間セクターに対し、持続可能な開発における課題解決のための創造性とイノベーションを発揮することを求める」とされ、その役割、技術への高い期待が示されている。
民間セクターも、この期待に応えようと努力を始めている。 PwCが民間企業や市民を対象に行ったSDGsに関する意識調査によると、民間事業者の回答者のSDGsの認知度(92%)は、市民の認知度(33%)よりもけるかに高い。また、71%の企業がSDGsに関連した事業の計画作りなどに着手しており、90%が5年後にはSDGsの達成に向けた行動を取るという。SDGsは様々な業種にとって関係の深い分野が含まれており、回答した企業の3分の1は、少なくとも自社に関係がある目標については、自社の活動によるインパクトの評価を行っていくと回答している。また、回答した市民の78%が、SDGsに取り組んでいる企業の商品・サービスを購入する可能性が高いとした。
日本の企業(37社)だけを見ると、SDGsの認知度は非常に高いが(97.3%)、特に行動はとっていない割合(35.1%)が他の国々(20.8%)に比べ高かった。また、市民の認知度は低く、知らないまたはほとんど知らないと回答した割合が70%(他の国々では56%)に上った。また、SDGsによって事業機会がもたらされると期待している分野としては、「気候変動」「クリーン、エネルギー」が30%を超えている。「持続可能なまちづくり」についても、2割超が事業機会をもたらすと捉えている。
企業の意識が高まっても、政府が対応できなければ事業が進まない。途上国の政府に企画・立案の能力がない場合、民間事業者が自ら事業の構想を練り、提案をする方法もある。近年、アジアをはじめとする途上国・新興国では、アジア開発銀行や世界銀行などの支援を受けて各国政府がppp制度の整備、拡充を進めており、多くの国の制度では、非公募型提案(Unsolicited Proposal)を認める規定が盛り込まれている。国によっては、非公募型提案に対して、随意契約や政府による直接、間接の支援を認めている。
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三木清 哲学と知性 創造の哲学
『三木清教養論集』より
哲学者にはまず良識が必要である。「良識」とは何であるか。私はこれを知性的な識別力と定義したい。良識というのは、ほんとのものと偽りのもの、善いものと悪いもの、永遠的なものと一時的なもの、かようなものを識別する力である。良識は特に識別的な力であるという点で単なる「常識」から区別されるであろう。
良識は常識のようなものである。しかし常識は習慣的なものになることによって、識別力を失っている。識別力は批評力ででもあるが、常識にはこの批評的なところが少い。常識は、その性質上、実定的なものであるからである。良識は批評的であるという点で常識から区別される。或いはむしろ良識の識別力を含まない常識は真の常識でないということができる。
すべての感覚には識別性が属している。視覚は赤と青とを識別し聴覚は高い音と低い音とを識別する。識別することは感覚的な或いは直観的な作用である。良識は識別力としてこのように感覚的なもの、直観的なものである。しかしそれは感覚でなくて知性に属し、知性の直観的な作用である。
常識は感覚ではないが感覚のようにはたらくと同じく、良識も直観的にはたらく知性である。直観的な常識が実は経験的判断の堆積であるように、良識も知性の判断が直観として集中したものである。良識は感覚の如くただ生れながらに具わるものでなく、知性によって養い育てられねばならぬものである。社会における良識が健全な文化の基礎であり、その社会の文化の水準を決定する。
良識というような直観的な知性の存在することに注意することが大切である。知性の蔑視は直観と知性とを粗雑に分離し対立させることから生じている場合が少くない。直観のうちにすでに論理が含まれ、知性も直観的な仕方ではたらく。哲学は単に論理にのみ頼るものでなく、論理の地盤として直観的な良識がなければならぬ。哲学者も、あらゆる社会人、あらゆる文化人と同じく、良識を具えることが必要である。
知性とはまず良識のことでありインテリゲンチャ即ち知性人とは何よりも良識の人でなければならぬ。単に多くの知識を詰め込んで持っている人がインテリゲンチャであるのではない。真の知性人とは識別力を、批評眼を具えている人である。
批評に対する不信がこの時代の特徴になろうとしている。批評は強制をもって禁止されようとさえしている。しかし赤と青とを識別する力のない視覚というものが考えられないように、ほんとのものと偽りのもの、善いものと悪いもの、永続的なものと一時的なものとを識別する眼をもたない知性というものは考えられないであろう。識別するとは批評することである。眼がその機能を失わない限り、眼は赤と青とを識別することをやめないように、知性がその機能を失わない限り、知性は批評的であることをやめない。批評するとはまず識別することである。哲学における知性といっても差当り特別のものがあるのではない、それは識別力の鋭さと深さと広さとに関係している。
哲学が知性の産物であることは云うまでもないであろう。それが知性の産物であるということは、哲学が単に知性のみで作られるということを意味しない。哲学が生れるには直観も必要であろうし、情熱も必要であろう。しかしそれがどのようなものから出て来るにしても、それが哲学となるには知性の媒介を経なければならぬ。言い換えると、哲学は論理的であることを要求されている。
哲学は自分に直観が必要であるということですら、これを論理的に示さなければならぬ。哲学は自分が非合理主義を唱える場合ですら、その非合理主義の必然性を論理的に明かにしなければならぬ。直観的なもの、非合理的なものをそのまま投げ出しては哲学とはならず、哲学はどこまでも知性によって組織されるものである。直観と論理、非合理性と合理性との結合も論理的に捉えられなければならぬ。直観的といわれるものにおいてもすでに論理が認められないか、非合理的として放置されるものの中にもなお論理が含まれていないか、という風に、どこまでも論理を求めてゆくことが哲学者の態度である。
哲学は論理的であることによって一般性をもつことができる。それは単に主観的なものでなくて客観的なものでなければならず、その客観性を保証するものは論理である。例えば、哲学が国民主義を唱えるとする。それが真に哲学的に主張される場合、その国民主義の論理は単に或る一国に妥当するのみでなく、すべての国に妥当し得るものでなければならぬ。それは単にドイツのみでなく、日本にも、また支那にも通用すべきものである。即ち国民主義の哲学も哲学としては単に国民的なものでなく、却って世界的なものでなければならぬ。そこで自分の主張するような国民主義が世界のすべての国において行われたならばどうなるかということが考えられなければならず、従って国民主義も必然的に世界を問題にせざるを得なくなる。かように世界を問題にすることによって国民主義も知的になるのであり、単に自国の立場に止まっているような哲学は哲学とは云われない。哲学には常に世界的な、人類的な展望が必要である。この展望の広さを与えるものは知性である。
近年、日本的知性という言葉と共に知性の民族性が主張されている。確に、知性も現実的には誰かの知性であり、従ってまたいずれかの民族の知性であり、それ故に知性にも民族的特殊性があると考えられるであろう。それぞれの民族はそれぞれの哲学をもっている。しかし民族的な知性も知性である限り一般性を具えていなければならぬ。民族的な知性も知性である限り論理を含まねばならず、この論理によってその文化は民族を越えたものとなり得るのである。ギリシア哲学はギリシアの民族的な哲学であったが、それは同時に世界的な哲学であった。ギリシア哲学は論理的な哲学であったのであり、或いはむしろギリシア哲学が初めて論理というものを発見し、論理学を組織したのである。この頃日本の世界史的使命ということが云われるようになったが、世界史的な民族には世界的な哲学がなければならぬ。しかるに日本的知性ということが云われているに拘らず、この知性の論理がいかなるものであるかが未だ明かにされていないのは遺憾である。その論理が明かにされることによって初めて十分に日本的知性について語ることができる。
日本の哲学が日本民族の中から、その民族的知性によって生れて来ることは明かである。民族とはひとつの個性である。個性は特殊的なものであるが、しかし単に特殊的なものは個性とはいわれず、個性とは却って特殊的なものと一般的なものとの綜合である。日本的知性は特殊な知性として特殊な論理を含むであろうが、すでに論理という以上また一般的なところがなければならぬ。単に特殊的な論理というのは考えられない。
西洋的知性が論理的であるに反して日本的知性は直観的であると云われるかも知れない。しかしながら直観と論理とをむやみに対立的に考えることは間違っている。論理の最高法則について見ても、それは論証の基礎となるものであってそれ自身はもはや論証されることができず、却って直観的に捉えられるのほかない。直観的な知性にも、知性である以上、論理がなければならぬ。また特殊な論理は一般的な論理との関係において初めてその論理性を示し得るものである。言い換えると、民族的な論理があるとしても、それは人類的な、世界的な論理と論理的なつながりを持たねばならぬ。
人類とか世界とかは抽象的なものであって、民族のみが実在的であるというように考えることが流行になろうとしている。そうであるならば、我々は人類とか世界とかと云う代りに自然と云っても好い。ただこの自然を歴史的自然と考えさえすれば好いのである。人間が自然の一物として自然のうちに包まれていることは誰も疑わないであろう。この自然の実在性は誰も認めており、人間の実在性もこの自然から示される。同様に民族も自然(世界)のうちに包まれその実在性は自然(世界)において与えられているのである。そしてそのように、民族の論理は世界(自然)の論理から示されねばならず、民族的知性の論理性もまた世界的(人類的)知性の論理性とのつながりにおいて初めて証明されることができる。この証明を含まない哲学は真の哲学とは云い難いであろう。
今日の哲学はなによりも創造の哲学でなければならないが、知性は創造的であり得ないとも云われている。確に、知性のみでは創造し得ないであろう。しかしまた知性が加わらなければ創造はあり得ない。我々が経験を超えて知識を拡張することができるのは知性の力に基づいている。もし我々が知性を持たないならば、我々の知識は我々の狭い経験に局限されねばならぬ。経験の範囲を超えて新しい世界を開くものは知性であり、知性なしに我々は真に創造的であることができぬ。新しい世界は想像力によって見出されると云ってもこのような想像力はすでにそれ自身知的なものであり、またそれは知性によってその世界を拡め得るのである。
哲学はその時代の実体的なものの知識であり、思想的に把握されたその時代であるとへーゲルはいっている。しかし哲学はヘーゲルのいうようにミネルヴァの梟の如く時代の黄昏に初めて飛び始めるものでなく、新しい時代の黎明を告げるものでなければならない。真の哲学者は現実に追随することなく、現実に立ちながら現実を見渡して先へ歩むものでなければならない。我々を現実の中に沈ませるものは本能であり、現実の中から新しい展望を開くものは知性である。我々の日本に対する愛が本能的なものに止まらないで、真に知的な愛になることこそ、今日最も望ましいことである。
哲学者にはまず良識が必要である。「良識」とは何であるか。私はこれを知性的な識別力と定義したい。良識というのは、ほんとのものと偽りのもの、善いものと悪いもの、永遠的なものと一時的なもの、かようなものを識別する力である。良識は特に識別的な力であるという点で単なる「常識」から区別されるであろう。
良識は常識のようなものである。しかし常識は習慣的なものになることによって、識別力を失っている。識別力は批評力ででもあるが、常識にはこの批評的なところが少い。常識は、その性質上、実定的なものであるからである。良識は批評的であるという点で常識から区別される。或いはむしろ良識の識別力を含まない常識は真の常識でないということができる。
すべての感覚には識別性が属している。視覚は赤と青とを識別し聴覚は高い音と低い音とを識別する。識別することは感覚的な或いは直観的な作用である。良識は識別力としてこのように感覚的なもの、直観的なものである。しかしそれは感覚でなくて知性に属し、知性の直観的な作用である。
常識は感覚ではないが感覚のようにはたらくと同じく、良識も直観的にはたらく知性である。直観的な常識が実は経験的判断の堆積であるように、良識も知性の判断が直観として集中したものである。良識は感覚の如くただ生れながらに具わるものでなく、知性によって養い育てられねばならぬものである。社会における良識が健全な文化の基礎であり、その社会の文化の水準を決定する。
良識というような直観的な知性の存在することに注意することが大切である。知性の蔑視は直観と知性とを粗雑に分離し対立させることから生じている場合が少くない。直観のうちにすでに論理が含まれ、知性も直観的な仕方ではたらく。哲学は単に論理にのみ頼るものでなく、論理の地盤として直観的な良識がなければならぬ。哲学者も、あらゆる社会人、あらゆる文化人と同じく、良識を具えることが必要である。
知性とはまず良識のことでありインテリゲンチャ即ち知性人とは何よりも良識の人でなければならぬ。単に多くの知識を詰め込んで持っている人がインテリゲンチャであるのではない。真の知性人とは識別力を、批評眼を具えている人である。
批評に対する不信がこの時代の特徴になろうとしている。批評は強制をもって禁止されようとさえしている。しかし赤と青とを識別する力のない視覚というものが考えられないように、ほんとのものと偽りのもの、善いものと悪いもの、永続的なものと一時的なものとを識別する眼をもたない知性というものは考えられないであろう。識別するとは批評することである。眼がその機能を失わない限り、眼は赤と青とを識別することをやめないように、知性がその機能を失わない限り、知性は批評的であることをやめない。批評するとはまず識別することである。哲学における知性といっても差当り特別のものがあるのではない、それは識別力の鋭さと深さと広さとに関係している。
哲学が知性の産物であることは云うまでもないであろう。それが知性の産物であるということは、哲学が単に知性のみで作られるということを意味しない。哲学が生れるには直観も必要であろうし、情熱も必要であろう。しかしそれがどのようなものから出て来るにしても、それが哲学となるには知性の媒介を経なければならぬ。言い換えると、哲学は論理的であることを要求されている。
哲学は自分に直観が必要であるということですら、これを論理的に示さなければならぬ。哲学は自分が非合理主義を唱える場合ですら、その非合理主義の必然性を論理的に明かにしなければならぬ。直観的なもの、非合理的なものをそのまま投げ出しては哲学とはならず、哲学はどこまでも知性によって組織されるものである。直観と論理、非合理性と合理性との結合も論理的に捉えられなければならぬ。直観的といわれるものにおいてもすでに論理が認められないか、非合理的として放置されるものの中にもなお論理が含まれていないか、という風に、どこまでも論理を求めてゆくことが哲学者の態度である。
哲学は論理的であることによって一般性をもつことができる。それは単に主観的なものでなくて客観的なものでなければならず、その客観性を保証するものは論理である。例えば、哲学が国民主義を唱えるとする。それが真に哲学的に主張される場合、その国民主義の論理は単に或る一国に妥当するのみでなく、すべての国に妥当し得るものでなければならぬ。それは単にドイツのみでなく、日本にも、また支那にも通用すべきものである。即ち国民主義の哲学も哲学としては単に国民的なものでなく、却って世界的なものでなければならぬ。そこで自分の主張するような国民主義が世界のすべての国において行われたならばどうなるかということが考えられなければならず、従って国民主義も必然的に世界を問題にせざるを得なくなる。かように世界を問題にすることによって国民主義も知的になるのであり、単に自国の立場に止まっているような哲学は哲学とは云われない。哲学には常に世界的な、人類的な展望が必要である。この展望の広さを与えるものは知性である。
近年、日本的知性という言葉と共に知性の民族性が主張されている。確に、知性も現実的には誰かの知性であり、従ってまたいずれかの民族の知性であり、それ故に知性にも民族的特殊性があると考えられるであろう。それぞれの民族はそれぞれの哲学をもっている。しかし民族的な知性も知性である限り一般性を具えていなければならぬ。民族的な知性も知性である限り論理を含まねばならず、この論理によってその文化は民族を越えたものとなり得るのである。ギリシア哲学はギリシアの民族的な哲学であったが、それは同時に世界的な哲学であった。ギリシア哲学は論理的な哲学であったのであり、或いはむしろギリシア哲学が初めて論理というものを発見し、論理学を組織したのである。この頃日本の世界史的使命ということが云われるようになったが、世界史的な民族には世界的な哲学がなければならぬ。しかるに日本的知性ということが云われているに拘らず、この知性の論理がいかなるものであるかが未だ明かにされていないのは遺憾である。その論理が明かにされることによって初めて十分に日本的知性について語ることができる。
日本の哲学が日本民族の中から、その民族的知性によって生れて来ることは明かである。民族とはひとつの個性である。個性は特殊的なものであるが、しかし単に特殊的なものは個性とはいわれず、個性とは却って特殊的なものと一般的なものとの綜合である。日本的知性は特殊な知性として特殊な論理を含むであろうが、すでに論理という以上また一般的なところがなければならぬ。単に特殊的な論理というのは考えられない。
西洋的知性が論理的であるに反して日本的知性は直観的であると云われるかも知れない。しかしながら直観と論理とをむやみに対立的に考えることは間違っている。論理の最高法則について見ても、それは論証の基礎となるものであってそれ自身はもはや論証されることができず、却って直観的に捉えられるのほかない。直観的な知性にも、知性である以上、論理がなければならぬ。また特殊な論理は一般的な論理との関係において初めてその論理性を示し得るものである。言い換えると、民族的な論理があるとしても、それは人類的な、世界的な論理と論理的なつながりを持たねばならぬ。
人類とか世界とかは抽象的なものであって、民族のみが実在的であるというように考えることが流行になろうとしている。そうであるならば、我々は人類とか世界とかと云う代りに自然と云っても好い。ただこの自然を歴史的自然と考えさえすれば好いのである。人間が自然の一物として自然のうちに包まれていることは誰も疑わないであろう。この自然の実在性は誰も認めており、人間の実在性もこの自然から示される。同様に民族も自然(世界)のうちに包まれその実在性は自然(世界)において与えられているのである。そしてそのように、民族の論理は世界(自然)の論理から示されねばならず、民族的知性の論理性もまた世界的(人類的)知性の論理性とのつながりにおいて初めて証明されることができる。この証明を含まない哲学は真の哲学とは云い難いであろう。
今日の哲学はなによりも創造の哲学でなければならないが、知性は創造的であり得ないとも云われている。確に、知性のみでは創造し得ないであろう。しかしまた知性が加わらなければ創造はあり得ない。我々が経験を超えて知識を拡張することができるのは知性の力に基づいている。もし我々が知性を持たないならば、我々の知識は我々の狭い経験に局限されねばならぬ。経験の範囲を超えて新しい世界を開くものは知性であり、知性なしに我々は真に創造的であることができぬ。新しい世界は想像力によって見出されると云ってもこのような想像力はすでにそれ自身知的なものであり、またそれは知性によってその世界を拡め得るのである。
哲学はその時代の実体的なものの知識であり、思想的に把握されたその時代であるとへーゲルはいっている。しかし哲学はヘーゲルのいうようにミネルヴァの梟の如く時代の黄昏に初めて飛び始めるものでなく、新しい時代の黎明を告げるものでなければならない。真の哲学者は現実に追随することなく、現実に立ちながら現実を見渡して先へ歩むものでなければならない。我々を現実の中に沈ませるものは本能であり、現実の中から新しい展望を開くものは知性である。我々の日本に対する愛が本能的なものに止まらないで、真に知的な愛になることこそ、今日最も望ましいことである。
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ひめたんの活動休止のブログ
三段階ロジックの出番
エッセイでは三段階ロジックを使います。真ん中を抜いて、両側でロジックを作り、その後に真ん中を補完するやり方。壁がある時に有効な手段です。パートナーとの会話から生まれた。
パレスチナを囲む壁さえも通り抜けることが出来ます。
メールのトラウマ
2週間メールが来ないぐらいで騒ぐな。こちとらは、20年間、待っているんだから。生きている間に来るのかな。まあ、いいけど。
今週の新刊書
中村元の『アレント入門』だけで、いくらでも飯が食えるってもんだ。それ以外の本は簡単に済まそう。残すかどうかは金曜日中に即決します。
新刊書に集る連中にはわからない醍醐味です。
日本型新自由主義なんてどこにもない
日本に政策の理念なんてものがあるのかな。日本型新自由主義といっても何かフラフラしている。
個人レベルの思いを発信したかった
Yahoo!JAPANの200人が2ページに亘って、仕事について述べている。現役の時にこういうものがあったら、大胆に論理を展開していたのに。だから、どうなるってもんじゃない。
地域コンダクター
地域コンダクターは図書館に居る。SFPLに住んでいるエンジェルのように、見下ろしている。豊田市中央図書館の6階のグループ室は使っていないから、あそこに専任司書という名のコンダクターを置いて、いつでも相談できるようにする。
市民からの相談だけでなく、市の行政とか図書館の報告とかにも権限を持って、相談する。知の世界が体現できる時代は来るのか。LAPLとかUCバークレーの図書館の司書室は固執でした。3つぐらいの博士号を持っているみたい。
電子書籍の衝撃に図書館はどうするのか
TUTAYAにしても、電子書籍になった時に、どのような体制を採るのか。版数が電子図書になった時に、図書館がどうなっていくのか真剣に考えていないと根底が揺らぎます。
日本のCDの売り上げは「握手券」で救われています。このネット放送の時代に100万枚売れるのだから。いいアイデアです。リアルな本にとっての「握手券」って何なんでしょうか。電子書籍になった時に装丁で飯は食っていけない。
ひめたんの活動休止のブログ
ひめたんが8時半に「17枚目での活動休止」をブログで知らせてきた。2週間ぶりのブログです。
ひめたんは休業中に、先を見られるようにしてもらいたい。単に休みだけではダメです。先が見えないと、希望が湧かない。その部分を補完しないとダメです。生ちゃんのミュージカルのに通い詰めるとか、妹のすぅちゃんのベビメタルの海外公演に同行して、新しい世界を知る。二人がどういう思いでいるのかから、自分の武器にしていく。自分なりのアイドル像を作り上げることです。
生ちゃんは9枚目を休業して、10枚目のセンターになって、「何度目の青空か?」を成功させた。そのためのアイデアも示していきたい。
残念なのが、唯一の楽しみだった、らじらーのやり取りが聞けないという現実です。
エッセイでは三段階ロジックを使います。真ん中を抜いて、両側でロジックを作り、その後に真ん中を補完するやり方。壁がある時に有効な手段です。パートナーとの会話から生まれた。
パレスチナを囲む壁さえも通り抜けることが出来ます。
メールのトラウマ
2週間メールが来ないぐらいで騒ぐな。こちとらは、20年間、待っているんだから。生きている間に来るのかな。まあ、いいけど。
今週の新刊書
中村元の『アレント入門』だけで、いくらでも飯が食えるってもんだ。それ以外の本は簡単に済まそう。残すかどうかは金曜日中に即決します。
新刊書に集る連中にはわからない醍醐味です。
日本型新自由主義なんてどこにもない
日本に政策の理念なんてものがあるのかな。日本型新自由主義といっても何かフラフラしている。
個人レベルの思いを発信したかった
Yahoo!JAPANの200人が2ページに亘って、仕事について述べている。現役の時にこういうものがあったら、大胆に論理を展開していたのに。だから、どうなるってもんじゃない。
地域コンダクター
地域コンダクターは図書館に居る。SFPLに住んでいるエンジェルのように、見下ろしている。豊田市中央図書館の6階のグループ室は使っていないから、あそこに専任司書という名のコンダクターを置いて、いつでも相談できるようにする。
市民からの相談だけでなく、市の行政とか図書館の報告とかにも権限を持って、相談する。知の世界が体現できる時代は来るのか。LAPLとかUCバークレーの図書館の司書室は固執でした。3つぐらいの博士号を持っているみたい。
電子書籍の衝撃に図書館はどうするのか
TUTAYAにしても、電子書籍になった時に、どのような体制を採るのか。版数が電子図書になった時に、図書館がどうなっていくのか真剣に考えていないと根底が揺らぎます。
日本のCDの売り上げは「握手券」で救われています。このネット放送の時代に100万枚売れるのだから。いいアイデアです。リアルな本にとっての「握手券」って何なんでしょうか。電子書籍になった時に装丁で飯は食っていけない。
ひめたんの活動休止のブログ
ひめたんが8時半に「17枚目での活動休止」をブログで知らせてきた。2週間ぶりのブログです。
ひめたんは休業中に、先を見られるようにしてもらいたい。単に休みだけではダメです。先が見えないと、希望が湧かない。その部分を補完しないとダメです。生ちゃんのミュージカルのに通い詰めるとか、妹のすぅちゃんのベビメタルの海外公演に同行して、新しい世界を知る。二人がどういう思いでいるのかから、自分の武器にしていく。自分なりのアイドル像を作り上げることです。
生ちゃんは9枚目を休業して、10枚目のセンターになって、「何度目の青空か?」を成功させた。そのためのアイデアも示していきたい。
残念なのが、唯一の楽しみだった、らじらーのやり取りが聞けないという現実です。
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朝鮮半島の南北分断については、日本に何の責任もありません
『最強の世界史』より ⇒ こんな「感想文」的な本もあるんですね。歴史のIFで結果と原因を混同すると、何が何だかわからなくなる。
スターリンに踊らされたルーズベルト
トルーマン(在任1945~53年)は終戦の4ヵ月前に、ルーズベルト大統領の死(1945年4月12日)によって大統領に昇格しました。1944年秋の大統領選挙で副大統領に当選し、翌年の4月には大統領に就任していました。
副大統領は、最近はけっこう活躍していますが、当時は、まったく閑職でした。なにしろ原爆を開発する「マンハッタン計画」も知らされていなかったのです。しかし、運命のいたずらは、この大学教育も受けていない地方政治家を戦後の世界を代表するリーダーの地位に就けました。
4月12日に大統領に就任し、7月のポツダム会議の途中に核実験の成功を聞いて少し強気になりました。
もう終戦は目の前でしたから、わざわざ参戦させてもソ連に分け前を渡すほどのメリットはなくなっていたのにどうして参戦を求めたか謎です。日本に天皇制の維持を確約し、原爆投下を予告し、ソ連の参戦も示唆すれば、もっと早い段階で終戦が可能だったと思います。
当時のインテリの世界にはコミンテルンのネットワークが張り巡らされており、それに踊らされたのは確かです。
アメリカは唯一の核保有国として、世界を支配できると考えていましたが、1949年8月に早くもソ連が原爆実験に成功しました。スパイによって製造方法が漏洩したのですが、その疑いでローゼンバーグ夫妻が、物的証拠がないまま死刑にされ、獄中から子供たちに送った感動的な手紙が日本でも、『愛は死をこえて』というタイトルで出版されてベストセラーになりました。
中学生くらいのころ読んで、アメリカも酷いことをすると思ったのですが、ペレストロイカによる情報公開で、容疑が真実であることが明らかになりました。
もしアメリカが、たとえば日本に対して東条内閣が倒れた(1944年7月)あたりで無条件降伏にこだわらず、国体の護持、英米派の首相任命、責任者の公職追放、議院内閣制への転換、中国での権益放棄、朝鮮の将来の独立などを条件に和平を提案したなら、戦死者は半分以下、民間人犠牲者はほとんど出ずに終わったはずです。アメリカ軍の戦死者は本当にわずかだったでしょう。
また、朝鮮半島についても、数年内に大韓帝国として独立させるのであれば、南北分断もなく、日本人の引き揚げも人材が育ってくるのを待って行えばよかったのです。
中国も、重慶政府と南京政府の合流であれば経済的にもしっかりした国になったはずで、共産化はありえなかったでしょう。汪兆銘政権への行き過ぎた敵意は、紙幣の交換でも恣意的な交換レートを設定することになり、中国経済を混乱に陥れました。
日本軍やドイツ軍も解体する必要はなかったわけで、民主化および縮小したうえで、同盟軍として活用するのでも良かったのです。そういう意味では、無条件降伏させるために、馬鹿げたコストをかけ、その結果、東ヨーロッパや中国の共産化、朝鮮半島の南北分断をまねき、双方において膨大な戦死者や民間犠牲者を出したのは正しい判断だったはずがありません。
朝鮮半島の南北分断については、日本に何の責任もありません。ソ連を参戦させたからああいうことになっただけです。また、李承晩のような時代遅れの両班の手にゆだねたことで、韓国はたいへんな苦労をすることになりました。すでに高等文官試験を通った日本の、あるいは、満州国の行政官として人材は育っていましたし、さらに数年の準備期間をおけば極めて良質な行政機構が実現していたことでしょう。
後進国のままの中国が主導する世界は闇だ
現在の世界にとって悩ましい問題は、さしあたってばイスラム過激派であり、北朝鮮のようなならずもの国家ですが、より長期的には中国の台頭です。
中国の共産党政府は、1970年代終わりに文化大革命の混乱を収束させ、改革開放経済に移行してから、基本的にはよく頑張ったと思います。そして、その過程において、日本はおおいに助けたと思います。
毛沢東派との権力闘争に勝って最高権力を掌握した鄧小平は、1978年に日中平和友好条約の批准書交換のため来日しましたが、このとき、自民党幹事長だった大平正芳に問われて、はじめて、改革開放の理念を語ったといいます。それに対して、大平は傾斜生産方式を始め、所得倍増計画、貿易や資本の自由化など戦後経済政策の歩みを語り、適切な順序で手だてを講じれば、20年間でGDPを4倍にすることも可能だろうといいました。それを聞いた鄧小平はようやく確信を持って本格的な改革開放路線に邁進できたのです。
その後、鄧小平のもとで実務を担った胡耀邦は根回し不足で先走り失敗、趙紫陽は学生らを鄧小平からの奪権闘争に利用しようとして「天安門事件」を扇動し追放されました。しかし、ストイックな朱鎔基が首相として見事な経済運営を展開して中国経済を軌道に乗せました。
ところが、ドロールなきEU統合が混迷しているように、朱鎔基なき改革開放は漂流しはじめました。とくに、指導部が安い給与にもかかわらず贅沢な生活をし、子弟を海外に留学させたり、事業を展開させているのは論外です。
とくに、中国では日本と違い、権力があるうちに最大限に利益を享受しないと損だと考える伝統があり、しかも、その不当利得の金額が国庫や国民経済を傾けるほどになっても平気です。また、権力維持のために、これまでの指導部は、反対派の長老を黙らせるためには、その家族に利権を与えるのがいちばん簡単と割り切っていました。
習近平はこの状況の悲劇的な結末を意識したのか、綱紀粛正に乗り出しており、それは正しい判断だと思います。しかし、その代わりに、国民の支持をつなぎ止めるために、超大国としての栄光とか、領土拡張に走り出しました。
中国では過去にも漢の武帝、明の永楽帝、清の乾隆帝のように、王朝が始まって数十年したあたりで、急に膨張主義になって国威発揚による国民の不満そらしを試みた皇帝がいましたが、それに似ているともいえます。
あるいは、大日本帝国が大東亜共栄圏とかいって西太平洋と東アジアを自分の勢力圏だと言い出したのと、「一帯一路」政策は非常に似ています。
歴史に学べ、戦前の日本を反省しろと中国はいいますが、戦前日本の失敗から鏡を見るように教訓を得るべきなのは、習近平の中国だと思います。
ともかく、中国は政治・経済・社会・文化などいずれをとっても巨大な開発途上国にすぎません。もし、21世紀が後進文明国のヘゲモニーのもとに置かれるなら、人類にとってこのうえない不幸はないのです。
そして、欧米諸国や日本はこの事態にどう対処すべきなのか、そして、イギリスのEU離脱やアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利という新しい状況をどうみるべきか、あとがきで少し論じたいと思います。
スターリンに踊らされたルーズベルト
トルーマン(在任1945~53年)は終戦の4ヵ月前に、ルーズベルト大統領の死(1945年4月12日)によって大統領に昇格しました。1944年秋の大統領選挙で副大統領に当選し、翌年の4月には大統領に就任していました。
副大統領は、最近はけっこう活躍していますが、当時は、まったく閑職でした。なにしろ原爆を開発する「マンハッタン計画」も知らされていなかったのです。しかし、運命のいたずらは、この大学教育も受けていない地方政治家を戦後の世界を代表するリーダーの地位に就けました。
4月12日に大統領に就任し、7月のポツダム会議の途中に核実験の成功を聞いて少し強気になりました。
もう終戦は目の前でしたから、わざわざ参戦させてもソ連に分け前を渡すほどのメリットはなくなっていたのにどうして参戦を求めたか謎です。日本に天皇制の維持を確約し、原爆投下を予告し、ソ連の参戦も示唆すれば、もっと早い段階で終戦が可能だったと思います。
当時のインテリの世界にはコミンテルンのネットワークが張り巡らされており、それに踊らされたのは確かです。
アメリカは唯一の核保有国として、世界を支配できると考えていましたが、1949年8月に早くもソ連が原爆実験に成功しました。スパイによって製造方法が漏洩したのですが、その疑いでローゼンバーグ夫妻が、物的証拠がないまま死刑にされ、獄中から子供たちに送った感動的な手紙が日本でも、『愛は死をこえて』というタイトルで出版されてベストセラーになりました。
中学生くらいのころ読んで、アメリカも酷いことをすると思ったのですが、ペレストロイカによる情報公開で、容疑が真実であることが明らかになりました。
もしアメリカが、たとえば日本に対して東条内閣が倒れた(1944年7月)あたりで無条件降伏にこだわらず、国体の護持、英米派の首相任命、責任者の公職追放、議院内閣制への転換、中国での権益放棄、朝鮮の将来の独立などを条件に和平を提案したなら、戦死者は半分以下、民間人犠牲者はほとんど出ずに終わったはずです。アメリカ軍の戦死者は本当にわずかだったでしょう。
また、朝鮮半島についても、数年内に大韓帝国として独立させるのであれば、南北分断もなく、日本人の引き揚げも人材が育ってくるのを待って行えばよかったのです。
中国も、重慶政府と南京政府の合流であれば経済的にもしっかりした国になったはずで、共産化はありえなかったでしょう。汪兆銘政権への行き過ぎた敵意は、紙幣の交換でも恣意的な交換レートを設定することになり、中国経済を混乱に陥れました。
日本軍やドイツ軍も解体する必要はなかったわけで、民主化および縮小したうえで、同盟軍として活用するのでも良かったのです。そういう意味では、無条件降伏させるために、馬鹿げたコストをかけ、その結果、東ヨーロッパや中国の共産化、朝鮮半島の南北分断をまねき、双方において膨大な戦死者や民間犠牲者を出したのは正しい判断だったはずがありません。
朝鮮半島の南北分断については、日本に何の責任もありません。ソ連を参戦させたからああいうことになっただけです。また、李承晩のような時代遅れの両班の手にゆだねたことで、韓国はたいへんな苦労をすることになりました。すでに高等文官試験を通った日本の、あるいは、満州国の行政官として人材は育っていましたし、さらに数年の準備期間をおけば極めて良質な行政機構が実現していたことでしょう。
後進国のままの中国が主導する世界は闇だ
現在の世界にとって悩ましい問題は、さしあたってばイスラム過激派であり、北朝鮮のようなならずもの国家ですが、より長期的には中国の台頭です。
中国の共産党政府は、1970年代終わりに文化大革命の混乱を収束させ、改革開放経済に移行してから、基本的にはよく頑張ったと思います。そして、その過程において、日本はおおいに助けたと思います。
毛沢東派との権力闘争に勝って最高権力を掌握した鄧小平は、1978年に日中平和友好条約の批准書交換のため来日しましたが、このとき、自民党幹事長だった大平正芳に問われて、はじめて、改革開放の理念を語ったといいます。それに対して、大平は傾斜生産方式を始め、所得倍増計画、貿易や資本の自由化など戦後経済政策の歩みを語り、適切な順序で手だてを講じれば、20年間でGDPを4倍にすることも可能だろうといいました。それを聞いた鄧小平はようやく確信を持って本格的な改革開放路線に邁進できたのです。
その後、鄧小平のもとで実務を担った胡耀邦は根回し不足で先走り失敗、趙紫陽は学生らを鄧小平からの奪権闘争に利用しようとして「天安門事件」を扇動し追放されました。しかし、ストイックな朱鎔基が首相として見事な経済運営を展開して中国経済を軌道に乗せました。
ところが、ドロールなきEU統合が混迷しているように、朱鎔基なき改革開放は漂流しはじめました。とくに、指導部が安い給与にもかかわらず贅沢な生活をし、子弟を海外に留学させたり、事業を展開させているのは論外です。
とくに、中国では日本と違い、権力があるうちに最大限に利益を享受しないと損だと考える伝統があり、しかも、その不当利得の金額が国庫や国民経済を傾けるほどになっても平気です。また、権力維持のために、これまでの指導部は、反対派の長老を黙らせるためには、その家族に利権を与えるのがいちばん簡単と割り切っていました。
習近平はこの状況の悲劇的な結末を意識したのか、綱紀粛正に乗り出しており、それは正しい判断だと思います。しかし、その代わりに、国民の支持をつなぎ止めるために、超大国としての栄光とか、領土拡張に走り出しました。
中国では過去にも漢の武帝、明の永楽帝、清の乾隆帝のように、王朝が始まって数十年したあたりで、急に膨張主義になって国威発揚による国民の不満そらしを試みた皇帝がいましたが、それに似ているともいえます。
あるいは、大日本帝国が大東亜共栄圏とかいって西太平洋と東アジアを自分の勢力圏だと言い出したのと、「一帯一路」政策は非常に似ています。
歴史に学べ、戦前の日本を反省しろと中国はいいますが、戦前日本の失敗から鏡を見るように教訓を得るべきなのは、習近平の中国だと思います。
ともかく、中国は政治・経済・社会・文化などいずれをとっても巨大な開発途上国にすぎません。もし、21世紀が後進文明国のヘゲモニーのもとに置かれるなら、人類にとってこのうえない不幸はないのです。
そして、欧米諸国や日本はこの事態にどう対処すべきなのか、そして、イギリスのEU離脱やアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利という新しい状況をどうみるべきか、あとがきで少し論じたいと思います。
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選挙による民主主義も信用しない
『トランプ政権と日本』より 何が「トランプ大統領」を生み出したのか 政治を見放す若者たち
二〇一六年の大統領選挙で、シカゴの若者たちが関わった大きな。事件・があった。三月一二日、共和党候補指名を目指すトランプ氏がイリノイ州立大学シカゴ校で選挙集会を開くことになっていたのだが、大学キャンパスの内外で反トランプ派のデモと、トランプ氏支持者たちの間で言い争いが起き、双方が暴力を振るう事件にまで発展したのである。トランプ氏陣営は安全上の理由で集会を中止。トランプ氏の集会が唯一中止になったケースだった。
私たちはこの反トランプデモを主催したリーダーの一人、エソスさん(仮名・一九歳男性)に話を聞くことができた。
エソスさんはイリノイ州立大学で教育学を学ぶ大学二年生。トランプ氏の集会に反対した理由を「人種差別をしないことを正義として教えられてきたのに、正義に反した過激な発言をするトランプ氏が大学のキャンパスで集会を開き放言するのを許すことができなかったからです」と説明する。
そうした信念から反トランプデモを計画したエソスさんたちは、SNSを駆使して情報を拡散し、数日のうちに大学の内外に数百人の市民を集めることに成功した。
もともとは非暴力を唱えて始まった反トランプデモ活動が暴力事件にまで発展してしまったことについて聞くと、「デモや暴動をはじめ、暴力的な一大変革が起こらないと、全人種が平等に扱われる社会づくりは難しい。キング牧師の公民権運動もそうだし、一九九二年にはロサンゼルスの暴動があった。各地で起こる暴動は、今またそういう時期が来ていることの証左ではないでしょうか」と話す。
エソスさんは、民主主義的な選挙のシステムだけで政治に参加しても、特権階級の政治家たちが市民の声を無視し続けるだけなので、デモや時に暴力といった直接行動で社会や政治を変える時期に来ているのではないか、とも考えている。
「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せょ)」デモや中東地域での民主化運動が実際に政治を動かした光景を見てきた若い世代は、ネットやSNSなどで多くの人々と直接つながって行動を起こせる社会を実感した一方で、選挙制度は「まどろっこしい、自分たちの声をダイレクトに伝えられない手段」にしか見えなくなっているのかもしれない。選挙によって自分たちのリーダー、大統領を選出するという民主主義のアメリカンドリームもすでに信用されなくなりつつある。
トランプ氏の大統領選挙勝利を予見したとして、アメリカの若者の間で話題になった本がある。プリンストン大のクリストファー・エイケン教授とヴァンダービルト大のラリー:バーテルズ教授が書いた『現実主義者のための民主主義』だ。選挙は必ずしも民意を反映せず、有権者が望む政策を実行する候補者を選ぶことができていないことを膨大なデータによって明らかにして、「投票行動はいかに不合理か」を訴えている。
本書では、代議制民主主義の限界と直接民主主義的な手法が拡大すると、極端な候補者に人気が集中したり、市民が損失をこうむるような法案が成立したりする危険性があると分析する。こうした傾向を防ぐために政党や労働組合などの「中間集団」や批判的メディアの存在があるが、今やどちらも有権者から信用されておらず弱体化の一途をたどっている。
その間隙をついて誕生したのがトランプ大統領だという見方もある。トランプ氏陣営は、自らを反特権階級として位置づけ、新聞・テレビなど既存のメディアは自分たち特権階級層の利益を守るために嘘ばかり書いているとして批判、ツイッターをはじめとしたSNSで有権者に直接メッセージを拡散して支持を集めたとされる。
この考え方は、デモや暴力によってダイレクトに政治や社会を変えたいと訴えるエソスさんのような若者たちの行動と、実は表裏一体と言える。メディアや選挙制度といった媒介を通さず、無媒介に有権者が国政とつながって変えていきたいという時代の雰囲気がそこにあるのではないだろうか。
二〇一六年の大統領選挙で、シカゴの若者たちが関わった大きな。事件・があった。三月一二日、共和党候補指名を目指すトランプ氏がイリノイ州立大学シカゴ校で選挙集会を開くことになっていたのだが、大学キャンパスの内外で反トランプ派のデモと、トランプ氏支持者たちの間で言い争いが起き、双方が暴力を振るう事件にまで発展したのである。トランプ氏陣営は安全上の理由で集会を中止。トランプ氏の集会が唯一中止になったケースだった。
私たちはこの反トランプデモを主催したリーダーの一人、エソスさん(仮名・一九歳男性)に話を聞くことができた。
エソスさんはイリノイ州立大学で教育学を学ぶ大学二年生。トランプ氏の集会に反対した理由を「人種差別をしないことを正義として教えられてきたのに、正義に反した過激な発言をするトランプ氏が大学のキャンパスで集会を開き放言するのを許すことができなかったからです」と説明する。
そうした信念から反トランプデモを計画したエソスさんたちは、SNSを駆使して情報を拡散し、数日のうちに大学の内外に数百人の市民を集めることに成功した。
もともとは非暴力を唱えて始まった反トランプデモ活動が暴力事件にまで発展してしまったことについて聞くと、「デモや暴動をはじめ、暴力的な一大変革が起こらないと、全人種が平等に扱われる社会づくりは難しい。キング牧師の公民権運動もそうだし、一九九二年にはロサンゼルスの暴動があった。各地で起こる暴動は、今またそういう時期が来ていることの証左ではないでしょうか」と話す。
エソスさんは、民主主義的な選挙のシステムだけで政治に参加しても、特権階級の政治家たちが市民の声を無視し続けるだけなので、デモや時に暴力といった直接行動で社会や政治を変える時期に来ているのではないか、とも考えている。
「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せょ)」デモや中東地域での民主化運動が実際に政治を動かした光景を見てきた若い世代は、ネットやSNSなどで多くの人々と直接つながって行動を起こせる社会を実感した一方で、選挙制度は「まどろっこしい、自分たちの声をダイレクトに伝えられない手段」にしか見えなくなっているのかもしれない。選挙によって自分たちのリーダー、大統領を選出するという民主主義のアメリカンドリームもすでに信用されなくなりつつある。
トランプ氏の大統領選挙勝利を予見したとして、アメリカの若者の間で話題になった本がある。プリンストン大のクリストファー・エイケン教授とヴァンダービルト大のラリー:バーテルズ教授が書いた『現実主義者のための民主主義』だ。選挙は必ずしも民意を反映せず、有権者が望む政策を実行する候補者を選ぶことができていないことを膨大なデータによって明らかにして、「投票行動はいかに不合理か」を訴えている。
本書では、代議制民主主義の限界と直接民主主義的な手法が拡大すると、極端な候補者に人気が集中したり、市民が損失をこうむるような法案が成立したりする危険性があると分析する。こうした傾向を防ぐために政党や労働組合などの「中間集団」や批判的メディアの存在があるが、今やどちらも有権者から信用されておらず弱体化の一途をたどっている。
その間隙をついて誕生したのがトランプ大統領だという見方もある。トランプ氏陣営は、自らを反特権階級として位置づけ、新聞・テレビなど既存のメディアは自分たち特権階級層の利益を守るために嘘ばかり書いているとして批判、ツイッターをはじめとしたSNSで有権者に直接メッセージを拡散して支持を集めたとされる。
この考え方は、デモや暴力によってダイレクトに政治や社会を変えたいと訴えるエソスさんのような若者たちの行動と、実は表裏一体と言える。メディアや選挙制度といった媒介を通さず、無媒介に有権者が国政とつながって変えていきたいという時代の雰囲気がそこにあるのではないだろうか。
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未唯空間「テーマ」の感想
ひめたんのモバメがこないと苛立っている
なぜ、ひめたんは出てこないのか。一〇日間、モバメがないといらだっている。私の携帯では受けられない。だけど、私なんかはメールを20年間待っています。トラウマの比ではない。
コミュニティにおける暴露への対応
今週のらじらーに出れないのではないか。コミュニティの機能として、トラブルにどのように対応するかを探っていきます。ひめたんの周りがざわついている。大事なことが見えないのかもしれない。コミュニティの機能として、トラブルにどう対応するのか。。
ネットでの暴露を見ていると、本当に人類ってバカだよね。まとめようとしない。方向が見えない。自分のことだけを考えている。ひめたんは唯一の希望なのに。
こういう時は、コミュニティのルールを変えてしまえばいいんだ。コミュニティは外部からの攻撃を守る。コミュニティの中に防御する力を明確にする。ただし、過剰反応は自体をややこしくする。
コミュニティが「暴露」にどう対抗するかを注視。弱いモノを守るのがコミュニティ。個人とコミュニティの関係も見ていく。
未唯空間「テーマ」
未唯空間から未唯宇宙に行くために、「テーマ」を一緒に考えて、再考していく。
「暴露」のが追求するもの
世界は無秩序です。そんなことやってどうするのか。先のことを考えていかないと。「暴露」がすごいといっても、暴露というカタチを使っているだけです。これがトランプの本心というなら、意味はわかるけど、あまりにも弱いモノ相手に儲けようとしている。
その後ろには、それを支える膨大な力が存在する。彼らは無責任に進めていきます。どこへ持って行きたいのかを思っていない多くの人間。
暴露という言葉をどう使っていくのか。本来、それは知っていなければならないことか、先の世界にとって、関係あることなのか、関係ないことなのか。
例えば、トランプとか阿部の役割は手遅れにならないうちに暴露すべきです。そして、行動に結びつける時です。
「テーマ」で取り上げる理由
人を人を愛することとか、孤独と孤立に関することはなくさないといけない。これとシェアとの関係。今は家族という単位がガードしているけど、それをシェアという単位でがーどしていくのか。そのために、コミュニティという中間の存在があって、チームという活動の舞台がある。
未唯空間の一項目ではまとめきれないものを「配置」として、取り上げている。一年前で更新が止っている。内容も大きく変わってきています。配置の考えもかなり前進しています。
M1:社会との関わり
ここは完全に独我論が前面に出てきています。社会を自分と離して、他者の世界として、客観的に見ていくということです。
影響を受けるものとしては、多様化だけではなく、グローバル化もあります。これを追加します。それとアーレントの「社会」の見方も。
M2:サファイア
サファイアは完全に理論と行動に分けています。最終的にはサファイア革命です。その時には循環しかなかったけど、今は配置が加わっています。だから、立体的になっている。最終形は循環を含めたサファイア社会です。
M3:未唯空間
未唯空間はあくまでも内側の世界を作ることです。対比として、外に向ける未唯宇宙も必要です。未唯宇宙は自分の内なる世界に外から事象を参考資料として与えます。それによって、宇宙空間に放り出すことになる。放り込まれた私が放り出すことになります。
M4:システム設計
システム設計はもっと大きく捉えた方がいい。ヘッドロジックの衝撃を追加します。技術者がモノをどう見るのか、それを部品に展開する時のロジックです。
ヘッドロジックと中間の存在がつながった時に様相が変わった。この類いの配置だけで本にすることができるレベルです。いくらでも述べられます。述べたモノをカタチにしていく。本の携帯というモノは、私の場合は項目になります。
個々では正規化に拘りますが、本来は非正規化です。それぞれの項目に大小があります。非正規化を正規化にすることの良さは絞り出すところで、逆は言葉を縛ります。
M5:コミュニティ
これは乃木坂をコミュニティとみるところで大きく進展しています。コミュニティで守るモノは何か。この中に暴露に関した安心・安全も取り入れます。ネット放送をどう使っていくか、ファンのような取り巻きとの関係、どのように伝播していくかにも拡大します。
業務コミュニティにも拡大します。病院のコミュニティ、学校も企業もコミュニティ。皆、中間の存在です。そこで、いかにメンバーを守っていくか、育てていくのか。それが教育の原点につながっていく。
本来、生涯学習というのはコミュニティでなされるモノです。学校をコミュニと考えれば、連続性が保てます。学校があまりにも教育の場になりすぎている。教えるのではなく、個人が育っていくところです。
食事とか住むとことか、仕事というものに流動性を持たせるか。コミュニティで考えるところでしょう。流動性などという曖昧な世界に人類がどのように耐えていけるか。どうしても、周りに依存してしまうのでしょう。
コミュニティでの知識と意識は格好良すぎて、名前だけになっているモノを知の世界につなげていく。
M6:政治形態
政治形態としては、資本主義・民主主義、そして国民国家の三つが大きい。ここには、現在の世界情勢もドロップしていきます。変革期です。
トランプの周りが作ろうとして世界、EUの姿も考えていきます。どういうジャンルにまとめていくか。
M7:持続可能な環境
持続可能性で教育・仕事・家庭の変革を位置づける。一つ一つでもジャンルに出来るぐらいに追い込んで、M71などの番号を振っていきます。
例えば、教育の循環で考えると、幼児期、小・中・高、大学、生涯学習、老いたるものでの一貫性を考える。その中で、学校という形態の異常さを見ていく。
学校という形態の方を先に考えて、生涯学習などを考えるので、どうしても「教えてもらう」というカタチになる。教えてもらうのではなく、自分の中にあるものを言葉にして、発信して、伝播していくモノです。
M8:環境社会
環境社会とシェア社会、その前のクルマ社会の関係です。
誰もが望んでいない環境社会をどういうカタチで実現していくのか。前提となるのは、個人の覚醒です。環境社会が人類の歴史の中で完成形であるかどうかで決まりそうな気がします。
未唯空間「テーマ」の趣旨
「テーマ」で珍しいのは、未唯空間の項目とつなげていることです。これを作った時は、時間に余裕があったので、エクセルなども使い、逆関数でつなぎ合わせた。こういう表現でいいのかも含めて、生かしていく。思考の連鎖ですね。
M(メンタル。外側)に対して、L(リテラル、内側)についても、分析している。
L1:存在と無
「存在と無」から始まって、「存在の無」で終わるのが、未唯空間です。自分の中の問題です。未唯宇宙ではもっと違うカタチになる。
「存在の無」は最終形とも関係する。端と中核が同一になる奇妙な状態を示している。これは宇宙のロジックを表している。そうでないと、宇宙は存在しない。認識も出来ない。個人と宇宙がつながるから始めると言える。これは宇宙の旅人にも関係する。
L2:存在の力
あまりにもザックリしている。言葉ではなく、本質を見ていかないといけない。覚醒できるかというところにつなげます。
L3:内なる世界
独我論との関係をハッキリさせる。内にいながら、外とつながるという意味で宇宙の旅人を通して、外なる世界との関係が出来る。その手段として、未唯空間で内なる世界を作り出す。
L4:情報共有
情報共有はバラバラなモノがどのようにくっつくかのベース。ソーシャルネットが出てきて、始めて可能になった。これで世界がどのようになっていくのか。
お互いに状況把握することがキーポイントになります。クライシスに遭遇した時に、状況把握が対策の決め手になります。
乃木坂でいうと、ファン的なカタチをとると、暴露につながります。これは情報共有の負の世界です。負の世界は何のためにあるのか。
L5:共有意識
このキーワードで本が書けるぐらいです。永年、蓄積してきました。公共図書館から入ってきた概念です。図書館が先行しました。共有はシェアにつながります。
今、単体である仕事とか家庭が共有する姿に変わっていきます。なぜ、変わっていかないかというと、所有の意識が邪魔をしている。
皆が所有することの負荷が増大している。共有するメリットが増大している。あくまでも、生産手段まで共有しようとした共産主義とは異なることはハッキリさせないと方向を狂います。
L6:位相表現
位相というモノが、未唯空間の後半に出てきます。これは点から近傍でもって拡大し、全体の空間を創り出すモノです。そこでのカバーリング、標準形、連続性という概念が現実社会とどうなっていくのか。それがわかっていれば、先に進めます。解決できます。
L7:進化
歴史の進化が一番大きい。進化の最終形はLL=GG(ローカルのローカルとグローバルのグローバルが同一)。その理論のベースになるのが、新しい数学です。その中に何を入れ込むか。
進化のためにはクライシスが必要です。地球の歴史を見ると、進化が起こったのは、絶滅の後です。生き残ったモノが無人の荒野に拡がっていく。
第2次世界大戦の反省からEUが出来たけど、最初の精神を無くしている。国民国家からの圧迫を受けている。変革が中途半端になると、さらなる破壊が起きる。進化の時にその部分をどうしていくのか。
L8:未来の姿
色々なジャンルで未来のカタチが出てきたモノを集約します。
「配置」と「テーマ」の差は何なのか。「テーマ」は未唯空間のキーワード空間を作りたかった。その後に配置の考え方が生まれた。ジャンルというハイアラキーで見るモノに、点から拡張していく姿を示したかった。
「テーマ」の表現の仕方
エッセイ0でロジックを追えるようにしておきます。この間のブログから抜き出して、登録すれば容易に対応できる。テーマは未唯空間の流れで正規化ですが、配置は当然、非正規化をめざします。
私に気づかせるために
私に「暴露」を気づきさせるために、ひめたんにつらい思いをさせてしまった。もっと大きなものに一員なのに、地球のこんなところで考えている。色々な仕掛けがされているんでしょう。ここは舞台なんですね。
大きな世界、大きな存在の元にいるのにこんなところでウロウロしているのか。それは何かを得るためなんでしょう。
3.11で地震を起こさせたのも、車メーカーもナチも、私に何かを気づかせるためなんでしょう。何かを起こさせると言うことではなく、見てこいということなんでしょう。
豊田市図書館から借りた24冊
豊田市図書館から借りた24冊の分類をしている。『アレント入門』が救い。それも中村元さんの著作。これだけで充分! それとエコットに置くといい本があった。
なぜ、ひめたんは出てこないのか。一〇日間、モバメがないといらだっている。私の携帯では受けられない。だけど、私なんかはメールを20年間待っています。トラウマの比ではない。
コミュニティにおける暴露への対応
今週のらじらーに出れないのではないか。コミュニティの機能として、トラブルにどのように対応するかを探っていきます。ひめたんの周りがざわついている。大事なことが見えないのかもしれない。コミュニティの機能として、トラブルにどう対応するのか。。
ネットでの暴露を見ていると、本当に人類ってバカだよね。まとめようとしない。方向が見えない。自分のことだけを考えている。ひめたんは唯一の希望なのに。
こういう時は、コミュニティのルールを変えてしまえばいいんだ。コミュニティは外部からの攻撃を守る。コミュニティの中に防御する力を明確にする。ただし、過剰反応は自体をややこしくする。
コミュニティが「暴露」にどう対抗するかを注視。弱いモノを守るのがコミュニティ。個人とコミュニティの関係も見ていく。
未唯空間「テーマ」
未唯空間から未唯宇宙に行くために、「テーマ」を一緒に考えて、再考していく。
「暴露」のが追求するもの
世界は無秩序です。そんなことやってどうするのか。先のことを考えていかないと。「暴露」がすごいといっても、暴露というカタチを使っているだけです。これがトランプの本心というなら、意味はわかるけど、あまりにも弱いモノ相手に儲けようとしている。
その後ろには、それを支える膨大な力が存在する。彼らは無責任に進めていきます。どこへ持って行きたいのかを思っていない多くの人間。
暴露という言葉をどう使っていくのか。本来、それは知っていなければならないことか、先の世界にとって、関係あることなのか、関係ないことなのか。
例えば、トランプとか阿部の役割は手遅れにならないうちに暴露すべきです。そして、行動に結びつける時です。
「テーマ」で取り上げる理由
人を人を愛することとか、孤独と孤立に関することはなくさないといけない。これとシェアとの関係。今は家族という単位がガードしているけど、それをシェアという単位でがーどしていくのか。そのために、コミュニティという中間の存在があって、チームという活動の舞台がある。
未唯空間の一項目ではまとめきれないものを「配置」として、取り上げている。一年前で更新が止っている。内容も大きく変わってきています。配置の考えもかなり前進しています。
M1:社会との関わり
ここは完全に独我論が前面に出てきています。社会を自分と離して、他者の世界として、客観的に見ていくということです。
影響を受けるものとしては、多様化だけではなく、グローバル化もあります。これを追加します。それとアーレントの「社会」の見方も。
M2:サファイア
サファイアは完全に理論と行動に分けています。最終的にはサファイア革命です。その時には循環しかなかったけど、今は配置が加わっています。だから、立体的になっている。最終形は循環を含めたサファイア社会です。
M3:未唯空間
未唯空間はあくまでも内側の世界を作ることです。対比として、外に向ける未唯宇宙も必要です。未唯宇宙は自分の内なる世界に外から事象を参考資料として与えます。それによって、宇宙空間に放り出すことになる。放り込まれた私が放り出すことになります。
M4:システム設計
システム設計はもっと大きく捉えた方がいい。ヘッドロジックの衝撃を追加します。技術者がモノをどう見るのか、それを部品に展開する時のロジックです。
ヘッドロジックと中間の存在がつながった時に様相が変わった。この類いの配置だけで本にすることができるレベルです。いくらでも述べられます。述べたモノをカタチにしていく。本の携帯というモノは、私の場合は項目になります。
個々では正規化に拘りますが、本来は非正規化です。それぞれの項目に大小があります。非正規化を正規化にすることの良さは絞り出すところで、逆は言葉を縛ります。
M5:コミュニティ
これは乃木坂をコミュニティとみるところで大きく進展しています。コミュニティで守るモノは何か。この中に暴露に関した安心・安全も取り入れます。ネット放送をどう使っていくか、ファンのような取り巻きとの関係、どのように伝播していくかにも拡大します。
業務コミュニティにも拡大します。病院のコミュニティ、学校も企業もコミュニティ。皆、中間の存在です。そこで、いかにメンバーを守っていくか、育てていくのか。それが教育の原点につながっていく。
本来、生涯学習というのはコミュニティでなされるモノです。学校をコミュニと考えれば、連続性が保てます。学校があまりにも教育の場になりすぎている。教えるのではなく、個人が育っていくところです。
食事とか住むとことか、仕事というものに流動性を持たせるか。コミュニティで考えるところでしょう。流動性などという曖昧な世界に人類がどのように耐えていけるか。どうしても、周りに依存してしまうのでしょう。
コミュニティでの知識と意識は格好良すぎて、名前だけになっているモノを知の世界につなげていく。
M6:政治形態
政治形態としては、資本主義・民主主義、そして国民国家の三つが大きい。ここには、現在の世界情勢もドロップしていきます。変革期です。
トランプの周りが作ろうとして世界、EUの姿も考えていきます。どういうジャンルにまとめていくか。
M7:持続可能な環境
持続可能性で教育・仕事・家庭の変革を位置づける。一つ一つでもジャンルに出来るぐらいに追い込んで、M71などの番号を振っていきます。
例えば、教育の循環で考えると、幼児期、小・中・高、大学、生涯学習、老いたるものでの一貫性を考える。その中で、学校という形態の異常さを見ていく。
学校という形態の方を先に考えて、生涯学習などを考えるので、どうしても「教えてもらう」というカタチになる。教えてもらうのではなく、自分の中にあるものを言葉にして、発信して、伝播していくモノです。
M8:環境社会
環境社会とシェア社会、その前のクルマ社会の関係です。
誰もが望んでいない環境社会をどういうカタチで実現していくのか。前提となるのは、個人の覚醒です。環境社会が人類の歴史の中で完成形であるかどうかで決まりそうな気がします。
未唯空間「テーマ」の趣旨
「テーマ」で珍しいのは、未唯空間の項目とつなげていることです。これを作った時は、時間に余裕があったので、エクセルなども使い、逆関数でつなぎ合わせた。こういう表現でいいのかも含めて、生かしていく。思考の連鎖ですね。
M(メンタル。外側)に対して、L(リテラル、内側)についても、分析している。
L1:存在と無
「存在と無」から始まって、「存在の無」で終わるのが、未唯空間です。自分の中の問題です。未唯宇宙ではもっと違うカタチになる。
「存在の無」は最終形とも関係する。端と中核が同一になる奇妙な状態を示している。これは宇宙のロジックを表している。そうでないと、宇宙は存在しない。認識も出来ない。個人と宇宙がつながるから始めると言える。これは宇宙の旅人にも関係する。
L2:存在の力
あまりにもザックリしている。言葉ではなく、本質を見ていかないといけない。覚醒できるかというところにつなげます。
L3:内なる世界
独我論との関係をハッキリさせる。内にいながら、外とつながるという意味で宇宙の旅人を通して、外なる世界との関係が出来る。その手段として、未唯空間で内なる世界を作り出す。
L4:情報共有
情報共有はバラバラなモノがどのようにくっつくかのベース。ソーシャルネットが出てきて、始めて可能になった。これで世界がどのようになっていくのか。
お互いに状況把握することがキーポイントになります。クライシスに遭遇した時に、状況把握が対策の決め手になります。
乃木坂でいうと、ファン的なカタチをとると、暴露につながります。これは情報共有の負の世界です。負の世界は何のためにあるのか。
L5:共有意識
このキーワードで本が書けるぐらいです。永年、蓄積してきました。公共図書館から入ってきた概念です。図書館が先行しました。共有はシェアにつながります。
今、単体である仕事とか家庭が共有する姿に変わっていきます。なぜ、変わっていかないかというと、所有の意識が邪魔をしている。
皆が所有することの負荷が増大している。共有するメリットが増大している。あくまでも、生産手段まで共有しようとした共産主義とは異なることはハッキリさせないと方向を狂います。
L6:位相表現
位相というモノが、未唯空間の後半に出てきます。これは点から近傍でもって拡大し、全体の空間を創り出すモノです。そこでのカバーリング、標準形、連続性という概念が現実社会とどうなっていくのか。それがわかっていれば、先に進めます。解決できます。
L7:進化
歴史の進化が一番大きい。進化の最終形はLL=GG(ローカルのローカルとグローバルのグローバルが同一)。その理論のベースになるのが、新しい数学です。その中に何を入れ込むか。
進化のためにはクライシスが必要です。地球の歴史を見ると、進化が起こったのは、絶滅の後です。生き残ったモノが無人の荒野に拡がっていく。
第2次世界大戦の反省からEUが出来たけど、最初の精神を無くしている。国民国家からの圧迫を受けている。変革が中途半端になると、さらなる破壊が起きる。進化の時にその部分をどうしていくのか。
L8:未来の姿
色々なジャンルで未来のカタチが出てきたモノを集約します。
「配置」と「テーマ」の差は何なのか。「テーマ」は未唯空間のキーワード空間を作りたかった。その後に配置の考え方が生まれた。ジャンルというハイアラキーで見るモノに、点から拡張していく姿を示したかった。
「テーマ」の表現の仕方
エッセイ0でロジックを追えるようにしておきます。この間のブログから抜き出して、登録すれば容易に対応できる。テーマは未唯空間の流れで正規化ですが、配置は当然、非正規化をめざします。
私に気づかせるために
私に「暴露」を気づきさせるために、ひめたんにつらい思いをさせてしまった。もっと大きなものに一員なのに、地球のこんなところで考えている。色々な仕掛けがされているんでしょう。ここは舞台なんですね。
大きな世界、大きな存在の元にいるのにこんなところでウロウロしているのか。それは何かを得るためなんでしょう。
3.11で地震を起こさせたのも、車メーカーもナチも、私に何かを気づかせるためなんでしょう。何かを起こさせると言うことではなく、見てこいということなんでしょう。
豊田市図書館から借りた24冊
豊田市図書館から借りた24冊の分類をしている。『アレント入門』が救い。それも中村元さんの著作。これだけで充分! それとエコットに置くといい本があった。
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豊田市図書館の24冊
332.1『日本型新自由主義とは何か』占領期改革からアベノミクスまで
329『国際法で世界がわかる』(ニュースで読み解く32講)
259.1『キューバ現代史』革命から対米関係改善まで
209『世界と日本がわかる 最強の世界史』
675『マーケティングに強くなる』
375.84『東大 vs 京大 入試文芸頂上決戦』
319『図説 よくわかる世界の紛争2017』
518.5『ごみ処理場・リサイクルセンターで働く人たち』しごと場見学! しごとの現場としくみがわかる! ⇒ エコットの図書室に最適
301.2『高校生からわかる社会科学の基礎』
210.19『真「日本戦史」』戦略/戦術で解き明かす
121.67『三木清教養論集』
364.6『「iDeCo」で自分年金をつくる』--個人型確定拠出年金の超・実践的活用術
312.53『総力取材! トランプ政権と日本』
311.23『アレント入門』
918.68『小松左京全集 首都消失』
706.7『サザビーズで朝食を』競売人が倦かす美とお金の物語
367.2『ジェンダー史とは何か』
673.97『店長2万人のクレーム解決術』困った! どうする?
336.49『人間は9タイプ』仕事と対人関係がはかどる人間説明書
329.67『東京裁判』全訳 パールy判決書
007.35『Yahoo!Japan 全仕事』現場200人に聞く、過去⇒現在⇒未来
016.21『地方自治と図書館』「知の地域づくり」を地域再生の切り札に
010.4『図書館の基本を求めてⅦ』『風』『談論風発』2014~2015より
335.7『公民連携白書2016~2017』まちのコンパクト化とPPP コンパクト化は人口減少時代に地域が持続していくための切り札である
329『国際法で世界がわかる』(ニュースで読み解く32講)
259.1『キューバ現代史』革命から対米関係改善まで
209『世界と日本がわかる 最強の世界史』
675『マーケティングに強くなる』
375.84『東大 vs 京大 入試文芸頂上決戦』
319『図説 よくわかる世界の紛争2017』
518.5『ごみ処理場・リサイクルセンターで働く人たち』しごと場見学! しごとの現場としくみがわかる! ⇒ エコットの図書室に最適
301.2『高校生からわかる社会科学の基礎』
210.19『真「日本戦史」』戦略/戦術で解き明かす
121.67『三木清教養論集』
364.6『「iDeCo」で自分年金をつくる』--個人型確定拠出年金の超・実践的活用術
312.53『総力取材! トランプ政権と日本』
311.23『アレント入門』
918.68『小松左京全集 首都消失』
706.7『サザビーズで朝食を』競売人が倦かす美とお金の物語
367.2『ジェンダー史とは何か』
673.97『店長2万人のクレーム解決術』困った! どうする?
336.49『人間は9タイプ』仕事と対人関係がはかどる人間説明書
329.67『東京裁判』全訳 パールy判決書
007.35『Yahoo!Japan 全仕事』現場200人に聞く、過去⇒現在⇒未来
016.21『地方自治と図書館』「知の地域づくり」を地域再生の切り札に
010.4『図書館の基本を求めてⅦ』『風』『談論風発』2014~2015より
335.7『公民連携白書2016~2017』まちのコンパクト化とPPP コンパクト化は人口減少時代に地域が持続していくための切り札である
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「地方創生」の視点から見た図書館と課題
『地方自治と図書館』より まちづくりを支える図書館 まちづくりへの図書館の効果 まちづくりを支える図書館の特徴
二〇四〇年にはわが国の自治体のおよそ半分が、若者の滅少などに起因して自治体としての機能を維持できなくなる。二〇一四年五月、日本創生会議がこんなショッキングなレポートを発表して以来、「消滅可能性」のある自治体だと名指しされた市町村は動揺の色を隠せず、浮足立った。
これを受けた安倍政権は、その年の秋から「地方創生」を最重要政策の一つに掲げ、財政面を中心に自治体を支援することとした。そのねらいは、もっぱら地域経済を活性化することと地方の人口減少に歯止めをかけること、とりわけ若い人たちの域外への流出を減らすことにある。
全国ほぼすべての自治体は、政府から促されて、自分たちの地域の将来像を盛り込んだ「総合戦略」を作成した。その戦略に基づいて様々な事業が展開されているところだが、果たして全国を総動員したこの壮大な取り組みによって地域経済を活性化し、人口減少に歯止めをかけるという所期の目的を達成することになるのかどうか。
地方自治や地域振興に長年かかわってきた筆者の現時点での感想を率直に言えば、関係者には大変失礼な物言いになるが、今のままでは「地方創生」はさしたる成果をもたらさないまま終焉を迎えることになる可能性が高いと踏んでいる。そう考える理由は、国の側にも地方の側にも見出せる。
国の側のことで言えば、過去の地方施策の点検をしていないことをまず指摘しておかねばならない。というのは、地域経済が停滞し多くの若者が大都市圏に流出する現象は決して今に始まったことではない。また、それに対して国も自治体も損手傍観、何もしてこなかったわけではない。地域活性化対策、過疎対策などあれこれ施策を講じ、膨大な財政資金を投入してきたあげくが今日の地方の窮状なのである。
それならば、このたびの「地方創生」を始めるに当たってまずやるべきは。、過去の同種の施策の点検であるはずだ。地域活性化対策などのこれまでの施策には何か足らなかったのか、欠けていたものは何か、この際よく点検してみる必要があると思うが、どうやら政府にはそんな点検をした形跡はなさそうである。
「地方創生」がうまくいかないだろうと予測する理由は、地方側にもある。筆者が強く懸念しているのは、地域経済の衰退や雇用不足の主たる要因を、当の自治体が必ずしも的確に把握していないと思われることである。そのことの結果、地域の現在及び将来のことを、自治体自身がいい意味で「地域本意」に考えることが妨げられているように思われるのである。
地域経済の力が弱まる原因や背景は、もとより地域によって異なる面がある。ただ、多くの地域に共通すると思われる要因もある。その一つが、地域から外部に向けてお金が流出し続けている状況である。もちろんどの地域でも域外に売る物があり、それによってお金が外から入ってくる。しかし、その一方で域外から買うものが多ければ、差し引きではお金が外に出ていくことになる。
例えば、佐賀県武雄市では、指定管理者制度を通じて、図書館の運営を書籍の流通業に携わる域外の大都市の民間事業者に委ねることとした。その事業者によって運営される図書館は、従来の図書館のイメージとは大きく異なっている。館内ではその事業者自身が本を売っているし、アメリカの有名なコーヒー店も営業している。
この点については、図書館を利用する市民は図書館で本を借りられるし、買うこともできる。この面でいわばワンストップサービスを享受できるので、市民の利便性が向上したとの評価がないわけではない。
ただ、地域の経済などの観点からは別の見方もできる。市内にはもともと書店があって、昨今の本離れの傾向が強い中では経営は決して楽ではないはずだ。そんな環境の中で、市役所が図書館を改造し、域外から誘致した「商売敵」にそこで営業させるのだから、既存の書店はたまったものではない。自分のところも市に税金を納めているというのに、この仕打ちはあまりにもひどすぎるともし筆者がその書店の経営者であったら強く憤ると思う。
また、公立図書館は本来なら書籍は地元の書店を通して購入するのが望ましい。例えば、鳥取県立図書館では毎年度およそ一億円の予算で書籍や資料を購入しているが、そのほとんどは地元の書店を通じてである。
それは単に県内の書店の売り上げを増やすために買い取っているのではない。いくっかの書店から、県立図書館として保存するにふさわしい本を提示してもらい、それらを参考に司書と書店とが協議しながら購入する本を決め、それを提案した書店から購入する仕組みを採っている。いわば、司書と県内の書店とがそれぞれの知見を出し合って選書を行い、県立図書館の質の向上を図っている。そうした両者の切磋琢磨が、結果として県内書店を支えることにもつながっているのである。
話を武雄市の図書館に戻すと、図書館の管理運営を委ねられた指定管理業者はもともと書籍の流通業に携わっているので、市立図書館が購入する本は自前の流通システムを通じて導入できる。地元の書店を通すようなまどろっこしい作業は不要だろうから、この面でも地元の書店は埓外に置かれる。地元書店にとっては、市が図書館に「商売敵」を呼び入れたことと併せて、手痛いダブルパンチを食らわされたことになる。
市の図書館政策を地域経済の面から点検すると、地元書店の事業機会を縮退させ、代わりに域外の事業者に優越的にビジネスチャンスを与え、その収益を地元から域外に流出させることに寄与していると言える。地域経済が元気を失っている地域においては、どうにかしてお金を域外に流出させないことに意を用いるのが合理的だとする先はどの考え方とは全く逆の結果をもたらすことになっている。
民間の力を活用して図書館にたくさんの人を呼び込み、賑わいの空間を創出する。そこに入っているアメリカのコーヒー店はことのほか若者に人気がある。市の政策にはそれなりの狙いや言い分はあるのだろう。そのことを敢えて否定するつもりはない。ただ、自治体が公費を使って地元の事業者を疲弊させるような政策が本当にいいことかどうか、少なくとも「地方創生」の観点からは首を傾げざるを得ない。
二〇四〇年にはわが国の自治体のおよそ半分が、若者の滅少などに起因して自治体としての機能を維持できなくなる。二〇一四年五月、日本創生会議がこんなショッキングなレポートを発表して以来、「消滅可能性」のある自治体だと名指しされた市町村は動揺の色を隠せず、浮足立った。
これを受けた安倍政権は、その年の秋から「地方創生」を最重要政策の一つに掲げ、財政面を中心に自治体を支援することとした。そのねらいは、もっぱら地域経済を活性化することと地方の人口減少に歯止めをかけること、とりわけ若い人たちの域外への流出を減らすことにある。
全国ほぼすべての自治体は、政府から促されて、自分たちの地域の将来像を盛り込んだ「総合戦略」を作成した。その戦略に基づいて様々な事業が展開されているところだが、果たして全国を総動員したこの壮大な取り組みによって地域経済を活性化し、人口減少に歯止めをかけるという所期の目的を達成することになるのかどうか。
地方自治や地域振興に長年かかわってきた筆者の現時点での感想を率直に言えば、関係者には大変失礼な物言いになるが、今のままでは「地方創生」はさしたる成果をもたらさないまま終焉を迎えることになる可能性が高いと踏んでいる。そう考える理由は、国の側にも地方の側にも見出せる。
国の側のことで言えば、過去の地方施策の点検をしていないことをまず指摘しておかねばならない。というのは、地域経済が停滞し多くの若者が大都市圏に流出する現象は決して今に始まったことではない。また、それに対して国も自治体も損手傍観、何もしてこなかったわけではない。地域活性化対策、過疎対策などあれこれ施策を講じ、膨大な財政資金を投入してきたあげくが今日の地方の窮状なのである。
それならば、このたびの「地方創生」を始めるに当たってまずやるべきは。、過去の同種の施策の点検であるはずだ。地域活性化対策などのこれまでの施策には何か足らなかったのか、欠けていたものは何か、この際よく点検してみる必要があると思うが、どうやら政府にはそんな点検をした形跡はなさそうである。
「地方創生」がうまくいかないだろうと予測する理由は、地方側にもある。筆者が強く懸念しているのは、地域経済の衰退や雇用不足の主たる要因を、当の自治体が必ずしも的確に把握していないと思われることである。そのことの結果、地域の現在及び将来のことを、自治体自身がいい意味で「地域本意」に考えることが妨げられているように思われるのである。
地域経済の力が弱まる原因や背景は、もとより地域によって異なる面がある。ただ、多くの地域に共通すると思われる要因もある。その一つが、地域から外部に向けてお金が流出し続けている状況である。もちろんどの地域でも域外に売る物があり、それによってお金が外から入ってくる。しかし、その一方で域外から買うものが多ければ、差し引きではお金が外に出ていくことになる。
例えば、佐賀県武雄市では、指定管理者制度を通じて、図書館の運営を書籍の流通業に携わる域外の大都市の民間事業者に委ねることとした。その事業者によって運営される図書館は、従来の図書館のイメージとは大きく異なっている。館内ではその事業者自身が本を売っているし、アメリカの有名なコーヒー店も営業している。
この点については、図書館を利用する市民は図書館で本を借りられるし、買うこともできる。この面でいわばワンストップサービスを享受できるので、市民の利便性が向上したとの評価がないわけではない。
ただ、地域の経済などの観点からは別の見方もできる。市内にはもともと書店があって、昨今の本離れの傾向が強い中では経営は決して楽ではないはずだ。そんな環境の中で、市役所が図書館を改造し、域外から誘致した「商売敵」にそこで営業させるのだから、既存の書店はたまったものではない。自分のところも市に税金を納めているというのに、この仕打ちはあまりにもひどすぎるともし筆者がその書店の経営者であったら強く憤ると思う。
また、公立図書館は本来なら書籍は地元の書店を通して購入するのが望ましい。例えば、鳥取県立図書館では毎年度およそ一億円の予算で書籍や資料を購入しているが、そのほとんどは地元の書店を通じてである。
それは単に県内の書店の売り上げを増やすために買い取っているのではない。いくっかの書店から、県立図書館として保存するにふさわしい本を提示してもらい、それらを参考に司書と書店とが協議しながら購入する本を決め、それを提案した書店から購入する仕組みを採っている。いわば、司書と県内の書店とがそれぞれの知見を出し合って選書を行い、県立図書館の質の向上を図っている。そうした両者の切磋琢磨が、結果として県内書店を支えることにもつながっているのである。
話を武雄市の図書館に戻すと、図書館の管理運営を委ねられた指定管理業者はもともと書籍の流通業に携わっているので、市立図書館が購入する本は自前の流通システムを通じて導入できる。地元の書店を通すようなまどろっこしい作業は不要だろうから、この面でも地元の書店は埓外に置かれる。地元書店にとっては、市が図書館に「商売敵」を呼び入れたことと併せて、手痛いダブルパンチを食らわされたことになる。
市の図書館政策を地域経済の面から点検すると、地元書店の事業機会を縮退させ、代わりに域外の事業者に優越的にビジネスチャンスを与え、その収益を地元から域外に流出させることに寄与していると言える。地域経済が元気を失っている地域においては、どうにかしてお金を域外に流出させないことに意を用いるのが合理的だとする先はどの考え方とは全く逆の結果をもたらすことになっている。
民間の力を活用して図書館にたくさんの人を呼び込み、賑わいの空間を創出する。そこに入っているアメリカのコーヒー店はことのほか若者に人気がある。市の政策にはそれなりの狙いや言い分はあるのだろう。そのことを敢えて否定するつもりはない。ただ、自治体が公費を使って地元の事業者を疲弊させるような政策が本当にいいことかどうか、少なくとも「地方創生」の観点からは首を傾げざるを得ない。
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チエ・ゲバラ ボリビア・ゲリラ--「予告された死」
『キューバ現代史』より チエ・ゲバラ--なぜボリビアで死ななければならなかったのか 「第二、第三の、そして多くのベトナムを!」 ゲバラとキューバ革命
ボリビア・ゲリラ--「予告された死」
“革命が反革命を革命する”
コンゴのゲリラ運動は失敗し、タンザニアとプラハに隠れ住んだが、カストロの懇願に応えて密かにキューバに戻り、ピネル・デル・リオでゲリラ戦の準備を整え、1966年11月、ゲバラはボリビアヘ向かった。だが、1年後の1967年10月8日、政府軍に捕えられ、銃殺された。
世界の多くの人々も、妻のアレイダも、また「ゲバラであればこそ」と彼について行った戦士たちも、たとえわずかであれ、生きて帰れる可能性を信じていた。しかし、今から振り返ればそれは「予告された死」であった。ゲバラ自身もほぼ100%の死を覚悟してキューバを出立していた。
ボリビア・ゲリラ部隊はゲバラのほか40人から成っていた。キューバ人16人、ペルー人3人、ドイツ系アルゼンチン人のタマーラ・ブンケ、そのほかにソ連派のボリビア共産党と袂を分かったインティ・ペレド、日系のフレディ・マイムラなどボリビア人が20人。ゲバラはラテンアメリカ革命の第一弾としてボリビアでゲリラ戦を展開しようとしていたのである。
ボリビアは南米大陸の中心にあり、貧しい農民の国である。この地でゲリラ闘争を発展させ、その他の諸国で運動が起きれば、「第二、第三の、そして多くのベトナム」という状況が生まれる。このように考えたが、農民の支援を得られないまま、ゲバラのゲリラ部隊は「核」(フォコ)の段階で消滅した。
なぜ、ボリビア・ゲリラは失敗したのであろうか。
何よりも、キューバ革命後、米国の反乱抑止能力は大幅に向上していた。「第二、第三のキューバ」を阻止するため、米軍の装備や情報収集能力は格段に強化されていた。ラテンアメリカ諸国の軍部も近代化され、米国で教育を受けた将軍が軍のトップを握っていた。各国の軍部は米軍と連携し合いながら、また地域のネットワークを形成し、反政府ゲリラや反体制派の一掃に乗り出していた。ゲバラの小さなゲリラ部隊は米軍とラテンアメリカ軍部の巨大な力の前には無力であった。
戦術的問題もあった。ゲバラが入ったサンタ・クルスのニャンカウアスーはほとんど人の住まない地域であり、1952年のボリビア革命の主要な担い手である鉱山労働者の住む地域とも、また人口が集中する首都ラパスのある高地地帯とも、あまりにも遠く離れていた。他方、ソ連派のボリビア共産党は選挙路線を譲らず、最後まで支援を渋った。キューバ政府の説得も無駄であった。農民もまた、貧しいまま放置されていたにもかかわらず、政府系の農民組織に統合され、その影響下にあった。
ゲリラの「核」は外部の支援を得られないまま孤立し、政府軍の包囲が狭まってからは連絡手段も失われ、米国の支援を受けたボリビア軍の前に敗北した。
「僕は理想主義者などではない」
ゲバラは閣僚としての地位も、愛する妻や子どもたちもあとに残して、ラテンアメリカ革命を目指してボリビアで闘い、銃弾に斃れた。しかも、閣僚であるからといって特権を享受することを拒否し、一般国民と同じように配給だけで暮らし、キューバを後にするときにも家族には財産らしいものは何も残さなかった。みずから唱道していた「新しい人間」を体現した人物であった。そのため、ボリビアでの死から半世紀を過ぎても、キューバ革命を知らない世代の心を捉え、最期の地、ボリビアのバジェ・グランデを訪れる人々は絶えない。そればかりか、世界にはコルダが撮影したあの肖像が印刷されたTシャツやコーヒーカップなど「ゲバラ・グッズ」が溢れている。「理想主義者」ゲバラはイデオロギーを超えて世界の人々の心を捉えている。
しかし、ゲバラは「自分は理想主義者などではない」と言う。
1962年10月に青年組織の指導者たちの前で、ゲバラは次のように語っていた。キューバがソ連や中国とも異なる「平等主義社会」の建設を目指したときに、「理想主義だ」という国際社会からの批判に応えたものである。インターネットにはこの演説を引用して「理想主義者」ゲバラを讃える言葉が駆け巡っているが、誤訳が世界を席巻してしまったのであろう。実際には、ゲバラはこのとき、キューバの若者たちを前に、次のように語り、ラテンアメリカをはじめ世界の抑圧された人々の解放のために闘うよう訴えていたのである。一見、理想にすぎないとみなされていることであっても、実現のための客観的条件は存在する。人々が力を合わせて一歩一歩努力を重ねていけば、その条件は熟していく、というのである。
「われわれに対し、どうしようもない理想主義者であるとか、できもしないことを考えているという人々があるかもしれない。……これに対し、われわれは何度でも答えなければならない。いや、それはできることなのだ。本当にできるのだ、と。革命の4年間のキューバがそうであったように、人民が平凡となれば、前進し続け、人間のちっぽけさを解消していくことができる」
ゲバラがゲバラであるために
これまで述べてきたように、ゲバラもラテンアメリカ革命のためには多様な戦略が可能であることは認識していた。しかし、ほとんどの諸国ではゲリラ戦略の条件は整っているとして、ラテンアメリカ革命を目指して出立した。
ボリビア行きについて、カストロは「少し待つように」と説得していた。これはタイボⅡ著の『エルネスト・チエ・ゲバラ伝』でも明らかにされていることだが、ゲリラ路線に反対するボリビア共産党の支持を取りつけるには時間が必要だったのである。ボリビア共産党が最終的に拒否した場合には、少なくとも他の左翼勢力の支援を得る必要があった。ゲリラは人民の支援なくして闘えない。ゲバラのボリビア・ゲリラには、キューバ人やペルー人などのほか、ボリビア共産党の方針に反対するボリビア人が加わっていたが、ゲリラの発展のためには、その他の左翼勢力や地域農民の支援が不可欠であった。
では、なぜ、ゲバラは制止を振り切りボリビアに向かったのであろうか。コンゴでのゲリラ戦の失敗のあとに、カストロは何度も帰国を促したが、ゲバラは頑なに拒んでいた。退路を断ってハバナを後にしたゲバラにとってキューバヘ戻ることはできなかったのである。最終的には、ボリビア・ゲリラの訓練のために一時的にでも帰国した方がよいのではないかというカストロの提案を受け入れ、キューバに戻ったが、そこには「ゲバラであればこそ」とつき従う覚悟を固めた多くのキューバ人が待っていた。「ゲバラがゲバラである」ためにはボリビアに赴く以外に選択肢はなかった。
キューバ革命はキューバ固有のものである。ラテンアメリカ諸国は共通の歴史や社会経済構造を持つとはいえ、それぞれの地域や国の違いは大きい。特にキューバは砂糖プランテーションを基盤にした米国の政治的経済的支配が確立していた国である。これに対しボリビアは鉱業が経済の中心を占め農村では先住民共同体が根強く残っている。特に、1952年には革命が起き、不完全なものであり、不十分な結果に終わったとはいえ、土地改革によって多くの農民が土地を手に入れ、革命政権がなし崩し的に右傾化したあとも政府系の農民組織に統合されていた。農民とともに革命の主要な勢力であった錫鉱山労働者は、依然として戦闘性を維持してはいたものの、鉱山地帯に集住していた。このようなボリビアで農村に基盤を置くゲリラ戦略は有効であったのかどうか。
1956年にグランマ号でキューバ東部海岸に上陸したあと、カストロらがシエラ・マエストラ山頂にたどり着くことができたのは農民の支援網によるところが大きかった。農民の組織化はセリア・サンチェスの努力のたまものであったとはいえ、キューバ東部は独立運動揺藍の地であり、革命意識は強かった。カストロらの救出に力を尽くしたペレス一族はオルトドクソ党の支持者であったが、その無力ぶりに不満を募らせていた。
これに対し、当時のボリビアは軍人のバリエントス政権下(1964~69年)にあった。右傾化を進めていた革命政権のパス・エステンソロ政権を1964年にクーデターで倒して「革命の垣根」を取り払い、鉱山などに米国資本を積極的に導入し、米軍と協力して反乱抑止政策を強化した政権である。錫鉱山の労働者管理制度を解体し、1967年にはこれに抵抗するカタビ・シグロ・ベインテ鉱山労働者に対する虐殺事件を起こしている。しかし、その一方では、ケチュア語を話す大統領として、農村をこまめに回り農民の支持を集めていた。農民組織は政府と協定を結び、軍部傘下の組織として農民の民兵隊を形成していた。
ゲバラはこのような状況のもとでニャンカウアスーに入り込んだことになる。土地改革によってわずかな土地を与えられただけで、政府の支援もなく放置され、農民は依然として貧しいままであったが、ゲバラが『ボリビア日記』に1967年4月30日に記しているように、「農民の基盤は発展していない。計画的に脅し、中立化するのがせいぜいのところであり、支持はそのあとのことだ」。
21世紀に入り、ボリビアでは史上初めて先住民大統領が誕生し、そのもとで先住民共同体を評価し、混血(メスティソ)すら一つの民族乏みなした、民族共同体を基礎とする、多民族国家が形成された。ゲバラはラテンアメリカの旅でペルー、ボリビア、グアテマラにおいて先住民社会に接している。青年時代にペルーを訪問したときにも、先住民共同体を基礎に独自の社会主義理論を発展させたマリアテギの理論を知る機会もあったはずだ。しかし、20世紀半ばには、ゲバラだけではなく、世界の多くの人々にとっても、21世紀のボリビアのような「新しい社会主義概念」は想定しがたいものであった。
ボリビア・ゲリラ--「予告された死」
“革命が反革命を革命する”
コンゴのゲリラ運動は失敗し、タンザニアとプラハに隠れ住んだが、カストロの懇願に応えて密かにキューバに戻り、ピネル・デル・リオでゲリラ戦の準備を整え、1966年11月、ゲバラはボリビアヘ向かった。だが、1年後の1967年10月8日、政府軍に捕えられ、銃殺された。
世界の多くの人々も、妻のアレイダも、また「ゲバラであればこそ」と彼について行った戦士たちも、たとえわずかであれ、生きて帰れる可能性を信じていた。しかし、今から振り返ればそれは「予告された死」であった。ゲバラ自身もほぼ100%の死を覚悟してキューバを出立していた。
ボリビア・ゲリラ部隊はゲバラのほか40人から成っていた。キューバ人16人、ペルー人3人、ドイツ系アルゼンチン人のタマーラ・ブンケ、そのほかにソ連派のボリビア共産党と袂を分かったインティ・ペレド、日系のフレディ・マイムラなどボリビア人が20人。ゲバラはラテンアメリカ革命の第一弾としてボリビアでゲリラ戦を展開しようとしていたのである。
ボリビアは南米大陸の中心にあり、貧しい農民の国である。この地でゲリラ闘争を発展させ、その他の諸国で運動が起きれば、「第二、第三の、そして多くのベトナム」という状況が生まれる。このように考えたが、農民の支援を得られないまま、ゲバラのゲリラ部隊は「核」(フォコ)の段階で消滅した。
なぜ、ボリビア・ゲリラは失敗したのであろうか。
何よりも、キューバ革命後、米国の反乱抑止能力は大幅に向上していた。「第二、第三のキューバ」を阻止するため、米軍の装備や情報収集能力は格段に強化されていた。ラテンアメリカ諸国の軍部も近代化され、米国で教育を受けた将軍が軍のトップを握っていた。各国の軍部は米軍と連携し合いながら、また地域のネットワークを形成し、反政府ゲリラや反体制派の一掃に乗り出していた。ゲバラの小さなゲリラ部隊は米軍とラテンアメリカ軍部の巨大な力の前には無力であった。
戦術的問題もあった。ゲバラが入ったサンタ・クルスのニャンカウアスーはほとんど人の住まない地域であり、1952年のボリビア革命の主要な担い手である鉱山労働者の住む地域とも、また人口が集中する首都ラパスのある高地地帯とも、あまりにも遠く離れていた。他方、ソ連派のボリビア共産党は選挙路線を譲らず、最後まで支援を渋った。キューバ政府の説得も無駄であった。農民もまた、貧しいまま放置されていたにもかかわらず、政府系の農民組織に統合され、その影響下にあった。
ゲリラの「核」は外部の支援を得られないまま孤立し、政府軍の包囲が狭まってからは連絡手段も失われ、米国の支援を受けたボリビア軍の前に敗北した。
「僕は理想主義者などではない」
ゲバラは閣僚としての地位も、愛する妻や子どもたちもあとに残して、ラテンアメリカ革命を目指してボリビアで闘い、銃弾に斃れた。しかも、閣僚であるからといって特権を享受することを拒否し、一般国民と同じように配給だけで暮らし、キューバを後にするときにも家族には財産らしいものは何も残さなかった。みずから唱道していた「新しい人間」を体現した人物であった。そのため、ボリビアでの死から半世紀を過ぎても、キューバ革命を知らない世代の心を捉え、最期の地、ボリビアのバジェ・グランデを訪れる人々は絶えない。そればかりか、世界にはコルダが撮影したあの肖像が印刷されたTシャツやコーヒーカップなど「ゲバラ・グッズ」が溢れている。「理想主義者」ゲバラはイデオロギーを超えて世界の人々の心を捉えている。
しかし、ゲバラは「自分は理想主義者などではない」と言う。
1962年10月に青年組織の指導者たちの前で、ゲバラは次のように語っていた。キューバがソ連や中国とも異なる「平等主義社会」の建設を目指したときに、「理想主義だ」という国際社会からの批判に応えたものである。インターネットにはこの演説を引用して「理想主義者」ゲバラを讃える言葉が駆け巡っているが、誤訳が世界を席巻してしまったのであろう。実際には、ゲバラはこのとき、キューバの若者たちを前に、次のように語り、ラテンアメリカをはじめ世界の抑圧された人々の解放のために闘うよう訴えていたのである。一見、理想にすぎないとみなされていることであっても、実現のための客観的条件は存在する。人々が力を合わせて一歩一歩努力を重ねていけば、その条件は熟していく、というのである。
「われわれに対し、どうしようもない理想主義者であるとか、できもしないことを考えているという人々があるかもしれない。……これに対し、われわれは何度でも答えなければならない。いや、それはできることなのだ。本当にできるのだ、と。革命の4年間のキューバがそうであったように、人民が平凡となれば、前進し続け、人間のちっぽけさを解消していくことができる」
ゲバラがゲバラであるために
これまで述べてきたように、ゲバラもラテンアメリカ革命のためには多様な戦略が可能であることは認識していた。しかし、ほとんどの諸国ではゲリラ戦略の条件は整っているとして、ラテンアメリカ革命を目指して出立した。
ボリビア行きについて、カストロは「少し待つように」と説得していた。これはタイボⅡ著の『エルネスト・チエ・ゲバラ伝』でも明らかにされていることだが、ゲリラ路線に反対するボリビア共産党の支持を取りつけるには時間が必要だったのである。ボリビア共産党が最終的に拒否した場合には、少なくとも他の左翼勢力の支援を得る必要があった。ゲリラは人民の支援なくして闘えない。ゲバラのボリビア・ゲリラには、キューバ人やペルー人などのほか、ボリビア共産党の方針に反対するボリビア人が加わっていたが、ゲリラの発展のためには、その他の左翼勢力や地域農民の支援が不可欠であった。
では、なぜ、ゲバラは制止を振り切りボリビアに向かったのであろうか。コンゴでのゲリラ戦の失敗のあとに、カストロは何度も帰国を促したが、ゲバラは頑なに拒んでいた。退路を断ってハバナを後にしたゲバラにとってキューバヘ戻ることはできなかったのである。最終的には、ボリビア・ゲリラの訓練のために一時的にでも帰国した方がよいのではないかというカストロの提案を受け入れ、キューバに戻ったが、そこには「ゲバラであればこそ」とつき従う覚悟を固めた多くのキューバ人が待っていた。「ゲバラがゲバラである」ためにはボリビアに赴く以外に選択肢はなかった。
キューバ革命はキューバ固有のものである。ラテンアメリカ諸国は共通の歴史や社会経済構造を持つとはいえ、それぞれの地域や国の違いは大きい。特にキューバは砂糖プランテーションを基盤にした米国の政治的経済的支配が確立していた国である。これに対しボリビアは鉱業が経済の中心を占め農村では先住民共同体が根強く残っている。特に、1952年には革命が起き、不完全なものであり、不十分な結果に終わったとはいえ、土地改革によって多くの農民が土地を手に入れ、革命政権がなし崩し的に右傾化したあとも政府系の農民組織に統合されていた。農民とともに革命の主要な勢力であった錫鉱山労働者は、依然として戦闘性を維持してはいたものの、鉱山地帯に集住していた。このようなボリビアで農村に基盤を置くゲリラ戦略は有効であったのかどうか。
1956年にグランマ号でキューバ東部海岸に上陸したあと、カストロらがシエラ・マエストラ山頂にたどり着くことができたのは農民の支援網によるところが大きかった。農民の組織化はセリア・サンチェスの努力のたまものであったとはいえ、キューバ東部は独立運動揺藍の地であり、革命意識は強かった。カストロらの救出に力を尽くしたペレス一族はオルトドクソ党の支持者であったが、その無力ぶりに不満を募らせていた。
これに対し、当時のボリビアは軍人のバリエントス政権下(1964~69年)にあった。右傾化を進めていた革命政権のパス・エステンソロ政権を1964年にクーデターで倒して「革命の垣根」を取り払い、鉱山などに米国資本を積極的に導入し、米軍と協力して反乱抑止政策を強化した政権である。錫鉱山の労働者管理制度を解体し、1967年にはこれに抵抗するカタビ・シグロ・ベインテ鉱山労働者に対する虐殺事件を起こしている。しかし、その一方では、ケチュア語を話す大統領として、農村をこまめに回り農民の支持を集めていた。農民組織は政府と協定を結び、軍部傘下の組織として農民の民兵隊を形成していた。
ゲバラはこのような状況のもとでニャンカウアスーに入り込んだことになる。土地改革によってわずかな土地を与えられただけで、政府の支援もなく放置され、農民は依然として貧しいままであったが、ゲバラが『ボリビア日記』に1967年4月30日に記しているように、「農民の基盤は発展していない。計画的に脅し、中立化するのがせいぜいのところであり、支持はそのあとのことだ」。
21世紀に入り、ボリビアでは史上初めて先住民大統領が誕生し、そのもとで先住民共同体を評価し、混血(メスティソ)すら一つの民族乏みなした、民族共同体を基礎とする、多民族国家が形成された。ゲバラはラテンアメリカの旅でペルー、ボリビア、グアテマラにおいて先住民社会に接している。青年時代にペルーを訪問したときにも、先住民共同体を基礎に独自の社会主義理論を発展させたマリアテギの理論を知る機会もあったはずだ。しかし、20世紀半ばには、ゲバラだけではなく、世界の多くの人々にとっても、21世紀のボリビアのような「新しい社会主義概念」は想定しがたいものであった。
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キューバ 平等主義社会の解体
『キューバ現代史』より ⇒ 共産主義での平等主義の限界を破ろうと苦悩する姿
国民はどれだけおなかをすかせていたか--平均1780カロリー摂取の不思議
経済危機に見舞われたキューバには多くの外国人記者が押し寄せ、国民の飢餓ぶりを報道した。「ゴミ箱をあさっている」、「みな、痩せこけている」等々……。これに対し、キューバの人々は「私たちはきちんと衣服も着ているし、食べている」と怒りに震えていた。メタボの人は皆無であろうが、飢餓のためにやせ細っている人はいない。
では、国民はどのくらいおなかをすかせていたのであろうか。
経済危機が最も激しかったころには、成人への配給量は米が月6ポンド、パンは一日80グラム、コングリと呼ばれる主食の豆ごはんやスープに使うフリホルの赤豆は月1・6ポンド、黒豆は同じく1・6ポンド。豚肉はゼロだったが、蛋白源としては卵が週に5個、わずかながらも鶏肉と魚肉も配給されていた。このほかに、ジャガイモが月2ポンド、芋(ュカ)が月1ポンドというところであった。砂糖は1か月6ポンドである。こうした配給量はあくまでも規定量であり、急に減ったり、配給が中止になったりすることもあった。配給の量から計算すると、国民はおなかをすかせていたことになる。また、食料の確保が優先されたために、石鹸などの日用品はほとんど配給されなかった。厳しい生活であった。
ところが、経済が最悪の状態にあった1994年12月に米国のギャラップ社の協力で全国3000世帯を対象に行われた家計調査では、国民は一人当たり平均1780キロカロリーをとっていた。1年後の95年には2218キロカロリー、タンパク質は56グラムであった。99年には2400キロカロリーとなった。キューバ経済が最後の通常の年といわれる89年のレベルまで回復したとされるのは2000年である。
それでも1980年代に平均3000キロカロリーとっていたというキューバ人にとってはおなかのすく、苦しい日々であった。しかし、飢餓に苦しみ、ごみ箱をあさるような状況ではない。外国人ジャーナリストが撮った写真は「あれは犬の餌を探しているのよ」という女性の言葉が本当のところであろう。
実は配給量だけを計算して判断するのは間違っていた。
当時、自由市場はあまりにも価格が高く、一般市民にはなかなか手が届かなかったが、食料の入手ルートは他にもいくつかあった。前にも述べたように、最もカロリー供給源として大きかったのは学校や職場の給食である。経済状況の悪化とともに給食も無料から有料になったり、有料だったところは価格が引き上げられたりしたが、制度としては維持されていた。しかも、キューバでは朝食と夕食は簡単にすまし、昼食がメインの食事になる。
このほか、前にも述べたように、地区の市民菜園も重要な食糧供給源となっていた。全国で200万人から300万人がこの恩恵を受け、一人当たり一日約1000カロリーほどをそこから得ていた。
家庭収入についても同様である。94年の全国調査では、食費は一人当たりおよそ60ペソ。夫婦と子ども二人の核家族では240ペソであった。これに家賃や衣類などその他の経費を入れるとI家庭の必要経費は平均500ペソ。平均賃金は200ペソであるから300ペソの不足であり、家計は火の車ということになる。
しかし、キューバでは共働きが一般的であり、ダブル・インカムである。住宅不足のために親子3代が同居しているという家庭も多い。革命後、結婚年齢が低下し、17歳から18歳くらいで結婚するケースが増えているため、祖父母、夫婦、子どもの3世代が働いているという例も少なくない。因みに1995年には1世帯あたりの家族数は1人から3人が54・7%、4人から5人が32・9%、6人から9人が11・1%であった。
このように考えると、最も生活が苦しいのは母子家庭や年金生活者ということになる。一般的にはその通りである。しかし、これらの人々がどのような暮らし方をしているのかはそれぞれの家庭によって異なる。家族が少ないケースも「同居人」、つまり、パートナーと暮らしていることもある。
経済自由化が生み出す「貧困・所得格差・不正の横行」
ソ連解体後の経済危機のもとで、貧困層が増え、1996年には「危機家庭」、すなわち、何らかの最低限の必要を満たせない貧困家庭がハバナ市では11・5%、全国の都市の平均では14・7%に上った。かなり高い貧困率である。
ただし、キューバではどんなに山奥に住んでいても、望めば大学まで無償で進学でき、交通の不便な地域に住んでいる子どもたちのためには寄宿舎も完備している。また、病気になれば無料で医者にかかれる。貧しい老人は地区のセンターで無償の給食を受けられる。他のラテンアメリカ諸国の貧困率とは単純に比較できない面もある。
「経済自由化」は所得格差を拡大させた。
キューバでは「大金もち」はいない。「小金もち」と言えば、まず外国からドル送金のある者や恒常的にドル収入を得られる観光業の従事者などであろう。公定レートは1ドル=1ペソであるが、94年半ばには実勢レートは1ドル=170ペソに達していた。ほぼ平均月収にあたる。その後、徐々に低下し、2000年代には1ドル=24ペソにまで低下したが、それでもドルを持つ者の強みは変わらない。
このほかに、農産物の自由市場に出荷する小農民や協同組合農場メンバー、パラダールと呼ばれるレストランやタクシーの運転手や外国人への「民泊」などの個人営業者も小金もちである。
さらに、国営企業でも経営状態がよければ報奨金が与えられるため、黒字企業と赤字企業との格差がある。外国企業の従業員も賃金は政府の雇用機関からペソで支払われるが、ドルでボーナスが出れば生活は楽になる。
これに対し、政府は賃金を引き上げ続け、2000年代には平均400ペソにまで上がったが、それでも追いつかない。
「経済自由化」が進むとともに自由化を利用した不正も広がっている。
卸売市場が自由化されていないため、個人営業者は食材その他の材料・資材を自由市場から調達しなければならない。しかし、価格は高く、入手できる量も限られるため、盗品と知りつつ闇で買ったり、賄賂を使って工場から密かに持ち出してもらったりする……。
かつてキューバでは泥棒はほとんど見られなかったが、徐々に増えている。
盗品や横流し物資を買うのは個人営業者だけではない。たばこや酒などは価格が引き上げられたものの、ごく最近まで平等に配給切符が配布されてきた。そのため、たばこを吸わない家庭や酒を飲まない家庭では、闇で販売し、収入を得る。また、盗品と知りつつ、背に腹は代えられないと食料や衣類などを購入する家庭も少なくない。
個人営業の業種は政府によって決められていたが、密かに外国人を泊めて下宿代を稼ぐ家庭、自宅でキャバレーを開いたり、ポルノ雑誌やビデオ、海賊版のDVDを販売する者など、不正行為が広がった。数は少ないが、麻薬取引をする者も出た。外国人向けホテルのロビーではヒネテーラと呼ばれる女性が外国人旅行客と談笑する姿が目立つ。恋愛の名を借りた売春である。
「頭脳流出」も深刻になった。高収入の得られる観光業や個人営業に多くの技術者や専門職などが流出し始めた。観光ガイドには外国語の堪能な元教員、医師、大学教授、コンピューター技術者等々、高学歴者が多い。1993年には1万4000人の教員・大学教授が職場を去ったとされている(カストロ第一書記の第5回党大会基調報告)。望む職業ではないが、高収入の魅力には勝てない。農業も同じであり、小農民のなかには元大学教授もいる。
観光業主導の経済発展構造は21世紀に入っても変わらず、学歴と職業のミスマッチは相変わらず続いている。経済危機のために学歴に相応しい職業は限られ、良い職につける可能性がなければ勉強しても意味がない。こうして学習意欲の低下、大学進学率の減少、教員の不足や質の低下など、教育立国キューバの一角が綻び始めた。
腐敗や不正の横行や社会の衰退は、物資不足のもとで部分的な経済自由化が進められた結果であった。経済が活性化すればいずれ問題は解決すると見られたが、実際には生産も生産効率も上がらず、物資不足↓不正の横行↓経済情勢の一層の悪化という悪循環が続いた。
国民はどれだけおなかをすかせていたか--平均1780カロリー摂取の不思議
経済危機に見舞われたキューバには多くの外国人記者が押し寄せ、国民の飢餓ぶりを報道した。「ゴミ箱をあさっている」、「みな、痩せこけている」等々……。これに対し、キューバの人々は「私たちはきちんと衣服も着ているし、食べている」と怒りに震えていた。メタボの人は皆無であろうが、飢餓のためにやせ細っている人はいない。
では、国民はどのくらいおなかをすかせていたのであろうか。
経済危機が最も激しかったころには、成人への配給量は米が月6ポンド、パンは一日80グラム、コングリと呼ばれる主食の豆ごはんやスープに使うフリホルの赤豆は月1・6ポンド、黒豆は同じく1・6ポンド。豚肉はゼロだったが、蛋白源としては卵が週に5個、わずかながらも鶏肉と魚肉も配給されていた。このほかに、ジャガイモが月2ポンド、芋(ュカ)が月1ポンドというところであった。砂糖は1か月6ポンドである。こうした配給量はあくまでも規定量であり、急に減ったり、配給が中止になったりすることもあった。配給の量から計算すると、国民はおなかをすかせていたことになる。また、食料の確保が優先されたために、石鹸などの日用品はほとんど配給されなかった。厳しい生活であった。
ところが、経済が最悪の状態にあった1994年12月に米国のギャラップ社の協力で全国3000世帯を対象に行われた家計調査では、国民は一人当たり平均1780キロカロリーをとっていた。1年後の95年には2218キロカロリー、タンパク質は56グラムであった。99年には2400キロカロリーとなった。キューバ経済が最後の通常の年といわれる89年のレベルまで回復したとされるのは2000年である。
それでも1980年代に平均3000キロカロリーとっていたというキューバ人にとってはおなかのすく、苦しい日々であった。しかし、飢餓に苦しみ、ごみ箱をあさるような状況ではない。外国人ジャーナリストが撮った写真は「あれは犬の餌を探しているのよ」という女性の言葉が本当のところであろう。
実は配給量だけを計算して判断するのは間違っていた。
当時、自由市場はあまりにも価格が高く、一般市民にはなかなか手が届かなかったが、食料の入手ルートは他にもいくつかあった。前にも述べたように、最もカロリー供給源として大きかったのは学校や職場の給食である。経済状況の悪化とともに給食も無料から有料になったり、有料だったところは価格が引き上げられたりしたが、制度としては維持されていた。しかも、キューバでは朝食と夕食は簡単にすまし、昼食がメインの食事になる。
このほか、前にも述べたように、地区の市民菜園も重要な食糧供給源となっていた。全国で200万人から300万人がこの恩恵を受け、一人当たり一日約1000カロリーほどをそこから得ていた。
家庭収入についても同様である。94年の全国調査では、食費は一人当たりおよそ60ペソ。夫婦と子ども二人の核家族では240ペソであった。これに家賃や衣類などその他の経費を入れるとI家庭の必要経費は平均500ペソ。平均賃金は200ペソであるから300ペソの不足であり、家計は火の車ということになる。
しかし、キューバでは共働きが一般的であり、ダブル・インカムである。住宅不足のために親子3代が同居しているという家庭も多い。革命後、結婚年齢が低下し、17歳から18歳くらいで結婚するケースが増えているため、祖父母、夫婦、子どもの3世代が働いているという例も少なくない。因みに1995年には1世帯あたりの家族数は1人から3人が54・7%、4人から5人が32・9%、6人から9人が11・1%であった。
このように考えると、最も生活が苦しいのは母子家庭や年金生活者ということになる。一般的にはその通りである。しかし、これらの人々がどのような暮らし方をしているのかはそれぞれの家庭によって異なる。家族が少ないケースも「同居人」、つまり、パートナーと暮らしていることもある。
経済自由化が生み出す「貧困・所得格差・不正の横行」
ソ連解体後の経済危機のもとで、貧困層が増え、1996年には「危機家庭」、すなわち、何らかの最低限の必要を満たせない貧困家庭がハバナ市では11・5%、全国の都市の平均では14・7%に上った。かなり高い貧困率である。
ただし、キューバではどんなに山奥に住んでいても、望めば大学まで無償で進学でき、交通の不便な地域に住んでいる子どもたちのためには寄宿舎も完備している。また、病気になれば無料で医者にかかれる。貧しい老人は地区のセンターで無償の給食を受けられる。他のラテンアメリカ諸国の貧困率とは単純に比較できない面もある。
「経済自由化」は所得格差を拡大させた。
キューバでは「大金もち」はいない。「小金もち」と言えば、まず外国からドル送金のある者や恒常的にドル収入を得られる観光業の従事者などであろう。公定レートは1ドル=1ペソであるが、94年半ばには実勢レートは1ドル=170ペソに達していた。ほぼ平均月収にあたる。その後、徐々に低下し、2000年代には1ドル=24ペソにまで低下したが、それでもドルを持つ者の強みは変わらない。
このほかに、農産物の自由市場に出荷する小農民や協同組合農場メンバー、パラダールと呼ばれるレストランやタクシーの運転手や外国人への「民泊」などの個人営業者も小金もちである。
さらに、国営企業でも経営状態がよければ報奨金が与えられるため、黒字企業と赤字企業との格差がある。外国企業の従業員も賃金は政府の雇用機関からペソで支払われるが、ドルでボーナスが出れば生活は楽になる。
これに対し、政府は賃金を引き上げ続け、2000年代には平均400ペソにまで上がったが、それでも追いつかない。
「経済自由化」が進むとともに自由化を利用した不正も広がっている。
卸売市場が自由化されていないため、個人営業者は食材その他の材料・資材を自由市場から調達しなければならない。しかし、価格は高く、入手できる量も限られるため、盗品と知りつつ闇で買ったり、賄賂を使って工場から密かに持ち出してもらったりする……。
かつてキューバでは泥棒はほとんど見られなかったが、徐々に増えている。
盗品や横流し物資を買うのは個人営業者だけではない。たばこや酒などは価格が引き上げられたものの、ごく最近まで平等に配給切符が配布されてきた。そのため、たばこを吸わない家庭や酒を飲まない家庭では、闇で販売し、収入を得る。また、盗品と知りつつ、背に腹は代えられないと食料や衣類などを購入する家庭も少なくない。
個人営業の業種は政府によって決められていたが、密かに外国人を泊めて下宿代を稼ぐ家庭、自宅でキャバレーを開いたり、ポルノ雑誌やビデオ、海賊版のDVDを販売する者など、不正行為が広がった。数は少ないが、麻薬取引をする者も出た。外国人向けホテルのロビーではヒネテーラと呼ばれる女性が外国人旅行客と談笑する姿が目立つ。恋愛の名を借りた売春である。
「頭脳流出」も深刻になった。高収入の得られる観光業や個人営業に多くの技術者や専門職などが流出し始めた。観光ガイドには外国語の堪能な元教員、医師、大学教授、コンピューター技術者等々、高学歴者が多い。1993年には1万4000人の教員・大学教授が職場を去ったとされている(カストロ第一書記の第5回党大会基調報告)。望む職業ではないが、高収入の魅力には勝てない。農業も同じであり、小農民のなかには元大学教授もいる。
観光業主導の経済発展構造は21世紀に入っても変わらず、学歴と職業のミスマッチは相変わらず続いている。経済危機のために学歴に相応しい職業は限られ、良い職につける可能性がなければ勉強しても意味がない。こうして学習意欲の低下、大学進学率の減少、教員の不足や質の低下など、教育立国キューバの一角が綻び始めた。
腐敗や不正の横行や社会の衰退は、物資不足のもとで部分的な経済自由化が進められた結果であった。経済が活性化すればいずれ問題は解決すると見られたが、実際には生産も生産効率も上がらず、物資不足↓不正の横行↓経済情勢の一層の悪化という悪循環が続いた。
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