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朝鮮半島の南北分断については、日本に何の責任もありません

『最強の世界史』より ⇒ こんな「感想文」的な本もあるんですね。歴史のIFで結果と原因を混同すると、何が何だかわからなくなる。

スターリンに踊らされたルーズベルト

 トルーマン(在任1945~53年)は終戦の4ヵ月前に、ルーズベルト大統領の死(1945年4月12日)によって大統領に昇格しました。1944年秋の大統領選挙で副大統領に当選し、翌年の4月には大統領に就任していました。

 副大統領は、最近はけっこう活躍していますが、当時は、まったく閑職でした。なにしろ原爆を開発する「マンハッタン計画」も知らされていなかったのです。しかし、運命のいたずらは、この大学教育も受けていない地方政治家を戦後の世界を代表するリーダーの地位に就けました。

 4月12日に大統領に就任し、7月のポツダム会議の途中に核実験の成功を聞いて少し強気になりました。

 もう終戦は目の前でしたから、わざわざ参戦させてもソ連に分け前を渡すほどのメリットはなくなっていたのにどうして参戦を求めたか謎です。日本に天皇制の維持を確約し、原爆投下を予告し、ソ連の参戦も示唆すれば、もっと早い段階で終戦が可能だったと思います。

 当時のインテリの世界にはコミンテルンのネットワークが張り巡らされており、それに踊らされたのは確かです。

 アメリカは唯一の核保有国として、世界を支配できると考えていましたが、1949年8月に早くもソ連が原爆実験に成功しました。スパイによって製造方法が漏洩したのですが、その疑いでローゼンバーグ夫妻が、物的証拠がないまま死刑にされ、獄中から子供たちに送った感動的な手紙が日本でも、『愛は死をこえて』というタイトルで出版されてベストセラーになりました。

 中学生くらいのころ読んで、アメリカも酷いことをすると思ったのですが、ペレストロイカによる情報公開で、容疑が真実であることが明らかになりました。

 もしアメリカが、たとえば日本に対して東条内閣が倒れた(1944年7月)あたりで無条件降伏にこだわらず、国体の護持、英米派の首相任命、責任者の公職追放、議院内閣制への転換、中国での権益放棄、朝鮮の将来の独立などを条件に和平を提案したなら、戦死者は半分以下、民間人犠牲者はほとんど出ずに終わったはずです。アメリカ軍の戦死者は本当にわずかだったでしょう。

 また、朝鮮半島についても、数年内に大韓帝国として独立させるのであれば、南北分断もなく、日本人の引き揚げも人材が育ってくるのを待って行えばよかったのです。

 中国も、重慶政府と南京政府の合流であれば経済的にもしっかりした国になったはずで、共産化はありえなかったでしょう。汪兆銘政権への行き過ぎた敵意は、紙幣の交換でも恣意的な交換レートを設定することになり、中国経済を混乱に陥れました。

 日本軍やドイツ軍も解体する必要はなかったわけで、民主化および縮小したうえで、同盟軍として活用するのでも良かったのです。そういう意味では、無条件降伏させるために、馬鹿げたコストをかけ、その結果、東ヨーロッパや中国の共産化、朝鮮半島の南北分断をまねき、双方において膨大な戦死者や民間犠牲者を出したのは正しい判断だったはずがありません。

 朝鮮半島の南北分断については、日本に何の責任もありません。ソ連を参戦させたからああいうことになっただけです。また、李承晩のような時代遅れの両班の手にゆだねたことで、韓国はたいへんな苦労をすることになりました。すでに高等文官試験を通った日本の、あるいは、満州国の行政官として人材は育っていましたし、さらに数年の準備期間をおけば極めて良質な行政機構が実現していたことでしょう。

後進国のままの中国が主導する世界は闇だ

 現在の世界にとって悩ましい問題は、さしあたってばイスラム過激派であり、北朝鮮のようなならずもの国家ですが、より長期的には中国の台頭です。

 中国の共産党政府は、1970年代終わりに文化大革命の混乱を収束させ、改革開放経済に移行してから、基本的にはよく頑張ったと思います。そして、その過程において、日本はおおいに助けたと思います。

 毛沢東派との権力闘争に勝って最高権力を掌握した鄧小平は、1978年に日中平和友好条約の批准書交換のため来日しましたが、このとき、自民党幹事長だった大平正芳に問われて、はじめて、改革開放の理念を語ったといいます。それに対して、大平は傾斜生産方式を始め、所得倍増計画、貿易や資本の自由化など戦後経済政策の歩みを語り、適切な順序で手だてを講じれば、20年間でGDPを4倍にすることも可能だろうといいました。それを聞いた鄧小平はようやく確信を持って本格的な改革開放路線に邁進できたのです。

 その後、鄧小平のもとで実務を担った胡耀邦は根回し不足で先走り失敗、趙紫陽は学生らを鄧小平からの奪権闘争に利用しようとして「天安門事件」を扇動し追放されました。しかし、ストイックな朱鎔基が首相として見事な経済運営を展開して中国経済を軌道に乗せました。

 ところが、ドロールなきEU統合が混迷しているように、朱鎔基なき改革開放は漂流しはじめました。とくに、指導部が安い給与にもかかわらず贅沢な生活をし、子弟を海外に留学させたり、事業を展開させているのは論外です。

 とくに、中国では日本と違い、権力があるうちに最大限に利益を享受しないと損だと考える伝統があり、しかも、その不当利得の金額が国庫や国民経済を傾けるほどになっても平気です。また、権力維持のために、これまでの指導部は、反対派の長老を黙らせるためには、その家族に利権を与えるのがいちばん簡単と割り切っていました。

 習近平はこの状況の悲劇的な結末を意識したのか、綱紀粛正に乗り出しており、それは正しい判断だと思います。しかし、その代わりに、国民の支持をつなぎ止めるために、超大国としての栄光とか、領土拡張に走り出しました。

 中国では過去にも漢の武帝、明の永楽帝、清の乾隆帝のように、王朝が始まって数十年したあたりで、急に膨張主義になって国威発揚による国民の不満そらしを試みた皇帝がいましたが、それに似ているともいえます。

 あるいは、大日本帝国が大東亜共栄圏とかいって西太平洋と東アジアを自分の勢力圏だと言い出したのと、「一帯一路」政策は非常に似ています。

 歴史に学べ、戦前の日本を反省しろと中国はいいますが、戦前日本の失敗から鏡を見るように教訓を得るべきなのは、習近平の中国だと思います。

 ともかく、中国は政治・経済・社会・文化などいずれをとっても巨大な開発途上国にすぎません。もし、21世紀が後進文明国のヘゲモニーのもとに置かれるなら、人類にとってこのうえない不幸はないのです。

 そして、欧米諸国や日本はこの事態にどう対処すべきなのか、そして、イギリスのEU離脱やアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利という新しい状況をどうみるべきか、あとがきで少し論じたいと思います。
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