goo

キューバ 平等主義社会の解体

『キューバ現代史』より ⇒ 共産主義での平等主義の限界を破ろうと苦悩する姿

国民はどれだけおなかをすかせていたか--平均1780カロリー摂取の不思議

 経済危機に見舞われたキューバには多くの外国人記者が押し寄せ、国民の飢餓ぶりを報道した。「ゴミ箱をあさっている」、「みな、痩せこけている」等々……。これに対し、キューバの人々は「私たちはきちんと衣服も着ているし、食べている」と怒りに震えていた。メタボの人は皆無であろうが、飢餓のためにやせ細っている人はいない。

 では、国民はどのくらいおなかをすかせていたのであろうか。

 経済危機が最も激しかったころには、成人への配給量は米が月6ポンド、パンは一日80グラム、コングリと呼ばれる主食の豆ごはんやスープに使うフリホルの赤豆は月1・6ポンド、黒豆は同じく1・6ポンド。豚肉はゼロだったが、蛋白源としては卵が週に5個、わずかながらも鶏肉と魚肉も配給されていた。このほかに、ジャガイモが月2ポンド、芋(ュカ)が月1ポンドというところであった。砂糖は1か月6ポンドである。こうした配給量はあくまでも規定量であり、急に減ったり、配給が中止になったりすることもあった。配給の量から計算すると、国民はおなかをすかせていたことになる。また、食料の確保が優先されたために、石鹸などの日用品はほとんど配給されなかった。厳しい生活であった。

 ところが、経済が最悪の状態にあった1994年12月に米国のギャラップ社の協力で全国3000世帯を対象に行われた家計調査では、国民は一人当たり平均1780キロカロリーをとっていた。1年後の95年には2218キロカロリー、タンパク質は56グラムであった。99年には2400キロカロリーとなった。キューバ経済が最後の通常の年といわれる89年のレベルまで回復したとされるのは2000年である。

 それでも1980年代に平均3000キロカロリーとっていたというキューバ人にとってはおなかのすく、苦しい日々であった。しかし、飢餓に苦しみ、ごみ箱をあさるような状況ではない。外国人ジャーナリストが撮った写真は「あれは犬の餌を探しているのよ」という女性の言葉が本当のところであろう。

 実は配給量だけを計算して判断するのは間違っていた。

 当時、自由市場はあまりにも価格が高く、一般市民にはなかなか手が届かなかったが、食料の入手ルートは他にもいくつかあった。前にも述べたように、最もカロリー供給源として大きかったのは学校や職場の給食である。経済状況の悪化とともに給食も無料から有料になったり、有料だったところは価格が引き上げられたりしたが、制度としては維持されていた。しかも、キューバでは朝食と夕食は簡単にすまし、昼食がメインの食事になる。

 このほか、前にも述べたように、地区の市民菜園も重要な食糧供給源となっていた。全国で200万人から300万人がこの恩恵を受け、一人当たり一日約1000カロリーほどをそこから得ていた。

 家庭収入についても同様である。94年の全国調査では、食費は一人当たりおよそ60ペソ。夫婦と子ども二人の核家族では240ペソであった。これに家賃や衣類などその他の経費を入れるとI家庭の必要経費は平均500ペソ。平均賃金は200ペソであるから300ペソの不足であり、家計は火の車ということになる。

 しかし、キューバでは共働きが一般的であり、ダブル・インカムである。住宅不足のために親子3代が同居しているという家庭も多い。革命後、結婚年齢が低下し、17歳から18歳くらいで結婚するケースが増えているため、祖父母、夫婦、子どもの3世代が働いているという例も少なくない。因みに1995年には1世帯あたりの家族数は1人から3人が54・7%、4人から5人が32・9%、6人から9人が11・1%であった。

 このように考えると、最も生活が苦しいのは母子家庭や年金生活者ということになる。一般的にはその通りである。しかし、これらの人々がどのような暮らし方をしているのかはそれぞれの家庭によって異なる。家族が少ないケースも「同居人」、つまり、パートナーと暮らしていることもある。

経済自由化が生み出す「貧困・所得格差・不正の横行」

 ソ連解体後の経済危機のもとで、貧困層が増え、1996年には「危機家庭」、すなわち、何らかの最低限の必要を満たせない貧困家庭がハバナ市では11・5%、全国の都市の平均では14・7%に上った。かなり高い貧困率である。

 ただし、キューバではどんなに山奥に住んでいても、望めば大学まで無償で進学でき、交通の不便な地域に住んでいる子どもたちのためには寄宿舎も完備している。また、病気になれば無料で医者にかかれる。貧しい老人は地区のセンターで無償の給食を受けられる。他のラテンアメリカ諸国の貧困率とは単純に比較できない面もある。

 「経済自由化」は所得格差を拡大させた。

 キューバでは「大金もち」はいない。「小金もち」と言えば、まず外国からドル送金のある者や恒常的にドル収入を得られる観光業の従事者などであろう。公定レートは1ドル=1ペソであるが、94年半ばには実勢レートは1ドル=170ペソに達していた。ほぼ平均月収にあたる。その後、徐々に低下し、2000年代には1ドル=24ペソにまで低下したが、それでもドルを持つ者の強みは変わらない。

 このほかに、農産物の自由市場に出荷する小農民や協同組合農場メンバー、パラダールと呼ばれるレストランやタクシーの運転手や外国人への「民泊」などの個人営業者も小金もちである。

 さらに、国営企業でも経営状態がよければ報奨金が与えられるため、黒字企業と赤字企業との格差がある。外国企業の従業員も賃金は政府の雇用機関からペソで支払われるが、ドルでボーナスが出れば生活は楽になる。

 これに対し、政府は賃金を引き上げ続け、2000年代には平均400ペソにまで上がったが、それでも追いつかない。

 「経済自由化」が進むとともに自由化を利用した不正も広がっている。

 卸売市場が自由化されていないため、個人営業者は食材その他の材料・資材を自由市場から調達しなければならない。しかし、価格は高く、入手できる量も限られるため、盗品と知りつつ闇で買ったり、賄賂を使って工場から密かに持ち出してもらったりする……。

 かつてキューバでは泥棒はほとんど見られなかったが、徐々に増えている。

 盗品や横流し物資を買うのは個人営業者だけではない。たばこや酒などは価格が引き上げられたものの、ごく最近まで平等に配給切符が配布されてきた。そのため、たばこを吸わない家庭や酒を飲まない家庭では、闇で販売し、収入を得る。また、盗品と知りつつ、背に腹は代えられないと食料や衣類などを購入する家庭も少なくない。

 個人営業の業種は政府によって決められていたが、密かに外国人を泊めて下宿代を稼ぐ家庭、自宅でキャバレーを開いたり、ポルノ雑誌やビデオ、海賊版のDVDを販売する者など、不正行為が広がった。数は少ないが、麻薬取引をする者も出た。外国人向けホテルのロビーではヒネテーラと呼ばれる女性が外国人旅行客と談笑する姿が目立つ。恋愛の名を借りた売春である。

 「頭脳流出」も深刻になった。高収入の得られる観光業や個人営業に多くの技術者や専門職などが流出し始めた。観光ガイドには外国語の堪能な元教員、医師、大学教授、コンピューター技術者等々、高学歴者が多い。1993年には1万4000人の教員・大学教授が職場を去ったとされている(カストロ第一書記の第5回党大会基調報告)。望む職業ではないが、高収入の魅力には勝てない。農業も同じであり、小農民のなかには元大学教授もいる。

 観光業主導の経済発展構造は21世紀に入っても変わらず、学歴と職業のミスマッチは相変わらず続いている。経済危機のために学歴に相応しい職業は限られ、良い職につける可能性がなければ勉強しても意味がない。こうして学習意欲の低下、大学進学率の減少、教員の不足や質の低下など、教育立国キューバの一角が綻び始めた。

 腐敗や不正の横行や社会の衰退は、物資不足のもとで部分的な経済自由化が進められた結果であった。経済が活性化すればいずれ問題は解決すると見られたが、実際には生産も生産効率も上がらず、物資不足↓不正の横行↓経済情勢の一層の悪化という悪循環が続いた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 食事の空間か... チエ・ゲバラ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。