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人口減少の疑問 若者の恋愛離れが進んでいる

『人口減少×デザイン』より 人口減少の16の疑問

日本人の結婚離れが進んでいるの?

 なぜ結婚しない人が増えているのでしょうか?

 一生独身で過ごす生き方が定着して、結婚しない人生を積極的に選択する人、結婚しないことを望む人が増えているのでしょうか?

 過去30年間の独身男女(35歳未満)の「結婚する意思がある」人の比率は、若干減少傾向にあります。

 しかし、男性は95.9%から86.3%に、女性は94.2%から89.4%にとそれほど急激に減少しているわけではありません。1990年代以降は9割弱の水準で横ばいです。

 男女ともに10%ほどは結婚する意思がない人がいるものの、現在でも9割の男女は結婚する意思があるということで、日本人の結婚観が大きく変わったわけではなさそうです。

 結婚観には大きな変化がないものの、結婚する人は減っているのです。なぜ結婚する人が減ったのか、その理由をもう少し深堀りしてみる必要がありそうです。

若者の恋愛離れが進んでいるの?

 結婚しない人が増えている原因の1つに、結婚に至る前の恋愛、おつきあいが減っていることがありそうです。交際相手がいない男女の比率が高まっています。

 18-34歳の男性では6割、女性では5割が交際相手がおらず、男女ともに約20年前の1992年と比ぺて10%以上増えています。

 30代後半の独身者は男女ともに7割が交際相手がいないようです。

 年代別に細かく見てみると、交際相手の有無はV字型を描くようです。

 10代後半では男女ともに交際相手がいない人が多数派です。 20代前半、20代後半と年を重ねるにつれて、交際相手がいる人が増えていきます。 20代女性の半数以上に交際相手がいるようです。

 しかし、その後30代前半以降では、急激に交際相手がいない比率が高まっていきます。

 20代で交際時に結婚に至らないと、30代以降に次第に恋愛から離れて、結婚する機会が減っていくという実態が見えてきます。

『出会いがない』から結婚しないの?

 結婚しない人、交際相手がいない人が増えているのは、なぜでしょう?

 よく耳にするのは「出会いがない」という言葉です。

 しかし、若者の人間関係の量は増えているようです。異性の友人の数は、男性20代で10人から21人に、女性20代で7人から18人へと12年間で倍増しています。インターネットやSNSの普及で他人とつながる機会、自分の趣味や関心領域のコミュニティに所属する機会が増えています。つまり出会いの量自体は増えているのです。

 結婚につながる出会いがないのでしょうか?

 グラフは結婚に至った男女の出会いのきっかけです。1982年にはお見合いが3割を占めていましたが、今は5%にすぎません。職場や仕事での出会いも1997年と比べて減少しています。出会いの場が多様化しており、決まったパターンがなくなりつつあるようです。

 市町村別の20-44歳人口の男女比を表したものです。43.3%の自治体で男性人口が女性人口を、13.7%の自治体で女性人口が男性人口を5%以上、上回っています。人口の移動により男女バランスが崩れている自治体が多数あり、物理的に男女一方が余る事態が起きています。

『お金がない』から結婚しないの?

 結婚しない理由を若い人に尋ねると、必ずあがるのが「お金がないから」という答えです。収入と結婚にはどんな関係性があるでしょうか?

 35歳未満の独身男女の年収別に結婚の意思を見てみると、男女ともに明らかな相関が見られます。

 独身男性の結婚意向率(「1年以内に結婚したい」「理想の相手なら1年以内に結婚してもよい」の合計)は年収100万未満では約3割ですが、300-500万未満では6割、500万以上では7割を超えます。

 女性も同様の傾向です。女性は全ての年収層で結婚意向率が男性を9-15%上回ります。年収にかかわらず、女性のほうが結婚意向が高いことがわかります。

 バプル崩壊やリーマンショツク後の経済不況などにより、1990年代後半から現在まで、若い世代を中心に雇用は不足し、被雇用者の給与も減少傾向です。収入が不安定な非正規雇用者も増加しています。経済的な不安が結婚という人生の大きな決断を阻んでいることは多くの調査・研究からも明らかです。

結婚する時期が遅くなっているの?

 結婚しない人が増えていることに加えて、結婚する時期が遅れている、晩婚化も出生数が減少している原因の1つです。

 右図は1987年から2010年までの男女別の既婚者の平均出会い年齢と初婚年齢を表したものです。

 この図から色々と面白いことがわかります。

 出会いの年齢は、男性は25.7歳から25.6歳とほぽ変わりませんが、女性は22.7歳から24.3歳へと1.6歳遅くなっています。

 また、出会ってから結婚するまでの期間が長期化しています。女性は平均2.6年から4.2年と1.6年も長くなりました。出会いも遅くなり、交際期間も長くなった結果、女性の初婚年齢は25.3歳から28.5歳へと3歳以上遅くなりました。

 男性は出会いの年齢はほとんど変わりませんが、交際期間が2.5年から4.2年へと長期化したことで、初婚年齢が1.6歳遅くなり、ほぽ30歳になりました。

 女性の晩婚化は身体的な面で子どもを産む数、産める数を制限することにつながります。
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イスラム帝国

『世界史で読み解く現代ニュース〈宗教編〉』より

イスラム帝国の成立--アッバース朝

 アッバース朝の都が置かれたのは、イラクのバグダッドです。イラクやバグダッドと聞くと、現在は危険だというイメージしかないかもしれませんね。

 しかし、この時代のバグダッドは、そうではありませんでした。都の造営にあたったのは、アッバース朝第二代カリフのマンスール。彼はティグリス川西岸に、三重の城壁をもつ円形都市をつくり、農地の開発を積極的に行い、豊かな穀倉地帯を生み出しました。そして、バグダッドを「平安の都」(マディーナ=アッサラーム)と呼び、イスラム帝国の基礎を築きます。

 黄金時代を迎えたのは、八世紀末から九世紀にかけて、第五代カリフのハールーン=アッラシードのときでした。ハールーン=アッラシードは、皆さんご存じの『千夜一夜物語』にも、しばしば登場する人物です。

 彼は、二度にわたってビザンツ帝国との戦いに赴き、勝利をおさめました。そして、朝貢を条件に、ビザンツ帝国と講和を結びました(八○九年)。そのほか、インド王やフランク王国(のちのフランス)の王とも使節や贈り物を交換するなど、幅広く交流をもったとも言われています。彼の治世の首都バグダッドは一〇〇万人近くの人口を抱える大都市に発展し、「世界に比類なき都」と称されるほどの繁栄をほこりました。

 アッバース朝は、もともとはシーア派の不満を利用して革命を成功させ成立した王朝でした。しかし安定した政権を維持するためには、多数派を占めるスンニ派を無視できず、革命に協力したシーア派の期待は裏切られ、弾圧されて数多くの命が奪われました。一方、官僚機構を整備し、アラブ人だけでなく、新たにイスラム教に改宗した人たちも政治の要職につけました。また、アラブ人でなくても、改宗者には人頭税(ジズヤ)を課すことをやめ、逆にアラブ人であっても、征服地に土地をもつ者からは地租(ハラージュ)を徴収するなど、民族の違いによる差別をなくしていきました。こうして、それまでのアラブ人を中心とした支配の方法を改めて、イスラム法(シャリーア)を基盤に、国家の運営を行うようにしました。

 ここに名実ともに、イスラム帝国が完成したのです。

イスラム帝国の分裂

 アッバース朝が、バグダッドに建国されると、スンニ派のウマイヤ朝の一族はイベリア半島に逃れて、現在のスペインのコルドバを都とする後ウマイヤ朝を建てました(七五六~一〇三一年)。この王朝は、一〇世紀に最盛期を迎え、半島南部のアンダルシア地方では濯漑農業が発展し、首都コルドバはバグダッドと並び称されるほどの豊かな繁栄を見せました。バグダッドや東方のイスラム世界から、学術や芸術、文化がもたらされ、アラビア語の書物がさかんにラテン語に翻訳されました。それが中世ヨーロッパに伝わって大きな影響を与えたのです。

 アッバース朝がイスラム法によるイスラム帝国の支配を完成させたとき、イスラム教の勢力範囲は、西は北アフリカやイベリア半島から、東はインダス川流域にまで拡大しました。しかし、ひとつの王朝で統一されることはなく、九世紀以降、イスラム帝国は分裂をはじめ、スンニ派とシーア派の対立がその勢いを増していきました。イスラム法とアラビア語という共通の原理だけは何とか保っていましたが、いくつもの王朝が乱立し、三人のカリフが鼎立したりして、それぞれが独自の国づくりを始めました。そうした中、一三世紀の終わりに東地中海の地域に成立したのが、のちにヨーロッパと対峙するようになるオスマン帝国でした。

イスラム教から見た十字軍の行動

 十字軍(一〇九六~一二七〇年)といえば、キリスト教徒の聖地奪回のことですよね。これまでお話ししてきたように、この当時はイスラム教徒が勢力を拡大し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地であるエルサレムをイスラム教徒が占領してしまったことがそのきっかけとなりました。

 このキリスト教徒の軍隊は、兵士が十字架をシンボルに胸に赤い十字を描いていたので、そう呼ばれています。およそ二〇〇年の間に、大きい遠征だけで七回、そのうちイスラム勢力から聖地奪回に成功したのは、第一回と第五回の遠征だけでした。

キリスト教の聖地を奪回するという十字軍の活動をイスラム教徒側から見る

 エルサレムは、イスラム教徒にとっても聖地です。預言者ムハンマドがある夜、天馬に乗り、大天使ガブリエルに導かれて、メッカからエルサレムに行き、そこから天に昇ってアッラーや預言者たちに会い、再び戻ってきたとされています。天に昇り、降り立った場所にある岩の上につくられたのがイスラム教の聖地「岩のドーム(黄金のドーム)」です。

 第一回の十字軍遠征では聖地を奪われてしまいますが、その後、一一八七年に八八年ぶりに聖地を取り戻すことに成功したのが、クルド人のサラディン(サラーフ=アッディーン) でした。

クルド人武将サラディンがエルサレム奪還

 サラディンは、エジプトを支配していたシーア派の王朝を倒し、スンニ派を復活させて新たな王朝、アイューブ朝を建てた人物です。当時は王朝が乱立していた時代でしたが、サラディンはアッバース朝のカリフの権威を認め、このカリフからスルタンの任命を受けました。

 スルタンとは、一一世紀に始まったイスラム王朝の世俗的支配者の称号で、政治的・軍事的権限が与えられていました。この頃になると、カリフはムスリム統合の象徴として権威的な存在となり、宗教的行事にのみ関与するょうになっていたのです。

 サラディンは、もともとクルド人の武将でした。クルド人は、イラン、イラク、トルコにまたがって住む山岳民族で、勇猛果敢なことでも有名です。しかし、武力で十字軍から聖地エルサレムを奪還しただけでなく、第三回の十字軍の遠征による攻撃を受けたときには、十字軍と交渉して休戦条約を結び、キリスト教徒の聖地巡礼を許すなど、イスラム教の教えに則った節度と寛容な姿勢を示しました。ムハンマド以来の征服の慣行をよく守ったと言われています。サラディンの名声といわゆる騎士道精神はヨーロッパにも広く伝わり、しばしば文学作品にも登場しています。
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ダル・オモ状態

ダル・オモ状態

 ダル・オモ状態です。幹大も奥さんも同じ状況です。昼の1時半になっても部屋から出てきません。だから、今日はおとなしくしていた。

 まずは、部屋から出ることとし、7時に元町のスタバへ退避。2時間かけて、昨日の本の半分を処理。

メールの仕掛け

 19時半にパートナーからメールが入りました。今週の心配事?でしょうか。先週の日曜日の20時もありました。日曜日の定期メールになるんでしょうか。返答はすぐ行ったけど、いつものパターンで無反応です。言ったきりというものです。慣れてくるといいものです。

 それで、気をよくして、元隣の女性に状況を打診。こちらはFBのメッセンジャーです。今月一杯で派遣を打ち切るということです。その後のことは、会った時に話をしましょう。

 先週火曜日に発信した、アテネの玲子さんへのメールの返答がない。ギリシャ情勢を知りたいけど、感想が入ってきません。
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カウンターサービスの弱体化--民営化された各地の図書館の実態から

『図書館の基本を求めて』より 図書館民営化の実態を、現場から検証する

A図書館では、利用者がOPACから打ち出した用紙を相談カウンターの職員に見せて、探している図書の場所を訊いていた。職員はコンピュータで検索した後、壁際の書架を指さし、「著者名の五十音順に並んでいますから探してみてください」と答えていた。利用者は用紙を手に、数分の間あちこち探していたが、結局見つからず、代わりにほかの本を見つけて、そのまま帰っていった。職員がカウンターを出て探しにゆけば、何秒もかからずに目的の本が探せたかもしれない。この図書館のように、カウンターを出ないで、書架の場所だけを案内している光景は当たり前のようになってきている。

B図書館では、Aと同じように、OPACで打ち出した用紙を手に高校生が質問して、職員が書架まで案内している例を見た。ところが、職員が「この本です」と言って高校生に手渡した本は大活字本であった。職員はそのままカウンターヘ帰り、高校生は腑に落ちない表情でページを開いていたが、すぐに書架に戻して帰っていった。職員は高校生がなぜ大活字本を求めたのか、この本で満足だったのかという疑問を持つこともなく、資料案内を済ませてしまった。

C図書館では比較的近い場所にローカルな観光スポットがあるので、地域の少し詳しい案内の資料がないかどうか貸出カウンターで聞いてみた。最初に尋ねた職員はうろたえて何もできず、別の職員に代わったが、コンピュータで検索してみたり、旅行案内の書架を探したりしている。仕方ないので自分でフロアを見て回ると、地域資料の棚に、古い資料が少しあることがわかった。あとで市の中心の駅に近い観光案内所に立ち寄ってみると、地域別のかなり詳しい案内パンフレットがあった。図書館では入手していないのだろうか。あるいは本ではないので、どこに保管されているのか職員は知らなかったのかもしれない。

別の図書館では市の予算書があるかどうか尋ねたら、職員が予算書とは何のことかまったく知らなくて、会話が成り立たなかった。

D図書館では、フロアで利用者が明らかに何か本を探している様子で書架から書架へ、あちこち見て回っていたが、返却本の片付けをしている職員は、まったく気にする様子もなく、無表情で自分の仕事を続けていた。自分のすぐ脇を何度も同じ利用者が行ったり来たりしているのに。

E図書館では、たまたまカウンターに利用者が途切れたとき、三人の職員が突っ立ったまま、何もしないでじっと次の利用者が来るまで待っていた。

A図書館とC図書館は分館であり、分館の一応すべての業務がある企業の指定管理になっているのだが、A図書館で案内をしていた職員は明らかにチーフかサブチーフと予想できる職員だった。どういう立場であれ、民営化以前に、一定の経験は積んだ職員であり、だからこそ案内カウンターを担当していたのであろう。ただ、その経験はおそらくわずかな年数だと思われる。実際この企業は、余程の理由がない限り、分館のチーフやサブチーフに、長年の経験豊かな職員を配したりはしないし、この企業が受託している図書館の数は多いので、それだけ多くの人材を、低賃金不安定雇用の条件でそろえるのは現実に難しい。

問題は、このようなチーフ格の職員が、司書として直接先輩から指導を受け、専門職としての力量を高める機会がないまま、自分がチーフになってしまうことである。この企業は研修教材としてDVDをつくっているそうだが、DVD教材を見せるだけで立派な司書がつくれたら奇跡であろう。DVD以外に分厚いマニュアルをつくったとしても、マニュアルを読むだけでは型にはまったサービスしかできない。図書館現場の仕事は、何年かにわたって先輩の司書から直接、繰り返し、現場のさまざまな状況に即した対応や知識を学ばなければならないし、それができない立場の職員であれば、相当長い年数の個人的な研讃を積むほかない。

A図書館のような場合は、直接的な指導を受けないまま、自分がチーフの立場になってしまった職員が、図書館の仕事を初めて体験する新人を指導する。チーフが利用者を書架まで案内しなければ、部下はそれを当然として、同じやり方が繰り返される。マニュアルによって、明るく挨拶することが励行されても、カウンターサービスの内容は限りなく薄く浅くなってゆく。

B図書館(大規模図書館で大半の業務が民営化)の事例も、経験の浅い職員が資料案内をしたときは、どのような結果だったか、常に気を配り、的確に指導するチーフ的職員の存在が不可欠だが、カウンターにそのようなベテランの職員の存在はない。実務を通して職員を育成する機会がないために、通り一遍の案内で良しとされてしまう。C図書館では職員は資料がどこにあるかも把握していないし、ましてパンフレット類などは思い浮かべることもできず、コンピュータで検索しようとする。予算書となると、開いたことも、聞いたこともないのかもしれない。

愛想がよいだけでは務まらない。一人一人の職員にまじめに努力する気持ちがあったとしても、それだけでは図書館の資札に精通し、利用者と向き合い、自信を持って資料案内やレファレンスサービスを行うには不十分である。図書館員としての信頼感があるかどうかは職員の様子で判断できるものだが、その点で、チーフ格の職員ですら、あまりにも経験年数が少なすぎる。ビジネス支援など、最初からとうてい無理と思える職員が、ビジネス支援担当のカウンターに座っていたこともある。

D図書館は大都市の分館だが、民営化される以前から利用の多い図書館だった。指定管理になったあとも、相当の職員数が必要であり、交替制勤務になっているので、経験の浅い非正規職員の集団で管理運営を行うために、マニュアル化かさらに進んでいるようである。非正規職員の中で、少なくともカウンター担当と配架担当が分業化されていて、配架担当は配架だけに仕事が限られている。カウンターに利用者が並び、何かの理由で職員が事務室に入ったり、検索に手間取ったりして、手が足らなくなっても、配架担当はカウンターの様子などまったく無関心に、黙々と本を片付けている。

私自身が現場で仕事をしていたときの常識では、こんな時は配架していた職員も急いで戻ってきてカウンターで応対をする。逆にカウンターの利用者が途切れたときには、何人かの職員が配架や予約在庫資料の探索などに回る。個々の利用者に早く、的確に対応するとともに、時間を無駄にしないで多くの仕事に取り組もうとする。

配架は単純作業だと考える人が多いが、職員が資料を知るための最大の機会である。資料内容だけでなくて、資料の動きを知ることは、選書にかかわるための前提条件である。さらに、配架は資料案内の絶好の機会である。利用者が資料を探しているとき、フロアに職員がいると、声をかけやすい。カウンターの職員に尋ねるのがためらわれる質問も、フロアの職員には気軽に尋ねやすいものである。これは私の現役中の実感でもあり、そのため、私は管理職になってからも、土曜日や日曜日にはできるだけ、配架をするアルバイトの学生に混じって配架や書架の片付けをしながら、探しものをしている利用者の様子に目を配り、資料案内のきっかけをつくるように努めてきた。資料案内している様子を見て、すぐに次の人が質問し、それが次々に続くという経験も少なくなかった。もちろん通常のカウンター担当の職員にとっても、配架はふだんからカウンター業務の一部分である。

ところがD図書館では、配架担当の職員は明らかに配架だけに仕事が分業化されていて、カウンター担当の非正規職員よりもレペルの低い位置づけの職員になっていることがわかるのである。司書資格のない職員かもしれない。資料の案内などはおそらく「してはいけない」仕事なのである。そのため、すぐ近くで資料を探している利用者がいても、まったく気にとめないし、利用者もその様子がわかるので、だれも尋ねようとしない。配架しながら「資料を知る」必要もない。 このような分業は仕事の効率化ではなくて、仕事の無駄をつくりだす。E図書館の事例も同じで、特定の仕事しかできない職員は、仕事が途切れると、何もしないで待っている。単に効率性の問題だけではない。最も単純に見える配架作業が、多くの司書がもっとも重要と考える選書や資料案内・レファレンスサービスにもつながるように、図書館のさまざまな仕事は有機的につながっていて、少なくとも中小規模の図書館では、切り離さずに関連させる方が、より多くの、充実したサービス、職員の力量の向上、そして仕事の効率化を実現することができる。民営化の図書館の脆弱な職員体制は、マニュアルによって業務や責任の範囲を限定するため、自らの判断で積極的に仕事の幅を広げることができず、暇な時間帯があっても利用者待ち、指示待ちの状況になってしまうのである。
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幸せなグーグルの共有価値観

『ザ・プラットフォーム』より プラットフォームの「共有価値観」--グーグル、アップル、フェイスブックを根本から読み解く

プラットフォームの「共有価値観」--グーグル、アップル、フェイスブックを根本から読み解く

プラットフォーム運営に欠かせない視点「共有価値観」

 私がプラットフォーム運営者を見るときに、もっとも大切にしていることがあります。

 それは「共有価値観(Shared Value)」です。

 これは、私が最初のキャリアを築いたマッキンゼー&カンパニーが提唱する、企業の分析に使う「7S(Seven S model)」というフレームワークの一つです。図のように「7S」の中心となる要素であり、その企業の社員が共通して持っている価値観を指します。「7S」の詳細については本論を逸脱しますので説明を省きます。

 ここで大事なのは、企業が持つ組織やシステム(制度)・戦略、それに社員(人材)の働き方のもととなるスタイルやスキルといった具体的な要素の中心に、この「共有価値観」が置かれているということです。「7S」のフレームワークでは、企業にはさまざまな要素が存在し、またその中心に位置する共有価値観がそれぞれの要素との相互作用を引き起こしています。

 この共有価値観を考える上で大事なのが、共有価値観には「内部向け」と「外部向け」のものがあるという点です。例えば、私が所属したこともあるリクルートには、かつて「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という有名な社訓がありました。これは内部向けの社訓ですが、リクルートになぜ優秀な人間が集まるのか、その理由が凝縮されているのではないでしょうか。また、リクルートが提供するプラットフォームサービスを考える上で、絶対に欠かせない視点です。

 また、外部向けに語られるおおやけの社訓や社是よりも、その会社のCEO(最高経営責任者)の発言に、むしろ会社が持つ共有価値観がよく現れている場合もあります。

 例えば、アメリカの半導体メーカー「インテル(Intel)」の外部向けの社是には「6つの価値(Six Values)」と呼ばれるものがありますが、私が考える同社の内部向け共有価値観は「パラノイア」です。

 これはインテル創業時の三番目の社員であり、元CEOのアンドリュー・グローブが残した「偏執狂でなければ生き残れない」という名言から私が得たものです。実際にインテルの持つすごみは、まさに偏執狂のように細部までつくりこんだ製品の設計にあります。また、その共有価値観こそが彼らの持つ競争力の源泉になっていると私は考えます。

巨大IT企業の共有価値観を読み解く

 「内部向け」と「外部向け」という共有価値観の視点をもとに、まずは現代のIT企業を代表するアップル(Apple)、グーグル(Google)、フェイスブック(Facebook)という三つの超国家的プラットフォームを読み解いていきましょう。

 ITが一般に普及してから二〇年あまり、またここ一〇年ほどでこの三社が提供するプラットフォームは、私たちの生活にとって欠かせないインフラに近いものとなりました。例えば、アップルの「iPhone」やグーグルのアンドロイド(Android)OSを搭載したスマートフォンなしの生活は、ほとんどの若者にとって想像できないでしょう。グーグルの検索エンジンのない世界を思い出せる人の方が少ないぐらいです。フェイスブックもいまやプライペートだけではなく、ビジネスにおける人間関係を維持するのに欠かせないプラットフォームになりつつあります。

 つまり、私たちの生活や生き方そのもの、価値観はプラットフォームというインフラが進化する上に存在し、また提供されるプラットフォームは毎日のように上書き(アップデート)されています。

 一方で、毎日のように上書きされるがゆえに、それらのプラットフォームが何を提供しているのかが見えづらくなっているとも言えます。

 さらには、グーグルはアンドロイドOSを提供することでアップルと競合し、また「グーグルプラス(Google+)」というSNSを提供することでフェイスブックと競合しています。ビジネス誌が取り上げるような、いわゆる「アップルsグーグル」といった単純な図式では本質が見えづらくなってきているのではないでしょうか。

 アップルはなぜ「アップルウォッチ「Apple Watch」という腕時計を華々しくデビューさせたのでしょうか?・

 グーグルはなぜオートナビゲーションカー(自動運転車)を開発しているのでしょうか?

 フェイスブックはなぜ、まだ一般ユーザー向けには製品化されていないバーチャルリアリティ(VR)のヘッドマウントディスプレイ「オキュラスリフト(Oculus Riff)」を、二〇億ドル(約二〇〇〇億円、為替レートは買収当時)もの高い金額で買収したのでしょうか?

 これらの疑問を解き明かすカギこそが、彼らのビジネスモデルの背景にある「共有価値観」で、それに連なる製品やサービスの「哲学」を理解することです。

 本書では、まずアップルとグーグルが提供する製品の「コンセプトビデオ」を比較しながら、共有価値観を読み解く方法をお伝えしたいと思います。これさえ押さえてしまえば、表面的な製品情報や各社が掲げる戦略を超えて、彼らプラットフォームが向かう先、また一貫性のある本来の姿が見えてくるでしょう。その本質への洞察から、ひるがえって彼らのビジネス上の戦略への洞察を深めることができるのです。

幸せなグーグルの共有価値観

 まず、グーグルの共有価値観を紹介しましょう。彼らのミッションは「Organize the world's information and make it universally accesssible and useful」です。グーグルジャパンのサイトには「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです」と書かれています。じつは原文のニュアンスがとても重要なのですが、それについては後述します。ともかくシンプルな共有価値観です。検索エンジンも地図もユーチューブも、すべてこのミッションにもとづいて、情報を集めて整理し、どこからでもアクセスできるように日々改善しています。

 グーグルのすばらしいところは、このミッションがきちんとビジネスで活かされている点です。

 私たちは有用な情報にすぐにアクセスができるグーグルの検索エンジンを使い、そこで知りたいことやほしい情報をキーワードとして入力するようになります。グーグルの社員が共有価値観にもとづいていいサービスをつくればつくるほど、ユーザーの欲求や意図(インテンション)が集まってくることになります。するとグーグルが集めたユーザーのインテンションに対して、お金を出してでも自分たちの情報を伝えたい企業が現れます。つまり広告を出したい企業が出てきます。

 そして、広告を出したい企業が増えれば増えるほど、グーグルはプラットフォームとしての幅を広げます。検索エンジン以外のサービスだけではなく、地図など別のサービスを使うユーザーに対しても、情報を伝えたい企業からお金を得ることができるようになるのです。ですから、グーグルは共有価値観にしたがって、とくかく情報を整理して、アクセスできるようにすればするほど、ユーザーのインテンションが集まり、企業の広告が集まり、お金を得ることができるというとても幸せな状況でいることができるのです。

 では、こうしたグーグルの共有価値観を前提に、彼らの製品やサービスに宿る哲学を読み解いていきましょう。

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最大のプラットフォームは「国家」

『ザ・プラットフォーム』より プラットフォームとは何か?--IT企業、国家、ボランティア活動

IT企業のプラットフォームに注目する二つの理由

 なぜ、本書ではIT企業に注目するのでしょうか。理由は大きく分けて二つあります。

 第一に、IT以後の世界ではプラットフォームヘの参加のしやすさが圧倒的に高まったからです。

 この本を読むみなさんも「プラットフォームに参加している」という意識はないかもしれませんが、確実にIT企業の提供するプラットフォームサービスに参加しているはずです。

 例えば、フェイスブック、ツイッターといったSNS(Social Network ing Service)は参加している人も多いでしょう。スマートフォンをお持ちならば、もはや携帯メールを代替する存在となった無料通話、メールアプリ「LINE(ライン)」を利用していない人の方が少ないぐらいです。

 「私はPCしか使わず、スマートフォンを持っていない」という人も本当にプラットフォームに参加していないと言い切れるでしょうか。じつはグーグルの検索エンジンもプラットフォームととらえることができます。検索のキーワードを入力する人が多ければ多いほどグーグルの検索エンジンの精度は上がり価値が増し、また検索エンジンを経由して来るユーザーが多いほどウェブページを持つ供給者にとっての価値が増します。検索エンジンにキーワードを入力している時点で、みなさんはプラットフォームに参加している、というわけです。

 このようにITは圧倒的な参加のしやすさをプラットフォームにもたらしました。だからこそ、IT企業にはプラットフォームビジネスが多く存在し、また大きな利益を上げているのです。

プラットフォームが私たちの生活を左右する

 第二に、プラットフォームがビジネスというジャンルを超え、社会や私たちの生活までしみ出し、世界を大きく変える可能性が見えてきたからこそ、今プラットフォームに注目する必要があるのです。

 今や有名すぎる事例となりましたが、二〇一〇~一一年に北アフリカのチュニジアで起きた「ジャスミン革命」は、若者を中心としたフェイスブックやツイッターでの情報交換を体制側かおさえきれず、運動が全土に広がり起きた政変です。最近では二〇一四年に香港で起きた「雨傘革命」も、警察に対峙する民主派のデモ隊が雨傘を開いて対抗し、その写真がSNSやメッセージアプリを通じて伝えられたことで広がったといわれています。

 こうした政権を揺るがすような革命も、スマートフォンが普及し、ユーザー同士のメッセージや写真交換などがかんたんに行えるコミュニケーションのプラットフォームがなければ起こることはなかったでしょう。

 こうした社会の大きな変化だけではありません。当たり前すぎて実感が少ないかもしれませんが、私たちの足元にある生活も、プラットフォームにより静かに変わってきています。

 衣食住の「衣」はどうでしょうか。インターネットの登場で情報が伝わるのが早くなり、流行が伝播するスピードがIT以前の世界より格段に上がっています。今や東京にいなくても「楽天」や「ソソタウン(ZOZOTOWN)」といったインターネットショッピングではやりの服は買えますし、雑誌に掲載されたアイテムが買える通販サイトもあります。「食」はどうでしょうか。スーパーや青果店へ買い物に行き、特売になっている食材を見てから、その場でスマホからレシピを検索するということを当たり前にしている人も多いのではないでしょうか。あるいはおいしいレストランを探すのに「食ベログ」などで探すのも日常的なこととして行われています。

 「住」も同じです。物件探しにあえてインターネットを活用しないという手はないでしょう。「南向きがいい」「二階以上がいい」というように自分の好みの条件からしぼり込み、検索ができるネットサービスはやはり便利です。

 詳細な説明はここでは省きますが、ここで挙げた事例はすべてプラットフォームとして展開されているネットサービスです。参加者がいてはじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増しているはずです。

 こうした生活にまつわる変化は、子どもの成長と同じように、毎日の変化を見ていてもわからないものですが、五年、一〇年とある単位で区切れば確実に変化が見てとれます。いつの間にかプラットフォームが私たちの生活を左右するほどの影響力を持ちはじめているのです。

今までの世界で最大のプラットフォームは「国家」

 みなさんは普段の生活で意識されることはほとんどないと思いますが、今までの世界で最大のプラットフォームは「国家」です。このような言い方に違和感を持たれる方もいらっしゃると思いますが、私たちが住む国を一つのプラットフォームととらえれば、たくさんの参加者(国民)がいるからこそ価値を増しているともいえます。

 近代国家が医療制度などあらゆる制度を整え、国民から徴収する税金により道路、水道、電気、ガスなどのインフラをきちんと整備しているからこそ、私たちは生活に余計な手間をかけることなく快適な生活を送ることができます。

 その意味で、生まれながらにしてほとんどの人がどこかの国家に所属する現代において、私たちはプラットフォームの上を生きているのです。

 参加している人の数だけでいえば、二〇〇〇年代以降の世界は国家を凌駕するプラットフォームが登場してきた時代といえるでしょう。その代表ともいえるフェイスブックには、世界中で一四億人のユーザーが存在します。すべての人が毎日のようにフェイスブックを利用しているわけではありませんが、人数を見れば世界最大の人口を抱える中国を超えています。また、国境を越えて人と人とがインターネットでつながり、ネットワーク化されることにより、国を超えた超国家的プラットフォームともいうべき存在が生まれつつあります。

 また近年、これはIT企業にかぎった話ではありませんが、グローバル企業のなかで国境を越えた税金逃れ「租税回避」と呼ばれる現象が深刻化しています。グローバルに展開する企業体が税率の低い国に資産をたくわえ、国は税収が下がることでダメージを受けています。こうした現象も、国境を越えて人や市場がつながるなかで起きており、ITの浸透と密接にかかわる問題です。例えば、みなさんが当たり前のように使うスマホのアプリ市場では、いともかんたんに国境を越えてアプリを販売することができます。もはやどの国の経済活動によって得られた収益なのか、といった境目がうすくなりつつあるのです。
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テーマとジャンルのクロス

テーマとジャンルのクロス

 テーマに対する完成度は、未唯空間そのものよりも見やすいですね。「日本的循環」にしても、経緯から全て、論理展開できる。「新しい数学」もその範疇に入ります。

 このままいくと、迷宮に陥りそう。しっかりと全体を見ていかないと。

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官民一体による地域創生

『地域創生のデザイン』より 官民一体で挑む武雄市の地域創生

(1)人口5万人の地方都市で豊かな生活を実現するために

 武雄市の市政には、民間の力が活かされている。それぞれの分野で、多くの知見とノウハウをもった企業や組織を選定し、それらと連携することで、行政だけで行えるレベル、もしくは予算の範躊で行えるレベルを上回るサービス提供を目指してきた。地方の小都市で豊かな生活を送るためにはどうすればいいのか。人口5万人の都市では提供しにくい公共サービスや経済活動はどのようにすれば供給できるのか。

 武雄市では、医療、教育、福祉、文化という生活に密着する公共サービスの水準を高めることを目標に定め、民間のノウハウを取り込むことでこれを実現しようとしている。その際、官民一体として取り組むことで、民間が参入できるきっかけと場をっくり、知恵を出し合う場をっくり、官民のシナジー効果を生み出している。そして、地域に公共サービス分野の新しい雇用を創出することにも成功している。

 民間との協働により、公共サービスの質を高めつつ、同時に負債の削減にも成功し、この8年間で約100億円の借金を削減している。そして、固定資産税や水道料金の値下げなども実現している。生活に密着した医療と教育のレペルアップは、居住地選択にも影響を与え始めており、新武雄病院や武雄市図書館の周辺ではマンション建設などの動きも増えている。

(2)市民価値の向上

 武雄市市政や官民一体事業の基本理念は、「市民価値の向上」である。市民が求めているものは何か、それを実現するには何が必要なのかという問題意識を市政の根幹としている。そして、その答えは、「その道のプロとの連携」であった。

 官民連携事業を成功に導くには、計画段階から、その道のプロと密接かつ持続的な連携を必要とする。しかし、その際、注意しなければならない点は、「公平性」の観点である。公平性の確保と密接かつ継続的な連携。この両立は、難しい課題である。しかし、両者がしっかりと信頼関係で結ばれ、プロジェクトの成功に向けて、力を結集しなければより良いサービスは提供できない。連携相手の選定基準を「市民価値の向上」の実現に据え、選定過程を市民や議会にオープンにすることも重要となる。

 武雄市の種々のプロジェクトでは、立案の段階においてパートナーを決定し、パートナーとともに事業を構築していくプロセスデザインを通じて市民価値を創造している。事業実施に際しては、市民、議会の審査を受けつつ、修正や改良を行うという柔軟性も求められる。

(3)公共サービスに民間が活躍できる場づくりを

 官民一体事業成功のカギは、行政と民間パートナーとの協力関係である。武雄市における官民連携事業は、公共サービスに民間活力を投入するというレベルにとどまるのではなく、公共サービス分野において民間事業を成立させ、収益を上げ、さらには、雇用を生み出してもらうというスタンスを取っている。

 武雄市は、パートナー企業の事業遂行のために、関係部署との調整や法規制のクリアなど、事業環境の整備にも取り組んでいる。そうすることで、人口5万人の都市では成立しづらいサービスの供給を実現してきた。市民病院の民間移譲にしても、武雄市図書館にしても、レモングラスやパクチーの産地化にしても、補助金や交付金等といった税金投入を削減しただけでなく、民間企業から税金や賃料を得ることに成功し、その資金でさらに施設やサービスのレべルアップヘの投資を行うという好循環を創り出しているのである。

 武雄市における官民一体による公共サービス、すなわち市民価値の実現のためのプロとの連携と活躍の場づくり支援は、人口5万人クラスの地方都市での暮らしやすさを実現していくための一つのモデルである。

 2015年、安倍内閣は最重要課題として「地方創生」を掲げている。地方創生の時代は、アイデア勝負の時代でもある。市民の福祉向上に資するアイデアを持つ自治体に対しては、国も積極的に支援する方針である。裏を返せば、アイデアも知恵もない自治体は、増田レポートで指摘された「消滅自治体」への道を歩まざるをえない。人口減少が進む時代において、アイデアを生み出すためには、行政だけではなく、民間や非営利セクターをはじめ、あらゆる組織や個人の知恵を総動員しなければならない。そして、アイデアの実現にあたっては、最も市民価値を向上できる主体と連携を組まなければならないのである。
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ハンナ・アーレント『全体主義の起原』

『宗教学』より

全体主義の国家支配--秘密警察と強制収容所

 全体主義の政党は、陰謀論的世界観や強固な結束を武器に勢力を拡大させ、時には最終的に、国家をも手中に収めてしまう。しかしそれは、党にとって必ずしも肯定的な意味のみを持つわけではない。全体主義政党はこれまで、反体制的なスタンスによって支持を集めてきたのであり、その勢力が体制側に回ることは、運動のダイナミズムやラディカリズムを失うことにもなりかねないからである。

 その際に全体主義は、運動の勢いを持続させるために、国家の内部に巣くう「敵」の存在を盛んに喧伝し始める。アーレントはそれを「客観的な敵」と称している。「客観的な敵」とは差し当たり、ナチズムにとってのユダヤ人、スターリニズムにとっての反共主義者を意味するが、実際にはその内実が明確に定められているわけではない。全体主義の体制を維持するためには、常に何らかの形で敵を作り出す必要があり、指導者と党が名指しさえすれば、どのような人間も即座に「客観的な敵」になり得るのである。

 社会の暗部に巣くう敵を捜索・摘発するために、全体主義の国家では、「秘密警察」が高度に発達する。具体的には、ナチスにおける「ゲシュタポ」、スターリニズムにおける「GPU」がそれに当たる。秘密警察の組織は徐々に肥大化し、多数の人員が割かれるようになるが、潜在的にはすべての国民が監視の対象となるため、秘密警察のみで「客観的な敵」を完全に洗い出せるわけではない。ゆえに令体主義国家では、国民の相互監視と密告が日常的に行われるようになる。人々は今や、互いの一挙手一投足に「客観的な敵」の徴候を察知して疑心暗鬼となり、それを払拭するために、党や指導者への忠誠を自ら積極的に示そうとする。こうして全体主義の運動は、国民一人一人の内奥にどこまでも深く浸透してゆくのである。

 「客観的な敵」と見なされた人間は、秘密警察による逮捕・拷問を受けた後、強制収容所に隔離される。彼はその場で監禁や強制労働を課され、最終的には、生命を奪われることになる。

 これについてアーレントは、強制収容所で行われたことは、人間の「殺害」ではなく「抹消」であったということを強調している。これまでの人類史においては、どれほど過酷な戦争や処刑であろうと、人間はあくまで人間として殺害された。人が殺されたという事実そのものや、彼の死を追憶する権利を、誰も否認することはできなかったのである。しかし強制収容所で行われたことは、その人間の生の完全な抹消であった。「それらは、誰もがいつなんどき落ちこむかもしれず、落ちこんだら嘗てこの世に存在したことがなかったかのように消滅してしまう忘却の穴に仕立てられていたのである」。全体主義における前代未聞の大量粛清を可能としたのは、実に、人間の完全な抹消という手法と論理であった。

「生の無意味さ」を核として渦巻く暴風

 このように全体主義は、陰謀論の流布に始まり、秘密結社的な党派の結成、秘密警察と密告による徹底した監視、強制収容所における大量粛清に至るまで、幻想的世界観と悲劇的実践を限りなく追求していった。それでは、こうした運動を推進させる原因となったもっとも基本的な要素とは、果たして何だったのだろうか。

 それは、大衆の心に深く浸蝕した「自己の無用性」や「生の無意味性」の感覚である、とアーレントは指摘する。「強制収容所という実験室のなかで人間の無用化の実験をしようとした全体的支配の試みにきわめて精確に対応するのは、人口過密な世界のなか、そしてこの世界そのものの無意味性のなかで現代の大衆が味わう自己の無用性である。強制収容所の社会では、柵は人間の行為と何らの関係がなくてもいいし、搾取が何びとにも利益をもたらさなくてもかまわないし、労働が何らの成果を生まなくてもいいということが時々刻々教えられる。この社会はすべての行為、すべての人間的な感動が原則的に無意味である場所、換言すれば無意味性がその場で生み出される場所なのである」。

 社会の全面的な流動化によって微小なアトムと化し、生の実感を喪失した諸個人が、あたかも風に吹かれた砂塵のように舞い上がり、っいには渦を巻きながら、その内に自分自身を消失させてゆく--全体主義の運動は、以上のようなものとして理解することができるだろう。そしてこうした現象は、ナチズムとスターリニズムを終止符として、歴史から完全に姿を消したというわけではない。類似の大衆運動や政治体制は現代において少なからず存在し、また、オウム真理教が典型例の一つであるようにカルト的な宗教団体の内部にも同様の構造が見られることがある。全体主義の暴風がもたらす惨禍を未然に食い止めるためには、その運動の基本的なロジックを把握しておくことが、必要不可欠な第一歩となるだろう。
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「次の日本」をつくる戦略家が必要

『「瑞穂の国」の資本主義』より 二〇二〇までに克服すべき日本の課題

日本の戦後を振り返ると、松下幸之助氏や本田宗一郎氏、おそらく唯一ご存命な方ではスズキの鈴木修社長兼会長といった日本の製造業の創業者世代が、戦後の焼け野原から日本を復興させてきた。

ところがいま、多くの日本企業では、その次の世代に、新たな一時代を築き上げるようなカリスマ性を持つリーダーが欠落しているように見える。いわゆる強いリーダーの周囲にはイエスマンが集まるので、強いリーダーを失った企業はだいたい迷走してしまうのだ。

こうしたなかでリーマン・ショック以降、創業者世代から数えて三代目にあたる団塊世代の大量引退が進み、今後の日本が歩んでいくべき方向性を示す新たな価値観が生まれようとしているのが、日本の現状である。

そこで日本に足りないものは何かをあらためて考えてみると、日本にはいま、評論家や批評家は数多くいても、ストラテジスト、戦略家がいないという現実が見えてくる。

ストラテジストといえば聞こえはいいが、日本の「失われた二十年」を振り返ると、伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏や日本財団元会長の笹川良一氏、旧経済団体連合会の第四代会長を務めた土光敏夫氏のような、汚れ役や裏方もこなしつつ、良くも悪くも戦略を打ち立てていく人が、日本から消えてしまったような気がする。

国際社会は競争のなかで成り立っている以上、日本が今後、自存自衛を図るうえで最も大事なものは戦略論である。くわえて、物事には正負があるとの認識の下に、それぞれの立場やポジションでパワーゲームをどう読み解いていくかが肝心だ。

中国や韓国が、日本をあることでこう批判しているという報道が紙面に並ぶことがよくある。だが中国や韓国が口本を批判するのは、彼らにとって何らかのメリットがあるからだ。ということは、それが日本にとって必ずしもデメリットであるとは限らない。多くは、日本にとってメリットがあるということだろうから、毅然とした姿勢で反論すればよい。

ところが、日本の政治家の多くは戦略どころか、いい人に見られたいという思いが強いのか、人に嫌われることをしたがらないし、決断ができない。いい人が経営者になると会社がうまくいかなくなるように、あえて人に嫌われることをしなければ、競争の世界では勝てないのである。

こうした前提に立てば、これから日本が国際社会を生き抜く戦略を立てる人材を育てるエリート教育がぜひとも必要だと思われる。そして、それはけっして英語ができる人材を育てることではない。

「グローバル化=英語能力」などとバカなことを言う経営者もいるが、実際はどのような言葉であってもかまわないので、まず自ら第一言語で思考する、物事を考える能力を育てることが重要なのである。

戦後の形式張った日本語教育は、反論しない子供たち、ひいてはものを考えない大人たちを大量に生み出してしまった。しかし、あくまでも言葉は道具でしかない。「言葉ができる」ではなく、「考えることができる」ことが大事なのだ。自分の頭で、自らの立場でものを考えることができる人材を育てていくことこそが、いま必要なのである。

既製品が必要な世の中は、もう終わろうとしているのではないだろうか。戦前に生まれ育った人たちには、型破りな人材が多数いた。そのような人たちが日本を引っ張り、世界の中の日本に育て上げていったのだ。
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