goo

地域組織の可能性

改めて、「さあ!」

 今、必要なのは、出発することです。だから、あの時点でエコットではなく、「さあ!」にしたかった。「さあ!」は元々、持続可能性(Sa-)から生まれました。

 エコットになり、「エコ」で行動が規制されている。環境政策課の限界ですね。

ウィゲントシュタインは数学者

 「論理」の部分はキッチリ、言葉で表せないものはないとする。それは7つの項目になる。ウィゲントシュタインは数学者でした。私自身はあまり好きではないけど。

地域組織の可能性

 地域組織、一定の一般性を確保し、多様な課題への対応が志向される。地域組織は国際組織と相互補完的な関係にある。機能観点的なアプローチからは地域で対応できる課題は地域で採用する。補完性という考え方。

 地域組織には、国際社会での基本制度上の課題がある。主権国家という単位の規模の課題を解決するための。地域組織を通じて、ある程度まとまる。一定の人口、経済規模を代表する。地域組織は多様な国際組織の形態の実験場。地域の条件に即して、多様な組織的イノベーションを試みる。

 EUは補完性。各国ができないことをやる。地方レベルでの総合対応は各国に任せる。同じ課題でも別の角度から見ると、別の課題として認識させるので、レベル間の相互作用を付加する。

ASEANの可能性

 EUに比べると、ASEANが見えてこない。何しろ、中国とか日本の関わりが見えてこないし、ASEAN+3とした時に、オーストラリア、ニュージーランドとインドが加わった。インドの存在も見えてこない。要するに、東アジアと西アジアが見えてこない。国に組合せが見えない。

 これでは、EU的なカタチにならない。むしろ、アメリカが太平洋で仕切る可能性が強い。これは避けたい。そういう意味では、中国とインドと日本のトライアングルが望ましいけど、これが難しい。中国とインドは並び立たないでしょう。人口にしても、二つ合わせると、30億人を超えて、世界の半分です。

 それにしても、オーストラリアとかニュージーランドはやはり、英連邦なんでしょうかね。この最近では、ASEANに米国とかロシアが参加している。つまり、組織が混在している状態になっている。だから、組織間の調整だけに終わってしまいます。

 もし、つながるとしたら、地球的規模の課題、感染症、エネルギー、安全保障でしょう。ただ、ヨーロッパと異なり、陸続きではないので、環境問題はあんまり課題にならない。感染症の方がアジアにとっても重要です。そして、人口に起因する問題ですね。そして、金融関係です。ドルに対するのか、元に対するのか。

日中韓がまとまる可能性

 何しろ、活動の焦点が定まっていないし、日本が本当の意味で戦後になっていないから、余計に面倒くさいです。本来、日中韓でまとまれば、その先が見えてくるけど、小さな島を巡ったりして、まとまりがない。

 どんな問題でも、日中韓でまとまれば、北朝鮮にして、領土にしても、戦後処理問題にしても解決できるのに。この地域は先に進められない。かといって、他と線号する和歌にはいけない。現実的には、ドルとユーロに対する元の世界になっていくのが、現実的なんでしょうね。中国が中華思想をなくすのが前提です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

仕事を分化させる

仕事を分化させる

 NPOも多方面のことを考えられるようにしていく。それをつなげていかないと、環境だけで考えていては答えが出てこない。集合へ点です。点は集合です。個人が多様化した世界を持たないといけない。ルネッサンスのように。

 NPOは何をするのかを決めているが、メンバーの依って、方向を決めていけばいい。人が主体です。

 研究開発部署でこれを実現した。ECUが強い人間が来れば、EUC解析をやり、モータースポーツに興味がある人間が来れば、レース計測システムを作り上げた。そのたびに、テリトリーを変えて、実験電算そのものを変えていった。最終的には、技術者の仕事の仕方自体を変えていった。

 元々、LAしか関係なかったのに、私が来ることで変わってしまった。前任者だったら、LAの枠を出ることはなかったでしょう。それは私がやったというよりも、私がハブになったということです。それが、存在の力でのリーダーシップです。

 仕事の見直しも、部でのR&Dに実力者を入れ込んで、変えていった。彼らは先の技術が見えていなかったので、その分、私が5年後の姿を見せるようにした。問題意識のある人間なら、仕事の見直しができることを確認した。

 これを販売店のスタッフの間でやるにはどうしたらいいのか。まずは、分業にされている部分を幅広くすることです。それがスタッフの分化です。

組織の中の統合と分化

 給料というカタチにするから、そうなるのか。社長にしても、結局は奴隷制みたいなものです。組織の中で上米をはねる。モノを作ることで、付加価値を高まります。

 明確なのは、グーグルのようなものです。一つのサービスをすべてに透過してしまう。それを統合して使うというやり方です。これは一気に回収できます。だから、ザッツバーグは億万長者になったんです。

 だけど、統合だけで、分化でのメリットがないと成り立たない。分化のところでそれを得た人たちがどういう仕事をするのか。その方程式がつながります。

 その意味では、グローバル化と統合と分化は同じ部類に入るのでしょう。その方程式の延長線上で未来が見えてきます。統合のデメリットを支援というカタチで、分化に持ってこれるのか。グーグルはそれを20%でやっています。

 統合のメリットが先に来るけど、分化のメリットをどう追求するかです。統合のメリットをいかに戻すのか。グローバル化した企業とか個人がチベットに学校を作るようなものです。

人が多ければ多いほど、幸せになれる仕組み

 人が多ければ多いほど、幸せになれる仕組みをどう作るのか。これも多分、方程式の解なんでしょう。一人が掛け算となると同時に、自己同型することで、その部分を減らしていく。単なる掛け算ではなく、直和みたいなものかもしれない。

 消費と生産が同時に起こる世界で、あるところで統合と分化でべき乗になっていく世界なんでしょう。人間の欲求がベースになります。そうでないと、音楽とかスポーツ観戦がお金になることはありえない。

 音楽で思い出すのは、スターリングラード攻防戦におけるピアノ演奏です。それがどれだけ、市民を勇気づけたのか。今は、それよりも裕福なのに、音楽が意味を持っているのはなぜなのか。

なぜとどうしてのループ

 なぜ、なぜの5回と、それでどうしたのの5回は同じところに到達するのか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

企業保証から社会保障へ

存在の力の女性の活躍

 第8章に入れたいことは、存在の力でのリーダーシップ、女性の活用、3割の賃金で3割の期間で働いている。晩婚化が進んでいる。必ずしも、周りの環境に比べて、いいものではない。それでもって、女性の活用というのはいい加減。

 クルマに対しても、免許証の所得率が少ない。その上、クルマの購入とか保険の負担はできない。パートナーが幸せになれるように、本当に社会変革のシナリオにしていく。

存在の力で地域インフラ

 リーダーシップもそうだけど、それらをインフラの上に乗せていくのか。存在の力をどのように生かしていくのか。もっと明確に、もっと具体的に見せないといけない。政府のあり方とか、お金のまわし方とか、企業保証との関係とか、就職という名のもとでの制度。

企業保証から社会保障へ

 日本の社会保障は企業で行われているので、企業に正社員で入るしかない。それに応えられなくなっている。本来、企業はそういうものでないのにもかかわらず。

 北欧の制度は国が社会保障を行っているので、企業を離れることができる。日本の場合は、一度、企業を外れると不利な立場に陥る。その元にあるのは、大正時代の思い違いです。

 意思の力でやっていく世界。それを存在の力に変えることで、何が変わるのか。ベースは、人が多いほど、幸せになれる世界をどう作るかです。今は、社会保障ではなく、企業保証になっている。これをどう変えていくのか。

 企業の利益の一部を従業員の保証に使うのは、妥当は妥当だけど、その先がない。企業の配分でいくらでもどうにでもなる。内なる世界だけで完結してしまう可能性が十分あります。

 非正規雇用というよりも、社会の流動性をどうやって、社会に保つのか。雇用を守るというよりも、社会全体をどう守っていくのか。

地域での社会保障競争

 企業がなぜ、うまくいっているかというと、競争関係があるからです。地域での競争関係を生まないといけない。地域によって、社会保障の優先順位を決めていきます。

 地域を国レベルで考えればいいです。500万人規模なら、フィンランドと同様な国です。ただし、横軸は企業で全体効率を求めます。その意味では、企業と行政の役割を対等のモノにしていくしかないかもしれない。

 結婚して、子育て出来る制度を地域に作る。地域で婚活をしているのは、そのためです。あれをもっと、トータル的にして、差別化します。それで、企業を誘致することになる。

高度サービス時代の就職

 なぜ、就職するのか。高度サービス時代の就職も当然違ってこないといけない。お金も違ってくる。

 一人の人間を何人で支えるかが、少子高齢化の指針になっている。同じように、サービス業も一人の人からどれだけのお金を得るのかで賃金が決まってしまう。機械化されれば、されるほど、得るものは大きい。奴隷制がない、今の実情です。

 サービス業において、いかに高付加価値を得るか。マックスは決まっています。風俗なんでしょう。人のサービスを受けるケースとして、保育士みたいなものが分かりやすいです。ほとんど人件費です。5人を担当するとなると、20%で100%です。この方程式をどう解決するかがない限り、保育士の給料は上がらないでしょう。スタバの高度サービスもこの範疇の中にあります。

 風俗は高度サービスの究極です。効率は悪いけど、お金になります。これは不思議です。一瞬にして、喜びを得るものはもっと、多いはずです。生きててよかったと思えるサービス、経験。対人間が一番あるのは、ふだんそれがないからでしょう。

 ちなみに、私にとって、生きててよかったと思える経験は、トリスタンとイゾルデの第3幕の「愛の死のテーマ」の出だしのメゾピアノです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

存在の力でのリーダーシップ

図書館を「シェア」ハウスに

 図書館をシェアハウスにする。本だけでなく、色々なものを皆でシェアする。コンピューターも交通手段もシェアする。ゼロから作るよりも、概念的には楽です。行政でありながら、土日もやっている。

20日ぶりにパートナーとリーダーシップについて話した

 リーダーシップの概念で苦しんでいた。意思の力でののリーダーシップの感覚です。そこで、存在の力でのリーダーシップを示そうとした。

 出来た時のイメージをすること、そのイメージを皆に植え付けて、それぞれの人にやってもらう。自分で仕切ろうとするから難しいのです。

 あるべき姿をどこまで、詳細にできるかどうか。それはファシリテーターの経験があるから、出来ることです。それぞれの人の役割が見えてきます。その上で、方向性を与えれば、変わってくる。

 そして、その成果を自分のモノにしないことです。自分のものにしようとすると欲が出て、相手を失います。それは一つの社会になるから、敵も味方もないです。それぞれが存在することが意味あることになっていきます。このやり方は汎用性を持ちます。

 そのためには、全ては自分のために用意されたと思い、主人公になることです。今回の人事異動もあなたのためにされたのです。その上で、内なる世界で出来たイメージをどう作るか。

 存在の力をどう示すかのシミュレーションになります。

 全ての本の存在もそれで理由が付きます。それぞれの著者の内なる世界からの発信を押えていくだけです。それによって、イメージができれば、人は変われます。変わらなければ、それだけのことです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

図書館をどう?って『演出』する? 小布施町まちとしよテラソ

『つながる図書館』より 公募館長のもとに町民が作った図書館--小布施町まちとしよテラソ

館長が決まり、新図書館準備室が設置された。その後、開館までの二年間、町民たちはひたすら会議の連続だった。花井さんは図書館立ち上げのことを書いた著書『はなぼん』(文屋)でこう明かしている。

「図書館建設運営委員会が一八回、幹事会一三回、建築部会六回、運営部会六回、電算化部会一〇回。小布施町民が新図書館にどれほどの関心と期待を寄せていたのかがよくわかる」。そして、すべての会議で町民の意見は最大限に尊重されたという。

館長と同時に、遮る壁のない巨大なワンフロアの設計を提案してきたナスカ一級建築士事務所代表、古谷誠章さんが選ばれた。新図書館のコンセプトは、「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という四つの柱からなる「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」。そのイメージに近かったのが、古谷さんの案だった。

しかし、図書館建設運営委員会では、古谷さんの設計に対して町民からさまざまな要望がつきつけられた。当初よりワンフロアというプランだったにもかかわらず、「どうしても仕切られた小部屋がほしい。そうでなければ絵本の読み聞かせができない」と異論をとなえた女性がいた。読み聞かせをオープンな空間でやれば、他の利用者も集まってくるのでは。小部屋を作ってしまっては、設計のコンセプト、ひいては新図書館のコンセプトにも差し障りが出てくる。

意見が対立してしまい、会議の場がギスギスする中、花井さんは休憩時間、その女性に小部屋がほしい理由をあらためて訊ねてみた。すると、女性は「絵本の読み聞かせを盛り上げるために、部屋を暗くしてロウソクの明かりで演出してみたい」というアイデアを語ったのだ。どう図書館を「演出」していきたいのか。花井さんはそこをポイントに、町民の意見をまとめて町側と調整していった。

こうした町民との話し合いは順風満帆だったわけではない。近年、自治体と住民が町づくりのワークショップを行い、協働するスタイルが全国でも広がってきているが、意見が対立したり、バラバラになってしまったりすることは多々ある。これをまとめあげるのに必要なのが、中立の立場で物事を進めるファシリテーターだ。ところが、そのファシリデーターであるはずの花井さんは当初、新しい図書館へのイメージが湧く一方で、町民との温度差も感じてしまっていた。

「やっぱり図書館は静かに読書をする場所だ」「イベントは他の施設で行うべきだ」。従来の図書館像を求める意見が根強く、花井さんの熱意は空回りしていた。悩む日々。ついには「自分が図書館長になったこと自体が間違いだった」とまで思うようになる。しかし、小布施町の行政コンサルタントだった人が、相手の話に耳を傾け、受け止めることで話した人自身が課題解決の糸口を見つけるコミュニケーション術を実践しているのを見て、原点に戻ることができた。

「『町民が主役の図書館』。この大切な目標を、僕は見失っていた」と『はなぼん』で花井さんは回顧している。町民みんなの思いを受け止めるために、花井さんは奔走した。そもそも、交流を促すためのワンフロアの構造は、静かな空間という従来の図書館像と相反する。これらをどう両立させるのか。花井さんは長野県南部の下條村立図書館の視察からヒントを得た「タイムシェアリング」を紹介した。

下條村立図書館では、大人たちは子供たちが訪れ賑やかとなる昼間を避けて利用していた。特に図書館からお願いしたわけではなく、自然の流れでそうなったのだという。花井さんは「ルールありき」ではなく、利用者を信じることにした。町民たちもこれに納得、今のようなストレスのない伸び伸びとした図書館が誕生したのだ。

町民と行政をつないだ花井さんの苦労は実を結び、オープン直前、旧図書館から新図書館へ本を引っ越しさせる際には、町民たちが総出で手伝ってくれた。小中学生から定年退職した人たちまで、バケツリレーのように本が運ばれていったという。

こうした行政と住民の話し合いは、手間ひまがかかる。ともすれば、決裂してそのプロジェクト自体が空中分解する危険性もはらむ。しかし、図書館は老若男女、誰でも使える最も開かれた公共施設だ。行政は利用者のニーズに応えた方がよりよい施設を作ることができるし、利用する町民も自分たちの意見が反映された施設ならばより大切に思ってくれるだろう。

ましてや、ソーシャルメディアがこれだけ発達した現在、行政が密室の会議で物事を進めることはもはや難しい。だとしたら、時間はかかるかもしれないが、ソーシャルメディアを活用するがごとく、地域の人たちの声を集め、方向性を一歩一歩確かめながら、前に進める方法が図書館づくりには有効なのではないだろうか。

佐賀県の「伊万里市民図書館」では、二〇年ほど前からそれを実行してきた。労を惜しんで拙速に行政だけで図書館を作るのではなく、まちとしょテラソのように、地域の人だちとの「協働」で図書館を作る。そうした流れが今、全国の公共図書館で確実に起きている。

「まちとしょテラソの主人公は町民、僕たちは黒子。いかに主人公が引き立つか、どれだけすごい演出ができるか」と花井さんは笑顔で語る。

新しい図書館には読み聞かせや体操などができる全開放型の「多目的室」が設けられたが、「館長室」はなかった。公募で決まった館長の席はエントランスのすぐわき。公募で決まった建築家が設計した図書館全体を見渡せる席となった。やはり、公募で決まった名称「まちとしょテラソ」が掲げられた新しい図書館は、どこまでいっても町民が主人公なのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ヴィトゲンシュタイン『論考』の構造

『論理哲学論考』より 高校生のためのヴィトゲンシュタイン『論考』出前講義

いよいよ『論考』「論理学の革命」の解説で、本体に入りますが、以上の『論考』の三本柱の一つ「真理関数の理論」については説明をし終えたことになります。というのも、すでに指摘したように真理関数の理論は「命題論理」の体系とほぼ重なり合うからです。他の二本の柱とは「像の理論」と「語る/示すの区別」にほかなりません。これらについてはおいおい説明するとして、まず本文を開いてみてください。それぞれの文章に十進法の番号が付けられ、私が数え上げたところでは526個の短い断章(フラグメント)がブロックのように積み重ねられて本文が構成されています。普通の本なら部・章・節などに分かれますが、そうした叙述の仕方とはまるで違います。最初に「少々風変わりな哲学書」と述べたゆえんです。この番号付けにはヴィトゲンシュタイン自身の注がついています。それによると、数字はそれぞれの命題の「論理的な重さをあらわしている」そうです。またn.1はnに対するコメント、allおよびn.12はn.1に対する1番目および2番目のコメントというように「入れ子型」の構造になっています。それからしますと、コメントのつかないnという整数の命題こそが『論考』の骨格を形作る最も論理的に重い命題ということになるでしょう。一桁の命題は7つあるのですが、参考までに黒板に書きだしておきましょう。

 1 世界は、そうであることのすべてである。

 2 そうであること、つまり事実とは、事態が現実にそうなっていることである。

 3 事実の論理像が、考えである。

 4 考えとは、有意味な命題のことである。

 5 命題は、要素命題の真理関数である。(要素命題は、それ自身の真理関数である)

 6 真理関数の一般的な形式は、こうだ。[p、ぞ、N(ぞ)]これは、命題の一般的な形式である。

 7 語ることができないことについては、沈黙するしかない。

もちろん、読み進むに当たって、番号の数字にことさら拘泥する必要はありませんが、読んでいくうちに蹟いたりわからなくなったときには、それが注釈となっている元の命題に順次立ち返ることをお奨めします。ヴィトゲンシュタインは考え抜いた上で番号を振っていますので、必ず何らかのヒントが得られるはずです。

さて、1の命題に対する注釈は「1.1世界は、事実の総体である。事物の総体ではない」というものです。普通なら世界は事物の総体だと考えるところですが、論理的観点に立てば「1.2世界を分解すると、複数の事実になる」のです。ここには「語」から「文」への転換という「論理学の革命」の成果が反映されています。つまり、事物を名指す「名辞(語、名前)」と事実を描写する「命題(文)」とが対比され、後者の方がより基本的だというわけです。そのことは後に「3.3命題だけが意味をもつ。命題の脈絡のなかでしか名前は指示対象をもたない」という形でも表現されます。これはフレーゲによって定式化されたもので、通常「文脈原理」と呼ばれています。

次に2では事実が「事態が現実にそうなっていること」という形で捉え直されます。また「2.04現実になっている事態たちの総体が、世界である」とも言われているように、ここで改めて「事態」が世界を構成する基本要素としての役割を与えられます。さらに「2.01事態は、対象(事柄、事物)が結合したものである」や「2.011事態の構成要素であることができるのは、事物にとって本質的なことである」とあることに注目しましょう。これまで背景に退いていた事物が、ここで再び事態との関わりの中で明確に位置づけられます。したがって「2.0272対象の配置が、事態をかたちづくっている」わけですが、事物(対象)は単独で出現することはできません。先はどの文脈原理を援用すれば、事物はあくまでも事態の脈絡の中でのみ出現しうることを忘れてはなりません。これは述語論理における定項や変項が、命題の内部構造に依存して析出されることに相当します。その意味で、『論考』においては「事態」と「事物」という形で、世界の基本的構成要素が二重化されていますが、これは現代論理学における命題論理と述語論理の構造的二重性に対応すると考えていいでしょう。

もう一つ「論理空間」という概念を説明しておかねばなりません。これは最初の方に「1.13論理空間のなかにある事実が、世界である」という形で登場しますが、明らかに論理空間は世界よりも広い概念です。論理空間のなかには事実でないもの、つまり成立していない事態も含まれます。成立・不成立を問わず、あらゆる可能的事態を包含したものが「論理空間」にほかなりません。そのうちで実際に成立している事態、すなわち事実から成り立っているのが、われわれの住むこの現実世界なのです。だとすれば、論理空間は考えうる限りのあらゆる可能的世界の集合体と考えることができます。ヴィトゲンシュタインは「論考」の「はじめに」で、「つまりこの本は、思考に境界線を引こうとしているのです。いや、むしろ一思考にではなく、思想の表現に、境界線を引こうとしているのです」(3頁)と述べていました。それからすれば、「論理空間」という概念は、思考の限界であるこの境界線を論理的に具体化したものと考えることができます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「ニルスの不思議な旅」

右脳が重たい

 視力が落ちているのと、右脳が重たい。それを言い訳に、なかなか起きれな。だから、岡崎図書館には行けなかった。

「ニルスの不思議な旅」を借りました。

 未唯空間の歴史編を考えていたら、コペンハーゲンの環境学習施設のセンター長をイメージした。名前が浮かばない。出てくるのは、渡り鳥の上に乗っかっている小人の絵でした。関係づけて、記憶していました。

 周りの人に聞いて、「ニルスの不思議な旅」は判明した。

 そこで、豊田市図書館の子供コーナーで借りました。絵本だと思っていたら、上下で1000ページを超えていた。中には、「サーメ人」が出てきました。ラップランドですね。自然の中に生きている人たちです。

 フィンランドのロバニエミ図書館には、「サーメ人の部屋」がありました。一時間ぐらい、そこで過ごしたが、サーメ人?らしい人は来なかった。

問題の解決の仕方

 Kマートとウォルマートの経営の差は多様性への対応の差です。Kマートはどこでも一緒である汎用性だったが、ウォルマートは地域によって、先週の売り上げに変化しようとした。そのために、毎週土曜日にミーティングを開いて、来週やることを決めていた。

 問題を解決するためには、創造的に現状を否定し、変革への情熱と実行力を持ち続けることが必要。それ以外に答えはない。

 ユーザー満足を上げるには、一組当たり、10件の既存ユーザーを回って、使用現場を写真に撮ったり、絵に描いたりしながら、話を聞き、丁寧に情報を収集していく。これを全社員で議論して、社内で共有する。お客様に関する知識を社内に蓄積していく。

 クルマも同じことです。どのように使っているのか、使っていないのかを客観的に捉えれば、家族との関係も分かってきます。お客様をしっかり、フォローすることによって、ビジネス拡大のヒントがある。その上で、メーカーは販売店のニーズを吸い上げていくことになる。メーカーが直接、お客様に聞くことは難しい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

要旨編集 1.自分 3

1.7 未来予測としてのサファイア革命

 1.7.1 未唯空間で個人の分化の例を示す:未唯空間に資料を反映することで、無限次元空間を表現している。合わせて、テーマに従い、一次元化することで、エッセイも可能にした。自分のすべてを表現することで、個人の分化の強力な例を示せるようになった。そこから、現象学と存在の力の概念が表現できた。

 1.7.2 ライフログとして全てを発信する:未来予測には、情報をうまく使っていくことが必要です。情報に存在するDNAは多読で見つけた。それを抽出して、ライブラリに蓄積する。コラボで関心を深め、情報共有する。ライフログとして、全てを発信することでトレースが可能になる。それらを社会の財産にする。

 1.7.3 社会の位相化から社会改革を提案:未唯空間で個人の分化を表現することで多層的な見方ができる。サファイアモデルの提案と支援で社会の根源を解釈する。社会を近傍系で定義することで、コミュニティの意味とメンバーの分化を社会の位相化に導き、未唯空間での社会変革のイメージを供することができる。

 1.7.4 コミュニティから始まる変革:社会変革のシナリオを考えてみた。多様なコミュニティが存在し、同一価値観で共有意識を育成していく。コミュニティで知識と意識の確保しながら、情報共有していく。市民・企業・行政が一緒に行動するベースになる。危機感から行動し、幸せにつなげていく。

1.8 内なる自分で変革を実現

 1.8.1 数学・社会・歴史で変革シナリオ:数学・社会・歴史での変革シナリオを描いている。数学的には、これが全てあると確信で真理を未唯空間に封じ込める。社会的には、地域コミュニティの地域と意識で全体をカバーする。歴史は2050年までの変革スケジュールに沿って、新しい社会を示していく。

 1.8.2 サファイア社会での幸せループ:皆を幸せにしたくて、多くのシステムを作ってきた。仕事はサファイア循環でつながることができる。生活者がシェアする社会にすることで、クルマ社会を変質させることができる。存在の力を活かして、社会の位相化で個々の幸せと人類の幸せが直接につながっていく。

 1.8.3 全てを知ることで自己肯定:生まれてきた理由から存在の力が見えてきた。存在の力で未唯空間を社会の財産にする。孤立と孤独を貫くことで、内なる世界に全てを取り込んだ。先を見て、根源的に考えることで、存在を無に収束できた。全てを知るための努力をしている。問われれば応えることができる。

 1.8.4 未唯宇宙で全てを表して、還る:存在と無から始めて、未唯宇宙で全ての未来を表すことができた。独我論では、社会は幻想で、自分と共に破壊される存在です。皆が、意思と偶然の力で、内なる世界に入ることができる。存在の力を信じることで、社会は真理で動き出す。存在することの意味が分かってくる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

要旨編集 1.自分  2

1.4 ローカルとグローバルがつながる社会

 1.4.1 社会につぶやくことから始めた:社会は国に依存しているが、方向が示されずに、混とんとして先が見えない状況です。そこで、未唯的な女性につぶやくことから始めた。考えている自分の存在を示すたえに、まずはメッセージの発信を始めた。思考をライフログに残します。自己満足で十分です。

 1.4.2 考え、感じたことを残し、分類:自分が考えたこと、感じたこと、得た情報を未唯への手紙で表現している。昨日と違う今日の思いをつないで、思いのすべてを入れ込んでいる。それを未唯空間として、まとめて、分類している。未唯的な人に、真理を探究し、未来を考えてもらうために、新しい視点を示します。

 1.4.3 ボランティアで社会への行動:社会への行動をボランティアから始めた。相手が望むことを実現するボランティアならば、組織を超えることができる。笑顔とあいさつのファシリテーターで対応した。活動で感じたのは、行政を変えるインタープリター、アピール・アンケートでの地域の活性化が不足していること。

 1.4.4 グローカルからサファイア循環:宇宙の旅人として、知りたいことが多くある。ローカルの存在と共に、グローバルを挟み込んで、社会を分析します。Think Locallyからサファイア循環を意識した。Saは持続可能性を保証する循環です。fireで支援、提案、モノづくり、活性化を具体的に示します。

1.5 存在と無をあわせ持つもの

 1.5.1 自分は考えている時だけ存在する:自分の存在をさらに考えている。他者の存在が認識できないので、自分だけの空間で生きることにした。考えた全てを表現して、未来を予測して、歴史を変えることを存在証明にする。内なる世界で未来をシミュレートしていく。そこでは皆の夢を作り、叶えていく。

 1.5.2 全てを無にする覚悟をもつ:存在であり、無であることが出発点です。存在を社会に確認することは、全てを無にすることになる。無なのに、社会に干渉するのは矛盾です。宇宙の旅人の自由さを失う。だけど、社会を知るという好奇心は捨てられない。そこで、無の外なる世界として扱うことにした。

 1.5.3 考えることが存在と無をつなぐ:なぜ、存在と無が私の中で同居するのか。考えることが存在と無をつなげる。存在と無がある限り、考える。哲学も存在と無の中にある。大いなる意思のより、この世界にも放り込まれたのは、考えて、自分は正しいことを示すため。そのために、全てを偶然を用意してくれる。

 1.5.4 内なる世界で孤独を超える:内なる世界から思考します。あるべき姿を明確に描き、夢を求め、意思を超えます。内なる世界は孤独なので、味方を求めます。女性の存在で孤独は超えられます。色々な刺激を受けます。宗教もあるべき姿を描いて、皆を誘導する力を持っている。未唯宇宙で社会の真理を示す。

1.6 未唯空間で考えを体系化

 1.6.1 考えを体系化する手法を開発:未唯空間で考えを体系化していく。30年前から雑記帳の記述を始めた。フロー情報を捉えることを目的にした。ストック情報として、未唯空間に分類して、蓄積している。7つの分類と3つのテーマで自分が考えていることとまとめてきた。思考過程を構造で表現できた。

 1.6.2 分化しながら、統合する表現:未唯空間で、全てを表現している。過去の思いの集積です。それに日々の変化も追加している。それらを付け加えます。未唯への手紙で、サファイア循環に対する思いを主観的に集めることができた。それを7つの項目でまとめ上げた。分化しながら、統合するやり方です。

 1.6.3 TGAL近傍で未唯空間を構成:未唯空間は社会をトポロジーの考え方で表現している。ローカルを近傍系で表現して、連鎖して、全体をカバーする。考えと行動を分けることで、循環を構成できるようになった。その過程で、ローカルが活性化すれば、グローバルはローカルを支援することが見えてきた。

 1.6.4 言語表現の未唯空間を位相化:未唯空間そのものを進化させることで、未来が見えてきた。7つのジャンルの項目の関係付けを明確にした。項目を分解して、コンパクトにして意味を持たせた。言葉を因数分解して、空間認識を可能にした。キーワード抽出し、未唯空間を位相空間にして、解析を可能にした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

要旨編集 1.自分 1

1.1 生まれてきてしまった

 1.1.1 存在と無で絶対的な孤独にいる:絶対的な孤独が、私の原点であり、存在する理由です。他人が絶対的な孤独というテーマを話題にしないのが不思議です。他人の存在が見えないので、孤立と孤独で生きてきた。どうなっているかを知りたくて、真理を求めた。孤立を貫けば、武器になる。

 1.1.2 存在の証しを真理探究に求める:自分は不思議な存在です。存在するから、認識できる。存在と無から考え始めた。考えている自分が存在する以上、真理を求めます。それを探しに生まれてきた。真理を求める手段としては数学を求めた。空間で存在と無が表現できる。哲学も存在を命題にしている。

 1.1.3 数学を生かして、全体を見ていく:真理があるとしたら、数学にあるとして、数学をめざした。部分と全体の認識し、不変と連続で社会をモデル化できる。空間を創造することで、本質が見え、未来が見えてくる。数学を武器に生きていくことにした。それが孤独な戦いになることは、最初から明らかであった。

 1.1.4 社会と歴史で未来学者をめざす:自分なりの答えを見出すために、社会からの制約を最小限にします。内なる世界で、無為に生きるで、考えることを見出した。数学者にはならずに、社会の中で新しい数学を求めることにした。多方面から見るために、社会で幅を拡げ、歴史で深みを付けた。未来学者をめざします。

1.2 生まれてきた意味を探し求めた

 1.2.1 夢を聞き、夢を伝え、確信を持つ:真理探究のために、全てを知ることが私の夢です。閉じた世界に居る人たちに、開けた社会を見せることを商売にします。皆に夢を描いてほしい。夢を叶えるために夢を持てば、夢をカタチにしていきます。考え続けることで確信を持ち、イメージを共有する。

 1.2.2 もう一人の私のμが生まれた:考えている過程で、もう一人の私のμが生まれた。彼女は話し相手になってくれるし、新たな視点を与えてくれる。前向きに行動するμは無敵です。女性も組織も恐くはない。愛することで心も安定します。孤立した世界から、自分を自由に変えることができる。

 1.2.3 偶然を意識すると必然が見える:考えるに当って、偶然を意識して行動した。新しいシステムを考えると、様々なモノが偶然に現れる。私のために準備されている。それらの意図を知ると、偶然は必然になる。仕掛けられた偶然も逆手に取れるようになった。偶然から未来が見えてきた。

 1.2.4 考え抜くことで啓示を得る:考え抜くことにした。幸いにも、数学での空間を使えば、いい加減に本質が見えてくる。ギリシャのデルファイでは「考えなさい」という啓示を得た。実際に、それまで別のモノが、考え抜いて、つながった瞬間は心が震える。考えることを生きることにした。

1.3 宇宙の旅人という言葉を得た

 1.3.1 宇宙の旅人として、心を軽くする:存在と無の間に安住していたが、宇宙から見ると存在は無です。宇宙の旅人という概念でまとめることで、存在を納得できた。これは私のために用意された概念です。偶々、地球に寄っただけと思えば、心も軽くなる。宇宙の大いなる心で地球を観察している。

 1.3.2 存在しているのは考えるため:何をするために、この世界に朴り込まれたのか、本当に存在しているのか。他者との関係では存在を認識できない。考えるから存在している。社会では願うから存在している。生きることは考えることであり、考えるのは生きることです。考えていることを表現します。

 1.3.3 社会の中の個人をμの目で見る:存在の確認を社会で行うことにした。社会では個人は組織の中にいる。そこでは、被害者意識に支配されている。私にとっては関係ない世界です。そこで、もう一人の私であるμが生まれた。μの目で社会を見ている。社会の制約外にいるので、自由に行動できる。

 1.3.4 社会を近傍から発想して、分析:社会を地域から見ていくことにした。社会をトポロジー空間とすると、近傍系が全体を規定することになる。その上で、近傍系と社会の関係を見ていく。仕事でも、近傍系の概念を使うことで、組織を越えて、社会に出た。それでサファイア循環という社会モデルができた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »