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デンマークの教科書

ルネッサンスは分化が理想になった

 神は一人の人間にいくつかの能力を与えた。これらの能力を合理的にうまく使うのは、個人の義務だった。理想的な人間はこのあらゆる分野についての知識を獲得しようとした。ただ一つの分野の専門家になるのではなく。それがルネッサンスの理想です。それを体現したのが、レオナルド・ダ・ビンチ。

 なぜ、学校教育があって、色々な強化を学んでいるのに、就職すると、まるで忘れたように行動するのか。怨念を晴らすつもりなのか。本来の基礎教育の分野だけで、あとは効率のためだけに動くことが幸福につながるのか。

 色々な可能性。個人の可能性、社会の可能性、人類の可能性を生み出すのは、個人が分化することです。様々な分野の専門家が意味を持つ。

デンマークの教科書

 デンマークの教科書は世界をターゲットにして、展開されている。日本とは大きく違います。幅が広いと同時に、周りとの軋轢の中で、存在を確認してきたのですね。だから、日本は矮小な世界になってしまった。

 デンマークの歴史は、カトリックに対するプロテスタントの争いが中核を占めている。次に北欧の覇権を掛けた、スウェーデンとの戦いで、共に疲弊した。そして、ペストなどの感染症に合った。

 第一次世界大戦では、参戦しないことで、独仏に対して、商売ができた。それも教科書で認めている。あとから、歴史を作らない精神です。

 第二次世界大戦の前に、国を維持するために、ナチとかソ連に対して、融和策を取った。ナチはデンマークに侵略するつもりはなかったけど、ノルウェーが欲しかったので、結局、デンマークを占領した。

久しぶりに新刊書の積み残し

 やはり、月の半ばです。豊田市図書館の新刊書は多くあります。と言っても、リーマンショックに比べると、半分ですけど。それに「ちくまの哲学」が多い。何しろ、「方法序説」までありました。これは大学時代の愛読書です。この文章を身につけるために、手で入れました。一種の写経です。

 積み残し分は、日曜日にレスキューします。

「アレキサンドリア」大王の本

 ギリシャに旅行した時に、テッサロニキで寝台列車でイスタンブールに向かう計画であったが、ギリシャのストライキで、一間ぐらいしかいられなかった。テッサロニキはアレキサンドリア大王のマケドニアの一部です。だから、行きたかったのかもしれない。

 アレキサンドリアの軍隊は、長さ5.5mの槍を装備した、ハリネズミのような密集歩兵部隊。自在を馬を操作し、楔形体形で突進する騎兵部隊。両者を組み合わせたマケドニア軍がギリシャの重装歩兵を追い込んだ。

 アレキサンドリア大王は戦いに在っては、常に補給を考えていた。新婚兵士を一時帰させた。20年後の兵隊の補給まで考えた。

 なるべく人数を減らして、急激に動くことで、ペルシャ軍を圧倒した。この戦略は織田信長ともよく似ている。

 エフェソスの遺跡が出てきた。このケルススの図書館には一人で感激していた。そこに続く道を感激した。ここをアレキサンドリア大王が占領したことは知らなかった。
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社会の位相化と幸福

社会の位相化と幸福

 一番の幸福は位相化が達成された時でしょう。未唯空間1.8.2.1は幸福に言及している。

 1.8.2.1 サファイア循環で幸せのループ ①自分のことは自分でやる ②市民の存在理由で行動 ③危機感の行動から幸せの行動へ ④サファイア循環の最終形

 究極の姿がLL=GGです。これは宗教に近いですね。神とつながる。仏とつながる心そのものです。だけど、一方的ではないということです。

 ある意味では、宇宙という名の宗教かもしれない。LL=GGという方程式で表される。

 TVドラマの「紙の月」ではないけど、ギリギリの生活の人に、それが在りうるか。実際問題として、アテネ以来、そういうことを考える事ができなくて、やっと、17世紀になって、考えるようになった。

 それまでの暗黒の時代は、GG→LL(個人)が支配していた。

 アテネの時は、奴隷制と都市国家ということで、一つの方向ができた。余裕ができた。ソフィストが現れた。

 アテネもペルシャ戦争に勝った時から、ペロポネソス戦争で負ける時までの間に、ソクラテスとプラトンが出てきて、そういう時代になった。それはあだ花かもしれないが、それが未だに西洋のベースになっている。

 余裕が出た時にそうなるのか、それとも余裕を出すためにそうなるのか。人を使って、意思の力で余裕を出すのはムリです。グローバリズムでも同じだけど、少数の人でしかありえない。

 だけど、1%の人が考えてもどうにもならない。99%の人が考えて、幸せになれる方法にしていく。

 互助の精神を組織にしてしまうのが、社会の位相化の考え方です。作る人と使う人を分けるのではなく、お互いになっています。その中で、エネルギー供給は必要です。そうしないと、田舎の商店街のようにお互いが食い潰しているだけです。どこかで変えていくところは科学技術で行います。グローバルからの支援の対象です。

 目的は幸福をどう持ってくるかです。社会の位相化が幸福を実現するという、このテーゼ。

今週もIさんと話せた

 Iさんは、今日は12時までだったけど。パソコンのパスワードが入力できずに、悪戦苦闘をしていた。そこに、チームから呼び出しが掛かって出てきました。自分のことを言うのは、本当に素敵です。

自分の町をデッサンする

 「等しからずを憂いず」という横並びをせずに、自分たちの町をデッサンする。

 政府は本来、補完するものです。その意味では、サファイアでのグローバルの定義と同じ構成です。補完性の原理と言うことで、地域の住民に基づく、地域の政府をベースとして、順次、そこでの解決が難しい問題に対応するために、広域的政府を作っていく。

 上昇型の政府システムを設計する。民主主義に深く根差した、政府設計論。

農業で分業化された

 農業への転換は、社会を完全に変えた。住民は定住し、労働分担が発生した。農民は自身で使うことよりも多くの食料を生産した。あるものは鍛冶屋として、農民の道具を作った。別のものは商売をした。最後に特定の一族が支配権を握った。
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グローバリズムの次の世界

インフラとメーカー

 民主主義というインフラにタダ乗りしている。変えるのであれば、メーカーである以上はそこまでしないといけない。

資本主義の次のグローバリズム

 資本主義市場主義の発展によって、大規模な分業、中央集権化した官僚主義的国家、ムラ社会から都市社会への移行、共同体中心から個人主義的な社会関係。では、次どうなるか。

 そのまま、元に戻るわけではない。一巡していく。人間を含めて、そういう変化を起こしていく。この辺がヘーゲルの歴史哲学の見解です。

 それがグローバリズムです。国家を超えた存在ができてきた。グローバリズムは不可逆であること。グローバルリズムに中国が参画してきたところから、大きく変わってきています。

 それが車のマーケティングとクルマの存在の意味と地域のインフラに影響を与えます。最後は資本主義そのもの、民主主義がどういうカタチになっていくのか。そちらから逆に考えないと、クルマの位置づけは分からないです。

 資本主義は16世紀から3世紀掛けて、起ってきた。1648年のウェストフェリア条約から。

グローバリズムの次の世界

 だけど、次の改革はもっと、短いです。30年ぐらいで起こらないと辻褄が合わないです。なぜ、短くなるかと言うと、それは人口が急激に変化したことと、国と言うものが中途半端にできて、多様性が前面に出てくると、ゆったりと変えているわけにはいかない。

 一応、国家という名前で集約したものが、今度、グローバルとローカルに分かれて、それぞれが発達していくカタチになっていく。ローカルは廃藩置県よりもはるかに多様的です。

国民国家から市民国家へ

 国民と言うのは、国に帰属意識を持った人々のこと。その意味では、国民国家というのはダブっています。市民国家ではない。帰属するのではなく、自分たちで作るコミュニティが重要になってくる。

シェールガスの危険性

 シェールガスの危険性。層が薄いということ。教室の高さぐらいしかない。狙い撃ちに採取していくカタチになる。広範囲な空間が生活圏の下に出来上がる。

 シェールガスが原因で、白亜紀に地球的な規模の災害で、海水を10度ぐらい上げたことにより、多くのモノが死滅した。

 そして、一番大きな危険性は、アメリカがエネルギーがふんだんにあるということで、元の生活に戻ろうとすることです。1ガロン100ドルから60ドルぐらいに戻ってきた。シェールガスならば、30ドルです。大型自動車が使えるという発想です。

 これでは、環境社会に辿り着けない。そして、破壊していくのでしょう。
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豊田市図書館の27冊 2/2

150.23『ロールズ哲学史講義 上』 「道徳哲学の歴史に関するロールズの思想の中心にあるもの,それは,わたしたちの伝統がもつ偉大なテキストのなかに,人生をいかに生きるべきかに関する多くの困難きわまりない諸問題に甘んじてかかわろうとする,偉大な知性たちの努力を見ることができる,という考え方である.」(「編者の緒言」より)『正義論』によって現代の政治哲学に深甚な影響を与えたロールズ教授の,30年におよぶハーバード大学での道徳哲学をめぐる名講義をまとめた大冊である.穏やかな情念と厳密な理性の連携が,合理的熟慮と人為的徳を導き,そこから生ずる道徳感覚は,人間本性に内在する自然な事実である,とするヒュームの心理学的自然主義.神が創造した最善の世界のもとで,自発的で個別的な理性的魂が,各々の内なる知性の自由を表現する,というライプュッツの形而上学的完全性主義.そして,理性の理念としての道徳法則に基づき,総合的かつア・プリオリな定言命法を定式化する,カントの純粋実践理性の批判へ.『人間本性論』や.『道徳形而上学の基礎づけ』といった,道徳哲学の古典の詳細な読解をっうして,道徳的構想が担う人間社会の公共的秩序と構造を探究する,ロールズ版哲学史の精髄.

150.23『ロールズ哲学史講義 下』「自由の要請はぃっそう根本的なものである.それはわたしたちの理性が自然の秩序から独立であることを、またしたがって純粋理性の自発性を、前提することだからである.その上うなものとして、自由の要請は、自己の行為にたいして責任能力と弁明能力があると見なされるわたしたちの存在の基盤なのである.」(「カントVU1」より) ロールズ教授によるハーバード大学名講義の下巻は、カント講義の後半から、終章のヘーゲル講義にいたる.真なる前提と正しい推論によって妥当するカントの道徳的構成主義.わたしたちの思考と判断の最高権威である道徳法則.そして、絶対的に自発的である純粋実践理性による自由の理念.こうしてカントの道徳的構想は、自由で平等な人格としての全員による貴族制を望見する.いっぽうヘーゲルにとって、諸個人は独力では自由でありえない.家族、市民社会、国家という合理的な社会的諸制度が、公民の自由を可能にし、そして実現する.ここから道徳哲学をめぐるロールズの議論は、ヘーゲルにおける人倫とリベラリズム、理性の校知と粘神へ移行していく.『実践理性批判』や『宗教論』、『法哲学綱要』をおもなテキストに、自由な個人から社会契約へ、そして国家論へと展開していく、ロールズ版哲学史のクライマックス.

133.5『哲学入門』「理性的な人なら誰にも疑えない、それほど確実な知識などあるのだろうか」。この書き出しで始まる本書は、近代哲学が繰りかえし取り組んできた諸問題を、これ以上なく明確に論じたものである。ここでは、分析的な態度を徹底しつつ、人間が直接認識しうる知識からそれを敷行する手段を検討し、さらには哲学の限界やその価値までが語られていく。それはまさしく、20世紀哲学の主流をなす分析哲学の出発点でもあり、かつ、その将来を予見するものであったともいえよう。今日も読みつがれる哲学入門書の最高傑作。待望の新訳。

233『イギリス史10講』

116『思考実験』「現代」というこの時代において、近代の考えや発想法が動揺をきたし、疑問に付されて、新たな組み換えが必要であるように思われる。……「思考実験」はそのための有効なツールになるだろう。というのも、「思考実験」は未だ存在しないものを仮定的に想定し、その帰結を考えることだからである。

188.42『この世に命を授かしもうして』考え方ひとっで、「死」も「苦」も、「楽」になる。千日回峰行を二度満行後も、国内外各地を歩き続けた酒井大阿闇梨が語る、足の裏で地面を踏みしめて「歩く」ことの大切さ。通りすぎてしまう大事な「縁」を結ぶための実践力。誰もが何かの役割を持って授かった「命」の尊さー。「稀代の行者」が自らの命と向き合って体得した人生の知恵を、生前最後のインタビューで語り尽くした。

159『あなたの人生に「孤独」を持ちなさい』〝自分だけのモノサシ〟のつくり方

201『名著で読む世界史』
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豊田市図書館の27冊 1/2

158『あなたはなぜ「友だち」が必要なのか』

151.6『幸福の文法』幸福論の系譜、わからないものの思想史

134.2『自由の哲学者カント』カント哲学入門「連続講義」この講義では、カントが啓蒙の時代にあって、いかに自由の概念を重視し、自由に思考することを大切に考えていたかを探ってみたいと思います。カントというと、道徳的な命令に服従すべきであるという義務論でよく知られていて、自由の概念がカントにとってきわめて重要な役割をはたしていたことは、あまり語られていないかもしれません。(序より)

114『人間について』

135.2『方法序説』「私は考える、ゆえに私はある」一近代以降のすべての哲学は、「考える主体」を導き出すこの言葉から始まった。これは、すべての人間が理性を有することを前提として、近代精神の確立を宣言するものである。かくして、本書『方法序説』は、世界でもっとも読まれている哲学古典の一つとなった。だが、若きデカルトが、すべてを疑うという地点から発して、精神と神の存在を証するまでには、緻密な思索を重ねる必要があった。その思索はどのようなものだったのか。本文庫版では、原文完訳に加え、正確な理解ができるような、完全な解説と注を付す。

367.1『メロスのようには走らない。』女の友情論

461『生きているとはどういうことか』

675『3ステップ稼げる文章術』アフィリエイトからプレゼンまで

377.9『就活のコノヤロー』ネット就活の限界。その先は?

364.02『社会保障を立て直す』借金依存からの脱却 財政赤字拡大の最大の要因は社会保障費の膨張にある。仕組みを大改革しないことには社会保障のみならず、日本財政の破綻リスクも免れない。高齢者を一律に弱者とする政策を早くから批判してきた著者が、年金、医療保険、医療、介護、生活保護にわたり現行制度の問題を鋭く追究し、抜本的な立て直し策を提示する。

335.7『公民連携白書 2013-2014 省インフラ』省インフラは、技術開発だけでなく、コンパクトシティのようなまちづくりや移動図書館のようなサーピズも含まれる広範な概念である。省エネが石油価格高騰というハンディを逆手にとって日本経済を再生しさらに成長させたのと同様に、これからは、省インフラを柱とすべきであろう。

290.6『ナショナル ジオグラフィック ビジュアル大全』発見と探求の歴史 125周年記念出版

104『目に見えないもの』星の王子さまと10人の探求者たち

290.93『世界の聖地 BEST500』いつかは生きたい一生に一度だけの旅

134.95『間主観性の現象学 その方法』フッサール現象学の主要概念「間主観性」をめぐるテクストを精選、初めて一冊に集成する。「間主観性」とは、主観(私)と主観(他人)の「間」にあって、主観や客観を基にしては本質を捉えられない「現象」をいう。観念論や唯物論を超え、事象そのものを捉えるためのキー概念である。それは現代哲学の大きな潮流「他者」論の成立を促した。現象学の中心課題であり、フッサールが生涯追い続けたテーマであった。その問題圏は、現象学的還元、精神科学、時間論、生活世界などへと広がり、諸学の地平を拓いた。待望の本邦初訳。これまでにない明解な訳文で、現象学への新たな扉が開かれる。

134.95『間主観性の現象学Ⅱ その展開』フッサール現象学のメインテーマ「間主観性の現象学」第H巻。本書では、自他の身体の構成から人格的生の精神共同体の構成まで、生活世界の根底とその全体に到達しうる現象学的分析が展開される。フッサールの人格共同体の構成分析は、人間の社会生活の具体的で歴史的な全体性を呈示し、のちのハイデガーやレヴィナスなどの真の関係性を喪失している孤立した実存の限界までも克服する。人格共同体の実現に関する構成分析はまた、日本における人格概念を基軸にする社会哲学の完全な欠落をうきぼりにし、日本の生活世界に根ざした社会哲学の構築を喫緊の課題として要請するだろう。待望の本邦初訳。

150.4『私たちはどう生きるべきか』私的利益と倫理が衝突する場合、あなたならどうするか。もしもあなたが姿を消して、誰にも知られずに何でも好きなものを手に入れられるような場合、すべての倫理的基準を捨て去るのが合理的な判断なのだろうか。それでも正義を重んじるとすれば、そこにはどんな理由があるだろう。西洋倫理学の伝統からプラトン、ルソー、カント等の豊富な議論をとりあげて新たな角度から解明しつつ、経済倫理、遺伝子操作等のアクチュアルな問題を考察。『実践の倫理』『動物の解放』の著者であり、環境・動物保護運動のリーダーとしても活躍する著者が、理論と実践の両側面から現代倫理を徹底的に再考する!

146.8『脳をみる心、心をみる脳』マインドサイコびよる新しいサイコセラピー 自分を変える脳と心のサイエンス

289.3『図説アレクサンドロス大王』
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