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日本--社会的試みは成功したか

『私たちはどう生きるべきか』より 日本人の生き方

私は西洋社会を取り上げ、次に特にアメリカ社会を取り上げ、よい生き方に関する支配的思想の発展をたどった。現代の消費者倫理は、かつてのもっとプロテスタント的な蓄財の倫理と重要な点で異なっているが、プロテスタント倫理と同様、自己自身あるいはせいぜいのところ自己とその肉親を倫理の中心にすえている。私益は依然として他者と競いあって獲得しなければならないものであり、その目標は利己主義的な狭いものである。したがって、このような生き方と違った生き方ができるだろうかと問うことが重要である。もっと個人主義的ではなく、競争的ではない方向へ根本的な転換をはかることが本当にできるだろうか。古代ギリシア人は私益に関して私だちとは異なった考えをもっていた。また中世のヨーロッパ人も同様であった。オーストラリアのアボリジニやカラハリ砂漠のクン族は、よく生きるとはどんなことであるかということに関して非常に異なった見解をもっている--彼らは所有しているものをすべて持ち運ばなければならないので、物質的な財を獲得することは、彼らの人生において大きな役割を果たしていない。しかし、現代のアダム・スミスの擁護者たちは、これらの歴史上の例や周縁に追いやられた文化の例と、「近代資本主義社会が繁栄するための条件は諸個人が攻撃的かつ競争的に私益を追求することである」という主張とは互いにまったく矛盾しないと言うだろう。

日本が非常に魅力的なテストケースになるのはこの点である。というのは、もし戦後の日本に関して明らかなことが一つあるとすれば、それは日本経済が驚異的な成功をおさめたということだからである。人口密度の高い一群の島々がアメリカとEC諸国にとって恐るべきライバルになった。本章では、大半の西洋人の究極的選択に関する考え方に代わる可能な考え方を日本が示しているかどうかを問うことにする。日本以外、代わりになるモデルは多くない。[旧]ソヴィエト連邦と[旧]東欧の国家社会主義はアメリカ流の資本主義に代わる実行可能なモデルとはなりえなかった。軍事力とKGBの恐怖という鉄拳がなくなるやいなや、誰もそのような社会形態を望まなくなった。また近年では、アメリカモデルと西ヨーロッパ--長期にわたって社会民主主義政府を経験したスウェーデンのような国家も含めて--の資牛王義経済の違いがかなり曖昧になってきている。いまや日本だけが現代世界における有効な経済モデルとしての役割を果たしうる主な存在なのである。

しかし、日本は異質であるのだろうか。日本を訪れたとき、西洋人は馴染みの日本車やカメラや電気製品を目にする。しかし、それと同時に、日本という国を完全に理解することはできないのではないかという不安感にしばしば見舞われる。社会的行動や人間関係、美的様式、音楽、演劇について日本で期待されていること--そのすべてが、西洋のものと明らかに異なっているか、あるいはそうでなければ、西洋の慣行との類似性に関して曖昧な点が残る。異質の場所にいるという感じは、たとえばオーストラリア人がフランスに行ったときや、ドイツ人がアメリカを旅行したときよりもずっと強い。流暢なバイリンガルにとってさえ、ごく日常的な言葉以上のものを翻訳しようとする試みはたちまち困難に追い込まれる。なぜなら、日本語と西洋の言語はそれぞれ異なった思想を含んでいるからである。ビジネスの世界でも日本人は異なっているように見える。数多くの書物が日本の経済的成功を解明しようとしてきた。何度も言われていることだが、たとえば、日本人は西洋人に比べて雇用主に対してはるかに献身的で、長時間労働し、自分が働いている会社のために個人生活と家庭生活を犠牲にする。しかし、これらの違いは、根本的にはよく似た人間本性のうわべだけの違いにすぎないのだろうか。それとも、私益に関する考え方がまったく別で、人生に対して期待することが異なっているのだということを本当に示しているのだろうか。

本章では日本文化に対する一つの見方を提示するつもりであるが、それは個人の利益と集団の利益に関して日本社会で見られるいくつかの特徴的な面に焦点を絞ったものである。それによって浮かび上がる日本の姿が日本文化の全貌をつくしていると主張しているのではないし、別の見方の証拠となりうる対立した傾向があることも否定はしない。本書の主題は西洋文化でも日本文化でもなく、私益の概念と倫理の観念の関係である。したがって、本章が日本における私益の一つの考え方--それが私益の唯一の考え方ではないとしても--をとらえているとすれば、本章は本書の目的に役立つだろう。
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「国土強靭化はばらまき行政」というステレオタイプの論調

『巨大地震Xデー』より マスコミが作る“空気”を疑え! 最後に国を守るのは国民の意識なのです

ところが--我が国においては、こうした認識は必ずしも多くの国民の間で共有されているわけではない、というのが、実情であるように思う。

それどころか、「国土強靭化」に対して、実に様々な批判が差し向けられてしまうこともしばしばである。

例えば、2013年10月7日の毎日新聞に、「国土強靭化法案 ばらまきの印寵は困る」と題した社説が掲載された。

この社説は、今日の世論における、極めて典型的な国土強靭化に対する論調であるので、それを全文ここで引用し、紹介したいと思う。

〈社説〉国土強靭化法案 ばらまきの印龍は困る 毎日新聞あたかも水戸倚門の印醍のように、ばらまきにお墨付きをーえる根拠としてはならない。

大規模災害などに備えるための国土強靭化基本法案の次期国会での動向が注目されている。国土強靭化の名の下に野放図な公共事業に道を開く懸念や、他の政策よりも公共事業が優先される可能性など、法案は多くの問題点を抱えている。

「国土強靭化」は東日本大震災の教訓を踏まえ、自民党が今後10年間の防災のハード整備に加え、道路網整備などによる「多軸型国土の形成と物流ネットワークの複線化」実現に向け、掲げる理念だ。

同法案はこうした「国土の全域にわたる強靭な国づくり」を支える仕組みを制度化する。自民党は野党時代にいったん法案を提出したが廃案となり、さきの通常国会で名称に「防災・減災等に資する」と付け加え、内容も改めた新たな法案を公明党と共同提案した。

旧法案が「ばらまき」批判を浴びたこともあり、今の法案は大規模災害対策に限定的ともとれる構成とし、既にあるインフラ施設の活用を盛り込むなど配慮もみられる。大震災の教訓を踏まえ全国的な防災の再点検は当然だが、なお多くの疑問を指摘せざるを得ない。

まず「国土強靭化」が何を意味するかが依然としてはっきりしない点だ。法案によると、政府は防災に関する課題を洗い出し、基本計画を策定する。どんな分野が対象かが明確でないと、かなり広範な政策が含まれる可能性がある。

中央集権的な要素もある。法案では地方自治体も施策を策定、実施する責務を負い、国民もまた国土強靭化に関する施策に「協力するよう努めなければならない」とされている。統制強化につながりはしないか。

政府の他の計画も国土強靭化に関する部分は「国土強靭化基本計画を基本とする」とされ、国土強靭化か優位に立つ。財政再建、福祉、環境保全よりも公共事業が優先し、幅を利かせる根拠とならないだろうか。

全国的な防災を実施するにあたって道路整備や堤防、防潮堤などのハードの新設を積極化するか、それとも既存設備の老朽化対策、耐震対策を優先していくかなどの議論は十分に尽くされていない。法案では政府の強靭化推進副本部長に国土交通相らが名を連ねる。「女性、高齢者、子ども、障害者等の視点を重視」とあるが、ソフト面の防災への意欲はあまり感じられない。

安倍内閣の発足以来、公共事業への積極路線が取られ、消費増税決定に伴う大型景気対策で分捕り合戦の加速が懸念されている。国会で法案の中身を徹底吟昧すべきだ。

如何であろうか?

ここまで本書をお読みいただいた読者各位なら、この社説の指摘が、本書で紹介した、今、政府で進められている国土強靭化の議論から、どれだけ巨大な乖離を持ったものであるのかをご理解いただけるのではないかと思う。

ここでは、様々なメディアを通して、こうした論調に日々触れている国民が多数に及ぶという状況を鑑み、あえて、この社説の指摘の1つひとつに対して、明確に筆者の立場からの回答を明記しておきたいと思う。
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心をクリアに見る

『脳をみる心、心をみる脳』より エピローグ--「自己」の枠を広げる

もしわたしたちの心が自動的に自己感覚を小さく制限し、他者から切り離されたバラバラの「個」として自己をとらえるようにしているのだとしたら、いったいどうすれば個人として、また社会としてその制限から抜け出し、「愛の輪」を広げることができるのでしょうか? その答えは、互いに助け合い、相手が心をクリアに見ることができるようにサポートすることにあります。

心をクリアに見ることができれば、各領域の統合が促進されるだけではなく、身体的そして心理的な健康と幸せ、快適な他者との関係が得られるとともに、「人はみなひとりで生きている」という錯覚が間違ったものであると気づくことができます。自分と大切な人をより深く愛せるようになり、さらにはより広い世界に愛情と関心を向けることができるようになります。それによって、わたしたちはとの大きな世界のかけがえのない一部なのだと感じることができます。この世界のなかで、生き物はすべてつながりあって生きているということ、わたしたちがそのうちのなにかに愛を注ぐことによってそのすべてに愛を注ぐことになるということが理解できるようになると、別々の肉体に宿っていることも、その個体の差異もまったく気にならなくなります。-自分は人きな宇宙、生命の一部としてこれまでも存在してきたし、肉体が証明した後も存在していくのだ」と悟ることによって、時間や距離を越えた存在として自己を受け入れられるようになるのです。これがトランスピレーションの感覚です。

統合が達成されれば、わたしたちは自分自身をより大いなるものと一体のものとしてとらえることができます。自分がすべての生命とつながりあっていると思えるようになると、生き方が根本的に変わります。世界的な人間愛のある視野でものを見て、すべてを大切にできるようになるのです。そうなると、この統合によって生み出されるトランスピレーションの感覚は、生きがいや幸福感を生み出すだけではなく、人類の生存において欠かせないものなのだということが理解されるようになるのです。

わたしたちの脳は遺伝的にも身体器官としても過去四万年の間にそれほど進化していませんが、心は進化しましど。今日生まれた赤ちゃんは、一万年前に生まれた赤ちゃんとほぼ同じです。しかし、もし現代社会に暮らす大人の脳の神経構造を、四万年前の大人のものと比べることができたとしたら、大きな違いが見つかることでしょう。四万年前とは社会文化が大きく異なります。その環境の違いは経験の違いをもたらし、エネルギーと情報の流れの差異が脳神経のネットワークを大きく変えるはずです。

心は脳を使って自らを成長させています。ひとつの文化のなかで、エネルギーと情報の流れのパターンが人と人とのあいだに世代から世代へと受け継がれます。こうした人間社会の進化のなかで、脳を育てているのが心です。科学がこのことを明らかにしました。このことからわかったのは、意志の力によってこの世界をよりよいものに変えていくことは可能なのだということです。自分とそして相手のマインドサイトを高めることによって、わたしたちは次世代のマインドサイトを高めることができます。そして、それをこの世界の在り方にすることができます。いまを生きるわたしたち自身のために、そして未来を生きる次の世代のために、彼らが人間らしく生きられるように、わたしたちはいま自らの手で心のありようを変えることができるのです。
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宇宙と共にある

宇宙と共にある
 アインシュタインではないけど、宇宙と共にあるという感覚です。そちらから回っていきます。一番遠いのは、この近くの人との関係です。
 なぜ、制限を掛けるのか。自分の近くだけにして、自分の力をなるべく少なくしたいんでしょう。
 1兆年の時を経て、やってきた人間としては、あまりにも、それでは済まないでしょう。なぜ、知ろうとしないのかも同じです。
 これを破るにはどうしたらいいのか。私の役割ではないけど。やはり、NPO代表のような人間が本来、それをやる役割を持っています。
結局、46冊借りてしまった
 本も大いなる思いのメッセージを受けて、やっています。だけど、46冊はあまりにもきつい。後遺症です。
OCRした7冊の目次
 289.3モリ『アレクサンドロス大王』
  マケドニア軍の強さの由来
  遠征は終わらず
  見果てぬ夢
  満身創痍のアレクサンドロス
 134.2ナカ『自由の哲学者カント』
  第一〇章 カントの政治哲学
  第一節 悪魔の国の政治学
  第二節 市民的体制の樹立
  第三節 世界市民の体制
 335.7トウ『公民連携白書』
  第3章 コンパクト・シティの経済性と実現に向けて
  第4章 「メンテナンス元年」の今、土木技術者が取り組むべきこと
  第5章 利活用してこそ価値を生む情報通信
  第6章 ITSの活用と道路インフラ
  第7章 イノベーション支援技術の応用によるビジネスモデル設計
  第8章 学校を核とした公共施設の再編とソーシャルデザイン
  第9章 空家改修による小規模多機能型居宅介護サービス
  第10章 社会教育施設(公民館)の機能と省インフラの課題
  第11章 求められる「省インフラ」ヘの理解
 364.02ヤシ『社会保障を立て直す』
  このままでは行き詰まる社会保障--改革はなぜ進まないのかー
  高齢化が進む日本経済
  日本財政の深刻な現状
  社会保障制度改革国民会議の意義
  社会保険中心主義の弊害
  社会保険制度のメリット・デメリット
  税と社会保険料の役割分担
  ピーク時20%の高齢化率の前提
  社会保険制度を通じた世代間格差
  社会保険料の事業主負担分の意味
  大きな政府か小さな政府か
  エイジ・フリー社会への改革
  「高齢者」の定義を「変動相場制」に
 133.5ラツ『哲学入門』
  第14章 哲学的知識の限界
  第15章 哲学の価値
 201ワタ『名著で読む世界史』
  ヘロドトス 『歴史』
  トゥキディデス『歴史』
 146.8シゲ『脳をみる心、心をみる脳』
  エピローグ--「自己」の枠を広げる
  八つの統合によってよみがえる生命力
  「わたし(we)」対「あの人たち(them)」
  アイデンティティを広げる
  心をクリアに見る
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