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歴史の役割

歴史編の要旨の編集

 歴史編の要旨の編集を始めました。とりあえず、要旨を入力します。それぞれの要旨の流れを見つけたところで、言葉を変えていきます。言葉というのは、非常に難しい。方程式のようにいかない。

 ローカルとグローバルでもって、国と地域の関係を決めていく。そして、国民国家ではないけど、個人を幸せにするのか。それを国が考えるのか、グループが考えるのか。

国家の形態

 全体主義国家と共産主義国家から始まって、グローバリズムに向かっていった。最初に国民国家があった。国民国家の定義をするのに、その先の姿を上げている。民主主義国家から共産主義国家になるのを防ぐために、全体主義国家があったけど、悲惨な結果になった。

 民主主義の難しさですね。皆の意見という曖昧なものから個人の意識に持って行くのが雰囲気になってしまう。時代の気分なんでしょう。全体主義も共産主義も全体の雰囲気でなったのはいいけど、それを維持できなかった。これはエジプト革命も同じです。

 その点、民主主義は色々な解釈ができるところがポイントです。つまり、一律にはできないということです。いかにして、連合を組むのか。スイスみたいなところも、山岳地帯になっていたので、四つの言葉の世界が自立しながらの連携が可能になった。

 古代ギリシャに都市国家も同じです。一つ一つが本当に離れています。ギリシャを旅行した時に、感じました。

 その間のグループのようなものがどうしても必要になってくる。それをどうしてやるのか。その部分が色々なツールになり、武器になり、色々な経験を積んで、知恵がついてきたのは確かです。知恵の際たるものがEUです。

日本は対応不可

 この辺のダイナミックな関係が日本という島国では感じられない。全然、別の方向へ行きます。だから、変革は最後の最後です。その間に歴史的につぶれます。救うとなると、グループという単位で、他の国とつなげる。それを知った上で、グループの活動を決めていく。

 ハリンリンなのDr.ヘリがラトビアとくっついたり、EUを巻き込んでいた。フィンランドという国を超えて、活動していた。ああいう人間が必要なんでしょう。

地球規模の課題への対応

 ゴアの「不都合な真実」は本当に不都合だったのか。われわれの範囲が地球課題にまで到達した時に、不都合になるけど、それまでなら、どうでもいいことです。京都議定書がアメリカ国民にとって、関係なかったように。

 われわれの範囲を広げるのか、それともそちらとうまくつなげるのか。自分たちの範囲をそこまでつなげるのは個人としてはムリです。地球規模の課題については、他っておけばいいんです。今の人間の思考範囲ではムリです。

 自分の存在を考えたところから、自分の役割を考えた時には、課題が出てくるけど、それを考えてない、ほとんどの人にとっては、問題がなかったことにするのが一番簡単です。

歴史の役割

 だけど、それを許さないのが歴史です。その結果どうなったのか、戦争だけではなく、ペストにしても、その結果どうなったのか。それをライブラリとして、持つことで、人間が変われる要素を持ちます。ふだんの生活にはつながらない。

 だから、短絡します。豊田市はハイブリッドを買えみたいなことになっています。コンビニ袋はなくせということになります。勝ったことで終わります。なくしたところで活動はなくなります。それでもって、どうなったのか? 日常生活が不便になり、お金がかかっただけです。何も変わってはいない。

 それで豊田市の空気はよくなったのか、温暖化はどうなったのか。愛知環境塾での予測では、日本はいくら減らそうとも、中国次第です。だから、中国にはどうするかをこじんれべるで考えていけるのか。歴史認識が重要なのはその部分です。その結果どうなったのか。そして、未来へのシミュレーションができます。
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他者からの承認は求めない

全てを知りたい

 ヘーゲルは結局、全体を知りたかった。そこで、あの弁証法を提案した。アンチ・テーゼがなくなるところまでやっていけば、絶対的に領域に辿り着く。

万能感

 「紙の月」のテーマは万能感です。私はすべて、何でもできる、やろうと思えばできる。ただ、それはお金に依存しているけど。そのから出てくる矛盾であり、悲劇です。

 やろうとするから、悲劇が起こるのです。結局、お金を作ったところでも、同じです。矛盾はそのままです。ヘーゲルみたいに思考であれば、いくらでも止揚できます。

他者からの承認は求めない

 他者がいて、自分が分かることは、ふつうには言えるかもしれないけど、私には言えない。何しろ、あの絶対的な感覚がある限りは、そんなに決めつけられても困る。それは他者が考えたことでしょう。

 われわれの範囲が狭くなれば狭くなるほど、どういうカタチになっていくかというと、近くの人との関係は疎遠になる分だけ、宇宙の方につながっていきます。それがトーラスです。

 当然ながら、他者による承認は、私にはなかった。それが絶対孤独です。それを出発点としたから、組織よりも個人の問題の方が先に来ます。つまり、存在の力です。こういう人間が生まれたことにおおきな意味を持たせます。

 「ここにいてもよい」というシンジのような肯定感ではなく、自分がこの世界を作っているという感覚の方が上に来ます。当然、世界の関係から見た時には、世間の見栄を気にするでしょうけど、ほとんど視力がない私にとってはそれはないです。

コミュニティと地域共同体

 そこから、個人の存在の力を発揮できるために、コミュニティを提案しているけど、これは従来の地域共同体とは異なります。共同体であるかどうかも分からない。

 コミュニティは承認を受ける場ではなく、発信する場です。個人をでかくしたようなカタチです。その意味では、集合が点になり、点が集合になります。承認の場合の数が問題になるのか。一人に承認される、少数の人に承認される、多くの人に承認される、多分、数は問題ではなく、ゼロか一が問題でしょう。

 ゼロであることは、ミカロスでハッキリしました。その時も、私にはもう一人の私がいます。自分が自分を承認することができます。割と早いうちに、もう一人の私のμを見つけたから、私の場合は、他人の承認を気にすることがなくなった。後は、絶対的な存在がひとり居れば十分です。

ターミナルケア

 ターミナルケアのために入所するには、最低、二カ月掛かります。癌の場合は、最後の二カ月で機能が低下する。それ以前にやっておくことをやっておかないと。だから、抗がん剤での治療が終わったら、即、ターミナル入所の手続きに入ること。

 余命数日の高度なだるさ、つらいだるさ、これは儀式でしょうね。

 去年の3月を思い出します。老人有料ホームにいた母親がそうだったんです。妹でも気づかなかったのだから、私にはムリです。これが勝手な慰めです。

 緩和ケアの目的は、症状を緩和させることではなくて、最後のいい時間を過ごせるようにすること。では、自分にとって、いい時間とな何なのか。「緩和ケアを受けることができるから、私は癌で死にたい」「癌だったら、緩和ケアを受けることができてよかった」ということなんでしょうね。
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プロパガンダの威力

『なぜ独裁はなくならないのか』より 世紀の独裁者 アドルフ・ヒトラー

ここでもうひとつ興味深いのは、伝達の道具としてのラジオの登場です。中継によって体験は広く人々に共有され、その影響は甚大なものがあります。今日のフェイスブック、ツイッターに相当するのが当時のラジオでした。

扇動家であり類まれな雄弁家として、言葉こそ力だと、大衆の心に入りこむ術を熟知していたヒトラーは、ラジオの力もわかっていたので、たいまつ行列を中継させたのです。

それこそプロパガンダです。ヒトラーにとってプロパガンダとは、《大衆の感情に訴えかけることによって彼らの想像力をよび起こし、国民大衆の心を引きつけることにある》(『わが闘争』から)のです。

ヒトラーという人間を直接知らない国民は歓迎したとして、ではヒトラーを知るヒンデンブルクや政治家、官僚たちは、なぜ警戒しなかったのでしょうか。

前出のキッシンジャーの『外交』はこのように書いています。

 《当初は、ヒトラーは一見まともに見えたので、彼の真のすがたは明らかにされなかった。ヒトラーが何度もその意図を明らかにしていたにもかかわらず、ドイツのエスタブリッシュメント(支配階級)も西ヨーロッパのエスタブリッシュメントも、彼が既存秩序を本当にひっくり返すつもりだとは考えていなかった。度重なるナチスのいやがらせになやまされ、恐慌と政治的混乱に士気を失ってしまったドイツの保守指導者は、ヒトラーを大統領に任命し、彼のまわりを尊敬しうる保守主義者達によって取りかこんで安心を得ようとしたのであった。しかしヒトラーが議会の動きによって封じこめられていたのもしばらくの間にすぎなかった。ヒトラーはいくつかの傍若無人な手段をとることによって政権についてからの一八ヵ月間に、自らを独裁者に仕立てた》

一見まともに見えてしまったことには無理ない側面もあります。たとえば、ヒトラーは首相就任直後の施政方針演説で、①国際協調と平和外交 ②ワイマール憲法の遵守と憲法四八条(大統領緊急令による基本的人権の停止条項)の濫用抑止 ③多党制の維持(共産党の活動も制限しない)と、じつにりっぱな方針を得意の弁舌で述べているからです。このとおりならば、すばらしい。

しかしこれがうそ八百であることは、すぐ明らかになります。約一か月後の二月末、国会放火事件が起きたことを利用し、ヒトラーは共産党の弾圧に乗り出し、それでもまだ十分でないと見るや、社会民主党などの議員を逮捕しはじめます。

こうして半年あまり後の七月には、ナチ党以外のすべての党は解散、一党独裁となったのでした。

首相を指名したヒンデンブルクも政党関係者たちも、ヒトラーのあやうさを、ある程度はわかっていたのだと思います。ですからまわりをしっかりかためれば大丈夫だと考えた。

しかしそれでは時おそし、というよりヒトラーの方が上手でした。主導権をにぎるや内政も外交も、自分の思いのままに進めて行ったのです。
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フクシマの一週間~米NRC会議録から

『日米同盟と原発』より 3月11日 全交流電源喪失

二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、東北地方太平洋岸一帯はマグュチュード9・Oの激震に襲われた。東京電力福島第二原発1~4号機のうち、運転中だった1~3号機が自動停止した。4号機は定期検査中で、もともと止まっていた。その四十分ほど後、今度は巨大な津波が押し寄せ、福島第二原発のタービン建屋内にあった非常用ディーゼル発電機が水没した。交流電源が断たれ、原子炉の冷却機能が止まる「全交流電源喪失」という異常事態に見舞われる。東電は原子力災害対策特別措置法十五条第1項の定める「原子力緊急事態」を経済産業省に通報、これを受け政府は午後七時三分、「原子力緊急事態宣言」を発した。

米原子力規制委員会(NRC)の電話会議録によると、核物質を担当するウェーバー事務局次長はじめNRC職員らが早速、事故の分析を始めるが、詳細な情報が入手できない。

ウェーバー事務局次長「ウィーンの駐オーストリア大使から連絡が入った。国際原子力機関(IAEA」の分析によると、原子炉内に水はあるが、-AEAはいつまでもつか疑問視している」

NRC職員「2号機は燃料から三~四メートル上まで水がある。放射能漏れの情報はないが、CNNテレビは放射線数値が上がっていると報じている。以上が現時点で分かっているすべての情報だ」

NRC職員「東京電力のウェブサイトによると、1号機で格納容器内の圧力が高まっている。何か分かるか」

NRC職員「いえ……」

NRC職員「ルース駐日大使が空母『ロナルドーレーガン』の派遣を要請したと聞いたが、未確認だ」

NRC職員「米空軍が福島に冷却剤を運んだのは本当か」

NRC職員「何かが起きているような気がする。日本で何か起きているのだ」

NRCは、情報収集のため、原発の危機管理を手掛ける米企業の幹部との接触も試みる。この会社は事故後、福島第一原発の原子炉を設計した米ゼネラルーエレクトリック(GE)から事故対応ガイドライン策定の依頼があった。

米企業の幹部「GEからは、福島と同じタイプの原発の操作手順と過酷事故(シビアアクシデント)の対応ガイドラインを求められた。福島第一は問題の多いユニットだ。ベント(排気)が必要になり、GEはその支援をするJ

NRC職員「あなたが連絡を取っているGEのスタッフと連絡が取れるか。想像通りだが、福島で信頼できる情報が何もない。情報がほしい」

米企業の幹部「スタッフとは話しているでしょう。しかし問題は、あの施設では、技術者を収容できる建物は全部、壊れている。避難した技術者たちとは、携帯電話とかで話しており、情報は相当、断片的ですよ」

NRC職員「情報提供にとても感謝している。情報とは、ぼんやりしたもの。それぞれの断片が組み合わさって、絵になるというものだ」

米企業の幹部「GEがわが社のガイドラインをほしいのは、日本に事故を想定した緊急の手順書がないからだ」

深刻さを増し始めた福島第一原発事故。NRCトップのヤツコ委員長は、情報収集を急ぐよう職員らに指示する。

NRC職員「三基(1~3号機)とも格納容器から水が漏れ、冷却機能を失っている。1号機がもっともひどいのではないか」

ヤツコ委員長「もう、その段階か……」

NRC職員「INES(国際原子力評価尺度)では少なくともレベル3、深刻だ。それ以上を考えるには、情報が少なすぎる。われわれの見立てでは、最悪の発電所で損傷が起き始める。おそらく早くて真夜中(米東部時間)ごろからかもしれない」

ヤツコ委員長「裏付けが取れるか1‐‐

NRC職員「事故情報は通信社の報道ベースだ。GEも、われわれ以上の情報がないと思う」

ヤツコ委員長「コミュニケーションミスだ。情報が入ったら、紙に書く。何を知っていて、知らないのか、すぐチェックできる。それに、情報共有が迅速だ。あとで電話をくれ」
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