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個人が組織に勝つ時代

個人が組織に勝つ時代が来る

 日曜日は、本からカタチにすることにします。

 皆の思いを自分の思いをする。自分の思いを皆の思いにする。その二番目ですね。そして、思いをカタチにする部分はNPOと一緒にやらないといけない。

 個人が企業に勝つことができます。何しろ、数が多いんだから。それは、個人が組織に勝つことと同じです。これはゲリラでもテロでもない。グループでの活動です。組織は大きくなればなるほど、弱体化する。組織の中の個人をグループに取り込んでしまえばいい。

 織田信長の時代とは違います。家康は部下が宗教に持って行かれた。これには、ジレンマを感じた。歴史的には、中央集権が求められていた時代だから、家康は勝ちました。

 中央集権で画一になれば、他者を攻めて、富を得て、それを分配できる時代だったからです。今後は、存在の力が多様性を可能にして、個人のニーズを満足させて、全体の力を増すということで、地方分権に変わっていきます。

アマゾンと図書館と市民

 図書館が電子書籍の社会に参画しないならば、アマゾンにとって代わる。図書館は単なる場になってくる。知識の場ではなくて。それは三者にとっての不幸です。

持続可能性という言葉

 持続可能性という言葉は、環境社会というところと一緒になっています。だけど、持続可能性事態の定義がされていない。

 次の世代に残すことぐらいしかない。どうやって、残すのか。生活を変えずに残すのか。そこにあるのは、エネルギーさえあれば、幸せという、今の価値観そのものです。そこから、ライフサイクルを変えることは出てきません。

 やはり、サファイア社会として、ローカルとグローバルの関係、ローカルでの分化といったものを一つのシナリオにしないといけない。

 環境の出発点は破壊です。産業は破壊から始まって、消費で終わっている。消費から、産業の出発点を想像できるか? ましてや、そこで、消費の態度を改められるか。そんなリテラシーを持つのは容易ではない。

 実際、問題、産業と消費はつながっていない。それを環境学習施設で見せるのが、エコットなどの環境学習施設でつながりを見せるのが、NPOの意図だけど、そんなことは市民は感じない。

環境学習施設での気づき

 自然のところを歩いたからと言って、産業が環境を潰している現場ではない。ヘルシンキ郊外のエスポーの町の環境学習施設も、結局、そう言うところでした。

 ハメリンナの環境学習施設で、Dr.ヘリから、市民との関係、環境との関係、湖の持つ意味を説明してもらい、Think Globally, Act Locallyでやっと、分かった。Think Globally, Act Locallyの概念を10年掛かって、自分の中で消化できるようになりました。

 そこで初めて、持続可能性という言葉に行き着くのです。そう簡単なものでない。
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コミュニティパワーの重要性

『自然エネルギーQ&A』より

自然エネルギーは唯一の持続可能なエネルギーであるとはいえ、ここまで述べてきたように、環境影響や社会的な影響がまったくないわけではありません。社会全体としては利益の方が大きく上回ることは明らかですが、それぞれの地域での近隣住民や地域社会にとっては、それだけで認められるとは限りません。

自然エネルギーの利用に伴う局所的な影響には誤解が含まれている場合もありますし、十分な事前調査に基づく対策を講じることで相当程度回避できるものもあります。風力による鳥類への影響は、生息状況を把握した上で立地を工夫し、場合によっては運転時間帯などを調整するといった対策で、大きく緩和することが可能です。事業者にとっては負担になりますが、騒音対策として近隣住民との話し合いの結果、夜間の運転を控えている場合もあります。小水力による河川生態系への影響なども、何を避けるべきであるかが明確になれば、事後的な調査に基づいて対策をとることも可能です。自然エネルギーの利用に伴うリスクのほとんどは運転を停止した瞬間にゼロになり、その意味で、「取り返しがつく」エネルギーなのです。

もう一つ重要なのは、自然エネルギーが誰のためになるのかという視点です。導入が進んでいるデンマークやドイツでは、立地地域での利益が大きくなるようにした上で、実際に導入するかどうかの判断はそれぞれの地域に委ねています。リスクを少なくすることだけではなく、それに対する地域社会への(経済的・社会的な)利益を増大させ、しかも意思決定への参加と主体的な判断を委ねることによって、当事者の納得が得られるような問題解決を目指しています。

これらの国で取り組まれている一つの方法は、地域住民による所有を促す方策(コミュニティパワー)です。デンマークのように法的に地元住民の所有比率を義務づけている国もあれば、ドイツのように地元所有の事業が税制上有利になるような措置をとっている国もあります。

日本における自然エネルギー事業の大半は地域外の企業によるもので、地域社会における利益は限定的です。そのような状況を前提として、利益を享受できない地域の人々がリスクゼロを求めるという構造があります。これに対して地域住民が主体となる場合には、責任も大きくなりますが、地域に配分される利益の割合も大きくなります。また業務発注といった経営の根幹に関わる部分で主体的に意思決定することが可能になります。

地域所有の仕組みは、二つめの方法であるゾーニング(地域区分)と関連づけられています。森林や農地といった土地利用項目に並ぶものとして自然エネルギー優先地域という項目があり、デンマークのように国の導入目標と連動する形で自治体ごとの面積が割り当てられている国もあります。このような政策的枠組みの中で、各地域は主体的に導入の可否や程度を決められるようになっています。その結果として、過半数を大きく超える事業が各地域の住民が主導する形で導入されています。世界風力エネルギー協会は、こうした地域住民による所有、意思決定、利益配分の三つを「コミュニティパワー三原則」として定義しています。

自然エネルギーが唯一の持続可能なエネルギーであるという前提を共有した上で、自然エネルギーが地域に与えるさまざまな影響やリスクも無視せずに、「コミュニティパワー三原則」に基づく地域主導の自然エネルギー普及を進めることが必要と思われます。

日本全体を見渡すと、半世紀前に高度成長を担った大量生産型の産業群はことごとく衰退し、いまや見るも無残な状況となっています。同じように、半世紀前に福島第一原発を誘致した福島県双葉町は、町長の給与が支払えないほどに衰退していました。そこに3・11原発事故が襲い、町自体が存亡の危機に襲われたことは、皮肉な現実といえるでしょう。

原発に代表される「外からの巨大開発」に依存すると、立派な市庁舎やコンサートホールなどが建設され、一時期は表面的に栄えるように見えますが、その内実はまったく逆に衰退してゆきます。地域経済は「外の資本による開発」に頼るだけの依存体質となり、地域の産業構造も土建業や発電所のサービス業など一部の業種に限定された「モノカルチャー」へとシフトしてゆきます。そうした地域からは、自ら地域起こしに立ち上がるような自主自立の精神を持った創造性豊かな人々は、急速に失われてしまいます。それがいっそうの衰退を招き、さらなる開発とモノカルチャー化へと悪循環を招くのです。

そうした地域社会の現実を見ようともせず、いっそう原発を拡大しようとしていた3・11日の日本は、いわば過去に向かって「逆走」しようとしていたといえるでしょう。「豊かさ」に向かって突っ走ってきたはずの果てに「本当の豊かさ」はなく、むしろ衰退と貧しさを、自ら招いていたことに、ようやく気づきはじめたのではないでしょうか。

従来型の産業開発から取り残された地域では、豊かな自然や海、里山が残されています。島根県の隠岐や山口県の祝島のように、全国から多くの若者が訪ね、滞在するようになっている地域もあり、こうした自然資源や人的資源は、新しい地域づくりに欠かせない「宝物」となります。

二一世紀は、一人ひとりが自立し開かれたネットワークで結ばれた知識社会の時代へと、ますます向かっています。エネルギーも社会も、これまでの「産業主義・中央集中型・トップダウン型」から、「知識社会・小規模分散型・ネットワーク型」へと大きな変貌を遂げつつあります。

こうした流れに沿って、脱原発も必然的な流れとして生じているのではないでしょうか。建設にも巨額で長期間の投資を必要とし、いったん事故を起こせば取り返しのつかない破局的なリスクをもたらす原発は、新しい時代のベクトルに真っ向から反します。旧い経済成長観や産業政策に囚われて原発にこだわってきた日本は、歴史的かつグローバルに生じている大きな変化から完全に取り残されてきました。その挙げ句に「激突」したのが、3・11ではなかったでしょうか。

自然エネルギーの急速な普及拡大とともに、「知識社会・小規模分散型・ネットワーク型」という新しいエネルギーパラダイムに向かいつつある世界と歴史の流れのなかで、日本でも、そうした変化を先取りした地域社会こそが、率先して二一世紀の新しい日本社会の方向を創造する先頭に立つと思われます。古今東西、新しい時代への変革は、周縁、すなわち地域から起きたことを思い起こすときでしょう。
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クラウドイノベーションの光と影

『グーグル、アップルに負けない著作権法』より コンテンツのクラウド型流通と情報端末が変える著作権

「クラウドコンピューティング」という言葉は、2006年8月にグーグルのCEO(当時)であるエリック・シュミットが提唱した。彼はその直後にアップルの取締役にも就任している。当時共闘していたグーグルとアップルにとって、クラウドコンピューティングは、急速なWebテクノロジーの進化の中で精彩を欠きつつあったマイクロソフトヘの反撃の狼煙だった。

パソコンが登場してからおよそ40年。その使い勝手は飛躍的に向上したものの、所詮は机の上に置かれた孤立した事務機にすぎなかった。情報を保存するハードディスク、情報を処理するマイクロチップ、情報を操作するアプリケーション。それらはインテルのCPUとマイクロソフトのウィンドウズで独占されていた。ユーザーは2社が提供するパソコンのブラックボックス化した「閉じられた箱の中」で、事務処理が完結することに満足していた。

そんなオフラインの状況はつい昨日のことだ。また信じられないことだが、1984年に「ネットこそがコンピュータだ」とサン・マイクロシステムズが画期的なスローガンを打ち出したときには、誰からも注目されなかった。

ところが今日では当たり前のように、情報処理し、操作し、保存することはインターネットの中で行われている。それらはオンラインで供給される単純なサービスに移った。ユーザーからすればパソコンが自分のコンピュータだったものが、インターネットが自分のコンピュータになったのだ。

さらに言えばインターネットで行われている情報処理は、ネットを通すことでより分散し、統合され、世界中のユーザーが共有できるようになった。

「ワールドワイドウェブは、真のワールドワイドコンピュータに変わったのだ」(『クラウド化する世界』ニコラス・C・カー著/村上彩訳/翔泳社/2008年刊)

イノベーションとは経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが提唱した、社会の進歩は革新的な創造によってもたらされるという概念だ。しかし「創造」は既存のヒエラルキーを「破壊」することから生まれる。イノベーター(革新者)が出現すれば必ず陰で大きな被害を受けて退場する者がいるのだ。

マイクロソフトのビル・ゲイツは自社のビジネスモデルを危うくする挑戦者が現れると徹底して排除した人物であった。Webl・O時代とは何かといえば、マイクロソフトの独占を維持するために、古代のローマ皇帝とその軍団さながらの支配力でIT世界の新勢力をねじ伏せていた時代だった。

グーグルのCEOとしてクラウド型ビジネスを推進したエリックーシュミットは、文字通り臥薪嘗胆の人だ。コンピューターサイエンティストとしてサン・マイクロシステムズに勤めていた彼は、ネットヘの進化がマイクロソフトにことごとく妨害される様を目の当たりにしていた。しかし皇帝ビル・ゲイツの猛々しさにおののきながらも、来たるべきインターネットの将来についてはより過激論者で、「〝雲の中〟のコンピュータ」を提唱した最初の人でもあった。

「我々が経験しているコンピューティングは、インターネットの中で常に変動していて、データ、ソフトウェア、そしてデバイスの。雲の中〃なのだ。情報端末のブラックベリーや携帯電話、ゲーム機、その他のネットワーク化した便利な小道具は言うまでもなく、我々のパソコンは〝秘伝の中〟の一個の分子にすぎない」と考えた。

スティーブ・ジョブズが「今はクラウドが中核になった」と宣言する以前のことである。

変幻極まりないインターネットが行きつく近未来を、驚くことに彼は既に予知していた。

グーグルを創業した二人の若き天才ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンに迎えられたシュミットもまた天才だったことが、この文脈から納得できる。マイクロソフトの全盛時代には潰される恐れもあった革新的なクラウド型ビジネスが、よちよち歩きながら限りない可能性を秘めている新勢カグーグルであれば実現できる、と確信したに違いない。

2011年夏、私は経営現場を卒業しチェアマンとして最高広報責任者となったシュミットに直接面談できる機会を得た。

「クラウド時代を予言したあなただが、現在のクラウドの状況はあなたのイメージ通りですか」と、もっとも聞きたかった私の直截な問いかけに、物腰の柔らかいコンピュータ・サイエンティストは、その想像が実現したことを自ら認めた。さらに想像を超えている現実として、通信回線のスピードの速さとモバイルコンピューティングの革新をあげた。

インターネットの世界とつながる画期的なスマートフォンの登場と、その大きな可能性は、IT世界の天才でさえ予想を超えるもののようだった。2005年、IT帝国マイクロソフトに衰退の兆しが見えていた。インターネット・コンピューティングの台頭で、パソコンのOSを独占してきた優位性が失われつつあった。オンラインが作る21世紀の情報社会は、マイクロソフトのビジネスを根本から破壊する恐れがあることを、ビル・ゲイツは敏感に察知した。そこで「インターネットソフトウェアサービスでも次なる大転換のチャンスは我々が握っている」と幹部社員を激しく鼓舞したが、それは創業者としての強い危機感からの呻きでもあった。
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コミュニティーが経済の出発点となる

『ワーク・デザイン』より コミュニティ--緩くつながり、滑らかに重なる

米カリフォルニア大学バークレー校ハースビジネススクールの心理学者、キャメロン・アンダーソンは、周囲からの「尊敬」が幸福の大きな鍵になる、という研究結果を発表している。12グループ・80人の学生を対象に、仲間から尊敬されている度合い、周囲の格付け、まとめ役としての立場、家庭の収入などについて聞き取り調査を行い、社会的な幸福感を比較したのだ。

それによると、学生の幸福感は「仲間内で受け取る賞賛」と関連しており、富や収入とは無関係、という結果になったそうだ。MBAコースの学生を対象とした別の調査でも、同じ結果になった模様。アンダーソンによると、高収入や富が幸福につながらないのは、人は富裕な状態にすぐに慣れてしまうからだという。そうした「慣れ」を生じない幸福の鍵が、周囲からの尊敬だということだ。この結論は、読者もよく理解できるのではないだろうか。

そして、この結果からもまた、「21世紀のコミュニティー経済の発展」が見えてくる。幸福の鍵が他者からの尊敬なのだとすれば、それをもたらしてくれるのは、人間を「機能」としてしか見ないグローバル企業ではなく、また、世帯あたりの人数が減少した「核家族」だけでもない。今注目を浴びる地域のコミュニティー、ボランティア活動のグループ、ライフワークや趣味のコミュニティー、またはそれらが広がった事業型NPOやソーシャルビジネス、あるいは企業で言えば関係者や顧客とのコミュニティーにこそ、幸福の鍵がある。

これからは、「市場」だけでなく「コミュニティー」から発想して価値を創出し、コミュニティーを起点としてその価値を伝播させるのだ。読者の多くも「分かる、分かる」とうなずいているはず。それくらい、この流れは明白だ。言い換えれば、「互いが尊敬し合えるコミュニティーを構築できるところが、新たな経済圏を生み出す」こととなる。それは、マーケットシェアというよりも、どれだけ一人一人の心を捉えられるかという「マインドシェア」が重要となる。つまり、小さなコミュニティーを形成し、それを少しずつつなげて広げていくモデルが重要なのである。

2013年3月、友人・知人に向けて気軽にクラウドファンディング投稿できる「クラウドティルト」が、1200万ドルもの資金を調達して話題になった。調達先は、音楽ファイル共有・配信サービス「ナップスター」創業者のショーン・パーカーや、グーグルやスカイプにも投資していた投資家アンドリーセン・ホロウィッツなどである。

クラウドティルトが通常のクラウドファンディング(前述した「キックスターター」や日本の「キャンプファイヤー」「レディーフォー」など)と違うのは、「友人」「知人」からのみ少額の支援を集めてプロジェクトを達成する、というコンセプトにある。ここで言う「プロジェクト」とは、具体的に言えば、友人への誕生日プレゼントやパーティー開催のための資金、出店祝いなどである。

これまでのクラウドファンディングは、ビジネスやアート、あるいは社会貢献の要素が強いというイメージがあった。しかし、LINEを含めたソーシャルメディアの発展によって、現代のコミュニティーはより細分化されており、それをフォローするためのクラウドファンディングが、このクラウドティルトなのだ。

また、米アマゾンもギフト型クラウドファンディング「アマゾン・バースデ・ギフト」を発表した。フェイスブックでつながった友人・知人の誕生日に、クラウドファンディングを通じてお金を集め、その総額をアマゾンギフト券としてプレゼントする仕組みだ。

この話題を私が運営する「ソーシャル・デザイン・ニュース」で紹介したところ、あっと言う間にSNSを通じて広がり、サイト史上過去最高のバイラル(口コミ)を生んだ。その9割以上はポジティブな反応で、同サービスが日本でも展開されれば好評を得ると思われる。

このように、コミュニティーは21世紀の経済の出発点となっていく。
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図書館コミュニティ

キンドルの存在理由

 そして、キンドルで革命的に変わってくる可能性があります。各自の端末にコンテンツを展開できる。そして、読者自体をつなげていく。本の存在理由は行動に移すことができることです。要するに、つなげる手段を併せ持っていることが一番、違うところです。戦うためではなく、協調のためです。個人の分化を促し、自分の頭で色々なことを知ることになる。

 電子ブックの貸し出しサービスは、クラウドと合います。誰が何を持っているのか、本の権限は各図書館ではなく、クラウドで持ちます。それで個人の状況を把握していれば、どのレベルまで来ているか、次に何を読んだらいいのかもできます。コンテンツ中心型のネットワークです。

 飛行機乗る時に、貸し出して、降りたら消去することも、電子ブックで出来ます。一時的な貸出です。14年前に、ニューヨークに出張する時に、「10時間で英会話がマスターできる」という本を持って行ったことを思い出します。これを機内サービスと一緒にやることができます。

図書館コミュニティと出版業界

 図書館コミュニティの大きな力で、電子書籍の出版自体を変えさせます。テッド・ネルソンではないけど、著作権の考えそのものを公共化します。

 いつまでも出版が文化のような顔をしているだけでなく、彼らは設けるだけではなく、彼ら自身を変えていかないといけない。個人と本の間にコミュニティを置き、図書館も分化させます。

 キンドルを使う、巨大なユーザーグループと図書館の電子書籍貸出サービスを参画させることは、電子ブックサービスに大きな力を持ちます。それに方向を付ければ、市町村レベルの生涯学習のクラウドに対応できます。核になるのが、図書館コミュニティです。

私にはデジタルライブラリという武器がある

 そして、私には武器がある。16000冊の読書履歴と、そこから抽出したデジタル・ライブラリです。この抽出ライブラリは、キンドルを使えば、誰にでもメールで飛ばせます。

 その意味では、本の電子化は簡単です。皆がやって持ち寄ればいい。点字サークルのように、図書館グループでやるのも一つの手です。それで皆の問題意識を作り上げることです。

 本は全体が意味を持つのではなく、DNAの部分を抽出して、自分の問題意識として、考えをまとめて、皆に示して、カタチにしていくことです。行動とつなげることです。

考える生活

 考える生活と言った時に、何をどう考えればいいのか、どういう手段を使えばいいのか、そこまで立ち入ります。皆慣れていないし、我々も慣れてはいない。

 インフォメーション・コモンズという考え方。一連の情報サービスを一か所で提供する、情報リテラシーを育成すること、研究と学習を支援する。

岡崎図書館の10冊

 227.9『鉄の壁 下巻』イスラエルとアラブ世界

 134.9『哲学探究』

 147.3『人類の対話1』静けさの前の嵐

 493.7『分裂症と人類』

 289.3『ビスマルク』

 253.0『戦争のるつぼ』第一次世界大戦とアメリカニズム

 318.8『実践!コミュニティデザイン』地域を元気にする

 699.2『テレビジョンは状況である』劇的テレビマンユニオン史

 024『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』

 291.0『グローブトロッター』世界漫遊家が歩いた明治ニッポン 開国直後、神秘の国ニッポンを旅した外国人たちは何を見たのか?
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型にはまらない図書館

図書館をアマゾンのようにする

 図書館をアマゾンのようにする。つまり、物理的なモノからバーチャルに拡大させていく。アマゾンは本の物流から始まり、電子書籍にキンドルを含めて、展開している。人の興味は変わらない。コンビニとか、クラウドを味方にしています。

 図書館という公共の場から、アマゾンというプライベートの場をどうつなぐかです。これは電子書籍には全て、必要な要素です。そして、サードプレイスになることも可能です。図書館とスタバの関係もどうするかです。

型にはまらない図書館

 UnLibrary。Unは型にはまらないことを意味します。制約を外すことです。教育委員会の配下とかは関係ない。図書館がローカルで得たことをどのようにカタチにしていくのかです。そのためには、図書館コミュニティの概念が必要です。Unには、Youとandを示すそうです。つまり、You and Libraryです。

 豊田市図書館から社会の位相化を始めましょうか。物理的ではなく、論理的に新しいものにしていきましょう。開館以来、10年以上、あまりにも変わらない。変わらないといけないと言いながら、変わらない。

 三浦さんのような人がいないからでしょうか。三浦さんと一緒になって、図書館コミュニティを市民が支援するというカタチでアプローチしましょう。三浦さんも、図書館を作ってみたけど、つなげているだけです。

 生涯学習である、交流館コミュニティと一体化していく。図書館は人と出入りを含めて、核になって、活動できる要素を持っている。

ヘルシンキのLibrary1

 ヘルシンキのLibrary10が本に載っていた。今考えると、よく、あの図書館を見つけたものです。ヘルシンキの隣の町にヘルシンキ中央図書館があるということで、電車で行きました。その時に、駅の上にLibrary10があった。音楽を対象にした図書館です。スタジオまで持っていた。

 思いがあれば、偶然は見せてくれる。海外に行くと、痛感する。日々の事柄も一緒なんでしょうけど。

デトロイトの二の舞では芸がない

 フィアットのミラノは、産業の衰退を見越して、図書館を市の中心にして、魅力にしている。

 豊田市も次を考えておかないといけない。いつまでも反映することは、今のやり方では考えられない。デトロイトとピッツバーグの違いです。鉄鋼の町のピッツバーグは衰退を予測して、ソフト化を遂行した。成功体験を持っているところほど弱いものです。

図書館の高度サービス化

 図書館を第三の職場にしてしまうという考えは、スタバのサード・プレイスと同じような考え方です。憩いの場だけでなく、仕事の場にしてしまうことと、サービス業とパブリックとの違いがある。これは千代田区立図書館で実験がなされている。

 図書館で、高度サービス化してしまうということも可能です。高度サービス化は、スタバの接客レベルです。図書館のさらに多くの人に満足を与えながら、どうさばくのか。

 皆、何かを求めてやってくることを前提にして、それに応えるということです。リファレンスはそうでないとできません。それが本来のコンシェルジュです。ホテルに泊まりに来るだけでないから、コンシェルジュは必要です。旅をする者の支えになるのが、コンシェルジュです。

 人生における旅です。放り込まれた存在が死ぬまでの間に、知りたいことをどのように誘導していくのか。何かを求めてやってくる人に応えるのが、高度サービス化です。

図書館クラウドに運営を任せる

 図書館の運営そのものは、図書館クラウドに任せます。情報は一元化すれば、どんな小さな図書館でも、高度サービスに専念できます。

 だから、ポータルというのは意味を持ちます。そこで情報共有を行います。他の成功事例をすぐに真似できます。共有のインフラの強みです。完全に分散型ネットワークです。
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OCR化した9冊の動機

『国際行政論』 ⇒ 国際におけるEUとASEAN

 地域組織の実験 ヨーロッパ

  1 地域組織の役割

  2 欧州統むのイニシアティブと展開

  3 EUの組織

  4 EUの行政運用

  5 EUの性格と課題

 地域組織の展開 東アジア

  1 地域組織の展開と文脈

  2 ASEANの設立と展開

  3 ASEANの組織・行政運用

  4 APECの展開と運用

  5 ASEANを基礎とする広域地域組織とその運用

  6 地域組織の比較

『平和構築入門』 ⇒ 国民国家のあり方

 国際社会の拡大と変質

  国際社会の拡大とその外部世界

  近代的な主権国民国家の誕生

  国際社会の拡大の傷跡

『図書館制度・経営論』 ⇒ 図書館法とPR

 図書館法の成り立ち

  第1節 図書館法の位置づけ

  第2節 図書館法逐条解説

  第3節 条例等その他の法規

 PRとマーケティング

  第1節 PRとは何か

  第2節 マーケティングの必要性

  第3節 図書館のマーケティング:ビジネス支援サービスを事例として

 経営形態の選択と外部連携

  第1節 図書館の経営環境の変化

  第2節 公共図書館の経営形態

  第3節 外部との連携

『ワーク・デザイン』 ⇒ コミュニティー、ローカルとグローバル

 コミュニティ--緩くつながり、滑らかに重なる

 ソーシャルスタートアップ・チームで始めよう

 消費社会から生産社会へ

 融合するローカルとグローバル

『グーグル、アップルに負けない著作権法』 ⇒ クラウドサービス

 コンテンツのクラウド型流通と情報端末が変える著作権

 アップルがクラウドサービス〔iCloud〕を発表

 クラウドイノベーションの光と影

 スタート地点に立った三社三様のクラウドサービス

 コンテンツの統合小売店を目指すアップル

 パッケージ文化の終焉を後押しするクラウド

 グーグル本社訪問記

 著作権ルールを変えるクラウド型流通

 クラウド型流通で著作権は守られるか

 アメリカのクラウド事業者に有利な著作権法

 周回遅れの日本の著作権法改正

 アメリカの資本主義と政府の競争政策

 知的財産権をめぐる法廷闘争

 スティーブ・ジョブズの悲劇

 クラウド革命は始まったばかり

『自然エネルギーQ&A』 ⇒ コミュニティパワー

 コミュニティパワーの重要性

 人類史「第四の革命」

 日本でも広がるコミュニティパワー

 新しいエネルギーパラダイムヘ

『組織を強くする人材活用戦略』 ⇒ 組織の分化

 組織を「分化」する

  1 21世紀の企業を担う人材とは

  2 「分化」と「統合」のバランス

  3 多様性のある組織は強い

  4 いかに組織力へつなげるか

『57歳からの意識革命』 ⇒ 定年退職後の生活

 定年後はうつとの闘い【処方箋】 いつまでも働こう

  ■定年の危険

  ■定年後うつ病

  ■引退後の男性の自殺が多い

  ■なぜ高齢男性の自殺が多いのか

  ■自殺を避けるためには働くこと

  ■アルコール依存が増える訳

  ■「老後はのんびりしたい」の落とし穴

  ■やれることは現役時代から始めよう

  ■「老後は趣味を持て」といわれるが……

  ■たとえば読書を老後の趣味にできるだろうか

  ■趣味だけではたちまち色裾せる老後

  ■語学ならすぐに始めないと

  ■趣味であっても目的を持つこと

  ■仕事を続けることが男子の本懐

  ■趣味であっても目的を持つこと

  ■仕事を続けることが男子の本懐

  ■「働ける間は働くのが天命」

  ■小休止もしないほうがいい

  ■定年の3年前には退職後の準備を始めよう

  ■今の仕事はセーブして

  ■老兵ががむしやらに働く迷惑

  ■給与が大幅に下がったら、それに見合った仕事をすればよい

  ■がんばっても会社が助けてくれるわけではない

  ■あなたは何になりたかったのか?

  ■小商いはいかが?

  ■還暦以降は攻めの人生に

  ■ハードルは高く設定しよう

  ■第二の人生にはそれくらいの時間は十分にあります。ハードルが高いほうが張りがありますよ。

  ■退職後の人間関係づくりは今から

  ■定時には会社を飛び出そう

  ■再雇用制度(継続雇用制度)の問題点

  ■つまらないプライドは捨てて

  ■意識してペースダウンを

  ■自営の方は仕事を続けて

  ■仕事が無理ならボランティアを

  ■人は必要とされることでがんばれる

  ■嫌ならやめればいい

『ニッポンが変わる、女が変わる』 ⇒ 日本の組織

 敗戦と原発、その失敗の本質

  戦争の犠牲者と原発の被害者と

  夕力をくくった日本軍と東電

  本質を見ようとしない甘さ

  非常時に機能しない組織

  日本の組織に自己革新は可能か

  不幸を繰り返さないために
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図書館経営 マーケティングの必要性

『図書館制度・経営論』より PRとマーケティング

マーケティングの基本的な考え方

 マーケティングの定義は、対象領域の拡大にともなって大きく変化してきたが、ここでは、全米マーケティング協会の定義を参考に、「ある組織の目的を達成するため、選ばれた対象者群のニーズ・要求を満足させるように、その組織の経営資源・方針・諸活動を分析し、組織化し、調節する活動」としておく。

 この定義での「組織」は、企業でも非営利組織でもかまわない。企業の場合は、収益や市場占有率が目的になり、非営利組織の場合は、組織の性格によって、神への信仰の普及だったり、入学者や入館者の増大だったりと目的はさまざまだ。また、マーケティングの対象も利用者(企業でぃえぱ顧客)獲得だけではない。寄付金の獲得、活動を支えるための法律制定、有能な人材確保等、組織の目的を達成するために必要な、あらゆることがマーケティングの対象になる。

 この定義で重要なポイントは、「選ばれた対象者群」の部分だ。図書館でいえば、利用者一般や住民全体ではなく、特定のサービス対象者や利害関係者を選ぶという組織決定によってマーケティングは始まる。そこが、意識しようとしまいと実質的に行われているPRと大きく違うところだ。マーケティングは、組織目標達成のための対象者群選択という、組織の経営戦略全体にかかわる活動ととらえる必要がある。

非営利組織のマーケティングの特徴

 マーケティングは企業で開発された手法だが、その基本的な考え方と手法は、図書館を含む非営利組織にも十分適用可能なことが理論的にも実践的にも証明されている。そうはいっても、非営利組織固有の問題があり、企業マーケティングをそのまま非営利組織に適用することはできない。考慮すべき点は4つある。

 第1の点は、マーケティングの対象者が多様なことだ。企業の場合は、顧客が主要な収入源であり、マーケティングの対象は顧客獲得が中心となる。非営利組織では、一般にサービス対象者と資金提供者が異なることが多い。利用者と並んで、資金を提供してくれる人の獲得は欠くことができない。また政治家や行政担当者、各種団体等利害関係者もマーケティングの大事な対象者になる。

 第2に、組織目的の多様さがある。企業における収益等わかりやすい目的に比べて、図書館、大学、教会、政府などそれぞれの組織目的は単純ではないし、ひとつに絞りきれるものでもない。

 第3に、「売り物」が物理的製品ではなく、図書館サービスや読書活動推進のように、サービス、思想、生活態度など、形のないものが中心になっていることだ。限られた知識人が利用者であった時代と異なり、現代の大衆社会で図書館の価値は必ずしもすべての人に自明ではない。図書館の社会的意義を、利用者であるなしにかかわらず理解してもらうという、「思想、価値観」を売り物の対象にする社会的マーケティングが不可欠の要素になっている。

 第4の特徴は、公共性の保障だ。とくに公共性からの逸脱に対しては批判が集中しやすい。たとえば、マーケティングを効果的に行うためには、限られた経営資源を特定対象者に集中して投入する必要があり、除外した対象者との不均衡が生じる。あるいは、活動資金獲得のための事業も、努力した結果、収益があがりすぎると、本来の目的を逸脱している、という批判にさらされる可能性もあり、難しい問題だ。

マーケティング過程

 マーケティングには一連の過程がある。それを図書館に即してみてみよう。なによりもまず、経営目標、つまり図書館の戦略目標が必要だ。マーケティングは、組織の目標や価値を設定するものではない。目標が設定されてはじめて、それに到達する手段としてのマーケティング戦略が構築される。

 マーケティングは、市場機会の分析、標的市場の選定、マーケティング・ミクスの開発、計画と実施の制御、マーケティング監査の5段階を経て行われる。

 図書館の置かれた経営環境の分析が、市場機会分析の第一歩だ。そのうえで、図書館で行う情報サービスの利用促進を例にとれば、対象地域内の人口動態、人々の情報探索行動における影響要因、探索パターン等を調べ、図書館が応じられる情報ニーズの内容を明らかにする必要がある。実施の際の制約要因を発見することも大事な調査目的だ。

 マーケティングの対象となる図書館利用者(または新たに利用者としたい人)は一様ではない。その人たちの特性に応じてセグメントト定のマーケティング刺激に対して同じ反応をする集団)に分け、そのなかからマーケティング対象として最も効果的なセグメントを選ぶのが、標的市場の選定である。その際、競合する機関との関係から、対象セグメントを変更したり、対応するニーズを選別したりして、マーケット上にの場合、情報サービス市場)の図書館の位置づけを決めるのが位置設定(ポジショニング)だ。ただし、標的市場設定と位置設定に関しては、公共機関には企業と異なるさまざまな制約がある。社会的使命の観点から、あえて不利な(実施上困難の大きく、成功率の低い)セグメントを対象に選ぶこともありうる。
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近代的な主権国民国家の誕生

『平和構築入門』より 国際社会の拡大と変質 

国際社会の拡大の過程で、決定的な役割を演じたのは、近代的な主権国民国家の誕生であった。一九世紀には限られた数の国家だけが主権国家として認められていたが、それらの少数の大国による力の行使が認められ、帝国主義的拡張が認められたことによって、国際社会の地理的な拡大が進んでいった。当時のヨーロッパ国際社会は、民族自決のような一般原理によって成立していたものではなく、大国が形成するバランスーオブーパワーの秩序維持機能によって成立していた。大国間の力関係の均衡が維持される限り、帝国主義を通じた国際社会の地理的拡大は当然と考えられたのである。

ヨーロッパで市民革命と産業革命の後に生み出された近代という時代は、物質面・精神面での巨大な変化をもたらし、政治体制にも革命的な変化を導き出した。国民国家の登場は、近代という時代を政治面で象徴する事件である。国民と国家が同一物になる国民国家という制度は、歴史的にはフランス革命を経た後のヨーロッパにおいて初めて成立した。そしてイギリス産業革命を経た後のヨーロッパにおける圧倒的な産業生産力が、国民国家の力の拡大を後押しした。

二〇世紀以降の国際社会であれば、国民国家の理念は、世界の諸民族の独立を正当化し、脱植民地化を促進する役割を果たしたと言えるかもしれない。しかし一九世紀までの国際社会では、国民国家は、全世界の民族に約束されたものではなかった。むしろ国民国家として成立し、国力を増大させることに成功した二握りの大国だけが、優秀な民族=国民の国家として特権的な地位を認められた。

ヨーロッパ国際社会が帝国主義を通じて地理的に拡大していった時代には、国民国家の理念は、優秀な民族=国民が、優秀ではない民族を支配することを正当化するように働いたのである。優秀な民族=国民であれば、大国としての地位を持つ主権国家を形成するであろう。反対に、優秀ではない世界の大多数の民族は、帝国主義的膨張を進めるヨーロッパの主権国家に服従するしかなかった。

近代国民国家の時代への巨大な転換において、最も重大な影響を放った要素は、戦争である。国内的な側面と、対外的な側面の両方において、戦争が国家建設に深く結びついている。

イギリスの名誉革命、アメリカの独立革命、そしてフランス革命は、国内における武力闘争が、対外的な戦争と結びついたものであった。イギリス名誉革命はオランダの軍事介入によって、アメリカ独立革命はフランスなどの諸国の参戦によって、そしてフランス革命はナポレオンの軍事的天才によって、革命勢力側に勝利がもたらされた。アメリカの南北戦争の決定的な影響は、内戦に北部の連邦軍が勝利し、南部を軍事占領し、南部諸州の代表が不在の間に合衆国憲法の修正が次々と進められたという事実によって、確立された。ドイツの場合であれば、そもそもプロイセンの鉄血政策によって統一がなされ、ロシアや中国のような後進国においても革命闘争が国民国家の形成を可能にした。

日本では革命勢力による戊辰戦争と、その後の一連の内戦の圧倒的な勝利が、近代国家建設の行方を決めた。近代的な国民国家の建設にあたっては、内政面における戦争と革命が、統一的な国家の理念を定め、国家形成の精神的土台を作り出してきたのである。

もちろん対外的な戦争も、国家建設に大きな役割を持った。ヨーロッパにおいて頻発した戦争こそが、国民国家を作り出した。二〇世紀の社会学の巨人、アンソニー・ギデンズが論じたように、戦争を行うために国家は変質し、戦争を行ったがゆえに国家は変質した。また、ブルが論じたように、ヨーロッパ国際社会の時代である一八、一九世紀において、戦争は、国際社会のある種の「制度」の一つであった。一九世紀になる頃には、国際秩序維持機能を果たす「大国」による寡占状態が生まれた。

国民国家の制度が拡充した国では、中央政府の財政力や軍事力も高まり、行政能力も向上した。国民国家のイデオロギー、つまり国家と国民を同一視する信念が定着して、徴兵制による国民軍を典型とする「大規模な常備軍」が可能となった。

常備軍は、対外的な戦争の規模を拡大させ、国家間の競争をよりいっそう熾烈なものにした。常備軍は、国民の国家への帰属意識を高める。そこで徴税・徴兵が進められるが、それによって政府の行政管理能力はいっそう強化され、兵士やその家族という肥大化した行政府職員の社会保障政策も拡充されることになる。

さらには彼らの政治参加への声も吸い上げられるようになる。戦争が総力戦の様相を呈するにしたがって、国民国家における市民権も広がった。たとえば、普通選挙は、一九世紀半ば以降に、フランス、ドイツ、アメリカといった国々で、国民国家の段階的形成の過程で導入されていったが、第一次世界大戦をへてやっとイギリスで男子普通選挙(一九一八年)、ドイツで世界初の完全普通選挙(一九一九年)、アメリカで女子参政権付与(一九二〇年)と進んでいった歴史的経緯は、国民国家の戦争が、大衆の政治参加を進める要因として働いたことを示す。

このようにヨーロッパの特殊な環境で「国民国家」が生まれ、帝国主義的拡張も起こった。しかし二〇世紀になって、この「国民国家」モデルが突然普遍化したことによって、矛盾が拡大していった。
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超国家性と政府間主義の間

『国際行政論』より 地域組織の実験 ヨーロッパ EUの性格と課題

EUには通常の国際組織とは異なる超国家性が存在するという議論があり、他方、EC/EUも基本的には政府間の合意によって設立されたのだとする政府間主義と呼ばれる議論があった(Moravcsik 1998)。歴史的には、第二次世界大戦後のヨーロッパの復興プロセスの中で、国家の自律性回復と欧州統合は同時に進められたとする、「国民国家の救出」としての欧州統合論が主張された(Milward 1992)。前述のように、条約の締結のような場面では政府間会議が登場してくるため、政治学者は概して政府間主義の立場に立ちがちであった。また、日常的な運用においても、欧州理事会、閣僚理事会、CORPER、その下の各国からの参加者による作業部会等の重層的な直接的接触や二次立法の提案作成段階において各国が参画するコミトロジー手続きという局面では、政府間主義に適合的な現象が観察された。他方、法律学者からは、EU法が直接適用され、ECJが大きな役割を果たすEUのシステムは、通常の国際組織とは異なる超国家性のあるものと理解される傾向があった。

以上のような2つの立場に対して、国家をプリンシパル(本人)、EUの諸組織をエージェント(代理人)として理解する観点から、プリンシパル・エージェント理論に基づく議論も進められた。この立場からは、いかなる条件の下でいかなる理由でどの程度の自律性をEUの組織がもつのかという観点での説明が展開された。プリンシパルたる国家がEU組織に権限委譲を行う機能的理由としては、メンバー国の履行監視、不完全契約問題への対処、複雑な信頼性を要求される問題への対応、起案制限による効率化が挙げられた。そして、欧州委員会への権限委譲は、メンバー国の履行監視、複雑な信頼性を要求される問題への対応、起案制限による効率化の観点から説明されるとされる。 ECJへの権限委譲は、メンバー国の履行監視、不完全契約問題への対処の観点から説明されるとされた。他方、プリンシパル・エージェント理論では説明できないものとして、欧州議会が位置づけられた。また、プリンシパルたる各国がEUの活動を監視する方式としては、各国自らが積極的に監視にかかわるコミトロジー手続きのような警察パトロール型(能動的監視公式)と、ECJの利用に見られるような他者に監視を任せる火災警報型(他者にょる監視に依存する受動的監視公式)の2つが示された。

また、最近は、各レベルの専門家を含む主体間のディスコース(言説)の累積的変化に注目するディスコース理論の立場からのEU理解も見られる。競争政策の現代化改革(各国規制担当機関への分権化、事前規制から事後規制への転換、欧州競争政策ネットワークの創設)を例に考えてみよう。まず、この改革を、政府間主義に基づき加盟国政府による影響力回復の成果たる分権化と理解すべきである、あるいは超国家性をもつ委員会主導の政策合理化をめざす集権化と見るべきであるといった立場がある。これに対して、ディスコース理論の観点からは、委員会側・加盟国側のいずれかの主導権が反映されたわけではなく、それ以前から蓄積されていたディスコースを経由して生まれた、緩やかな対応とみなされるべきであると考える。つまり、中期的なディスコースの醸成が政策変容を導いたと考えるのである。

また、1993年のグリーンペーパー(欧州委員会が特定の政策分野に関して政策を準備する過程で刊行する文書)「ヨーロッパの社会政策(European Social policy)](1993)を契機とし、2000年に採択されたリスボン戦略において「ヨーロッパ社会モデル」が定着する過程においても、欧州委員会や議長国が作成するさまざまな政策文書とそれに関与する学者・専門家の役割が重要であったという。
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