goo

個人が組織に勝つ時代

個人が組織に勝つ時代が来る

 日曜日は、本からカタチにすることにします。

 皆の思いを自分の思いをする。自分の思いを皆の思いにする。その二番目ですね。そして、思いをカタチにする部分はNPOと一緒にやらないといけない。

 個人が企業に勝つことができます。何しろ、数が多いんだから。それは、個人が組織に勝つことと同じです。これはゲリラでもテロでもない。グループでの活動です。組織は大きくなればなるほど、弱体化する。組織の中の個人をグループに取り込んでしまえばいい。

 織田信長の時代とは違います。家康は部下が宗教に持って行かれた。これには、ジレンマを感じた。歴史的には、中央集権が求められていた時代だから、家康は勝ちました。

 中央集権で画一になれば、他者を攻めて、富を得て、それを分配できる時代だったからです。今後は、存在の力が多様性を可能にして、個人のニーズを満足させて、全体の力を増すということで、地方分権に変わっていきます。

アマゾンと図書館と市民

 図書館が電子書籍の社会に参画しないならば、アマゾンにとって代わる。図書館は単なる場になってくる。知識の場ではなくて。それは三者にとっての不幸です。

持続可能性という言葉

 持続可能性という言葉は、環境社会というところと一緒になっています。だけど、持続可能性事態の定義がされていない。

 次の世代に残すことぐらいしかない。どうやって、残すのか。生活を変えずに残すのか。そこにあるのは、エネルギーさえあれば、幸せという、今の価値観そのものです。そこから、ライフサイクルを変えることは出てきません。

 やはり、サファイア社会として、ローカルとグローバルの関係、ローカルでの分化といったものを一つのシナリオにしないといけない。

 環境の出発点は破壊です。産業は破壊から始まって、消費で終わっている。消費から、産業の出発点を想像できるか? ましてや、そこで、消費の態度を改められるか。そんなリテラシーを持つのは容易ではない。

 実際、問題、産業と消費はつながっていない。それを環境学習施設で見せるのが、エコットなどの環境学習施設でつながりを見せるのが、NPOの意図だけど、そんなことは市民は感じない。

環境学習施設での気づき

 自然のところを歩いたからと言って、産業が環境を潰している現場ではない。ヘルシンキ郊外のエスポーの町の環境学習施設も、結局、そう言うところでした。

 ハメリンナの環境学習施設で、Dr.ヘリから、市民との関係、環境との関係、湖の持つ意味を説明してもらい、Think Globally, Act Locallyでやっと、分かった。Think Globally, Act Locallyの概念を10年掛かって、自分の中で消化できるようになりました。

 そこで初めて、持続可能性という言葉に行き着くのです。そう簡単なものでない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« コミュニティ... 「分化」と「... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。