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図書館経営 マーケティングの必要性

『図書館制度・経営論』より PRとマーケティング

マーケティングの基本的な考え方

 マーケティングの定義は、対象領域の拡大にともなって大きく変化してきたが、ここでは、全米マーケティング協会の定義を参考に、「ある組織の目的を達成するため、選ばれた対象者群のニーズ・要求を満足させるように、その組織の経営資源・方針・諸活動を分析し、組織化し、調節する活動」としておく。

 この定義での「組織」は、企業でも非営利組織でもかまわない。企業の場合は、収益や市場占有率が目的になり、非営利組織の場合は、組織の性格によって、神への信仰の普及だったり、入学者や入館者の増大だったりと目的はさまざまだ。また、マーケティングの対象も利用者(企業でぃえぱ顧客)獲得だけではない。寄付金の獲得、活動を支えるための法律制定、有能な人材確保等、組織の目的を達成するために必要な、あらゆることがマーケティングの対象になる。

 この定義で重要なポイントは、「選ばれた対象者群」の部分だ。図書館でいえば、利用者一般や住民全体ではなく、特定のサービス対象者や利害関係者を選ぶという組織決定によってマーケティングは始まる。そこが、意識しようとしまいと実質的に行われているPRと大きく違うところだ。マーケティングは、組織目標達成のための対象者群選択という、組織の経営戦略全体にかかわる活動ととらえる必要がある。

非営利組織のマーケティングの特徴

 マーケティングは企業で開発された手法だが、その基本的な考え方と手法は、図書館を含む非営利組織にも十分適用可能なことが理論的にも実践的にも証明されている。そうはいっても、非営利組織固有の問題があり、企業マーケティングをそのまま非営利組織に適用することはできない。考慮すべき点は4つある。

 第1の点は、マーケティングの対象者が多様なことだ。企業の場合は、顧客が主要な収入源であり、マーケティングの対象は顧客獲得が中心となる。非営利組織では、一般にサービス対象者と資金提供者が異なることが多い。利用者と並んで、資金を提供してくれる人の獲得は欠くことができない。また政治家や行政担当者、各種団体等利害関係者もマーケティングの大事な対象者になる。

 第2に、組織目的の多様さがある。企業における収益等わかりやすい目的に比べて、図書館、大学、教会、政府などそれぞれの組織目的は単純ではないし、ひとつに絞りきれるものでもない。

 第3に、「売り物」が物理的製品ではなく、図書館サービスや読書活動推進のように、サービス、思想、生活態度など、形のないものが中心になっていることだ。限られた知識人が利用者であった時代と異なり、現代の大衆社会で図書館の価値は必ずしもすべての人に自明ではない。図書館の社会的意義を、利用者であるなしにかかわらず理解してもらうという、「思想、価値観」を売り物の対象にする社会的マーケティングが不可欠の要素になっている。

 第4の特徴は、公共性の保障だ。とくに公共性からの逸脱に対しては批判が集中しやすい。たとえば、マーケティングを効果的に行うためには、限られた経営資源を特定対象者に集中して投入する必要があり、除外した対象者との不均衡が生じる。あるいは、活動資金獲得のための事業も、努力した結果、収益があがりすぎると、本来の目的を逸脱している、という批判にさらされる可能性もあり、難しい問題だ。

マーケティング過程

 マーケティングには一連の過程がある。それを図書館に即してみてみよう。なによりもまず、経営目標、つまり図書館の戦略目標が必要だ。マーケティングは、組織の目標や価値を設定するものではない。目標が設定されてはじめて、それに到達する手段としてのマーケティング戦略が構築される。

 マーケティングは、市場機会の分析、標的市場の選定、マーケティング・ミクスの開発、計画と実施の制御、マーケティング監査の5段階を経て行われる。

 図書館の置かれた経営環境の分析が、市場機会分析の第一歩だ。そのうえで、図書館で行う情報サービスの利用促進を例にとれば、対象地域内の人口動態、人々の情報探索行動における影響要因、探索パターン等を調べ、図書館が応じられる情報ニーズの内容を明らかにする必要がある。実施の際の制約要因を発見することも大事な調査目的だ。

 マーケティングの対象となる図書館利用者(または新たに利用者としたい人)は一様ではない。その人たちの特性に応じてセグメントト定のマーケティング刺激に対して同じ反応をする集団)に分け、そのなかからマーケティング対象として最も効果的なセグメントを選ぶのが、標的市場の選定である。その際、競合する機関との関係から、対象セグメントを変更したり、対応するニーズを選別したりして、マーケット上にの場合、情報サービス市場)の図書館の位置づけを決めるのが位置設定(ポジショニング)だ。ただし、標的市場設定と位置設定に関しては、公共機関には企業と異なるさまざまな制約がある。社会的使命の観点から、あえて不利な(実施上困難の大きく、成功率の低い)セグメントを対象に選ぶこともありうる。
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近代的な主権国民国家の誕生

『平和構築入門』より 国際社会の拡大と変質 

国際社会の拡大の過程で、決定的な役割を演じたのは、近代的な主権国民国家の誕生であった。一九世紀には限られた数の国家だけが主権国家として認められていたが、それらの少数の大国による力の行使が認められ、帝国主義的拡張が認められたことによって、国際社会の地理的な拡大が進んでいった。当時のヨーロッパ国際社会は、民族自決のような一般原理によって成立していたものではなく、大国が形成するバランスーオブーパワーの秩序維持機能によって成立していた。大国間の力関係の均衡が維持される限り、帝国主義を通じた国際社会の地理的拡大は当然と考えられたのである。

ヨーロッパで市民革命と産業革命の後に生み出された近代という時代は、物質面・精神面での巨大な変化をもたらし、政治体制にも革命的な変化を導き出した。国民国家の登場は、近代という時代を政治面で象徴する事件である。国民と国家が同一物になる国民国家という制度は、歴史的にはフランス革命を経た後のヨーロッパにおいて初めて成立した。そしてイギリス産業革命を経た後のヨーロッパにおける圧倒的な産業生産力が、国民国家の力の拡大を後押しした。

二〇世紀以降の国際社会であれば、国民国家の理念は、世界の諸民族の独立を正当化し、脱植民地化を促進する役割を果たしたと言えるかもしれない。しかし一九世紀までの国際社会では、国民国家は、全世界の民族に約束されたものではなかった。むしろ国民国家として成立し、国力を増大させることに成功した二握りの大国だけが、優秀な民族=国民の国家として特権的な地位を認められた。

ヨーロッパ国際社会が帝国主義を通じて地理的に拡大していった時代には、国民国家の理念は、優秀な民族=国民が、優秀ではない民族を支配することを正当化するように働いたのである。優秀な民族=国民であれば、大国としての地位を持つ主権国家を形成するであろう。反対に、優秀ではない世界の大多数の民族は、帝国主義的膨張を進めるヨーロッパの主権国家に服従するしかなかった。

近代国民国家の時代への巨大な転換において、最も重大な影響を放った要素は、戦争である。国内的な側面と、対外的な側面の両方において、戦争が国家建設に深く結びついている。

イギリスの名誉革命、アメリカの独立革命、そしてフランス革命は、国内における武力闘争が、対外的な戦争と結びついたものであった。イギリス名誉革命はオランダの軍事介入によって、アメリカ独立革命はフランスなどの諸国の参戦によって、そしてフランス革命はナポレオンの軍事的天才によって、革命勢力側に勝利がもたらされた。アメリカの南北戦争の決定的な影響は、内戦に北部の連邦軍が勝利し、南部を軍事占領し、南部諸州の代表が不在の間に合衆国憲法の修正が次々と進められたという事実によって、確立された。ドイツの場合であれば、そもそもプロイセンの鉄血政策によって統一がなされ、ロシアや中国のような後進国においても革命闘争が国民国家の形成を可能にした。

日本では革命勢力による戊辰戦争と、その後の一連の内戦の圧倒的な勝利が、近代国家建設の行方を決めた。近代的な国民国家の建設にあたっては、内政面における戦争と革命が、統一的な国家の理念を定め、国家形成の精神的土台を作り出してきたのである。

もちろん対外的な戦争も、国家建設に大きな役割を持った。ヨーロッパにおいて頻発した戦争こそが、国民国家を作り出した。二〇世紀の社会学の巨人、アンソニー・ギデンズが論じたように、戦争を行うために国家は変質し、戦争を行ったがゆえに国家は変質した。また、ブルが論じたように、ヨーロッパ国際社会の時代である一八、一九世紀において、戦争は、国際社会のある種の「制度」の一つであった。一九世紀になる頃には、国際秩序維持機能を果たす「大国」による寡占状態が生まれた。

国民国家の制度が拡充した国では、中央政府の財政力や軍事力も高まり、行政能力も向上した。国民国家のイデオロギー、つまり国家と国民を同一視する信念が定着して、徴兵制による国民軍を典型とする「大規模な常備軍」が可能となった。

常備軍は、対外的な戦争の規模を拡大させ、国家間の競争をよりいっそう熾烈なものにした。常備軍は、国民の国家への帰属意識を高める。そこで徴税・徴兵が進められるが、それによって政府の行政管理能力はいっそう強化され、兵士やその家族という肥大化した行政府職員の社会保障政策も拡充されることになる。

さらには彼らの政治参加への声も吸い上げられるようになる。戦争が総力戦の様相を呈するにしたがって、国民国家における市民権も広がった。たとえば、普通選挙は、一九世紀半ば以降に、フランス、ドイツ、アメリカといった国々で、国民国家の段階的形成の過程で導入されていったが、第一次世界大戦をへてやっとイギリスで男子普通選挙(一九一八年)、ドイツで世界初の完全普通選挙(一九一九年)、アメリカで女子参政権付与(一九二〇年)と進んでいった歴史的経緯は、国民国家の戦争が、大衆の政治参加を進める要因として働いたことを示す。

このようにヨーロッパの特殊な環境で「国民国家」が生まれ、帝国主義的拡張も起こった。しかし二〇世紀になって、この「国民国家」モデルが突然普遍化したことによって、矛盾が拡大していった。
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超国家性と政府間主義の間

『国際行政論』より 地域組織の実験 ヨーロッパ EUの性格と課題

EUには通常の国際組織とは異なる超国家性が存在するという議論があり、他方、EC/EUも基本的には政府間の合意によって設立されたのだとする政府間主義と呼ばれる議論があった(Moravcsik 1998)。歴史的には、第二次世界大戦後のヨーロッパの復興プロセスの中で、国家の自律性回復と欧州統合は同時に進められたとする、「国民国家の救出」としての欧州統合論が主張された(Milward 1992)。前述のように、条約の締結のような場面では政府間会議が登場してくるため、政治学者は概して政府間主義の立場に立ちがちであった。また、日常的な運用においても、欧州理事会、閣僚理事会、CORPER、その下の各国からの参加者による作業部会等の重層的な直接的接触や二次立法の提案作成段階において各国が参画するコミトロジー手続きという局面では、政府間主義に適合的な現象が観察された。他方、法律学者からは、EU法が直接適用され、ECJが大きな役割を果たすEUのシステムは、通常の国際組織とは異なる超国家性のあるものと理解される傾向があった。

以上のような2つの立場に対して、国家をプリンシパル(本人)、EUの諸組織をエージェント(代理人)として理解する観点から、プリンシパル・エージェント理論に基づく議論も進められた。この立場からは、いかなる条件の下でいかなる理由でどの程度の自律性をEUの組織がもつのかという観点での説明が展開された。プリンシパルたる国家がEU組織に権限委譲を行う機能的理由としては、メンバー国の履行監視、不完全契約問題への対処、複雑な信頼性を要求される問題への対応、起案制限による効率化が挙げられた。そして、欧州委員会への権限委譲は、メンバー国の履行監視、複雑な信頼性を要求される問題への対応、起案制限による効率化の観点から説明されるとされる。 ECJへの権限委譲は、メンバー国の履行監視、不完全契約問題への対処の観点から説明されるとされた。他方、プリンシパル・エージェント理論では説明できないものとして、欧州議会が位置づけられた。また、プリンシパルたる各国がEUの活動を監視する方式としては、各国自らが積極的に監視にかかわるコミトロジー手続きのような警察パトロール型(能動的監視公式)と、ECJの利用に見られるような他者に監視を任せる火災警報型(他者にょる監視に依存する受動的監視公式)の2つが示された。

また、最近は、各レベルの専門家を含む主体間のディスコース(言説)の累積的変化に注目するディスコース理論の立場からのEU理解も見られる。競争政策の現代化改革(各国規制担当機関への分権化、事前規制から事後規制への転換、欧州競争政策ネットワークの創設)を例に考えてみよう。まず、この改革を、政府間主義に基づき加盟国政府による影響力回復の成果たる分権化と理解すべきである、あるいは超国家性をもつ委員会主導の政策合理化をめざす集権化と見るべきであるといった立場がある。これに対して、ディスコース理論の観点からは、委員会側・加盟国側のいずれかの主導権が反映されたわけではなく、それ以前から蓄積されていたディスコースを経由して生まれた、緩やかな対応とみなされるべきであると考える。つまり、中期的なディスコースの醸成が政策変容を導いたと考えるのである。

また、1993年のグリーンペーパー(欧州委員会が特定の政策分野に関して政策を準備する過程で刊行する文書)「ヨーロッパの社会政策(European Social policy)](1993)を契機とし、2000年に採択されたリスボン戦略において「ヨーロッパ社会モデル」が定着する過程においても、欧州委員会や議長国が作成するさまざまな政策文書とそれに関与する学者・専門家の役割が重要であったという。
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