未唯への手紙
未唯への手紙
哲学探究 はじめに
『哲学探究』より 『哲学探究』はヴィトゲンシュタインの第二の主著
この本で発表する考えは、この16年間、私がやってきた哲学探究の結果である。たくさんのテーマについて考えた。意味の概念、理解の概念、文の概念、論理の概念、数学の基礎、意識の状態などなど。これらについての考えはすべて、コメントとして、短いパラグラフとして書きつけた。おなじテーマについて、コメントが長めにつながっていることもあれば、ひとつの領域から別の領域へ突然ジャンプしていることもある。--最初は、すべてをI冊の本にまとめてしまうつもりだった。どんな形の本にするか、いろんな時期にいろいろ思い描いた。しかし基本方針にゆらぎはなく、考えというものは、ひとつのテーマから別のテーマヘ、自然に破綻なくつながって、すすんでいくべきものだと思っていた。
16年間の成果をまとめようとしては何度か失敗して、気がついた。この方針では絶対にうまくいかないだろう。もしも、私の考えたことを、自然の傾向に逆らって、一つの方向に無理やりすすめていこうとすれば、私が書くことのできた最上のものでさえ、哲学的なコメントにとどまるだけではなのの性質と関係があった。つまり探究をはじめれば、どうしても、ひろい思考領域をあちこちあらゆる方向に旅して回らざるをえなくなるのだから。--この本の哲学的なコメントは、いわば、長くて錯綜したその旅で描かれた、たくさんの風景スケッチのようなものである。
おなじ場所、またはほとんどおなじ場所について、いろんな方向からいつもあらためて言及され、つねに新しいスケッチが描かれる。それらのうち数多くのスケッチは、描きそこないであったり、特徴のないものであったりで、へっぽこ画家のあらゆる欠点をそなえていた。できそこないのスケッチを捨てると、なんとかましなスケッチが何枚か残ったので、ともかくそれらの配置を考えたり、なんども切りそろえたりして、1枚の風景画に見えるようにした。--というわけで、この本はじつはアルバムにすぎない。
生きているあいだに自分の仕事を本にすることは、つい最近まで、じつはあきらめていた。しかし、本にしたいという思いが、ときどき頭をもたげてきた。そのおもな理由は、講義や口述ノートやディスカッションで私が伝えた仕事の成果が、さまざまに誤解され、程度の差はあれ薄められたり、切り刻まれたまま、流布しているのを見聞きするようになったからである。おかげで私は自分の考えをきちんと伝えたいと思うようになり、その気持ちを静めるのに苦労した。
4年前に、私の最初の本(『論理哲学論考』)を読みなおし、『論考』の考えを説明する機会があった。そのとき突然ひらめいた。以前の『論考』の考えと新しい考えとをひとつの本として出すべきではないか。新しい考えは、以前の私の考え方と対比され、それを背景にしてはじめて、正しい光のもとでながめられるのではないか。
というのも、16年前にふたたび哲学と取り組みはじめてから、私は、あの最初の本に書きつけたことに、たいへんなまちがいがあることに気づかざるをえなかったからだ。まちがいに気づいたのは、フランク・ラムジーが私のアイデアを批判してくれたおかげである。--その批判にどれくらい助けられたのか、私自身はほとんど判断することができないが--ラムジーとは、彼の死ぬ前の2年間、『論考』のアイデアについて何度も何度も議論を重ねたものだ。ラムジーはいつも強力で確かな批判をしてくれたが、ラムジー以上に私を助けてくれたのが、ここケンブリッジ大学の教員、P・スラッフアさんである。長年にわたって、たえず『論考』の考えを批判してくれた。その批判に刺激されて、この本のなかでもっとも実り豊かなアイデアが生まれたのである。
私がこの本で書いていることは、ほかの人がいま書いていることと重なるだろうが、その理由は、ひとつだけではない。--私のコメントで、私のものだというスタンプが押されていないものについては、--これからも私のオリジナルだと主張するつもりはない。
私の考えたことをここに公表するわけだが、あまり自信がない。私の仕事はみすぼらしく、この時代は暗い。誰かの脳に光を投げかけたいのだが、それは不可能ではないにしても、もちろん、なかなかむずかしい。
私の書いたものによって、ほかの人が考えなくてすむようになることは望まない。できることなら、読んだ人が刺激され、自分の頭で考えるようになってほしい。
いい本をつくりたかった。けれどもそうならなかった。だが私には手を入れる時間が、もうない。
1945年1月、ケンブリッジ
この本で発表する考えは、この16年間、私がやってきた哲学探究の結果である。たくさんのテーマについて考えた。意味の概念、理解の概念、文の概念、論理の概念、数学の基礎、意識の状態などなど。これらについての考えはすべて、コメントとして、短いパラグラフとして書きつけた。おなじテーマについて、コメントが長めにつながっていることもあれば、ひとつの領域から別の領域へ突然ジャンプしていることもある。--最初は、すべてをI冊の本にまとめてしまうつもりだった。どんな形の本にするか、いろんな時期にいろいろ思い描いた。しかし基本方針にゆらぎはなく、考えというものは、ひとつのテーマから別のテーマヘ、自然に破綻なくつながって、すすんでいくべきものだと思っていた。
16年間の成果をまとめようとしては何度か失敗して、気がついた。この方針では絶対にうまくいかないだろう。もしも、私の考えたことを、自然の傾向に逆らって、一つの方向に無理やりすすめていこうとすれば、私が書くことのできた最上のものでさえ、哲学的なコメントにとどまるだけではなのの性質と関係があった。つまり探究をはじめれば、どうしても、ひろい思考領域をあちこちあらゆる方向に旅して回らざるをえなくなるのだから。--この本の哲学的なコメントは、いわば、長くて錯綜したその旅で描かれた、たくさんの風景スケッチのようなものである。
おなじ場所、またはほとんどおなじ場所について、いろんな方向からいつもあらためて言及され、つねに新しいスケッチが描かれる。それらのうち数多くのスケッチは、描きそこないであったり、特徴のないものであったりで、へっぽこ画家のあらゆる欠点をそなえていた。できそこないのスケッチを捨てると、なんとかましなスケッチが何枚か残ったので、ともかくそれらの配置を考えたり、なんども切りそろえたりして、1枚の風景画に見えるようにした。--というわけで、この本はじつはアルバムにすぎない。
生きているあいだに自分の仕事を本にすることは、つい最近まで、じつはあきらめていた。しかし、本にしたいという思いが、ときどき頭をもたげてきた。そのおもな理由は、講義や口述ノートやディスカッションで私が伝えた仕事の成果が、さまざまに誤解され、程度の差はあれ薄められたり、切り刻まれたまま、流布しているのを見聞きするようになったからである。おかげで私は自分の考えをきちんと伝えたいと思うようになり、その気持ちを静めるのに苦労した。
4年前に、私の最初の本(『論理哲学論考』)を読みなおし、『論考』の考えを説明する機会があった。そのとき突然ひらめいた。以前の『論考』の考えと新しい考えとをひとつの本として出すべきではないか。新しい考えは、以前の私の考え方と対比され、それを背景にしてはじめて、正しい光のもとでながめられるのではないか。
というのも、16年前にふたたび哲学と取り組みはじめてから、私は、あの最初の本に書きつけたことに、たいへんなまちがいがあることに気づかざるをえなかったからだ。まちがいに気づいたのは、フランク・ラムジーが私のアイデアを批判してくれたおかげである。--その批判にどれくらい助けられたのか、私自身はほとんど判断することができないが--ラムジーとは、彼の死ぬ前の2年間、『論考』のアイデアについて何度も何度も議論を重ねたものだ。ラムジーはいつも強力で確かな批判をしてくれたが、ラムジー以上に私を助けてくれたのが、ここケンブリッジ大学の教員、P・スラッフアさんである。長年にわたって、たえず『論考』の考えを批判してくれた。その批判に刺激されて、この本のなかでもっとも実り豊かなアイデアが生まれたのである。
私がこの本で書いていることは、ほかの人がいま書いていることと重なるだろうが、その理由は、ひとつだけではない。--私のコメントで、私のものだというスタンプが押されていないものについては、--これからも私のオリジナルだと主張するつもりはない。
私の考えたことをここに公表するわけだが、あまり自信がない。私の仕事はみすぼらしく、この時代は暗い。誰かの脳に光を投げかけたいのだが、それは不可能ではないにしても、もちろん、なかなかむずかしい。
私の書いたものによって、ほかの人が考えなくてすむようになることは望まない。できることなら、読んだ人が刺激され、自分の頭で考えるようになってほしい。
いい本をつくりたかった。けれどもそうならなかった。だが私には手を入れる時間が、もうない。
1945年1月、ケンブリッジ
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行きも帰りもポーチ一つ
新しい議論方式
議論するための新しい方式をどこで、どういうカタチにするのか、これも大きなテーマです。未唯空間でやった細かい所、詳細の部分はもっと分化させます。具体的にします。同時に、全体のコントロールを未唯空間で行います。
人にぶつかってばかりいる
見えないことはさほど、意味を持たない。むしろ、内側を見るには、丁度いいかもしれない。そういうつもりでいます。それにしても、町で、人にぶつかることが多い。回避活動はしていません。
マックはまた、グラコロをやっているんですね。見えなかったので、エッグバーカーにしてしまった。
行きも帰りもポーチ一つ
資料は新幹線の中に置いてきてしまった。もらった名刺も。まあ、トレースはできます。結局、行く時も帰るときも、このポーチ一つです。
持って行った四つのツールを使いました。キンドルHDで未唯空間の項目変更、キンドルパーパーで読書、ICレコーダは講演内容の録音、iPadminiは録画しました。色々な側面で使えるものです。ポーチ一つに収めています。
ここに来ている、技術者と言われる連中は、スマホ一つでやっているのでしょう。
ケータイを持って行かない
千人以上居た人たちでケータイを持っていないのは、私ぐらいでしょう。それで選択してもらえばよかったのに。
これも内なる世界です。コンテンツ重視です。自分の中の内なるポリシーです。それでいながら、ケータイをどう使って、スマホにどう出すかを考えています。ポータルをタブレットと同じイメージではなく、チャッターモバイルを用いたパターンにしていけば、時代が付いてきます。
冬の季節はミカロスの気分
また、冬の季節です。会社ではミカロスの気分の雰囲気なんでしょう。今は、黒のフードをかぶりたい感じです。
右足の親指の付け根が腫れています。昨日、豊田市まで歩いただけなのに。やはり、身体のことは外の世界にしましょう。
池田晶子
帰りの新幹線で、池田晶子さんの「考える日々Ⅲ」をキンドルで読んでいた。
「所詮、この世は、所詮、この世のことだもの」というのが口癖です。
「考える人は、どうやっても、この世の中はどうでもいいということに、結局なってしまう」
シンクロしますね。
池田晶子さんの人生観は、常に死を考えています。40歳まで生きてきたことに感慨を持ってあたっていた。まあ、どうでもいいけど、その感覚です。
それとやっぱり、知らない間に生まれてきたこと。親との関係でもセックスとの関係でもない。
私の目が見えないこと、親指が痛いこと、そんなことは他の人には分からない。そういう人たちとどのようにコミュニケーションが取れるのか。取れるはずがない。それを前提とします。やはり、どうでもいいことはどうでもいい。
組織に縛られようとする人間は好きにはなれない。他の人間に判断をゆだねたら、自分の人生ではない。
次元の圧縮・拡大
集合が点になるというのはすごいことですね。それで、その点での次元を圧縮したり、拡大したりできる。これの現実的なカタチ。
ビブロバトル
ビブロバトルが日曜日にあります。私が選ぶとしたら、どんな本なのでしょうか。
「白夜の国の図書館」でのロバニエミ公共図書館、「複雑性とは何か」エドガール・モラン、古い所では、「戦争と平和」そして、デカルトの「方法序説」「感性論」
当日は、皆は何を言ってくるのか。
議論するための新しい方式をどこで、どういうカタチにするのか、これも大きなテーマです。未唯空間でやった細かい所、詳細の部分はもっと分化させます。具体的にします。同時に、全体のコントロールを未唯空間で行います。
人にぶつかってばかりいる
見えないことはさほど、意味を持たない。むしろ、内側を見るには、丁度いいかもしれない。そういうつもりでいます。それにしても、町で、人にぶつかることが多い。回避活動はしていません。
マックはまた、グラコロをやっているんですね。見えなかったので、エッグバーカーにしてしまった。
行きも帰りもポーチ一つ
資料は新幹線の中に置いてきてしまった。もらった名刺も。まあ、トレースはできます。結局、行く時も帰るときも、このポーチ一つです。
持って行った四つのツールを使いました。キンドルHDで未唯空間の項目変更、キンドルパーパーで読書、ICレコーダは講演内容の録音、iPadminiは録画しました。色々な側面で使えるものです。ポーチ一つに収めています。
ここに来ている、技術者と言われる連中は、スマホ一つでやっているのでしょう。
ケータイを持って行かない
千人以上居た人たちでケータイを持っていないのは、私ぐらいでしょう。それで選択してもらえばよかったのに。
これも内なる世界です。コンテンツ重視です。自分の中の内なるポリシーです。それでいながら、ケータイをどう使って、スマホにどう出すかを考えています。ポータルをタブレットと同じイメージではなく、チャッターモバイルを用いたパターンにしていけば、時代が付いてきます。
冬の季節はミカロスの気分
また、冬の季節です。会社ではミカロスの気分の雰囲気なんでしょう。今は、黒のフードをかぶりたい感じです。
右足の親指の付け根が腫れています。昨日、豊田市まで歩いただけなのに。やはり、身体のことは外の世界にしましょう。
池田晶子
帰りの新幹線で、池田晶子さんの「考える日々Ⅲ」をキンドルで読んでいた。
「所詮、この世は、所詮、この世のことだもの」というのが口癖です。
「考える人は、どうやっても、この世の中はどうでもいいということに、結局なってしまう」
シンクロしますね。
池田晶子さんの人生観は、常に死を考えています。40歳まで生きてきたことに感慨を持ってあたっていた。まあ、どうでもいいけど、その感覚です。
それとやっぱり、知らない間に生まれてきたこと。親との関係でもセックスとの関係でもない。
私の目が見えないこと、親指が痛いこと、そんなことは他の人には分からない。そういう人たちとどのようにコミュニケーションが取れるのか。取れるはずがない。それを前提とします。やはり、どうでもいいことはどうでもいい。
組織に縛られようとする人間は好きにはなれない。他の人間に判断をゆだねたら、自分の人生ではない。
次元の圧縮・拡大
集合が点になるというのはすごいことですね。それで、その点での次元を圧縮したり、拡大したりできる。これの現実的なカタチ。
ビブロバトル
ビブロバトルが日曜日にあります。私が選ぶとしたら、どんな本なのでしょうか。
「白夜の国の図書館」でのロバニエミ公共図書館、「複雑性とは何か」エドガール・モラン、古い所では、「戦争と平和」そして、デカルトの「方法序説」「感性論」
当日は、皆は何を言ってくるのか。
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