goo

タカをくくった日本軍と東電

『ニッポンが変わる、女が変わる』より 敗戦と原発、その失敗の本質

上野 3・11以後読んだ本の中でもっとも参考になった本が、経営学者の野中郁次郎さんらが書かれた『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』ですが、その中に、こんな明快な発言がありました。「戦略の失敗は戦術では補えない。戦術の失敗は戦闘では補えない」。

加藤 その通りです。現場が頑張っても取り返しはつきません。

上野 戦闘の場で、現場の人間がどんなに最善を尽くして戦っても、戦術、戦略が誤っていればうまくいかない。個人の英雄的な努力では限界があります。その戦略、戦術の失敗に踏み込んだレポートは、この4つの中にありましたか?

加藤 戦略論のプロを検証委員会に入れていたのは来電だったかな。ただ来電はもちろん、自分が責任者だという自覚がないままに書いています。

上野 私はもっと批判的に見ています。責任逃れが東電の報告書の目的です。

加藤 戦略・戦術・戦闘という3つの段階で言うと、日本はいつも戦闘にあたる部分、出先の踏ん張りに注目が集まりますね。津波から守るためにお年寄りを背負って山を登った自衛隊員の奮闘を、褒める。たしかに立派なのです。ただ、自衛隊員がフル出動しなければならないような人災をもたらした、規制庁と来電の不作為という根本への追及を止めてはいけない。戦争についても同じです。兵の苦闘へは目がいきますが、兵の大半を餓死させたような作戦をそもそも選択した大本営の決定の誤りは見えにくい。開戦決定時に会議に挙げられたデータは、巧妙に操作されていました。たとえば撃沈される船舶量を予測する際、あえて、第一次世界大戦時の古いデータを用いて過小に積算し、日本の造船量をもってすれば大丈夫と会議でぶつ。今回の事故でも、津波の高さの予測、配管の不具合部分の過小評価など、数値という点での楽観があったのではないでしょうか。

上野 私はもっと厳しい見方をしています。東電事故調については、「想定外」という言葉はすべて内部情報の隠蔽です。実は貞観地震についても、2006年に津波専門家から情報が上がっていました。あとで出した改訂版はその事実を認めましたが。国民の批判的な目に耐えきれなかったのでしょう。

加藤 コスト意識が、第一にきたのでしょうね。

上野 海軍がなぜ敵の兵力を見誤ったかを、渾地さんが見事な一言で「タカをくくっていたんでしょう」とおっしゃっている(笑)。来電も夕力をくくっていたのです。

加藤 一見すると説得力のある数値を出しているようですが、要は、「だから安全」だ、との結論を導くためのものですね。先に結論ありきで、説得材料がかき集められる。東電の度し難さは、事故の検証報告書の段階でも、過去の地震や津波の事例について、自分に都合のいい学会の数値だけを載せているところです。

上野 こうなると、私も陰謀史観説を信じたくなります(笑)。

加藤 東電の事故調は、読んでいて苦痛でした。誤りを認めてしまっては、誰かに迷惑がかかる、とでもいうような書きぶりでした。

上野 本人たちに責任者としての当事者意識がないんですよね。戦略という点では、「絶対負けるはずのない戦争」が、原発の「絶対安全神話」とオーバーラップします。

加藤 日本社会に通底する、組織の悪弊なのでしょう。ため息が出ます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

定年後うつ病

『57歳からの意識革命』より

男性にとって定年制度はじつにむごい制度です。政府は65歳まで働けるようにしろと言っていますが、65歳でもまだまだ元気です。十分に働ける人を辞めさせる定年退職は、社会からの退場宣告にも近いのではないかと私は感じています。

私は定年の近い患者さんたちには皆「なんらかの形で仕事を続けたほうがいいですよ」とアドバイスしてきました。仕事が無理ならボランティアでもいいから社会に関わり続けることです。家に閉じこもったり、ごろごろしているのが一番いけない。これは私の治療経験からの確信です。また、私は病院以外のいろいろな活動でさまざまな高齢男性の方と接してきました。病人ばかりとおつきあいしてきたわけではないのです。

定年退職によって隠居生活に入ってはいけないというのは、そういう見聞のうえでの確固たる思いです。

患者さんたちの多くは仕事のストレスでうつ状態になったので、定年後は早く仕事のストレスから逃れたいと言います。そして私が「じつは定年後のほうがつらいんですよ。仕事を続けたほうが絶対にいいですよ」とアドバイスしても、とりあえずゆっくりしたいと言って退職なさいます。そうしてしばらくは旅行や趣味のゴルフ・釣りなどを満喫し、また読書などに打ち込むのですが、次第に体調が悪くなってくるのです。早い人で数か月、遅い人でも2、3年くらいで症状が出てきます。結局、現役時代と同じようなうつ状態になるのですが、この「定年後うつ病」は簡単には治せません。現役時代はストレスが多いためにうつ病になったのだから、ストレスを少なくしたり、ストレスの避け方を工夫すれば事足りました。しかし、何のプレッシャーもないと、人はやる気を失ってしまいます。定年後はストレスのないことがストレスになるのです。だから対応がむずかしい。

あるデータをご紹介しましょう。それは定年後の男性の自殺が意外に多いことを示しています。「年代別の自殺者数」に関する厚労省の平成15年の統計です。

これによれば、女性の自殺者数は、20代後半から50歳くらいまでほとんど変わりません。

それに比べて男性の自殺は、年齢が上がるごとに増えていきます。

これは、男性は仕事のストレスの影響を受けやすいからだと考えられます。では、仕事をリタイアしているはずの60代前半の男性の自殺者があまり減らない(10万人あたり58・4人)のはなぜでしょうか。

60代以上の男性は時間に追われることもありませんし、失敗が許されないというストレスもありません。経済的にはそれほどゆとりがなくても、多くの方が退職金をもらっているでしょうし、年金があります。そういう人たちがなぜ自殺に追い込まれるのでしょうか。

その理由は、この年代の男性が仕事を辞めて引退し、自分の社会的役割を見失ってしまい、強い孤独感と喪失感の中にいるからではないかと想像されます。

まだ働いている50代後半の男性の自殺者数は10万人あたり71・1人とすべての年代の中で最も多いわけですが、これも、定年退職後の不安が強く影響していると思われるのです。

気持ちがしっかりしていれば、人は多少の病気や経済的な問題で死のうとは考えません。自分は世の中に必要ないのではないかと落ち込んでいるときに、病気を患ったり経済的に行き詰まったりすることが、自殺への大きな引き金になるのだと思います。あるいは逆に、病気や経済的問題がうつ状態を引き起こすのです。どちらにしても、病気や経済的な問題が直接自殺の原因になるとは考えられません。

がんの患者さんで死にたいと言う人もいるでしょうが、むしろ最後まで治療法を求めて東奔西走したりしてがんばる方のほうがはるかに多いのではないでしょうか? うつ病でないかぎり、普通の方は生に執着すると思います。私の患者さんにも、病気を抱えていて、ときどき死にたいとおっしやる方がいますが、メンタル面を治療すれば、そういうことは言わなくなり、死にたいと言っていたことが嘘のように元気に暮らしていらっしやいます。

自殺の原因がうつ病であり、孤独がその引き金になっていると確信するからこそ、私は引退すべきではなく、できれば仕事をし、無理ならボランティアでも何でもいいから、社会的な絆を持ち続けるべきだと主張しているのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「分化」と「統合」のバランス

『組織を強くする人材活用戦略』より 組織を「分化」する

高度な分化が必要な時代に

 社員を変えるには、組織の枠組みを変える必要があります。

 工業化社会に過剰適応したサラリーマン社員を、ポストエ業化社会に活躍できるプロの社員に変え、その能力を引き出すには、どんな組織にすればよいでしょうか。

 以下、それを説明していくことにします。

 組織論には、古くから「分化」と「統合」という対立する概念があります。

 組織の中にはさまざまな部門があり、それぞれの部門が特有の環境と対峙しています。たとえば研究開発部門の環境は不確かで変化が激しく、逆に製造部門の環境は確実性が高く比較的安定しています。そのため各部門は、それぞれの環境に応じた特徴を備えなければなりません。研究開発部門には長期的な視野や独創性、柔軟な思考力を身につけた人を配置し、自由かつ柔軟なマネジメントを行う必要があります。

 一方、製造部門には正確性や迅速性の優れた人を配置し、規律と統制に重点を置いたマネジメントが必要になります。また営業には、人当たりがよく交渉力やサービス精神のある人を置き、成果を意識させながら自律的に仕事をさせることが大切です。

 したがって、複雑で多様な環境に直面している組織ほど、それぞれの環境に応じて「分化」した部門を抱えるわけです。しかも部門間の差異はいっそう大きくなります。その結果、一つの会社の中に、まるで違う会社のように異質な下部組織ができることもあります。

 一方で組織は、全体の目的・目標を達成するために部門間の調整や協力が欠かせません。それが「統合」です。すなわち、組織には「分化」と「統合」のバランスが必要なわけです。

 問題は、そのバランスをどこに見出すかです。

 企業を取り巻く環境は複雑化、多様化する一方です。

 自動車や電機製品一つ取り上げても、少品種大量生産から多品種少量(変量)生産へとシフトし、製品ごと、仕様ごとに独自の市場や顧客層を相手にしています。サービス業や小売業も、多様化する顧客のニーズに応えられるよう、会社としては多様な人材と体制を整えておかなければなりません。また技術革新や流行のサイクルも、以前に比べると格段に短くなっています。

 グローバル化の影響も見逃せません。企業が世界各地へ進出すると、現地の特性、ニーズに合った経営が必要になり、多様な人材が求められます。同じ技術者でもアメリカと中国、インドでは要求される能力、仕事内容はまったく異なります。マネジャーの役割も当然違ってきます。したがって、雇用・人事管理もまた、現地の風土や慣習、法制度、労働市場に合わせなければなりません。

 それだけ「分化」の必要性が大きくなってきたわけです。

IT化で統合が容易に

 一方で、ポストエ業化の時代には、それほど強固な「統合」は必要でなくなっています。

 第一に、IT化によって周辺作業から解放された社員は仕事の守備範囲が広がり、一人である程度まとまった仕事を処理できるようになりました。サービスや営業の仕事では、従来は数人で行っていた仕事を単独でこなすケースが増えていますし、生産現場でも組み立て作業などで一人生産システムが普及してきています。歩調を合わせて一緒に働く共同作業の必要性がそれだけ減ったわけです。

 第二に、そもそも統一性や両二性を要する仕事は、それを得意としている機械やコンピュータに任せればよいでしょう。そしてインターネットやモバイル端末などを活用すれば、「分化」しながらも容易に「統合」できます。会議を開いたり、直接会ったりしなくても、Eメールやテレビ会議などで済む案件も少なくありません。

 このように、必要な「分化」と「統合」の均衡点が「分化」のほうヘシフトしているのです。

 こうした環境の変化を敏感に察知して組織を再設計している企業があります。

 たとえば、リクルートは自社の業務が多様化するなかで、それぞれの事業環境に適した経営を行うため、2012年に社内のカンパニーを分社化しました。リクルート・ホールディングスにいるスタッフは分社化した会社からの出向扱いにしていることからも、「分化」への強い意志がうかがえます。

 また、京セラのアメーバ経営、パナソニックの事業部制復活なども、多様な環境に適応する「分化」戦略ととらえることができます。そのほか、創造的な仕事に携わる社員や顧客サービスを担当する社員などは独立子会社に移し、そこでは独自の了不ジメントを行っている企業もあります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

個人が組織に勝つ時代

個人が組織に勝つ時代が来る

 日曜日は、本からカタチにすることにします。

 皆の思いを自分の思いをする。自分の思いを皆の思いにする。その二番目ですね。そして、思いをカタチにする部分はNPOと一緒にやらないといけない。

 個人が企業に勝つことができます。何しろ、数が多いんだから。それは、個人が組織に勝つことと同じです。これはゲリラでもテロでもない。グループでの活動です。組織は大きくなればなるほど、弱体化する。組織の中の個人をグループに取り込んでしまえばいい。

 織田信長の時代とは違います。家康は部下が宗教に持って行かれた。これには、ジレンマを感じた。歴史的には、中央集権が求められていた時代だから、家康は勝ちました。

 中央集権で画一になれば、他者を攻めて、富を得て、それを分配できる時代だったからです。今後は、存在の力が多様性を可能にして、個人のニーズを満足させて、全体の力を増すということで、地方分権に変わっていきます。

アマゾンと図書館と市民

 図書館が電子書籍の社会に参画しないならば、アマゾンにとって代わる。図書館は単なる場になってくる。知識の場ではなくて。それは三者にとっての不幸です。

持続可能性という言葉

 持続可能性という言葉は、環境社会というところと一緒になっています。だけど、持続可能性事態の定義がされていない。

 次の世代に残すことぐらいしかない。どうやって、残すのか。生活を変えずに残すのか。そこにあるのは、エネルギーさえあれば、幸せという、今の価値観そのものです。そこから、ライフサイクルを変えることは出てきません。

 やはり、サファイア社会として、ローカルとグローバルの関係、ローカルでの分化といったものを一つのシナリオにしないといけない。

 環境の出発点は破壊です。産業は破壊から始まって、消費で終わっている。消費から、産業の出発点を想像できるか? ましてや、そこで、消費の態度を改められるか。そんなリテラシーを持つのは容易ではない。

 実際、問題、産業と消費はつながっていない。それを環境学習施設で見せるのが、エコットなどの環境学習施設でつながりを見せるのが、NPOの意図だけど、そんなことは市民は感じない。

環境学習施設での気づき

 自然のところを歩いたからと言って、産業が環境を潰している現場ではない。ヘルシンキ郊外のエスポーの町の環境学習施設も、結局、そう言うところでした。

 ハメリンナの環境学習施設で、Dr.ヘリから、市民との関係、環境との関係、湖の持つ意味を説明してもらい、Think Globally, Act Locallyでやっと、分かった。Think Globally, Act Locallyの概念を10年掛かって、自分の中で消化できるようになりました。

 そこで初めて、持続可能性という言葉に行き着くのです。そう簡単なものでない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )