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数学モデルと現実の世界

数学モデルと現実の世界

 LとGとの関係が出てくると、LLとLとの関係、GとGGとの関係が出てくる。そして、LLとGGとの関係になる。それは、ものすごく、遠いように見えるけど、これはつながっています。それが次の世界の特徴です。

 数学モデルでは簡単にできることを、現実社会でどのようにしていくのか、そのためのツールが用意されている。個人の方から拡大したということです。個人がどこに所属するのか、所属しなくても、自分たちでグループを作れば、グループとして、どうやっていくのか、考えられる。本当に自律した世界です。

 その中に、組織の論理を入れ込むような、スパルタのような世界もあるし、直接民主制のアテネように様なカタチもある。それが、その時によって、お互いに連合していく。その不安定なものをいかに、安定よくやっていくかが、全体のコントロールです。EUで言うところの、Think Globallyです。

クルマを位置づける

 そういった中で、クルマというものをどう位置付けていくのか、どう変わっていくのか。販売店システムもその中に入ってきます。と言っても、人が主役です。そして、スタッフが発信すること。

 富山での6時間の社長とのミーティングを思い出します。組織でのスタッフの扱い方を変えたくない。変えれない。過去の成功体験から脱出できない。社長は責任を持つというけど、その責任は何の責任なのか。企業存続の責任と言っていたけど、時代に合わない企業は淘汰されます。だから、一生懸命、見ていこうとしています。

 日本は、国民国家というあまりにも特殊な世界にすっぽり、はまってしまった。それの悪さの弊害に気づく前に、依存の世界に入ってしまった。

組織はつぶれていく

 SNSをチャッターでやるとしたら、どのようにやるのかを私の方でやります。題材はポータルの検討会そのものです。組織が成り立たなくなった理由は、国民国家と同じです。つまり、大きさと個人の分化との関係です。

 もう一つあるのは、リーダーシップという幻想です。そんなことが分かる人はいないして、一つのことしかできない。分化できていない。

 だから、上から下への座標系が成り立たなくなっている。それぞれのところで、次元が異なっている。次元が異なっている部分を集めて、それで新しいものを作ったところに負けてします。あまりにも、矮小的な人間が支配する組織だと、それを認めない。では、リーダーは何をしているのか。過去の経験だけでの判断です。そして、組織はつぶれていく。この会社もそのパターンを辿ろうとしている。

 三部門を亘ってきたところからすると、皆、ロジックは違っています。

歴史哲学での見方

 歴史哲学は重要です。環境社会の哲学と言っているのは、歴史哲学です。歴史は、一気に変わるわけではないけど、大きく変わる時があります。特にコード化の世界では、一気に変わってしまう。20世紀と21世紀では大きく異なります。

 21世紀には、科学技術の進化という幻想はなくなりました。ネットワークを使って、人間をどう変えていくのか、どう分化させていくのかが新しい構成です。

国境

 スンナ派はイラクとヨルダンでは、国境の引き方で人数比が変わる。それによって、国が安定するか、不安定になるかが変わる。国境という概念と国というものの役割が国民国家にとっては、分けられない。今は、そこは横につながってしまう。

 トルコとのように、地域から発想していくカタチにならざるはえない。そうしないと安定はしない。それとも、民族とか宗教というものを全て、無視するのか。それは心の拠り所がなくなります。

 ウクライナ・コサックは民族ではなく、自由を求める人の集まり。それでも国民国家になりうる。それを一つの単位にしていくしかない。その中を分けることは可能だが、他のものと合わせることで、旧ロシアのような形にすると、破滅につながる。
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環境社会の歴史哲学

環境社会の歴史哲学

 20世紀の真ん中に生まれて、変革の時代を生きてきた。それからすると、当然、変わるはずだという感覚はあります。だけど、身の回りを見ると、ほとんど、何も変わっていない、変えたくない、ツールだけが変わっている、そういう時代です。

 それが故に、閉塞感に埋まっている。個人的なレベルで勝手に方向を決めている。もっと、大きな流れでどうしていくのかは、表に出てこない。

 それを考えるのが、多分、歴史哲学でしょう。その歴史哲学の一つのキーワードは環境社会でしょう。有限を前提とした社会で、皆が従う社会ではなく、考える社会です。それをイメージして、先人は道具を作り上げてきた。道具とネットワークだけではおもちゃになるだけです。環境哲学から考えていくしかないでしょう。

 それを知りたくて、ずっと考えてきた。16000冊の本、哲学にも行ってしまった。そこで、色々なキーワードを見つけてきたり、作ったりしています。それらを集めて、一つの体系にしていく。

 一つの体系がいいのは、それができれば、色々起こってくることをその中に位置づけして、体系を変えるなり、取り込むなり、捨てることができます。自分の目、そのモノになります。目をなるべく、シンプルのさせるためには、全てを蓄えないといけない。だから、ストックの情報も必要になってきます。必要なのは、全体を見えるようにする。

国民国家の破たん

 国民国家としてやってきたものは、それは国と国民の契約という側面と民族的に自分たちを自立させることであった。社会主義の終焉において、グローバリズムとナショナリズムという二つでもって、国民国家は変質してきた。

 国家ありきと部分が、国家と国民の契約の部分が変わってきた。国が契約に基づいて、分配することが不可能になってきた。グローバリズムというのは、国という単位がいかに、あやふやなモノかを示した。ナショナリズムからすると、国という単位で押し切れない状態になってきた。アフリカなどでは部族でまとまるのが一番いい。

 日本のように、一億人が同じだと思っている、幻想の世界だけではない。東ヨーロッパの集まりは、偶々なカタチになっている。移民も含めて、色々な形態が出てきた。

国民国家の空間

 数学で行くと、空間上に次元の呪いが出ている。一つのところは、小さくまとまるが、大きくすると、それぞれ、次元の異なるものがバラバラにあって、そこでの常識が異なっているという世界です。これは国民国家という、デカルト平面では考えることができない世界です。

 その意味では、20世紀はナチの国家社会主義も含めて、国民国家という単位で、ナショナリズムで国家という形態でまとめてきた。国民はその枠の中で、自分たちを発揮させてきた。座標系が一番、重要である。

 その典型が組織というものです。メンバーを自分たちで決めて、その中で組織化していく。座標系に従って、上から下への命令形にしていく。その座標系では、幸せよりも効率化が優先される。効率で出てきた利益をメンバーに分配させる。分配の仕方が社会主義と資本主義で分かれる。

 国家は人権を保障するという契約の元に成り立っている。国家が衰退すれば、人権も侵される。逆に、自分たちが戦って、国が豊かになる。

 ナショナリズムと一緒でないところは、それで明確にできる。日本のようにナショナリズムと一緒になっているところは、国と国民が一蓮托生に世界を作り上げていく。ナチズムがその典型になっている。人が土着性を持っているので、移民が国と国民の関係を変えていく。

 国と国民の契約形態が荒くなってきている。国家の枠を変えていく、バーチャル化に向かうことになる。そうなると、国家はいくつも出来てくる。国家の分化です。制御を上からでなく、下からやっていって、それを契約という関数で表していく。それによって、東ヨーロッパの諸国が制御できます。EUにそれだけの想像力があるかどうかわからないけど。東ヨーロッパは民族を後付けするしかない。偶々住んでいるところではなく、帰属意識を持っている民族性をバーチャルなキーにしていく。

 国家が解体することと、地域が解体することは別です。地域はいくらでも、新しいつながりができます。ギリシャも都市国家の集まりとすることです。ギリシャという共同体を作った上で、EUに帰属するのか、トルコを中心として地中海連合にのっかかるかを決めていけばいい。都市国家にしても、アテネとスパルタでは大きく異なります。ペロポネソス戦争がそれを表している。ペルシャという、共通の敵がいなくなった途端に、戦いが勃発している。そして、カルタゴのように、攻撃される前にローマを攻撃して、そして、滅ぼされた。地中海そのものを共同体にした方がはるかに平和になります。

 それぞれの役割を持って、その役割を決めるのは、ローカルの人たち、バーチャルを含めた人たちが決めていくしかない。人権を守ると同時に、生活を守るために。
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皆が発言できるようにする夢

皆が発言できるようにする夢

 I havea dream、私には夢がある。

 SNSも皆が発言できるようにしたい。店舗のスタッフが発信できるようにしたい。それが情報共有の最大のポイントです。会議をしていても、発言できる人が限られている。それに皆が依存している。そして、多数決の論理です。個人が生かされない。

 自分から発信するためには、色々なことを知らないといけない。一つの側面だけではダメです。甘えていてはダメです。発信した以上は、それをどうしてやっていくのか、というのを一緒に考えていける。命令ではない。命令できるほどの人はもういない。自分たちで位相化していくことです。

 お客様とのコミュニケーションをこの中に入れておきます。それが本当なベースです。それを誰と話せばいいのか。とりあえず、あのチャッターの中で話していきます。

 キング牧師の夢に見られるように、どんなイメージを持つのか、誰がどういう風にしているのか、どう喜んでいるのかが夢です。自分が何かをやったとか言うのは、夢ではない。ましてや、食いつなぐためだけに、余分なものを作るのが夢であるはずがない。後追いではダメです。

語れる相手

 機能からすると、話す相手はSFDCのマークしかいないけど、彼とはつながっていない。

 SFDCは企業用で考えてきた。むしろ、企業をどう考えていくのかにテーマが移っていることは、マークは知っているはずです。売ることが目的ではなく、ソーシャルがターゲットだということは知っている。そこに対して、どう発言していくのか。

ポータル企画

 企業用のSNSは諦めていたけど、パートナーがポータル企画のA3に書いてくれた。あれが大きな指針となった。メッセージ・ストリームも書かれていた。ポータルの唯一の企画書です。

夢をカタチに

 電算部の時も夢を作りました。部品表の中で、設計者の思考パターンを解析して、ロジックを明確にして、それに合わせて、設計変更できるようにした。

 部品表という大きな単位の中で、自分の部品がどう位置付けられて、仕様とは関係はどうなっているかを、コンピューターを駆使して、見える化した。日本語を扱うようになった時点で、それらを行った。

 思いをカタチにしたのは、研究開発部署の時でした。出てきたばかりのパソコンと実験室をつなぐことで、技術者の仕事の仕方を変えてしまった。実験とは何か、それで何をしたいのか、最終的に何を出したいのかまでの一貫したサポートのインフラを作り出した。技術者の思いで、いかにも変えられる武器にしました。彼らが作り上げたもので、社会まで変えられるものにしたかった。それはムリだった。

マーケティングへの夢

 クルマというのは、社会を変えるモノでないといけないと思って、マーケティングの方に目を向けた時に、あまりにも、売るだけの世界になっていた。それを変える為に、異動して、20年になります。

 一つ一つ、自分がやるものを求めるのではなく、本来、何をすべきなのか、そのためにどのような姿にしていくのか、それを知るために、3年間掛けてきた。名古屋の連中はそんなことは考えないから、完全に一人作業だし、持って行く先がない。

 メーカーよりも大きな世界を変えていくことと、お客様との接点から変えていくことの二つを考えた。それから、短期と中期と長期のシナリオを作り出してきた。

 接点をどう変えるかというところで、ポータルにターゲットを絞った。そこに、パートナーから指針が与えられた。SNSとメッセージを用いた、店舗コミュニティでの情報共有です。

メーカー情報配信

 ポータルからメーカー情報を見に行くやり方も課題に入れましょう。衛星配信の地上化は進んでいない。パートナーが居てくれたら、簡単に終わっていたのに、技術屋しかいない世界は空虚ですね。
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