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中項目の要約 自分、数学

自分

 生まれてきた
  絶対的な孤独:絶対的な孤独から孤立と孤独が生まれた
  真理を求めて:存在と無を原点にして、数学の真理を求めた
  数学を生かす:真理は数学にあることからトポロジーを見つけた
  生き方を決めた:生まれてきた理由から無為に生きることに決めた

 生きている意味
  夢に確信を持つ:私の夢は、夢を聞き、夢を伝え、確信を持つこと
  もう一人の私:もう一人の私として、無敵のμが生まれた
  偶然を生かす:偶然を意識すると必然が見える。未来を見ていく
  考え抜く:本質を見て、考え抜くことで啓示を得る

 宇宙の旅人
  私は旅人:存在と無に救いを求めて、宇宙の旅人に辿り着いた
  考える存在:生まれてきて、存在するのは考えるため
  傍から社会を見る:組織の中の個人をμの視線で傍から見ていく
  社会を分析:ローカルを近傍系として、地域を観察・定義する

 未唯への手紙
  社会につぶやく:先が見えないので、社会にメッセージを発信する
  未唯への手紙:考え、感じたことを未唯的な人に渡していく
  住みよい社会:笑顔とあいさつでつながる住みよい社会
  社会のあり方:グローカルな構成で、循環でサファイア社会

 存在と無
  存在とは:本当に在るのかの存在証明を内なる世界で行う
  無である:無にする覚悟で、社会に干渉し、好奇心を満たす
  考えること:考える意味を問うことで、大いなる意思で見える
  孤独で生きる:内なる世界の孤独で生き、社会の真理をめざす

 未唯空間
  考えを体系化:フロー・ストック情報で構造を考え、体系化する
  さまざまな表現:全域を、エッセイ・空間・プレゼンで表現する
  未唯空間の構成:近傍系の考えで、サファイアで未唯空間で構成
  未唯空間を進化:言語表現から項目間のコンパクトで位相化を図る

 サファイア革命
  革命の準備:革命の準備のために、分化を未唯空間で表現する
  全てを発信する:情報を収集し、関心を深めて、全てを発信する
  LL=GGの世界:社会の位相化で、LL=GGの新しい民主主義
  2030年の働きかけ:危機感から2030年の知識と意識のサファイア社会

 内なる世界
  ジャンルの変革:数学・社会・歴史で変革するためのスケジュール
  しあわせループ:店舗コミュニティからシェア社会への価値観
  自己肯定:根源的に考えて、問われたら応える自己肯定
  自分に還る:未唯宇宙で真理を得たので、自分に還ります

数学

 真理は数学に
  真理を求めて:真理があるとしたら、数学ということで決めた
  数学科:数学への思いから、数学で考える数学者の世界へ
  多様体を発見:近傍系を規定して、ローカルでの多様体を発見
  社会は多様体:社会の不変を規定することで、多様体として解析

 多様体の考え
  多様体モデル:多様体で、図書館、社会、歴史をモデル化
  ゼロから構築:理系は空間認識でゼロから構築する訓練をする
  複雑性の考え方:複雑性から、部分は全体よりも大きいことを確認
  販売店モデル:店舗・本社を空間配置し、サファイア構成

 数学は先駆け
  測地法の世界:算数は具体的なモノを地面に書いて始まった
  幾何学の限界:抽象化して、デカルト平面で考え始めた
  数学の独立:エルランゲンプログラムで数学自身の数学になる
  多様体で見る:ローカルを多様化して、グローバルで定義を行う

 社会に適用
  数学者の姿勢:思考で完結して、先を見て、全体を見る
  仕事に適用:数学を部品構成、実験結果、ネット設計に適用
  近傍系を武器に:ローカルでの近傍系を武器に動きを把握
  数学でまとめる:環境社会を持続型社会とし、モデルを作る

 数学の理論化
  TGALの循環:{Think,Act}と{Locally,Globally}で循環を定義
  対応する機能:サファイア循環に対応する4つの機能
  近傍系の発想:近傍系を連鎖して、位相空間を作る
  グループ設定:基本空間をベースにグループ設定を行う

 数学を展開
  生活規約:自分の時間を全て、考える生活にしていく
  具体的展開:数学を仕事などに当てはめ、民主主義を変える
  空間をつくる:近傍系で、空間の位相化をはかる
  数学を展開:世界を数学的に解釈して、社会の位相化を狙う

 新しい数学
  ユークリッド制約:ローカル規定をグローバルの多様な空間につなぐ
  特異点解消:特異点の歪みを除去して、意味のある空間を創出
  力を持つ空間:コミュニティで近傍空間を作り、組織を取り込む
  新しい数学活用:周縁の変化を解析して、空間の拡大・進化を図る

 内なる数学
  数学手法を駆使:個人の近傍化とトポロジー思考を駆使している
  ジャンルに適用:数学で仕事をモデル化し、生活に真理を持ち込む
  自律した社会:市民が主体の認識から、数学的に環境社会を構築
  歴史を変える:LL=GGと二極化したモノがつながる歴史の変節点
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少子化と非婚化

『日本のジェンダーを考える』より 結婚

晩婚化、非婚化か進んでいる。男性の生涯未婚率(五〇歳における未婚者の割合)は、一九八〇年の二・二八%から二〇一〇年の二〇・一%へと急上昇した。女性の生涯未婚率も、同じ期間に四・五%から一〇・六%へと上昇した。各年代の未婚率も、平均初婚結婚年齢も上昇の一途をたどっている。

人は結婚に何を期待するのだろうか。子どもをつくれること、夫婦間の分業が可能になること、共同生活によって住居費や食費などの生活費を節約できること、病気や怪我で一時的に働けなくなったときの保険となることなどが考えられる。また、夫婦間の愛情や信頼関係を築くという心理的な便益も重要だろう。

なかでも子どもは、かつては重要な労働力であり、セーフティーネットだった。わが国で、国民年金の制度ができたのは一九六一年のことであり、それ以前は、年金制度に加入していない人が多かった。制度ができてもすぐに十分な年金が支給されたわけではない。当時は農業社会であったこともあり、ほとんどの人にとって、老後は子どもの世話にならないと生きていけないのが現実だった。子どもは労働力やセーフティーネットの提供者としてなくてはならない存在だった。しかし、農業社会から工業社会、ポストエ業社会へと社会の経済構造が変わり、年金制度や介護保険制度が高齢者の世話というかつての子どもの役割を肩代わりした。それによって、子どもがもたらす便益、ひいては結婚の便益が大きく低下した。

一般には、晩婚化、非婚化か少子化の原因であるといわれる。確かに、個人のライフサイクルからみればそうであるが、歴史的な因果関係はその逆ではないだろうか。結婚する人が減ったから子どもが減ったというよりは、子どもを産み育てる必要がなくなったから結婚する必要がなくなったと考えるほうが論理的である。

結婚の便益として、子どもをつくることと同様に大きいのは、夫婦間の分業だった。夫は仕事、妻は家庭という分業によって、より効率的に働き家計を営むことができた。高度経済成長期以前の日本のように女性の稼得能力が非常に低かった時代には、ほとんどの女性にとって自分の所得だけで生活することは困難だった。結婚できるかどうかは女性にとって死活問題であった。結婚して、夫の収入で暮らせるようになってはじめて人並みの安定した生活ができるようになった。「結婚こそが女の幸せ」という、今の人たちからみると結婚に対する過大な期待や思い入れを、女性自身もまた世間ももっていたのはそのためである。

かつては、性別分業があるために、男女とも結婚によって便益が得られた。しかし今では、皮肉なことに、性別分業が結婚の便益を小さくし、晩婚化、非婚化をもたらしている。平均的には、女性の稼得能力は男性よりも低いが、個々のカップルについてみると、女性の稼得能力が男性と同等であったり、女性の稼得能力が男性に勝ることも珍しくない。ジェンダー所得格差が縮小するほど、そして同性内の所得格差が拡大するほど、確率的にはそうしたカップルが増える。しかし、伝統的性別分業がある限り、そのようなカップルにとって、結婚から得られる便益は小さい。

夫婦間分業に関する経済学の議論は、夫婦間の能力や適性に応じて分業が決められると仮定している。つまり夫婦のうち稼得能力の高いほうが稼得労働に専念し、稼得能力の低いほうが家事に専念する。その仮定に基づくと、専業主婦が専業主夫より圧倒的に多いのは、男性のほうが稼得能力が高いカップルが多いからということになる。

確かに現実の夫婦をみると、そのほとんどは夫のほうが稼得能力が高い。しかし、現実は原因と結果が逆である。女性は、伝統的性別分業が合理的となるような男性を結婚相手として選択する。つまり、結婚や出産後、自分が仕事を辞めても経済的に困らないように、自分より稼得能力の高い男性を選んで結婚するのである。男性もまた、妻が一時的に仕事を辞めても家族を養えるだけの経済力がなければ結婚する覚悟がもてない。

これを示しているのが図4‐1である。図は二〇〇四年に独身であった二二歳から三六歳までの男女のうち、所得階層ごとに二〇一〇年までに結婚した者の割合を示している。

男女とも年収五〇〇万円までは、所得が高いほど結婚確率が高くなる傾向にある。男女を比較すると、二つの注目すべき事実が明らかになる。一つは、所得が低いほど男性の結婚確率が女性に比して相対的に低いことである。年収二〇〇万円未満層では、男性の結婚確率は女性のおよそ半分である。それに対し、五〇〇万円以上層では、男性の結婚確率のほうが女性より高い。もう一つの特徴は、年収五〇〇万円を超えると女性の結婚確率は急に低下することである。男女とも年収五〇〇万円以上の層は四〇〇万円台の層より結婚確率が低いが、両者の差は女性のほうが大きい。女性の場合は、年収一〇〇万円台の結婚確率より低くなる。

これらの事実は、いずれも、女性が伝統的性別分業を前提に結婚相手を選んでいるという仮説と整合的である。女性は自分より所得の低い人と結婚したのでは、性別分業からの便益が得られないため、そのような相手は選ばない。その結果、男性は所得が低いほど女性と比べて相対的に結婚確率が低下する。さらに、年収が五〇〇万円あれば、女性は結婚しなくて毛人並みの生活ができる。結婚して一時的に専業主婦になってもいいと思えるほど収入のある男性を見つけるのは難しいことをこの図は示している。
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最期までにやりたいことができる病気

『どんな病気でも後悔しない死に方』より がん

さて、がんの場合に心がけるべき、最も大切なことをお伝えします。

それは、「悪くなった時は、経過は早い」ということです。一方で利点もあります。これも他の病気と異なった利点。それは、「やりたいことは、亡くなるまでの間に本来できる病気」ということです。がんは、それでも、他の病気よりは比較的若い段階でなります。例えば心臓や脳、肺の病気の終末期は現在非常に超高年齢化しています。さらに認知症などの末期では自らの状況を正しく理解し、残された時間に何かを積極的に為してゆくということは難しいものです。

世の中には「がんで死にたい」という方がいます。一つは、この何年から何力月という患う期間に「やりたいこと、やるべきこと」ができるという利点からです。

例えば、突然死は本人には苦しくないかもしれませんが、周囲にとってはつらいものでしょう。だからがん死はそんな一日で死に至ってしまう「突然の死」と比較して、自分ばかりではなく他人にも優しい、とそういうわけです。ある種「短すぎず長すぎない」死までの時間に、自らや家族のことを考えて生活することも可能です。自らの死を考える時間も、与えられるといえば与えられます。

また他の利点として、多くの場合、「自らの意思をやろうと思えば反映できること」「物理的には、多くの場合、自ら決断が可能であること」「緩和ケアの主対象疾患でありQOLに配慮してもらいやすいホスピス・緩和ケア病棟に入れること」などを挙げられる方が多いです。

私個人としては、認知症で寝たきりとなり、あまり満足なケアを受けていない方に比べると、がんは幸せなのではないかとも感じます。一方で問題は、その「悪くなると早い」という病気の性格があまり知られていないために、タイミングを様々な点で逃しているということです。ここからそのことを考えましょう。

ゆえに治療を受けながら、後悔が残らないように、やるべきこと、やりたいことを積極的に行っていかねばなりません。もちろんことはそう簡単ではありません。治療には副作用もありますし、定期的な通院もありますから、身体がだるかったり食欲がなかったり、動く気力がなかったりなどしてあっという間に次の通院日が来てしまって、あまりやるべきことや、やりたいことをできないということも少なくありません。

しかし、その時間が大切な時間なのです。なぜならば抗がん剤も以前よりは随分と副作用も少なくなりましたし、その対処法も整ってきましたから、「状態が急速な低下を示している段階」まで、抗がん剤治療が行われていることがしばしばあるわけです。

がんの場合の間違いは、状態が急速な低下を来たしてから、やるぺきことややりたいことを片付けようとしたり、あるいは最期をどこで過ごすのかを決めたりすることです。しかしそのような状態になると、身体が思うようになりません。状態悪化を来たす前に、全ての準備をしておかねばなりません。

準備とは、もちろん「やるべきことをやること」「やりたいことをやること」になります。いつ急速な状態悪化が来ても良いようにです。

5年生存率はあくまで目安にしか過ぎません。それよりずっと長く生きる方もいれば、そうではない方もいます。だからこそ、いつそれが来ても良いように準備しなければなりません。これは「焦ってください」ということを言っていません。かと言って、大丈夫大丈夫と安うけあいもしていません。答えはその合間です。長期生存を成し遂げた方の傾向を見ると、「準備をしていたらいつの間にか病気のことを忘れた」というのが最良なのではないかと感じています。

さて、自分のやりたいことの準備ばかりではなく、最期の医療に向けた準備をしなければいけません。

どういうことかと言いますと、がんの治療を行ってくれる大きな病院は、しばしば治療ができなくなると、他の病院に皆さんを紹介することになります。大きな病院は治療をする患者さんがたくさん来ますから、なかなか終末期の方を診続ける余裕がないからということが主因とされています。とはいえ、これも病院や科、あるいは主治医の先生ごとに考え方が異なるようです。ですので、事前に「いざ終末期ということになったらどうしたら良いのか?」を聞いておかなければなりません。

私は、この時に、終末期の当座(何カ月か)を過ごす場所と、終末期の最後(短い週単位から日にちの単位)を過ごす場所はどこか、そしてまた入院するとしたらどういう時かを事前に明らかにしておくことが重要と考えます。

私の場合は可能な限り、三者体制を敷くことが多いです。もともと自院にかかっている患者さんには、在宅医と訪問看護師の導入をお勧めし、最後の入院場所の選択肢を増やすためにホスピス・緩和ケア病棟の予約をしてもらいます。

まず、なぜ在宅医と訪問看護師を導入するか。それは家で生活できる時間を延長するためです。在宅医や訪問看護師は家まで来てくれますし、きちんと終末期の診療・看護をしてくれる施設は24時間体制で対応してくれます。いやむしろ、がんの患者さんは極力そういう施設を選ばないといけません。また終末期医療に通じ、できれば緩和ケアの知識・経験が多いところのほうが良いことは言うまでもありません。

体力が落ちると病院の外来に通うのも難しくなります。在宅医も緩和ケアの知識・技術を持っているところも少しずつではありますが増えてはいますから、そちらで薬物調整をしてもらうことも可能です。在宅医も処方Iを出せますし、薬局も訪問して薬剤を届けてくれます。つまり家から一歩も出ずに、医療・看護を受けることができ(もちろん介護もですが)、さらに薬剤まで届けてくれるのです。そして入院診療よりも、もちろん医療費ははるかに安いのです。

とりわけ在宅医や訪問看護師の関わる時間が数カ月程度となることが多いがんの終末期では、無尽蔵に医療費がかかるわけではありませんから、ぜひとも利用してほしいところです。
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