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近代的な主権国民国家の誕生

『平和構築入門』より 国際社会の拡大と変質 

国際社会の拡大の過程で、決定的な役割を演じたのは、近代的な主権国民国家の誕生であった。一九世紀には限られた数の国家だけが主権国家として認められていたが、それらの少数の大国による力の行使が認められ、帝国主義的拡張が認められたことによって、国際社会の地理的な拡大が進んでいった。当時のヨーロッパ国際社会は、民族自決のような一般原理によって成立していたものではなく、大国が形成するバランスーオブーパワーの秩序維持機能によって成立していた。大国間の力関係の均衡が維持される限り、帝国主義を通じた国際社会の地理的拡大は当然と考えられたのである。

ヨーロッパで市民革命と産業革命の後に生み出された近代という時代は、物質面・精神面での巨大な変化をもたらし、政治体制にも革命的な変化を導き出した。国民国家の登場は、近代という時代を政治面で象徴する事件である。国民と国家が同一物になる国民国家という制度は、歴史的にはフランス革命を経た後のヨーロッパにおいて初めて成立した。そしてイギリス産業革命を経た後のヨーロッパにおける圧倒的な産業生産力が、国民国家の力の拡大を後押しした。

二〇世紀以降の国際社会であれば、国民国家の理念は、世界の諸民族の独立を正当化し、脱植民地化を促進する役割を果たしたと言えるかもしれない。しかし一九世紀までの国際社会では、国民国家は、全世界の民族に約束されたものではなかった。むしろ国民国家として成立し、国力を増大させることに成功した二握りの大国だけが、優秀な民族=国民の国家として特権的な地位を認められた。

ヨーロッパ国際社会が帝国主義を通じて地理的に拡大していった時代には、国民国家の理念は、優秀な民族=国民が、優秀ではない民族を支配することを正当化するように働いたのである。優秀な民族=国民であれば、大国としての地位を持つ主権国家を形成するであろう。反対に、優秀ではない世界の大多数の民族は、帝国主義的膨張を進めるヨーロッパの主権国家に服従するしかなかった。

近代国民国家の時代への巨大な転換において、最も重大な影響を放った要素は、戦争である。国内的な側面と、対外的な側面の両方において、戦争が国家建設に深く結びついている。

イギリスの名誉革命、アメリカの独立革命、そしてフランス革命は、国内における武力闘争が、対外的な戦争と結びついたものであった。イギリス名誉革命はオランダの軍事介入によって、アメリカ独立革命はフランスなどの諸国の参戦によって、そしてフランス革命はナポレオンの軍事的天才によって、革命勢力側に勝利がもたらされた。アメリカの南北戦争の決定的な影響は、内戦に北部の連邦軍が勝利し、南部を軍事占領し、南部諸州の代表が不在の間に合衆国憲法の修正が次々と進められたという事実によって、確立された。ドイツの場合であれば、そもそもプロイセンの鉄血政策によって統一がなされ、ロシアや中国のような後進国においても革命闘争が国民国家の形成を可能にした。

日本では革命勢力による戊辰戦争と、その後の一連の内戦の圧倒的な勝利が、近代国家建設の行方を決めた。近代的な国民国家の建設にあたっては、内政面における戦争と革命が、統一的な国家の理念を定め、国家形成の精神的土台を作り出してきたのである。

もちろん対外的な戦争も、国家建設に大きな役割を持った。ヨーロッパにおいて頻発した戦争こそが、国民国家を作り出した。二〇世紀の社会学の巨人、アンソニー・ギデンズが論じたように、戦争を行うために国家は変質し、戦争を行ったがゆえに国家は変質した。また、ブルが論じたように、ヨーロッパ国際社会の時代である一八、一九世紀において、戦争は、国際社会のある種の「制度」の一つであった。一九世紀になる頃には、国際秩序維持機能を果たす「大国」による寡占状態が生まれた。

国民国家の制度が拡充した国では、中央政府の財政力や軍事力も高まり、行政能力も向上した。国民国家のイデオロギー、つまり国家と国民を同一視する信念が定着して、徴兵制による国民軍を典型とする「大規模な常備軍」が可能となった。

常備軍は、対外的な戦争の規模を拡大させ、国家間の競争をよりいっそう熾烈なものにした。常備軍は、国民の国家への帰属意識を高める。そこで徴税・徴兵が進められるが、それによって政府の行政管理能力はいっそう強化され、兵士やその家族という肥大化した行政府職員の社会保障政策も拡充されることになる。

さらには彼らの政治参加への声も吸い上げられるようになる。戦争が総力戦の様相を呈するにしたがって、国民国家における市民権も広がった。たとえば、普通選挙は、一九世紀半ば以降に、フランス、ドイツ、アメリカといった国々で、国民国家の段階的形成の過程で導入されていったが、第一次世界大戦をへてやっとイギリスで男子普通選挙(一九一八年)、ドイツで世界初の完全普通選挙(一九一九年)、アメリカで女子参政権付与(一九二〇年)と進んでいった歴史的経緯は、国民国家の戦争が、大衆の政治参加を進める要因として働いたことを示す。

このようにヨーロッパの特殊な環境で「国民国家」が生まれ、帝国主義的拡張も起こった。しかし二〇世紀になって、この「国民国家」モデルが突然普遍化したことによって、矛盾が拡大していった。
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