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今後の図書館の役割

『情報・知識資源の組織化』より

場としての図書館

 図書館は[知の宝庫]と呼ばれてきた。図書館は、人類の遺産である記録された知識の収集・保存・提供という役割を持つが故に、蓄積した知識の利用を待つだけの,どちらかというと受動的な社会的機関となってしまっている.「場」としての図書館の役割が議論される背景には、多くの人が図書館を介せずにインターネットを介して情報を入手しているという事実がある。こうした利用者の情報探索行動の変化は、図書館の役割にも影響を及ぼす。電子書籍の普及が進むなか、図書館は単なる本の提供場所から知識創造の「場」へと進化していく必要がある。

 居心地の良い場所を求めるのは人の常で、誰もが気楽に立ち寄れくつろげる「場」を求める。都市に暮らす人々には、家庭と職場に加え、第三の場所として、パブ、カフエ、書店のような「サードプレイス」が必要とされる。

生涯学習の場

 図書館は利用者が多様な情報資源と相互作用し問題解決を図ることで知識を獲得していく「生涯学習」の場である。学習は単なる個人的な営みではなく、人々が相互に影響しあうことで互いの達成度を高める協調的なものである。協調学習では、他者の考えとの相互吟味を通して自身の知識が再構築され、理解が進む。図書館はこうした相互作用を促進する場として機能していくことが望まれる。学習は社会的なプロセスであり、絶えず社会と相互作用していくことでなされる。

 状況論的学習は、個人の置かれている状況や環境と交流をもつことで、社会を認識し知識が獲得されるという発想である。そして、学習というものが社会的・文化的参加を通じて起こり、知識は個人の心の中に貯蔵されているのではなく、社会や道具との間で分散的に保持されると考える。知識は人間の生活の営みの中ではじめて十全に捉えられる。つまり、学習とは、学習や発達を可視化し焦点化する道具やその使用を含む、ある種の実践の組織化の在り方といえる。状況論的学習の目標は,外界との積極的なインタラクションをとおして、そこに本当に自分を活かせる場をつくりだし、そういう場を発見することで自分自身を広げていくことにある。

交流の場

 図書館は、資料の提供といった利用者への直接支援(タスク指向型のコミュニケーション)以外に、利用者同士のコミュニケーションを間接的に支援することも大事である。この非タスク指向型のコミュニケーションは、他人や各種情報資源との相互作用を通して個人の「意味づけ」や「意味の構築」を支援する。意味は人間行動を特徴づける本質で、情報探索行動は単に情報を見つける行為ではなく、多様な情報資源と相互作用し、自分なりの意味を見いだす行為でもある。

 コミュニケーションでは、参加者同士が共通の場に身をおき、空間と時間を共有する。ニフミュニケーションの一般化は難しいが、コミュニケーションには「共有」概念のほかに、集団のメンバーが分担責任を決めて情報や知識を分け合って保持する[分有](誰が何を知っているか)概念が含まれる。集団による情報の分有システムとして交流型記憶がある。これは、誰が何を知っているのかという点について,メンバー全員が同一の知識を持っている状態をいう。すなわち、集団における情報の分有状態に関するメタ知識を全員が共有している状態をいう。コミュニティの「分有」システムを支援してあげる役割が図書館にはある。

実体験の場

 今後の図書館は、従来のように貸出や入館者データに基づき評価されるのではなく、広範囲な教育支援、健康情報の提供、求職支援、安全で清潔な環境の提供といった、地域住民の「生活の質」をいかに高めていくかで評価される。一般にサービスは、図9-1に示すように、大きく3つの要素からなる。これまでの組織化は、モノとしての書籍を貸し出す(提供)サービス、レファレンスなどの情報提供サービスを念頭においてきた.今後はこれらのサービスに加え、体験サービスを提供していく必要がある。体験サービスは、個人的成長のための学習支援、自己実現のための情報リテラシーをはじめとする種々のスキルや能力の習得支援サービスをいう。また、社会で生きるための力や知識もこの体験サービスを通して得られる。

 Web上の情報は知識ではないといわれるように,知識の本質は体験することで得られる。また、理解する、分かる、納得するには、言語・論理世界の枠内だけでは説明できない.言葉として表現されると社会的に容易に共有できるが、論理的世界の記述では、現実世界の一部しか表現できない。知識の社会的共有過程は個人の頭の中の閉じた現象ではない。外界に開かれた構成的知能の形成として知識を捉える必要がある。
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社会脳としての図書館

『情報・知識資源の組織化』より

社会脳としての図書館

 人間の行動を制御している要素の多くは環境や他者といった外部にある。行勣を左右する情報が脳の外部にあるのは、我々が自己内部の情報を外部の装置に移すという、情報の外部化をはじめたことによる。つまり、外部環境へ記憶や知識を移すことで、個人の知識のレベルを超えた知識の伝達と蓄積が可能になり、それが我々の行動に影響を与えているのである。

 我々は道具を利用し、思考内容を発話、文章化することで、他者とコミュニケーションをとっている。人間は、自らの環境に様々な道具を見い出し作り出すことで、心を強力なものにする。こうした認知的人工物は「心の度具」と呼ばれる。人間が高い知性を持つのは、自分の認知作業を、可能なかぎり環境に委ねてしまう習慣による。つまり、外界につくった一連の周辺装置に知的活動を代行させてしまうからである。

 記憶が内的である必要はなく、今や我々の記憶の多くが外部の記憶装置によって維持されている。我々は様々な外部記憶装置を作り出すことで、社会の記憶を保持・維持している。典型的なものが古代からの人類の記録された知識を保存してきた図書館である。図書館は「社会脳」と呼べるもので、我々は膨大な量の情報をこの外部の社会脳に貯える仕組みを生み出した。ベルリン自由大学の図書館は「berlin Brain」と呼ばれている。

 バトラーは文化の道具としての印刷本の起源・発展・普及に関心を寄せ、人間の記憶を拡張・維持する手段としての書物や図書館の重要性を指摘した。図書は人類の記憶を保存する一種の社会的メカニズムで、図書館はこれを生きている個人の意識に還元する社会的装置である。社会は記憶を持ち、さらにー一種のメンタリティをも持つ。社会が持っているこのいわば心に擬せられるものは、意識こそ持たないが、個人の知的プロセスと大体類似の働きをする。知識が社会的に蓄積され存在するということは、社会と個人を結ぶ上で大きな意義を持つ。人間は社会の記憶のどの部分も自分の心に移しかえることができ、いつでも自分の学校を開くことができるのである。

社会脳の疲弊

 知的技術は、ほとんど常に、認知機能や心的活動を外部化、客体化、バーチャル化する。人類の進化の過程で、道具の使用や言語の発達にもまして、社会が脳の進化に重要であったと考えられる。1990年代以降、認知脳科学や進化人類学などの分野で、社会脳(ソーシャルブレイン)への関心が高まっている。具体的なテーマとしては、自己認識、他者認知、視線、表情、意図の検知、共感、模倣、心の理論、ミラーニューロンなどがある。

 社会脳の本質は、環境適応的に自分自身の脳の構造を作り替えていく適応能力である。社会脳を理解するには「関係性」が重要となる。関係構造の変化に応じて、我々の振る舞いを適応的にコントロールしている脳の仕組みが社会脳である。また、パーソナリティ(人格)の根底にあるものを社会脳と呼んだりする。ネットなど、顔を介さないコミュニケーションが日常的になり、社会脳に異変が生じている。他者や他者との関係性が、テキストやデータに置きかえられ,つまりは他者を、情報化,データ化し、操作可能なモノ化することで、共感性が失われている。

 人間にとっての世界は共同世界に支えられた「意味的世界」、すなわち象徴的に構成された世界である。世界は、ヒト(共同世界)、モノ(事物・道具的世界)、コトバ(象徴的世界)が複雑に絡み合い重なり合って構成される。道具が自然的適応に関わるのに対して、シンボルはむしろ対人的、心理的適応に関わる。我々は言語によって世界を意味づける(分節化)。象徴的世界への関与の仕方それ自体は経験的にしか習得されない。象徴と人間とを媒介するのも人間で、その象徴群は「文化」を構成し、時代や地域によって多様である。それ故、他者との関わりや「共同世界」の存在こそが重要となる。道具と人間との「出会われ方」は一方的だが、他者という人間との出会われ方は双方向的で、相互規定される。ネットワークは偽者の象徴界によって覆い尽くされた世界で、ネットワーク化により、我々は無数のずれを経験しはじめる.それは時には病理的な形式をとる。

 今や、意味記憶を外在化した社会脳としての図書館、エピソード記憶の持ち主である小さな社会「脳」としての個人、その両方もが疲弊しつつある。複雑な社会に適応していくにも、図書館という「場」を介して、人々が交流することで、しかるべき社会的技能(スキル)が育めるとよい。
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SFDCとメーカーとの提携の記事

SFDCとの提携の記事

 ほんの3日前のブログで言ったことが、現実になっていた。

 一気に私の世界に入り込んでしまった。オフコンから、クライアント・サーバーに切り替えた時に、あなたの世界になりましたねと言われた。それと同様です。ただし、私の世界は広いです。

 クラウドの世界については設計済みです。それを皆に言えるようになる可能性を持ってきただけです。単なる、プログラムを作るところではない、社会を変えるところです。GmLです。

スマートグリッドはシェアする世界

 スマートグリッドはシェアする社会です。いかに循環して、少ない資源をどのように使っていくのか。有限な資源をどう使っていくのか。

 そのためには、個々の人たちがどうような状況になっているかが重要です。一人ひとりをキッチリ、認識することです。それを、その地域で融通を持ってまとめることです。それがコミュニティです。

テーブルもライブラリです

 バッテリーで起こっていることをお客様へメッセージをお送りするには、ネットワーク上の各種テーブルの対応関係を跨いでいくことになる。商品とバッテリーとお客様の関係のライブラリが必要になる。

 そうでないと、バッテリーのトラブルをユーザーに伝えることも、販売店に伝えることもできない。その意味ではお客様情報が完全に変わります。ソーシャルネット上に配置するのが望ましい。

 お客様情報は、システムに依存したデータベースではない。状況ファイルになります。

販売店の選別の可能性

 ポータルもチャッターに対応させないといけない、そうしないと、情報が入ってこない。

 それ以前に、販売店の体質を変えないと。というよりも、変えた所だけをあいてにしないと。それ以外は独自の道を歩んでもらえばいい。今回の提携の意味は大きいです。対応しないところは、ついてこなくてもいい。メーカーが直接、お客様とのコンタクトをとるという宣言かもしれない。

 そこで、システムを作っている人は絡むことはない。そのためのSFDCです。一気に、私の世界に近づきました。やはり、社会的な変化が起ころうとしています。

無線の通信技術とライブラリ

 商品から、直接、情報をサーバーへ送ることも視野に入れておきます。それを個別に考えるのではなく、空間として考えます。構造から、言うと、その方が楽です。単純になります。ただ、逆方向のアクションが出来ない。商品からお客様に伝えるのは人です。

 さまざまなショートカットが発生する。販売店は今まで通りに売っていればいいのではないことを認識してほしい。お客様といかにつながるか。利益率の少ない、個々のお客様とつながるのか。

お客様と同じ武器を持つ

 従来のやり方では、絶対に儲かりません。お客様と同じような武器を持って、同じようにやらないと不可能です。

 市民コミュニティはチャッターなら、ポータル画面にチャッターを貼り付けます。それで、自分たちの情報、商品からの情報、お客様からの情報を一緒にさせます。その上で、選択します。

 重要なのは、プロセッサーです。要するにライブラリです。自分たちの守るべきモノです。新しい位置付けそのものです。ライブラリでナレッジをカタチにします。SFDC一年前にナレッジをベースにする、それも言葉のナレッジにして、照合して出すというアイデアは素晴らしいものです。マーク会長の思いを感じました。

 ナレッジは体系にできません。組織ならできるかもしれないが、個人ではできません。それをどう使っていくのかを、SFDCはやってきました。この辺は、本当はマークと話したい。
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地域再生にむけて

『よくわかる社会学史』より

都市と地域社会の持続可能性

 グローバリゼーションが進行するなかで,日本の都市は総人口が減少し,財政の逼迫や産業構造の変化などに直面しつつある。人口が集中し,社会的なインフラ整備が間に合わない少数の大都市を除いて,多くの都市の中心市街地や商業地区には閉店した店舗や空き地が目立っている。また,鉱山や機械産業などの在来型の産業都市は工場移転や操業休止によって,人口が急激に流出し,かつての活気を失っている。一方で,外国人居住者や社会的マイノリティ一層の増加,貧困層の滞留など,都市の住民層は多様化しつつあり,防犯や防災などの面で多くの課題をかかえている。情報インフラの整備と普及が進み,多種多様な情報が氾濫するなかで,様々な危機への対応が必要とされているが,一体的な対応はますます困難になりつつある。

 農山村では限界集落化という現象が着実に進行し,空き家や耕作放棄地が増加しつつある。世界の先進国の多くが農山村地域の人口減少と高齢化の進行という課題を抱えており,農山村地域の定住政策に力を入れるなど,地域の存続にむけた政策的な対応に追われている。さらに都市同様,様々な自然災害や人災への対応も必要になってきている。
都市の再生については,都市経済学や都市計画学などの隣接領域での議論が活発になってきた。これらの議論でキーワードとして登場する用語が持続可能性(サスティナビリティ)である。

都市の再生論--都市の危機から再生へ

 2005年北海道夕張市が巨額の借金を抱え,財政再建団体に指定され,事実上破綻したニュースは,日本中に大きなショックを与えた。放漫経営のツケが表面化するまで,「炭鉱から観光へ」をスローガンに多くの箱モノを建設してきた市の方針は行き詰まり,住民サービスの低下や税金の値上げなど,自治体の財政破綻は都市の危機として住民に大きな負担をしいている。

 都市の財政危機が最初に大きく話題になったのは,アメリカ・ニューヨーク市の財政破綻の問題が表面化した1975年春のことである。ニューヨーク市はこのままでは同年夏に期限を控えた市債30億ドル分の償還が困難であることが明るみになった。アメリカ第一の都市であるニューヨーク市の破綻は,アメリカ全体の経済に大きな影響を与える恐れがあり,その連鎖的な影響は各地の都市に広がることも予想された。結局,ニューヨーク市では市財政が州の管理下におかれ,多数の警察官や消防士,清掃員が解雇された。

 このような産業構造の転換や政策的な失敗による財政危機および地域の衰退はヨーロッパの都市でいち早く問題になっていた。炭鉱や鉱山の閉山,映画館の閉鎖など,地域の基幹産業の衰退は人口の急激な減少を招いた。こうした事態に直面して,考えだされてきたのが数々の都市再生プランである。そこに共通のコンセプトは持続可能な都市(サステイナブル・シティ)という考え方である。

新しい都市論

 21世紀に入り,都市再生の具体的な手法として,コンパクト・シティ、クリエイティブ・シティなどの概念が注目されるようになった。コンパクト・シティ論は1980年代後半から90年代にかけて、モータリゼーションの拡大普及に伴う郊外化の進行による都市の中心部の空洞化と,ゆきすぎた郊外化による中心市街地の衰退をうけて,中心市街地再開発の手法として商業・文教,居住施設の都心回帰を促し,都市の中心部に人の流れやにぎわいを取り戻そうというものである。こうした手法は北米ではニュー・アーバニズム(New urbanism)、大陸ヨーロッパではコンパクト・シティ,イギリスではアーバン・ビレッジと呼ばれた。アメリカのポートランドはその代表例であるが,日本でも青森市。仙台市,神戸市などにおけるまちづくりが該当する。

 クリエイティブ・シティ論は大きくわけて二つの流れがある。ひとつ目は1990年代からヨーロッパを中心にひろまったもので,イギリスの都市地理学者P.ホールを第一世代とする。ホールは世界都市論のさきがけとなった『ワールド シティーズ』(1966)を刊行し,その後,『都市と文明』(1998)でL.マンフォードの都市の文化を下敷きに,原ポリス→ポリス→メトロポリス→メガロポリス→ティラノポリス→ネクロポリスという輪廻を描き,廃墟の上にポリスが復活する構図を描いた。
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歴史字における観光

『よくわかる観光社会学』より

グランド・ツアー:近代観光へのテイクオフ

 大航海時代を経験したヨーロッパ人たちは,17世紀後半以降,理性に基づく科学的認識によって無知や迷信を払拭する啓蒙思想を発展させるとともに,世界中の知識や情報を所有したいという思いを膨らませた。「啓蒙」と訳される“Enlightenment”という英語は,文字通り,「闇(蒙)を啓く光(light)」という意味である。この時代風潮のなか,社会の安定を得て経済力を増しはじめた。

 イギリスの貴族や地主らは,ジェントルマン教育の総仕上げとして,息子たちを「光」,すなわち文化の先進国であるフランスやイタリアに外遊させるようになった。Fグランド・ツアー」と呼ぱれたこの旅には,お目付役として家庭教師が同行しており,なかにはその後歴史に名を残した知識人も少なくない。

 「文明の光を観に行く」--「観光」という新しい日本語を生んだ明治日本の岩倉遣欧使節団を想起させるグランド・ツアーだったが,経済力を蓄えたブルジョアの間でヨーロッパ諸国への旅が一般化するにしたがって形骸化した。

 “tourism”という新しい英語が生まれたのは1811年頃のこと。蒸気船や鉄道による交通革命の追い風を受けて,マス・ツーリズムヘの動きが始まった。

せめぎあう大衆化と差異化

 1841年7月,イングランド北部を貸し切り列車で行く鉄道の旅に,1000人余りの労働者が参加した。ツアーコンダクターは印刷業を営むトマス・クック。禁酒運動家の彼が,飲酒から「健全な娯楽」である旅へと労働者を引き寄せるべく考案した仕掛けこそ,すべてお任せの団体割引パックツアーだ。 1851年,世界初のロンドン万博ツアーの成功によって,「みんなで行けば安くなる」という新しい旅の常識は一気に広まった。それが,骨折り(travail)と語源を同じくする旅(travel)を,安全かつ快適に各地を回って元に戻ってくる周遊旅行(tour)へと転換させた。

 ほどなくトマス・クック社は海外に新たな展開を求め,アルプス登山やエジプト旅行などを手がけた。南北戦争(1861-65)直後の「アメリカ古戦場ツアー」は,観光が戦争を商品化する先例ともなった。その後,観光をはっきりとビジネスとして捉えた息子ジョンは,19世紀後半の植民地獲得戦争のなかで対象地を拡大していった。そのなかで,セイロン(現スリランカ)は「世界の庭園」,タヒチは「最後の楽園」など,ヨーロッパ人の感性に合わせた各地の観光化か進み,そのイメージが定着,固定化されることになった。

 19世紀末にはトマス・クック社のライバルとなるアメリカン・エクスプレス社が現れ、1910年代にアメリカ人のヨーロッパ観光ブームを牽引した。欧米を中心に観光の産業化か進むなか,差異化されたはずの観光が真似されることで,観光の大衆化はさらに進んだ。その延長線上に,交通手段の大型化,高速化に伴い,20世紀のマス・ツーリズムが姿を現した。

グローバル化時代の「観光の歴史学」

 「探検とは未知(unknown)の発見、旅はよく知られていないもの(ill-known)の発見,そして観光とはすでに十分知られているもの(well-known)の発見である」--歴史学者ピアーズ・ブレンドンのこの言葉は,欧米中心に進められてきた「観光の歴史」の中身を端的に物語っている。

 秘境という未知の空間の喪失,パッケージ・ツアー開拓の頭打ちなどにより,マス・ツーリズムの不振がとり沙汰されるいま,グローバル化やIT革命の流れとも相まって,「観光とは何か」の考え方も大きく変化しつつある。歴史学の分野でこの変化を象徴するのは, 2009年イギリスで創刊された『観光歴史学雑誌』だろう。同誌は,従来の歴史学の観光に対する関心の低さを反省し,欧米中心主義を脱して,非西欧社会とその文化のなかに観光という現象を置き直し,再考することを提唱する。それが歴史学にどのような局面を拓くかは,歴史家に託された課題である。
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販売店が生き残るにはライブラリを採用して!

未唯へ

 たこ焼きが食べたい。カロリーの多さと本当においしいか見た目で分かりません。コンビニとか、たこ焼き専門店の関心をもっている。よく考えると、一つ、50円は高すぎる。

 昨日はブログを入れたから、今日はOCRの処理です。明日の早朝は次のことを考えます。

自分としてどうしたい

 パートナーと話したけど、相変わらず、ネガティブです。自分としてどうしたいかを決めてもらうしかない。私は今の組織では何もできないと思っているので、次のことを待ちます。そのための準備をしています。だけど、その準備自体がどんどん、膨らんでいます。

販売店が生き残るには

 今の関心事は、シェアの社会になった時に、販売店がどのようにして生き残るかです。シェアの時代に、コミュニティはいるけど、販売店の存在理由はない。

 グーグルにしても、リアルなところはないです。その辺をまとめ終わりました。半日かかりました。明日は、5月分を反映させます。

 販売店に出すメッセージは、今はろくなものではない。意味を持っていない。販売店は自分で考えればいい。それにしても、彼らの意識があまりにもなさすぎます。ライブラリを導入するかを試金石にします。

 インターネットの電算部は過去に、店舗に端末を置いて、社会にアピールしようとした。これは見事に失敗した。販売店との思いが違っていた。かれらは、店舗をベースにしたら、拡大できないことしっているので、販売店展開を固執しない。結局、違う方を向いて、動いている。合わないですよ。

 販売店の店舗が必要なくなる。スタッフも必要なくなることです。これだけは避けたい。そのために、販売店は自ら、変わらないといけない。変わらないと、存在理由がなくなります。その時に、販売店は主役ではない。商品とお客様の間をどのようにつなぐか。

GmLとしての支援

 パートナーのスタンスは「メーカー」としての組織の行動を求めている。私はメーカーとして行動しているのではなく、ローカル(販売店)への支援者として、GmL(Global meets Local)として行動している。

 これは、一種の企業内NPOです。組織が動いていないところでは、個人を中心にしたNPO的な動きが必要です。

ライブラリにデータを含む

 私の特徴はデータから現象を解析することです。これは昔からです。何しろ、理系ですから。

 私の考えるライブラリはかなり、でかいです。事例とかノウハウだけでなく、データも扱います。データをライブラリとして扱います。過去の情報だけでなく、リアルの方が今後の主体になります。

 ライブラリの目的はコミュニケーションです。
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北の核を阻止させる五つの選択肢

本より、OCR

第一の選択肢は、「何もしない」ことである。北朝鮮の核と共存することである。どうせ、北朝鮮に核を放棄させることはできない。北朝鮮が必死で開発したものを手放して丸裸になるはずがない。周囲からいろんな努力をして、圧力をかけたり、援助を与えたりすることは、所詮無駄である、という見方である。

 それに、核兵器は使えない兵器である。金正日の目的は現体制の存続である。そのための援助は、結局日本から来る。そうすると、日本を攻撃することはありえない。核による脅迫は放っておげばよい。また万々一使っても、その場合は、アメリカの大量報復か待っている。したがって、北の核は怖くない。放っておき、封じ込めておけばよい。これか第一の選択肢である。

第二の制裁の強化である。二〇〇六年七月のミサイル発射実験に対する国連安保理決議の成立には、私自身関係したので、少々言いにくいが、外交評論家の岡崎久彦氏も述べるように、日本外交の鮮やかな成功であった。さらに四月の核実験に対しては、明確かつ広範な経済制裁を含む決議が成立した。

 こうした決議は、一定の効果を持つだろう。国際社会か連携して行動する指針としての国連決議か成立したことは意義深い。国際法は完全な法ではないので、すべての国が完全にこれを履行するとは思えないか、制裁の意思のある国は制裁をやりやすく、北朝鮮に無関心な国も、北朝鮮に好意的な国(そういう国はあまりないかもしれないか)も、北朝鮮とは貿易をしにくくなる。外交とは、このような小さな努力の積み重ねである。

第三の選択肢は関与である。北朝鮮と話し合い、何かを与えることである。これはまったく不愉快な政策である。しかし、日本の政策のプライオリティが北の非核化であり、そのために効果があるとすれば、考えることか重要である。

 その焦点は、北朝鮮から見れば、体制の保障である。私のように日本政治外交史を専門にしていると、ポツダム宣言の受諾を思い出す。日本を降伏させるために有効な方法は、「国体護持」であった。日本側がもっともこだわったのがこれであった。アメリカの日本通は、これか有効であることを知っていた。しかし、アメリカはなかなかこのカードを切らなかった。御前会議においても「国体護持」か認められているかが、議論の焦点になった。

第四の選択肢は、外科手術的爆撃である。こういうことを主張する人は、アメリカでは少なくない。しかし、もし空爆をすれば、北朝鮮は体面上からも沈黙はできず、ソウルを攻撃することになる。ソウルは国境線にきわめて近いので、二〇〇〇万人を超える大ソウルの人口は、大きな打撃を受ける。だから、こういうことは不可能だというのが、大方の見方であろう。他方で、もしアメリカが外科手術的爆撃を行い、これに対して北か反撃すれば、今度はアメリカか大規模な北朝鮮攻撃に踏み切り、北朝鮮は壊滅、崩壊する、したがって、北は反撃できないという見方もある。こういう見方に立てば、外科手術的爆撃は有効な選択肢ということになる。

 ただ、北が報復、反撃しないだろうというのは、かなり危険な予測である。すでに述べたとおり、北が「合理的」に反応するとは限らない。韓国はこれに強く反対するだろうし、日本にも深刻な影響が及ぶ。日本はこれに耐えられるだろうか。アメリカか、中東に手を縛られている間に、そういうことかできるだろうか。かなり難しいといわざるをえない。

第五の選択肢は、日本の核武装である。中国は北朝鮮の核を不快に思っているが、絶対に受け入れられないほどでないのではないだろうか。中国が北の核を認めないのは、それか引き金となって日本が核武装しないか、不安かあるからではないだろうか。

 多くの中国人は、他国による核の傘など、完全には信用できないと考える。日本人がアメリカの核の傘に絶対の信頼を置いているはずかない、いずれ状況か許せば、核武装する可能性かあると考えている。北朝鮮の核は、日本の核の引き金にるからこそ、避げるべきだと考えるのである。

・・・個人的には。韓国がが責任を持って、決めることです。
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岡崎の10冊も片付けました

岡崎図書館で10冊借りました。碌でもない本が2冊ありました。題名と内容があっていない。

 192.3『キリスト教とホロコースト』 教会はいかに加担し、いかに闘ったか

 234.9『ワルシャワ蜂起』 1944年の63日 ポーランドも大変です。ワルシャワ蜂起、ゲットー蜂起、カチンの森、そして、アウシュビッツです。それが連帯につながった。ドイツとそれに間に翻弄されてきた。たまに出てくるリトアニアの首都。やはり、ヘルシンキ-バルト三国-ポーランド-ハンガリー-ウクライナ-トルコの縦断旅行を企画しよう。

 147『無限意識』 碌でもない本です

 336.4『必ずできる!iPadプレゼンテーション』 iPadでスマートにプレゼンしよう!失敗しないためのコツはこれだ! 本当に面倒ですね。止めた方がいい

 B304『マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている』 偽情報退散! ドン底の不景気で幸せになる秘訣はこの2つ! ①新聞・テレビを見ない②お金に翻弄されない これも碌でもない

 410.2『数学の文化史』 何と、1953年の復刻本です。なぜ、今なのかは書かれていない。だから、「新しい幾何学新しい世界」で非ユークリッド幾何学が興奮して書かれています。未唯空間の歴史の中で使っていきます。

 167.8『イスラーム革命の精神』 ホメイニー師の愛弟子のモルタザー・モタッハリーの思想の紹介

 010.1『知の広場 図書館と自由』 「屋根のある広場」のような図書館には、自然と市民が集まってくる! 色々な図書館の内部の写真が載っていたが、私が行ったのはフィンランドの「エスポー、セッロ。ショッピングセンターン内の図書館」だけです。世界中の図書館巡りをしたい。ドリームジャンボが当たったら、でかけましょう。

 312.2『苦悩するパキスタン』 パキスタンは分からない国です。ごちゃごちゃです。これでイスラム圏の2番目の人口を抱えている。やはり、インドとの関係です。宗教で分かれたこととインドに対抗して核を保有したことが影響しえいる。

 319.1『グローバルプレイヤーとしての日本』 北朝鮮の核問題も出て来ている。
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久しぶりの朝刊で感じたこと ②

社会編の環境問題

 社会編の環境問題はもう少し、整理しましょう。デンマークとかフィンランドで得た示唆を入れ込みます。

 デンマークが教えているのは、大きなことをやりながら、コミュニティをやっていき、コミュニティのことで大きなことをやっていく。Think Globally, Act Locallyのところのファシリテーションとインタープリテーションの所で、北欧で得た教訓として書きましょう。その意味では、3.3と3.4に関係します。

 デンマークのニコルの世界はファシリテーター、フィンランドのヘリの世界はインタープリターとして、機能を明確にします。事務局としての環境学習設備は上としてのEU、横のメンバーとの情報共有、下としての市民へのアピール・アンケートがあります。

 ニコルさんも風車だけでなく、二重窓とか地域のごみ問題。大体、三つのバランスを持っています。ファシリテーションでは、グローバルからの支援として、アピール・アンケート、市民との情報共有、専門家の存在を上げています。これらをどちらにするかです。

 NPOにしても、自分たちがファシリテーターなのかインタープリターなのかをハッキリさせないといけない。ファイシリテーターは多くいます。

 インタープリターは数よりも、強力でないといけない。行政とか、企業相手にネゴシーエートするから。

 コペンハーゲン市にしても、予算がないからということで、2割ぐらいのNPOになってしまった。それに対抗できるだけの力を持たないといけない。国の政策にも十分影響を与えます。

 ハメリンナのヘリさんはEUとかラトヴィア相手に、自分たちの活動を展開したり、認めさせることをやっていた。そのための書類は見せてもらいました。若手の方はファシリテーターとして、いかに市民と一緒にやっていくかです。

日本との比較

 食糧自給率とエネルギー自給率は自分たちの脆弱さに気付いた時から、対策と対応を国でやってきました。同じ状態の日本はそのままです。どんどん悪化しています。何が違うのか。

 やはり、ベースとしてのインフラが足りないことを自覚して、EUの中でいかに活きていくかを考えて、国民の合意にしたんです。具体的には、「豚」と自然エネルギーです。自分たちは原発は使わない。デンマークには水がないということと、皆の大西洋に捨てられない。

岡崎図書館に来ました

 開館前から並んでいるのは、図書館に用事がない人です。岡崎図書館は湿気が多い。ワザとらしく、28度なのでしょう。温度がいいから、湿度を下げて。クルマの中が一番いごごちがいいです。

 岡崎市立図書館では10冊借りました。世界の歴史関係が多いです。割と厚いです。日本には、こんなことを調べて書くんだというぐらい狭いところを書いています。借りるための時間は20分です。新刊書コーナーに行っただけです。

販売店を使う理由

 なぜ、販売店を使わないといけないのか。iTuneみたいな形で行えば、お客様と直接、やりとりできます。だけど、それは避けたい。もし、販売店を使わないとしたら、この会社の強さが弱さになります。勝負にならない。 使わない時も、コミュニティが必要です。コミュニティと連携するリアルな世界として販売店を位置づけられるかどうかです。それはスタッフの能力によって、意識によって、変わってしまいます。

 その意味では、新しい市役所です。スタッフは市役所の職員です。スマートグリッドをやるためには、お客様状況ファイルが必要です。それとクルマと電池をつなげることです。そのために必要なのは、MSではなく、SFDCです。
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久しぶりの朝刊で感じたこと ①

未唯へ

 久しぶりに朝刊をトイレで見ています。色々な感想を持ちました。

韓国と中国の指導者

 韓国と中国の指導者は笑顔が出来ている。それと座り込んで話すという、大衆コントロールに長けている。

 日本は風評被害対策としているが、両国とも、明日は我が身です。中国は国家分裂で、韓国は北朝鮮併合です。大混乱です。中国は数千万の被害でしょう。

メーカーとMSとの関係

 自動車がエネルギー源になるという発想に向かって動いていません。あくまでも、「売ること」だけです。電池一つの話をしています。

 スマートにするためには、コミュニティが必要です。コミュニティの作り方を一緒に考えないといけない。それを「いい町・いい社会」として出しているのに、自分の手柄でしか考えていない。言葉だけです。

デンマークを見習え

 デンマークの原発対応を見習えと書かれていたが、あそこは徹底的にやります。エネルギー自給率も日本と同じ、4%から始めて、100%を近づいています。食料自給率も40%から始めて、「豚」をEUに出すことで、100%を超えました。Think Globally, Act Locallyを徹底します。

 チェルノブイニに対して、徹底的に生活を見直しました。彼らは自由に廃棄物を捨てられる海を持っていない。汚してもいい海を持っていない。

 これらの情報はコペンハーゲンの環境学習設備のNPO代表のニコルさんから聞きました。そこは海上での風力発電で有名です。だけど、小さな事務所です。彼らは、風力発電の前に、二重窓を一生懸命説明してくれました。その時は、そんな小さなことと思っていたが、それはすごいことです。

 グリーン・ニュー・ディールの目玉も人手を掛けて、エネルギーを掛けない、確実な対策です。その後に、地元のコミュニティの中に入り込んで、ごみセンターを「経営」しているということでした。皆、その現場を見に行きました。しっかり、市役所からの委託も含めて「経営」されていた。その上で、コミュニティを市全体に拡大しようとしていた。

 NPOがごみ処理などを契機にして、コミュニティを作って、そこからやっていかないと。

エリート主義

 サンデル教授を聞きなおしていたが、ベースのところがエリート主義です。それで社会をどうしたいのか、分からない。そう考えると、私の頭の中は、それで変わるのか、どうなるのか、変えようとしているか。

 その時に、クルマというのが、サンデル教授じゃないけど、エリート主義的になっています。金のある人と分けていることです。そんなことよりも、もっと重要なことがあるというところに、気付いて、少しずつ動いていけるかどうかです。

スマートグリッド

 スマートグリッドの本来の目的はエネルギーの分散です。単純にはできません。受け口がいります。それを個人にしては、とてもじゃないけど、やっていけません。

ベストセラーも読みたい

 金曜日に借りた25冊を一日で片付けました。自分の中に溜まっている分とこれを出す未唯空間がハッキリしているからでしょう。

 それにしても、ベストセラーは読めない。図書館から借りれない。ベストセラーを持ち回りできるものが必要です。今の図書館にはまだまだないです。本来の図書館にベストセラーを回し読みするところが必要です。それがリーディング3.0かもしれない。

 ボルティモア図書館は新刊書を出た時に揃えています。貸し出し冊数がNYPLを超えています。問題は読み終わった時に、複本をどうするかです。新刊書を買った人から、寄贈してもらう図書館は日本でもあります。どのようにして持ってくるかです。「超訳ニーテェ」にして、一度読んだらお終いです。あれをどこかに回したいです。シェアしていくという発想です。
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