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やっと、3.11クライシスの本が出てきたけど

3.11クライシスの本

 今日の図書館は学生がいません。それでも、5階で並んでいます。

 新刊書コーナーには、3.11関係がかなり出ていた。その中を、見ると、二つのパターンです。一つは焼き直しです。もう一つは、ブログなどで書いたことを本にしています。つまり、理念なく描いています。

 皆、以前からクライシスを予測していなかったみたいです。その点では未唯空間の方が優れています。

図書館で借りること

 今日の図書館は学生がいません。それでも、5階で並んでいます。結局、28冊借りました。先週の続きの2冊があったので、30冊フルになりました。

 2週間前に見た、カントの純粋理性批判5をゲットできました。

28冊の新刊書

 369.36『ドキュメント チェルノブイリ』 1988年7月7日の焼き直し

 312.53『決断のとき上 ジョージ・W・ブッシュ』

 312.53『決断のとき下 ジョージ・W・ブッシュ』

 369.31『3・11クライシス!』 ロシアとの関係が強いみたい。「3.11クライシス」が私が命名しています。クライシスは分岐点を意味しますね。

 332.22『大恐慌下の中国』 市場・国家・世界経済 現代中国の状況かと思って借りたら、本当に1933年頃の中国だった。ハーバード大学歴史学部に、1999年に提出した博士論文を出したみたいです。今の中国とかにどういう影響があるのか。

 547.48『Webサイト仕組み・構築。運営がしっかりわかる本』 新米IT担当者のための 通勤時にさらっと読むだけでプロの知識が身に付きます!

 519.04『次世代の伝言』 自然の本質と人間の生き方を語る 対談は2月に終わっている。3.11を受けて、まえがきを追加している。「瞬時に3万人以上の方が40億年続けたかけがいのない命を失う悲惨な結果を招いている。」何となく違和感を感じた。

 130.2『齋藤孝のざっくり!西洋思想』 3つの「山脈」で2500年をひとつかみ 第一の山脈 西洋思想の始まりから〝アリストテレス帝国〟の建築まで、第二の山脈 近代合理主義による哲学の完成、第3の山脈 〝完成された哲学をぶっこわせ!という現代思想〟

 023『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり神の本が好き』

 672.1『消費者の歴史』 未唯空間での「消費者」が変わったことを、調べたかったが、単なる歴史物だった。

 675『マーケティング・サイエンス入門』 市場対応の科学的マネジメント マーケティングの本も、営業の役割は「売ること」になっています。それではマーケティングとは言えない。古い考えです。

 901.9『書物の灰燼に抗して』 比較文学編集

 914.6『一人で生きる練習帳』 明るい老後のために

 375.9『新しい歴史教科書』 中学社会 日本歴史はインチキだから嫌いです。なぜ、エネルギーごときで300万人も死ななければいけなかったのかの、説明がありません。兵士の言葉をありません。勇敢にたたかった。ウソでしょう。餓死したという事実が表わされていない。

 007.3『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』 ソーシャルメディアを小学校にたとえたらわかりやすかった! ネット時代の新しいマーケティング手法は「ソーシャルグラフ」を使え!! 誰もが自由に情報を発信し受けとれる新しい社会がやって来た!

 045『せまいルール』 吉野家の「つゆだく」の「だく」は10g

 332.1『大震災後の日本経済』 100年に1度のターニングポイント

 312.1『国家と政治』 危機の時代の指導者像

 913.6『山本五十六異戦録①』

 319.1『国家の存亡』 「平成の開国」が日本を亡ぼす

 334.31『2100年、人口3分の1の日本 人口減少は避けられない!』 人口変動で語る日本論 仕事、家族、恋愛のカタチが変わる!

 302.34『ウィーン・オーストリアを知るための57章』

 384.7『セックスメディア30年史』 欲望の革命児たち

 007.3『逆パオプティコン社会の到来』 ジョン・キムのハーバード講義 ウィキリーからフェイアスブック革命まで

 134.2『純粋理性批判5』 2週間前に本屋で見ていた本が手に入りました。

 302『100文字でわかる世界の大問題』

 335.8『サードセクター』 「新しい公共」と「新しい経済」

 539.04『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』
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ドイツのリトアニア占領時代のユダヤ人の状況

『キリスト教とホロコースト』より

一九四一年六月二十二日にドイツがソビエト連邦に侵略したとき、多くのリトアニア人は彼らを解放者として歓迎し、最初のうちは熱狂的に協力しさえした。ドイツの宗主体制の下で独立を願う彼らの希望はじきに阻まれた。代わってこの国は(ラトヴィア、エストニア、白ロシア〔今のベルラーシ〕を含む)オストランド総督府の一部として直接ドイツの管理下に置かれた。エードリアン・フォン・レンテルンは、この国を治める国家弁務官に任命された。独立リトアニアの回復をめざしていたユオザス・アンブラゼヅィツィウスを首班とするこの国の政権は、たちまち押さえ込まれた。独立をめざすリトアニア人がドイツとの共通の敵のソビエト連邦と闘っているという根拠でドイツとの協力を強く促し続ける主導的な民族主義者勢力を阻止できなかったからである。この状況は、ドイツが勝利しているかぎり揺らがなかった。一九四三年に始まるスターリングラードでのドイツの敗北に伴い、リトアニアの民族主義者はこの国を乗っ取ろうとするソビエトを阻止するために西側連合国に打診をし友好回復を模索しようとした。こうした動きがあるにもかかわらず、多くのリトアニア人は、ドイツ支援部隊に入り、ドイツの心証をよくしようとする行動で応じた。ユダヤ人殺しのことを言えば、特に占領の初日からいわゆるリトアニアのパルチザン、侵略に先立ってドイツで訓練され後に組織される歩兵大隊が自らの手で事態の処理を始めた。ドイツがソビエト連邦を攻撃した一九四一年六月二十二日にリトアニア人は街頭にいた多数のユダヤ人を殺戮する激しいポグロムの実行に取りかかった。ドイツ軍がカウナスに入ったとき、地元民が市中のユダヤ人を襲い、棍棒や斧で残忍な殺戮を展開した。それはリトアニア人の支配者のドイツ人にすら衝撃を与えた。多数の学生や知識人もこの破壊行為に加わった。ドイツの侵略後四ヶ月の一九四一年十月末までに八万人のユダヤ人が殺された。一九四一年十二月末までに、この国にもともといた二十三万五千人のユダヤ人の八十五パーセントがリトアニア人であった。

彼らはこの卑劣な行為を進んで演じることに志願した民兵やリトアニア警察に殺された。残ったユダヤ人は、悪名高い移動殺戮部隊によって殺戮された。ビルニュス郊外のポナリの森の中で数千人のユダヤ人がたった一人のドイツ人将校の命令の下、リトアニアの保安隊員たちに殺された。第七駐屯地や第九駐屯地といった軍事防衛拠点に連行されたカウナスのユダヤ人も同様であった。残ったユダヤ人は主に三つのゲットー、ビリニュス(一万五千~二万人)、カウナス(一万五千から一万七千五百人)、シャウレイ(四千五百~五千人)に集められた。多くの共同体は不意の襲撃で一掃され、彼らのこの受難の物語を語る者は誰一人として残っていなかった。リトアニアのユダヤ人はガス室で殺されはしなかったが多くの場合、墓穴を自ら掘らされた後に大量射殺によって殺された。リトアニアは、占領の第一段階の期間中、しかもこの国の地元民にユダヤ人の大半が皆殺しにされた最初の国であった。移動殺戮部隊を指揮した親衛隊のフランツ・W・シュターレッカーが報告したようにリトアニア人の補助部隊によって行われたユダヤ人の大規模な殲滅は、長年のユダヤ人による抑圧への自発的反応として難なく行われた。ビルニュスのゲットーは一九四三年に一掃され、ユダヤ人住民の多くは殲滅させられた。一例を挙げれば、リトアニア人のジャーナリストのクリマイティスに命令された三百名の部隊がカウナスの千五百人のユダヤ人の大量殺戮を行った。最初の殺しの熱気が鎮まった後に、ドイツ軍は計画を進め、生き延びたユダヤ人に過酷な制限を課した。ビルニュスのゲットーは一九四三年に一掃され、ユダヤ人住民は皆殺しにされた。一部の者は別の地域の強制収容所に送られた。一握りのユダヤ人は不可欠な労働力として生かされたが、彼ら(約二千名)もまた一九四四年七月の市の解放の前夜に殺された。カウナスとシャウレイではごく少数のユダヤ人の一部のみが、解放まで生き残ることができた。

要約するとドイツ占領下のリトアニアの二十二万五千人から二十三万五千人のユダヤ人のうち、ソピエト軍がこの国を解放したとき生存できたユダヤ人は三千名(パルチザン部隊に参加したり、部隊を創設するために森に逃げたユダヤ人を含め)にすぎなかった。その他数千人余が強制収容所と他の収容所に移送する強制行進を生き抜くことができた。
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