goo

クルマがつぶやく時代のネットワーク

未唯へ

 寒いですね。足が冷えます。名古屋の上だけが晴れています。山は見えないです。

 奥さんに6月の旅行の件、聞いたところ「阪田がどうなったのか」という言い方ですね。その答は「ない」だけです。

メーカーからの情報

 メーカーからは配信する効率だけでネットを使おうとしている。それで自分たちが作ったシステムを使うようにしている。

 今後の使い方を考えています。現在のプッシュ型だけでなく、プル型もできるようにする。データを色々な側面から見えるようにしていく。素人的にしていく。つまり、多くの人が使って、そこでの感想も循環させるやり方です。

アナロジーで考える

 これは、お客様状況からのアナロジーです。

 私の発想の中で、より多くの人が複雑に絡むことで、創発させるやり方が身についています。

 考えるベースはアナロジーです。一つが見えると、他のものが見えてきます。ネットワークの効果もその方に振ります。使う権利をより多くに人に渡していく。かつ、全体を制御する。それぞれのところがやっていることをネットワークでつないでいく。

クルマがつぶやく時代

 つぶやくためにはライブラリが必要です。ベースなしにつぶやいても意味がない。大量データにつぶされるだけです。

 今までは、そういうカタチで表を作っている人が、自分のお仕事をやってきた。より多くの人がそれのつぶやきをするようになります。

 クルマがつぶやくためには、センサーが必要です。これはレースの時の感想です。クルマからは色々な情報は出ているけど、それを聞くことができなかった。だから、センサーを作り出した。

 その時に、リアルな情報と、ストックする情報とそれらを解析するライブラリが必要だった。

背伸びしている

 今の時点で、自分ができることを考えている人間には「背伸び」に見えるのでしょう。夢がないことには夢は叶わない。

 先から見ている人間にとっては、あまりにものろいプロセスです。答は見えています。お客様状況把握からのアナロジーです。

未唯へ

 歯が欠けています。土台が崩れています。

 今日は、ネットワークがどのように役に立つか、というよりも市民から見たときに役に立つことをまとめます。

 4時に起きたら、電気をつけて、そのままポケ~としておきましょう。何かが出てくるでしょう。資料を見ながら、やるのではなく、考えて、頭に浮かんだことを述べます。

複雑なことを避ける

 皆、複雑なもの、自分の範疇にないことを避けます。複雑性が必要なときです。より多くの人が様々な所からアプローチしても、全体の制御がするためには、複雑性の考え方は必要です。

 部品にしても、検索するのと、使うのと、その結果をどうフォローするかはそこにお客様の声を入れるのと、これらは本来一緒です。

 これは図書館のライブラリと一緒です。そういうカタチで載せることで循環が始まります。単に部品が部品でなくなります。

 これから先は、インタープリターに任せないと。

ネットワークガイドの書き方

 ネットワークガイドを高度なものにしていくいく。高度とは何かというと、先から見たときに、この意味合いが分かるものです。その分岐点であることをパートナーにも分かるようにします。パートナーが分かれば、拡がります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

17の忘れてはならない図書館のポイント

『知の広場』より

 1 図書館が柱となり、市民を巻き込み動かすこと。図書館は、小学校、警察、消防団と同じように、その地域にとって必要不可欠な機関である。市民の声が図書館に届くように運営し、行政が問題に取り組むよう仕向けること。

 2 その地区、町、国の性格に合わせること。どんな地域で、どんな人が住んでいるのかということに注目すること。特に、図書館に来ない市民に気を配ること。どんな人にとっても心地良く、文化的に豊かな図書館を創ることは共通の課題であるが、どこにでも有効なモデルというのは存在しない。

 3 丁寧な分析から出発し、どんな人が利用者となるかを理解すること。なぜなら、利用者というのは固定できないし、また、新たな利用者を獲得するのはとても大変だから。非利用者のもつ図書館のイメージについて、調査・研究を行うこと。

 4 変化に抵抗するのではなく一体となり、できることなら、変化の一歩先を行くこと。グーテンペルグ世代とiPad世代との間にある深い溝は、どうしたら埋められるのかよく考えること。

 5 人はどのように振る舞い、どのように動くのかを観察すること。そして、そこからより良い空間作り、開架方法、サービスの向上に役立つ手がかりを引き出すこと。また、私的空間での試行案からもヒントを得ること。

 6 建築、内装、職員の態度を通して、感じのいい場所だと目に見えるようにすること。市民が図書館で、あたかも地元の古い商店や、百年前に創業された広場のカフェに入った時のように、「本能的に」居心地がいいと感じられなければならない。

 7 形式ばらない雰囲気にすること。禁止行為のリストを貼り出すよりも、そうした行為が職員の力で自律的になくなるのが望ましい。ぶ叉全第戸を採用するのではなく、制限することで生まれる長所と短所を天秤にかけてみること。

 8 市民とのコミュニケーションは、即興でなされるべきではない。建築、色使い、内装、規則こ開館時間、職員の態度などの要素を包括的に検討した成果であるべきである。

 9 一般市民は、図書の専門用語は知らないし、知りたくもないという前提に立つこと。したがって、すべての案内標識は、到着したての外国人でも理解できる言葉やマークで示されなければならない。

 10 図書館の人工的な分類法は、の呂腎やアマゾン、その他の検索エンジンのように、インターネット上の共有や交換を容易にし、アクセスしやすくするはずである。

 11 批判精神をもち、独創的で、どんなことにも果敢に取り組める人以外には、将来、図書館でのポストはない。伝統的な図書館員を思い描くのは止めた方がいい。これからは、他分野出身の新たな考え方をもった図書館員、市民の出会いの場、文化イベントの場、地域の活発な場で必要とされることに対応できる図書館員が有利である。

 12 職場のヒエラルキーより実力を重視すること。全職員を同じ立場に置く人員配置も試してみる。

 13 図書館のプロジェクトやイベントに市民を参加させること。どんな種類の協会も受け入れ、場を提供すること。図書館は何より町の一部であり、そこにはたまたま本もあるだけのことなのだ。

 14 自由に動けない市民のいる所には、どこであろうと図書館の資料を持って行くこと。例えば、病院、養老院、刑務所など。

 15 図書館への入り口となる新しいコンテンツ(ブログや掲示板など)を作る際に、インターン生を巻き込むこと。彼らにとって、経験や討論のできる現実的な場にすること。自分の両親や祖父母にコンピューターのいろはを教えさせるなど、「デジタルーデバイス」と闘うように刺激する

 16 監視の目が気にならず、孤独な人々が出会うことのできるような、新しい都市空間を作りだすこと。共通の良識、人と一緒にいる歓び、市民である歓び、こうしたことを忘れてしまった人々が参加できる場を作ること。

 17 プロジェクトは、あらゆる側面、つまり、文化的、技術的、組織的側面から何度も見直されるべきであると意識すること。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

今後の図書館の役割

『情報・知識資源の組織化』より

場としての図書館

 図書館は[知の宝庫]と呼ばれてきた。図書館は、人類の遺産である記録された知識の収集・保存・提供という役割を持つが故に、蓄積した知識の利用を待つだけの,どちらかというと受動的な社会的機関となってしまっている.「場」としての図書館の役割が議論される背景には、多くの人が図書館を介せずにインターネットを介して情報を入手しているという事実がある。こうした利用者の情報探索行動の変化は、図書館の役割にも影響を及ぼす。電子書籍の普及が進むなか、図書館は単なる本の提供場所から知識創造の「場」へと進化していく必要がある。

 居心地の良い場所を求めるのは人の常で、誰もが気楽に立ち寄れくつろげる「場」を求める。都市に暮らす人々には、家庭と職場に加え、第三の場所として、パブ、カフエ、書店のような「サードプレイス」が必要とされる。

生涯学習の場

 図書館は利用者が多様な情報資源と相互作用し問題解決を図ることで知識を獲得していく「生涯学習」の場である。学習は単なる個人的な営みではなく、人々が相互に影響しあうことで互いの達成度を高める協調的なものである。協調学習では、他者の考えとの相互吟味を通して自身の知識が再構築され、理解が進む。図書館はこうした相互作用を促進する場として機能していくことが望まれる。学習は社会的なプロセスであり、絶えず社会と相互作用していくことでなされる。

 状況論的学習は、個人の置かれている状況や環境と交流をもつことで、社会を認識し知識が獲得されるという発想である。そして、学習というものが社会的・文化的参加を通じて起こり、知識は個人の心の中に貯蔵されているのではなく、社会や道具との間で分散的に保持されると考える。知識は人間の生活の営みの中ではじめて十全に捉えられる。つまり、学習とは、学習や発達を可視化し焦点化する道具やその使用を含む、ある種の実践の組織化の在り方といえる。状況論的学習の目標は,外界との積極的なインタラクションをとおして、そこに本当に自分を活かせる場をつくりだし、そういう場を発見することで自分自身を広げていくことにある。

交流の場

 図書館は、資料の提供といった利用者への直接支援(タスク指向型のコミュニケーション)以外に、利用者同士のコミュニケーションを間接的に支援することも大事である。この非タスク指向型のコミュニケーションは、他人や各種情報資源との相互作用を通して個人の「意味づけ」や「意味の構築」を支援する。意味は人間行動を特徴づける本質で、情報探索行動は単に情報を見つける行為ではなく、多様な情報資源と相互作用し、自分なりの意味を見いだす行為でもある。

 コミュニケーションでは、参加者同士が共通の場に身をおき、空間と時間を共有する。ニフミュニケーションの一般化は難しいが、コミュニケーションには「共有」概念のほかに、集団のメンバーが分担責任を決めて情報や知識を分け合って保持する[分有](誰が何を知っているか)概念が含まれる。集団による情報の分有システムとして交流型記憶がある。これは、誰が何を知っているのかという点について,メンバー全員が同一の知識を持っている状態をいう。すなわち、集団における情報の分有状態に関するメタ知識を全員が共有している状態をいう。コミュニティの「分有」システムを支援してあげる役割が図書館にはある。

実体験の場

 今後の図書館は、従来のように貸出や入館者データに基づき評価されるのではなく、広範囲な教育支援、健康情報の提供、求職支援、安全で清潔な環境の提供といった、地域住民の「生活の質」をいかに高めていくかで評価される。一般にサービスは、図9-1に示すように、大きく3つの要素からなる。これまでの組織化は、モノとしての書籍を貸し出す(提供)サービス、レファレンスなどの情報提供サービスを念頭においてきた.今後はこれらのサービスに加え、体験サービスを提供していく必要がある。体験サービスは、個人的成長のための学習支援、自己実現のための情報リテラシーをはじめとする種々のスキルや能力の習得支援サービスをいう。また、社会で生きるための力や知識もこの体験サービスを通して得られる。

 Web上の情報は知識ではないといわれるように,知識の本質は体験することで得られる。また、理解する、分かる、納得するには、言語・論理世界の枠内だけでは説明できない.言葉として表現されると社会的に容易に共有できるが、論理的世界の記述では、現実世界の一部しか表現できない。知識の社会的共有過程は個人の頭の中の閉じた現象ではない。外界に開かれた構成的知能の形成として知識を捉える必要がある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

社会脳としての図書館

『情報・知識資源の組織化』より

社会脳としての図書館

 人間の行動を制御している要素の多くは環境や他者といった外部にある。行勣を左右する情報が脳の外部にあるのは、我々が自己内部の情報を外部の装置に移すという、情報の外部化をはじめたことによる。つまり、外部環境へ記憶や知識を移すことで、個人の知識のレベルを超えた知識の伝達と蓄積が可能になり、それが我々の行動に影響を与えているのである。

 我々は道具を利用し、思考内容を発話、文章化することで、他者とコミュニケーションをとっている。人間は、自らの環境に様々な道具を見い出し作り出すことで、心を強力なものにする。こうした認知的人工物は「心の度具」と呼ばれる。人間が高い知性を持つのは、自分の認知作業を、可能なかぎり環境に委ねてしまう習慣による。つまり、外界につくった一連の周辺装置に知的活動を代行させてしまうからである。

 記憶が内的である必要はなく、今や我々の記憶の多くが外部の記憶装置によって維持されている。我々は様々な外部記憶装置を作り出すことで、社会の記憶を保持・維持している。典型的なものが古代からの人類の記録された知識を保存してきた図書館である。図書館は「社会脳」と呼べるもので、我々は膨大な量の情報をこの外部の社会脳に貯える仕組みを生み出した。ベルリン自由大学の図書館は「berlin Brain」と呼ばれている。

 バトラーは文化の道具としての印刷本の起源・発展・普及に関心を寄せ、人間の記憶を拡張・維持する手段としての書物や図書館の重要性を指摘した。図書は人類の記憶を保存する一種の社会的メカニズムで、図書館はこれを生きている個人の意識に還元する社会的装置である。社会は記憶を持ち、さらにー一種のメンタリティをも持つ。社会が持っているこのいわば心に擬せられるものは、意識こそ持たないが、個人の知的プロセスと大体類似の働きをする。知識が社会的に蓄積され存在するということは、社会と個人を結ぶ上で大きな意義を持つ。人間は社会の記憶のどの部分も自分の心に移しかえることができ、いつでも自分の学校を開くことができるのである。

社会脳の疲弊

 知的技術は、ほとんど常に、認知機能や心的活動を外部化、客体化、バーチャル化する。人類の進化の過程で、道具の使用や言語の発達にもまして、社会が脳の進化に重要であったと考えられる。1990年代以降、認知脳科学や進化人類学などの分野で、社会脳(ソーシャルブレイン)への関心が高まっている。具体的なテーマとしては、自己認識、他者認知、視線、表情、意図の検知、共感、模倣、心の理論、ミラーニューロンなどがある。

 社会脳の本質は、環境適応的に自分自身の脳の構造を作り替えていく適応能力である。社会脳を理解するには「関係性」が重要となる。関係構造の変化に応じて、我々の振る舞いを適応的にコントロールしている脳の仕組みが社会脳である。また、パーソナリティ(人格)の根底にあるものを社会脳と呼んだりする。ネットなど、顔を介さないコミュニケーションが日常的になり、社会脳に異変が生じている。他者や他者との関係性が、テキストやデータに置きかえられ,つまりは他者を、情報化,データ化し、操作可能なモノ化することで、共感性が失われている。

 人間にとっての世界は共同世界に支えられた「意味的世界」、すなわち象徴的に構成された世界である。世界は、ヒト(共同世界)、モノ(事物・道具的世界)、コトバ(象徴的世界)が複雑に絡み合い重なり合って構成される。道具が自然的適応に関わるのに対して、シンボルはむしろ対人的、心理的適応に関わる。我々は言語によって世界を意味づける(分節化)。象徴的世界への関与の仕方それ自体は経験的にしか習得されない。象徴と人間とを媒介するのも人間で、その象徴群は「文化」を構成し、時代や地域によって多様である。それ故、他者との関わりや「共同世界」の存在こそが重要となる。道具と人間との「出会われ方」は一方的だが、他者という人間との出会われ方は双方向的で、相互規定される。ネットワークは偽者の象徴界によって覆い尽くされた世界で、ネットワーク化により、我々は無数のずれを経験しはじめる.それは時には病理的な形式をとる。

 今や、意味記憶を外在化した社会脳としての図書館、エピソード記憶の持ち主である小さな社会「脳」としての個人、その両方もが疲弊しつつある。複雑な社会に適応していくにも、図書館という「場」を介して、人々が交流することで、しかるべき社会的技能(スキル)が育めるとよい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )