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25冊の本を今日中に片付けます

未唯へ

 昨日借りた、25冊の本の処理を行っている。ほんでのつぶやきが中心です。本を片付けるのが早くなった。朝の4時から7時までに1/3を片付けました。

 未唯空間とデジタルライブラリという、バックヤードがあるから、フィルタリングを掛ければ、この本が読むに値するかすぐ分かる。また、目次から著者がポイントとしているところがすぐ分かります。

「歴史の黒い主役たち」

 色々な武器で社会は変わってきた。機関銃は南北戦争の死者を膨大にした。そのトラウマがアメリカ人を残酷なものにした。本来は、武器ではなく、意識で変わってきた。国民国家も兵隊もそうです。意識で変わってきた。

 労働者と意識も、独立していたものが、従属に変わっていった。今は、インターネットという武器で、世界が変わろうとしている。これを道具として見るだけでなく、全世界的に意識を変えるモノです。

「日本の原発危険地帯」

 鎌田慧の本は過去に書いた本を完全に焼き直ししているです。自分の足で見るのが、彼のルポなのに、この時期にこんなモノを出すのか。

 それに主張がない。その時に書いた、原発の実態が変わらずに、事故で変わったことへのコメントが欲しい。そうでないと、結局は言うだけになってします。

「福島原発人災記」

 福井原発の分析は、完全にドキュメントに徹しています。その割には、誰がをやっています。いかに、素人の塊です。利権に乗っかっているか、名前だけで金になっているかは分かるけど。

 福島第一は1971年にできたんですね。30年の寿命をはるかに超えています。当時のGEは撤退しています。

 最新型でもなんでもない。40以上の原発です。だれも直すことはできない。東電も原子力委員会も作ったわけではない。単に維持していただけです。もっと、スマートに制御できるモノを日本で売り出そうとしたけど、全然、カタチになっていません。

核反応はスマートではなく

 元々、核反応自体がスマートではない。電源オフにしても、核反応は止まらずに、暴走します。これが自然です。勝手に作ったモノです。暴走するのが核反応です。

「プロボノ」から見たNPO

 図書館を舞台にした、プロボノは2003年ぐらいに考えました。市民の専門知識を使うものです。それを仕事なんぞに使って置くのはもったいない。もっと大きく使わないと。

 どこかの部長が来て、NPOで部長職を求めるのはまるで違っています。専門職ではない。なぜ、プロボノをやるかは分かり切っています。社会を変えるためです。歴史を変えるためです。

 日本のNPOはあまりにもこまい、小さい、役立たず。NPOの志を上げるにはどうしたらいいのか。まだまだ変わらないといけない。まだ、全然変わっていない。

「企業論」

 「企業論」で組織をやっているけど、あまり大したことは書いていない。一番、重要なのは個人の能力と会社の能力の関係です。この類は、今のことしか書かない。当り前か。

「リーディング3.0」

 「リーディング3.0」では、バーシャルな世界で読むことをシェアする、と書かれているが、よくわからない。本を読むのにシェアして、どうするのか。むしろ、社会ライブラリまで格上げして、コミュニティの情報共有まで語らないと、ビジネスマンの朝食会みたいになってしまう。
私は、本に関して多くを発信しているが、誰にもうけていません。ソーシャル・リーディングと社会ライブライをどの単位でやるかです。読書という、個人的な行為から、人とシェアするためには、個人の能力をそれまでに上げておく必要がある。本の感想をツイッターでつぶやいても、社会は変わりません。

「知的文章とプレゼンテーション」

 「三行にまとめた大事なこと八点」というまとめがされています。これは未唯空間のまとめ方と似たところがあります。著者は理系です。

ブラックエプロン

 名古屋のブラックエプロンは豊田駅前の店長だったそうです。ブラックのエプロンするか、緑にするかは、その時に替えるそうです。ところで、あついね~。歩きにならない。久しぶりのイタリアンローストのアイス・ドリップです。この苦みがいい。

未唯空間の進め方

 未唯空間は自分の考えをまとめることが中心で、エッセイを書くことを忘れています。仕事編もあまりリアルにしてはいけない。やることだけではなく、大きな視点で、次につなげていかないと。
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未唯空間の整理

未唯へ

 今日は朝からだるいです。だから、ショートカットします。

 土曜日も岡崎があるから、今日、豊田市で借りる本は早く片付けましょう。そのために、4時前に名古屋を出ます。借りたら、スタバで多めに片付けます。

 バスは全ての信号に引っかかっています。栄から名古屋駅までのクランクが多すぎる。一つの交差点で一分はかかります。直線コースに変えてもらいたい。栄から、真正面にMDLが見えている。

未唯空間の整理

 会社は仕事編をしています。土日に、他のジャンルの整理も始めないといけない。それと2月分のブログの反映もやります。土日の朝のスタバでの作業になります。

デジカメで何を写す

 デジカメで自然を写すといっても、通勤路にはどこにもない。家と、そこに置いてあるクルマの違和感だけはあります。この対比を写そうか。パラいバシーに掛かるかな。

パートナーの資料つくり

 パートナーの資料つくりをチェックしていて、つくづく、根からのファシリテーターであると感じた。販売店に担当者G説明する時の立場で見ています。

 DM展開にしても、ファシリテーターとして、販売店のために考えています。一緒にやっている、情報系システムの連中のスタンスは作る人です。ファシリテーターは重要です。

同様に、インタープリターが必要

 名古屋にインタープリターがいない。どうしたら作れるかを未唯空間の項目にしましょう。いない理由はわかります。そんなところまで考えられない。行動することとシステムを作ることでしか、上の人にアピールできない。そのいう概念です。

 だけど、メーカーを変えていく、市民を提案しようとするとインタープリターは必要です。作ることと使うことには、組織を求めてはいいけど、ファシリテーターとインタープリターは組織ではありえない。

ライブラリの目的

 ライブラリの目的は、最終的には見える化です。ノウハウだけではなく、リアルタイムの状況も含みます。そのためにはコラボレーションと一緒になります。

豊田市中央図書館で25冊借りました。明日中に処理します。

 302.22『ネット大国中国』 言論をめぐる攻防
 019.9『ニッポンの書評』
 816.5『知的文章とプレゼンテーション』 日本語の場合、英語の場合
 288.41『昭和天皇』 「理性の君主」の孤独
 361.2『よくわかる社会学史』
 319.22『中国はいかに国境を書き換えてきたか』 地図が語る領土拡張の真実
 369.7『プロボノ』 新しい社会貢献 新しい働き方
 332.2『NHKスペシャル 灼熱のアジア』 FTA・TPP時代に日本は生き残れるのか』
 335『企業論』
 007.3『図解 ソーシャルメディア早わかり』 リアルとウェブが一つになる
 429.2『宇宙創造の一瞬をつくる』 CERNと究極の加速器の挑戦
 936『刑務所図書館の人びと』 ハーバードを出て、司書になった男の日記
 007.5『リーディング3.0』 少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術
 543.5『日本の原発危険地帯』
 904『アメリカ講義』 新たな千年紀のための六つのメモ
 159.6『ポン女革命!』
 014『情報・知識資源の組織化』
 209『歴史の黒い主役たち』 兵器が歴史を変える 病原体が世界を動かす』 環境破壊が文明を滅ぼす
 543.5『福島原発人災記』 安全神話を煽った人々
 543.8『太陽光発電システムがわかる本』
 612.1『ゼミナール 農林水産業が未来をひらく』 資源と環境の視点から
 023『InDesignで作る電子書籍EPUB&PDF完全ガイド』
 689『よくわかる観光社会学』
 019.9『おかしな棚』
 547.48『通信入門』
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論語ツイッター

『声に出して読みたい論語』より

先生が言われた。「学んだことを適当な時期におさらいするのは理解が深まりいいものだ。友だちが遠方よりたずねてくるのはいかにも楽しいことだ。人が理解してくれなくても気にしない。いかにも君子だね」

先生が言われた。「自分をわかってもらえないと嘆くより、人を理解していないことを気にかけなさい」

先生が言われた。「外からいくら学んでも自分で考えなければ、物事は本当にはわからない。自分でいくら考えていても外から学ばなければ、独断的になって誤る危険がある」

先生が言われた。「学ぶにおいて、知っているというのは好むには及ばない。学問を好む者は、学問を楽しむ者には及ばない」

先生が言われた。「私は生まれつき物事の道理をわきまえている者ではない。ただ古えを好んで、ひたすらに道理を求めてきた人間だ」

先生が言われた。「人間は、詩によって善の心がふるいたち、礼によって安定し、音楽によって完成する」

先生が言われた。「私はまだ美人を好むように徳を好む人を見たことがない」

先生が言われた。「早く成果をあげたいと思うな。目の前の小さな利益を見るな。成果を急げば達成しない、小利に気をとられれば大事はなしとげられない」

先生が言われた。「物欲に左右されない『剛』、志があり果敢な『毅』、かざりけがなく質実な『朴』。心に思うところはあるが口下手な『訥』、この四つの資質は、仁に近い」

先生が言われた。「徳のある人格者は必ず善い言葉を言う。しかし、善い言葉を言う者だからといって徳があるとは限らない。仁の人には必ず勇気があるが、勇敢な者に必ずしも仁があるとはいえない」

先生が言われた。「貧しく生活が苦しいときに、人や運命を恨まないのは難しい。しかし、金持ちでいばらないのは、比較的易しい」

先生が言われた。「自分の利益を目の前にしても『義』(道義・正義)を思い、危機に際しては一命をささげ、昔した約束をも忘れないで果たすならば、それもまた『成人』と呼んでもいいだろう」

先生が言われた。「ある人の意見に賛同すべきときに、ともに発言しないでいると、その人との信頼関係を取りにがす。賛同すべきでないときに、ともに発言して賛同したりすると、言の信用を失う。知者は、そのようなあやまちをしないので、人の信用も、言の信用も失うことはない」

先生が言われた。「人として、遠くまで見通す配慮がないようでは、きっと身近な心配事が起こる」

先生が言われた。「自分の非にはきびしくし、他人の非にはゆるくする。そうすれば、人から怨まれたりしなくなるものだ」

先生が言われた。「『これをどうしたらいいか、これをどうしたらいいか』を懸命に考えない者は私にもどうすることもできない」

先生が言われた。「私は理由なく人を悪く言ったり、ほめたりはしない。もしほめることがあるとすれば、根拠があってのことだ」

先生が言われた。「口のうまい者に乗せられると、善悪の区別があいまいになり、徳が乱される。小さなことでむきになるようでは、大事を成し遂げられない」

先生が言われた。「世の多くの人が悪く言うときも必ず自分で調べ考える。また、世の多くの人がよく言うときも必ず自分で調べ考える」

先生が言われた。「過ちをしても改めない。これを本当の過ちという」

先生が言われた。「私は以前、一日中食べず、一晩中眠らずに考え続けたことがあったが、むだだった。書を読み、師に聞いて学ぶ方がいい」

先生が言われた。「教育は人を選ばない(どんな種類の人間も教育によって向上する)」

先生が言われた。「進む道が同じでないならば、話し合ってもしかたがない(事をはかるのであれば、道を同じくする者とするのがいい)」

先生が言われた。「文章は、意味が伝わるのが何より大切だ」

先生が言われた。「有益な楽しみが三種、有害な楽しみが三種ある。礼儀と音楽をきちんと行うことを楽しみ、他人の善行や美徳をほめるのを楽しむ、すぐれた友だちが多いのを楽しむ。この三楽は、有益だ。反対に、度を越して験楽し、なまけて遊ぶのを楽しむ、酒におぼれて楽しむ。この三楽は有害だ」

先生が言われた。「生まれつきわかっている者が最上である。学ぶことによって理解する者は、その次だ。行きづまって学ぶ者がその次であり、行きづまっても学ばないのが最低だ」

先生が言われた。「人は生まれたときには互いに似ていて近い。しかし、学びの有無によって善にも悪にもなり、互いに遠く隔たる」
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コード・グリーン

『ネットワーク・ヘゲモニー』より

エネルギー問題、環境問題は、文明の盛衰を左右する問題である。 20世紀の米国文明とは石油に浮かぶ文明であり、そのリスクは時間差を伴って2!世紀のわれわれに影を落としている。 21世紀最初の10年が過ぎたが、われわれは新しい文明の見通しを持つ必要があるだろう。われわれの今後を導くプログラムをデザインするのである。

そもそも、人類の開発が地球環境に影響を与えてしまうのは、その規模が大きくなっているからに他ならない。開発の規模が小規模であれば、地球システムはその影響を飲み込んでしまうことができるだろう。しかし、人類はわずかな期間に急速に人口を増大させてきた。世界の人類がほぼ同じような発展段階にあった紀元前1万年には、世界の人口は500万人である。キリストが生まれた頃には50倍の2億5000万人にふくれあがっている。そして、英国で1760年代から1830年代に産業革命が起こった。産業革命のさなかの1800年に10億人に達し、230年かけて20億人になった。ところが、30億人になるのにはわずか30年しかかからず、40億人になったのはさらに15年後の1975年であった。50億人になったのは12年後の1987年である。

しかし、逆に、デジタル・デバイドが解消されてしまったとき、ITが環境に与えるインパクトは甚大になる。たとえば、北米並みに70%の世界人口がインターネットを利用するようになったとしよう。その数は約46億2488万人である。そうすると現在のインターネット人口の約3.7倍がインターネットにアクセスすることになる。これだけの人口を支えるインフラストラクチャが、今のままのアーキテクチャを保つことは困難であろう。

ITは電力というエネルギー源なくしてはまったく動かない。いうなれば、電力インフラストラクチャは、「レイヤー・ゼロ」のインフラストラクチャである。このレイヤー・ゼロのインフラストラクチャを強固なものにするために、われわれは地球環境を犠牲にすることはできない。そうだとすると、いまだ多くの人が強く意識するに至ってはいないが、効率的で安定的な電力の確保、そしてその革新が、今後のグローバルな課題の一っとなるはずである。

ネットワーク・ヘゲモニーで使われるネットワークは、インターネット、情報通信ネットワークだけではない。物流のネットワーク、金融のネットワーク、さらには電力のネットワークなど、あらゆるネットワークを駆使することになる。今のところ、電力網は各国に閉じられている場合が多い。しかし、国境を越えたエネルギーの融通は今後ますます盛んになる。もともと欧州連合のきっかけとなったのは欧州石炭鉄鋼共同体であった。現在では天然ガスのパイプラインが国境を越えてつながっている。環境問題・エネルギー問題への取り組みがなければ、世界経済は成長が止まりかねない。

グローバルな展開力を持つ覇権国はエネルギー消費国でもある。大洋を越えて行われる戦争はロジスティクスが非常に長くなる。しかし、エネルギー問題と環境問題は覇権システムそのものを根底から変えるインパクトを持つかもしれない。

フリードマンは、世界で一番エネルギーを浪費し、環境を汚染している米国こそが、ETの開発で世界をリードすべきであるとし、そのためのプランを「コード・グリーン」と呼んでいる。「コード・レッド」は「厳戒警報」を意味するが、それをもじって急速なグリーン化への取り組みを「コード・グリーン」と呼んだのだろう。レッシグのいうコード層に対応して考えると興味深い。

これは、大量生産・大量消費というプログラムで作られてきた米国の覇権の転換に他ならない。コード・グリーンの「コード(行動規範)」はプログラムのことに他ならない。米国は覇権を維持するためにゲームのルールを変えようとしている。これまでの成長ゲームではもはや地球環境は破綻せざるを得ない。新しいゲームを創出し、それに勝つことで、米国だけでなく世界に貢献する覇権を作ろうというのがフリードマンの野心である。

ETの発達は、ネットワーク型のヘゲモニーにも影響を与える。物流のネットワークの利用が減り、情報通信ネットワークヘの依存が進む方向になる可能性が高い。フェイスツーフェイスのコミュニケーションが重要なことは誰でも分かるが、ジェット燃料を大量に消費して飛行機を飛ばすよりも、まるで同じ部屋にいるかのようなリアリティのある遠隔ネット会議の方が経済的コストと環境負荷を減らせるかもしれない。
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行動することよりも考えること

お客様関連の展示会

 大きなクルマに100V電源があるんですね。これから、電気をとって、震災の時に助かったという声を聞きました。HIVなら、さらに大きなバッテリーを持っている。スマートグリッドに向かえる。

 展示会を見て回った感想としては、このメーカーは売りっぱなしです。展示も、見せるために、置いてあるだけです。気付かせるだけの主張がされていない。

「あいち環境塾」に書類を出した

 全て、手書きには参った。この20年、手書きはしていません。1.0のボールペンで「環」の字は書けません。

 「あいち環境塾」で言いたいのは、「環境」だけで考えていて、答が出ないということです。これは仕事も一緒です。販売店での仕事を考える、販売店がどう変わっていくかを考えるのに、「販売店」のことだけ、考え、販売店の人に聞いても答にはなりません。

 社会の変化、歴史の変化、ベースとなる数学、図書館のライブラリ機能などを動員して、アナロジーを含めて考えないといけません。

行動することよりも考えること

 それと、行動することが全てではない。今必要なのは、行動することではなく、考えることです。色々な可能性とか偶然を考えることです。その中なら、自分たちの方向、あいちの方向、日本の方向を決めていかないといけない。とかく、環境問題をしているNPOは行動することが主になります。

 ローカルで行動していることが全てみたいなカタチです。それを守るために固執します。環境セミナーを聞いていても、自分たちはこうしている。だから、すごいでしょう。そんなことをやられても、サラリーマンにはマネができません。ローカルの環境でやっているだけですから。

未唯空間仕事編の再編成

 5.8を「社会の中の会社」にします。5.7を「2015年の姿」にします。それに従い、5.5を「今、やること」に特化します。それで仕事編の全体のシナリオを時間軸にあわせます。

 5.4の「販売店の将来」は、社会との販売店に一考察にします。だから、5.8とつなげます。その意味では、5.4はあくまでもアイデアです。現状を求めているが、夢を出しています。それが5.5~5.8のエネルギーになっています。

 5,5、5.7、5.8を組みなおします。5.6の「私の役割」の内、インタープリターについては、5.7のメインに項目として取り上げます。よく見ると、元々、5.8などはラジカルです。サラリーマンレベルははるかに超えています。

 今、見えているものは2015年までにやります。お客様とメーカーとの接続も入れ込みます。機能的には2015年がターゲットです。2011年と2015年の関係はとりあえずは、それぞれの項目の進化にしていきます。あまり、無理言ってもしょうがない。時系列からすると、2011年に取り掛かって、2015年にできているもの。2015年から取り掛かるもの。2011年と2015年の内容は変えていきます。何しろ、進化ですから。2011年はあの4つの項目から始めます。

 ライブラリのところも、衛星配信からの切替とか具体的な大容量コンテンツなどを明確にします。

事務局の概念

 インタープリターはとりあえずは、事務局に入れたが、独立の項目にします。インタープリターを探す、または作り出すことは大仕事ですし、作るという意味では大きな役割を果たします。

 事務局の概念をこの会社が認識するのはもっと先です。2011年では、「事例」から取り掛かります。そんなアプローチなんでしょうね。5.7の「簡単に使える!」は5.5の「事務局」と対比させましょう。

パートナーの資料

 パートナーは昼間の資料を少し指摘しただけで、ガラッと変えてきました。パートナーが良いのは、こういうときがあるから。指摘事項に対しては反発しているけど、資料で応えてくる。その間は甘えてこない。
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あいち環境塾は半年で7万円です。多分、断られる

未唯へ。

 バスが微妙は時間に到着したので、8:15にしました。時間があるので、スタバで読書。

 帰りも、終業時間とバスの時間が10分しかない。あと5分あれば、乗れるのに。汲々とせずに、待っている時間を使えるようにします。

スタバのブラック・エプロン

 二つ星のブラック・エプロンは3月まで、豊田市のスタバに居たそうです。ホット・ラテで私を覚えていたそうです。豊田市に以前いたユカさんとか、アヤカさんも知っていた。

 こちらではドリップなので、人違いかとためらったみたいです。スタバのコネクションは分かるようにしましょう。豊田のスタバで、確認しましょう。

あいち環境塾への申込書

 『あいち環境塾』入塾申込書を書いています。今週金曜日までです。半年間で7万円の受講料です。ふつうの市民は相手にしていないでしょう。だけど、何の意思表示をしないまま、見逃すことは避けたいので、ギリギリで申込書を書きました。

 予測としては、「わけがわからない」奴を組織は避けるでしょう。そうなれば、7万円でデジタル一眼に化けるか、ヨーロッパ旅行の準備金にしましょう。

 現在従事している仕事あるいは研究の概要(200字程度)

  メーカーの販売部門に所属している。昨年、定年退職後、パーソナル・パートナーとして、現職の販売店のネットワークシステムおよび仕事のあり方を見ている。そのために、販売店の代表者などと4年後の販売の仕方などへの要望をヒアリングして、お客様とかメーカーとのつながりが、社会の変化で変わらざるを得ないことを痛感。それ以降、仕事・社会・歴史・数学・図書館のジャンルで将来のある姿と、それに対応する方法をまとめている。

 応募の動機(400字程度)

  環境問題だけではなく、この社会がどうなっていくかを仕事を通じて見てきました。メーカーおよび販売店が社会に適合するためには、環境も重要な要素です。2003年には、豊田市の環境学習施設の海外派遣に、市民の立場でデンマーク・フィンランドを訪問しました。その時のEUの方針の「Thik Globally, Act Locally」を得て、それをキーワードに社会を分析してきた。

  メーカーが「いい町・いい社会」を作り出すためには、市民グループのコミュニティと企業と行政がNPOを中核にしてつながることが必要です。市民は、消費者意識から脱却し、メーカーも単に売ることから、シェアを主体になるような、マーケティングが想定されます。その中で環境問題・人口問題・エネルギー問題を解決させていきたい。

  環境問題については、専門家の役割は大きい。色々な意見を自分の提案の中に入れ込みたい。

 あいち環境塾を通じて研究・提言してみたいテーマ及びその理由(400字程度)

  環境問題を含めた社会の変革のために、市民グループのコミュニティと企業と行政がNPOを中核にしたつながりが可能かどうか。そのコミュニティから企業と行政を変えていくためのシナリオを作りたい。

  仕事面では、事務・技術・販売部門を通じて、行ってきたことの集大成として、メーカーが新しい社会を生き延びるために、何をすべきかをコラボレーション・ライブラリ・ネットワーク・事務局の要素から具体的な方法を提案していく。

  3月の大震災で、政府を含めたグローバルがいかに脆弱であり、市民活動などのローカルが未成熟であるかが明確になった。そして、「偶然」でいかに歴史が変わるのかも明確になった。原発反対ではなく、原発事故で原発政策が変わってしまう。「偶然」に対応できるようにしておくかのシナリオが重要です。

  歴史的に見て、どのような「偶然」がありうるのかを専門家の意見を聞きながら、まとめていきたい。
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クラウドサービス

『アイデアを形に伝える技術』より

クラウドサービスを活用する

 クラウドとは、クラウドコンピューティングの略語で、データを自分のパソコンや携帯電話等個々のディバイスではなく、ウェブ上に保存する使い方やサービスのことを指します。

 このクラウドサービスでのデータペース構築で重要なのは、〈タグ〉をつけること。情報にタイトルをつけて、グループ化し管理していきます。


 もうひとつ重要なのは、タイムラインです。タイムラインとは、時間軸のことで、情報のアップデートがいつ行われたのかを年月日と時間で記録し管理していきます。

 このように、すべての情報を〈タグ〉と〈タイムライン〉で分類管理し、あとは情報をどんどんアップしていきます。

ブログは「読書カード」がわり

 ブログは日記の書き込み、写真アップ、さらに日記の内容ごとに〈タグ〉をつけて分類ができますから、読書カードも作成でき、アナログ作業はすべてここに移管できます。

 また、ブログの良い点は、日記を定期的につけていると特定の読者ができて、コメントに書き込みがでてくると意見交流が可能になることです。ゆるやかに外部との情報交換が発生していきますが、ブログの訪問は読者の気まぐれなので、恒常的な情報交流はなかなか生まれにくいのが難点と言えます。

Evernoteにあらゆるデータを集約

 Evernoteは、あらゆる情報を集約できる「第2の脳」として設計されたサービスです。テキスト、画像、ウェブページ、音声など、さまざまな情報をひとつのデータベースに集約できます。

 その現場の写真も、撮影してそのままストックすれば、あらゆるディバイスに同期され、同じ情報にアクセスできます。

 いちばん重宝しているのが、ウェブページのスクラップ。気になるウェブ記事のログを一発で残すことができ、しかもアドレスの保存ではなく、画面キャプチヤのような状態で後々検索するときも非常にわかりやすい。

 ここでも管理は基本的には〈タグ〉と〈タイムライン〉で行います。アップする際にタグを分野やテーマごとに設定しておくと、各ノート間の情報をつなぎ止めておくことができ、後々の検索の際に大変効力を発揮します。Evernoteは検索機能が搭載されていて、画像内の文字情報も含めて検索ができるので、必要なときあらゆる情報をスムーズに閲覧できます。

Dropboxでチームの情報共有

 複数人で携わるプロジェクトで、情報共有やチームのデータベースをみんなで構築していくのに最適なのがDropboxです。共有は簡単。チームフォルダーをつくって、共有したいメンバーを設定します。選定が完了すると、チームファイルがメンバーのDropbox内に自動作成されます。そこに情報を入れてチーム共有していきます。プロジェクト参加メンバーが自由にフォルダーをつくれるので、大変使い勝手がいい。また、いつでも、どこからでもiPhoneでアクセスができ、参加メンバーの情報だけでなく、メンバーの業務進捗も共有することができます。

 もちろん、Evernoteでも共有ノートをつくり、チーム内で共有、更新は可能ですが、欠点は端末では閲覧のみで情報更新ができないこと。情報蓄積はパソコンからのみなのです。

Facebookをどう活用するか?

 Facebookのグループ機能は、プロジェクトメンバーの情報ストックと議論の場としても最適です。メンバーヘのシェアも、文字情報、写真、ウェブページ、動画、イペントスケジュール、資料が共有できます。ブログのように情報アップも簡単です。コメントボックスに発言を入れていくことで参加メンバーの発言がどんどん貯まっていきます。情報が外部に漏れてしまわないように非公開設定し、議論を活発に行うことも可能です。

 単に情報をストックするだけでなく、議論でアイデアが膨らみ、さらにメンバー間の発言はメールで飛んできますので、情報の循環が起こりやすくなります。チームとして豊かなデータペースとアイデア装置をつくりたければ、Facebookのグループ機能が最適です。

 「アイデアが溢れ出る仕組み」は「情報を軸に〈循環性〉〈多様性〉〈関係性〉を考慮した暮らしのデザイン」です。
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日本人を侵略戦争に駆り立てた理由

『日本人の性格構造とプロパガンダ』より

軍事的経済的理由以外の考察

①もっとも重要な動機は、ほとんどすべての日本人が共有しているように思われるのだが、環境を管理したいという衝動によるものである。日本人が育てられた方法やその社会によるものであるが、周囲の状況をすべて理解し、出来得る限り支配していなければ日本人は安心することはできない。管理されておらず、知らないという環境は、危険で恐ろしいものである。家の梁がわからないことでお仕置きされる危険を恐れる子どもから、相手の地位、年齢、家柄がわからずに恥をかくような貴族に至るまで、知らないで管理できていない環境というものは、いつも他人からあざけりと、自分の仲間から罰せられる危険をはらんでいる。

②二番目にあげられるほぼ普遍的な動機は、自分のグループからも、州頗問副詞剛見ても創らの地位を確立したいという非常に強い衝動であるように思われる。日本人の子どもは、言葉を理解するようになった瞬間から、誇張ではなくある者は生まれた時から、エチケットや正しく適切な行動規範が要求されるということである。子どもは家を出るとすぐに、家名を上げ、家の名を汚さないように正しい行動やりっぱな成果をあげることが求められる。個人が大きな集団を背負っているという点は、幼い頃から強調される。大きな集団を背負っているという負担は、個人の地位が上がるにっれ、ますます大きくなる。海外における日本人が国全体を代表しているかのように感じたり、発言したりすることは、決して珍しいことではない。他者からの批判に対する恐れは、日本の若者たちの幼年期や青年期における主たる行動の規範となっている。それが服従させるためにもっとも効力のある脅迫観念である。とくに、家族や親戚は完璧なまでの賛同と支持を与えるのである。しかし、。もし個人が他者から批判を受けたり、自分の年齢や性別に見合った要求に応えることができなかったりした場合(たとえば、外国の学校で立派な成績をあげることができない)、自分のグループから攻撃を受け、厳しく罰せられ、また厳しく批判された場合には、見捨てられてしまう。

③かなり重要な三番目の動機は、最初の二つに比べるとあまり意識されておらず、おそらくそれほど一般的なものではないが、日本社会から物理的に逃げたいという衝動である。というのは、日本社会においては形式的なルールがあり、絶えず批判を受けることになり、それが制約的であると感じるからである。

④日本社会の制限から逃げ出したいという衝動のもっとも重要な部分は、戦場や外国において攻撃性を表現する権利を得られるという可能性である。その攻撃性は、日本社会の規則によってまれな例外はあるにしても、ほとんど制限なく攻撃性を表わすことが許される。しかし、学校に行き始めるときから死ぬまで、たとえどのような挑発があったとしても、攻撃性を表わす場所はないのである(エタとの関係という例外は後で扱う)。一般的に心理学の原則として受け入れられていることは、侵略は逃れることができないという苛立ちから生まれるということである。そして前に指摘したように、日本の社会規範に従うということは、苛立ちとして感じられ、さらにヨーロッパ人の人格形成の知識によると、すべての日本人の子どもが受ける初期の過度に徹底した清潔さに対するトレーニングは、無意識の攻撃心を強く生み出すことになり得る。非常に巧妙に形式的な日本の社会規範は、大きな尺度ではそうした攻撃性を爆発させないように計画されていたと考えられる。この分析が正しければ、戦争は奥深くにある攻撃性を発散させる公認された方法のIつとしてみなされ、また心理的に深い充足を与えるであろう。

⑤最後に、他の人種より日本人にとって戦争は名誉なものであるということを忘れてはならない。廃れるどころか侍の伝統は、人為的に継続している。また侍にとって唯一の、完全に誇るべき生き方は、自分の主君のために他の君主と戦うことであった。戦争は日本の軍人に名誉を達成する大きな可能性を与えているのである。
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リバウンド対策

未唯へ

 今日は早めに帰って、OCRします。エネルギーの問題、地域の問題をアップします。

 今日は夕方から雷雨だというから、クルマにしました。この最近、雷雨で土砂降りの中を20分ぐらい歩いた。横殴りの雨で、ぐちゃぐちゃになりました。

 クルマで来ているけど、停留所を二つぐらい歩きます。よく分からないけど、それでいいでしょう。

コンテンツ提供会社

 コンテンツ会社はどのようにして、採算を取るかで汲々としている。いっそのこと、売るのではなく、シェアする考え方を、コミュニティと連携するカタチ、企業とか行政と一緒になるカタチ。

 そちら側にシフトすればいい。CDにしても、売るのではなく、中身をシェアする時代です。本は図書館を含めて、シェアの世界に入っている。

ThinkとAct

 Think Globally, Act Locallyでやってきた。今までは、グローバルとローカルに焦点を当ててきたけど、ThinkとActの方が重要かもしれない、と思っています。

 ThinkとActを独立させました。Thinkする人とActする人を明確に分けています。当然ながら、ローカルの中でも、Thinkする人とActする人がいます。システムの中にも、同様にThinkとActがあります。

 世の中は、Thinkすることを嫌っています。考えずに行動することが美徳です。環境問題もそうです。だから、どうしても偶然に頼ります。目の前にあることに即応します。

 ものごとが起これば、Actします。ではどうするのか。復興するのが、一番分かりやすい。Actはわかりやすいということです。ごちゃごちゃ言う前にやれ!というのは簡単です。先がどうなるか、わからずにやっている。

 そして、いつの間にか、やることが目的になります。やった結果で次のことをやっていく。だから、どっちに向いているか分からなくなる。力がバラバラになります。

 ヒットラーにしても、ポルポトにしても、Actすることを中心にして、Thinkすることをなくした。国民からも、軍隊からも。その結果は誰も責任を取らない世界です。
今のEUはThinkです。Think Globallyです。だから、まどろっこしくても、各国でActすることを見ています。日本も同じように、Thinkを中心にしていかないといけない。ごちゃごちゃする部分は現場に任せればいい。その方向で、お金を含めてどうするかです。

国民国家の続き

 地域には、言葉が必要。個人との関係と国民国家との関係。自分の問題としては分かるけど、言葉にするのはなかなか難しい。国民国家の次のシナリオを書きましょうか。新しいグループが必要である。そこでシェアしたエネルギーを使っていく。

完全にリバウンドしていた

 元町工場が連休前から、変則勤務で、厚生センターのサウナにも行けなかった。3週間ぶりにサウナの後に体重を計ったら、かなりのリバウンドです。

 対策を考えました。朝食はクッキー一枚で、間食を止めて、バス停は遠回り。それと、土日の歩行です。

 一番の原因は分かっています。生きる希望が足りなくなっている。去年の秋には、販売店要望から社会が変わるという希望がありました。ずっと、朝3時起きで緊張ある生活をやってきました。今はやっていません。ダラダラしています。10時に寝て、3時に起きるという、生活パターンを元に戻しましょう。

 毎日のパターンを一定にして、火・木のサウナと体重測定で状況を判定します。結果を見ながら、一つずつのパラメーターを変えていきます
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ローカルな世界から考える

『地域学入門』より 

近代的世界の特質を次の点にあると考えている。まず,人間観については,「人間の本質は個人にある」とし,「すべてが個人に始まり個人に終わる,裸の個人の世界」である。空間的には,資本主義的な市場経済・市民社会・国民国家という3つのシステムから成る「普遍的世界」である。換言すれば,人は自然や風土をはじめとしてさまざまな関係を結んで生活しているが,近代的個人とは,このような関係をすべて捨て去って,人間を普遍的で同質的な個(諸関係から切り離された人間)と見る見方である。「普遍的世界」もまた,本来,多元的で多層的である世界(独自の個性をもったさまざまな文明や文化が並存し,いくつもの層を成して存在している世界)を,均質化された平板な空間とみなすものである。近代的世界を満たしているのは自由・平等・友愛という普遍的な理念であるが,これは人間の理性と主体性を絶対視して,そこからすべてを考えようとする人間中心主義的な理念である(人間の絶対化)。

このような世界観・社会観には大きな問題があると見ている。というのは次のように考えるからである。現実には,人は自然や歴史,地域や協同といった具体的な諸関係のなかで複雑なつながりとともに生きてきた。人は自分だけで成り立っているのではなくて,他者とのさまざまな関係を身体化した存在なのである。他者とは何か。それは自分以外の他の人々だけでなく,自然・歴史・文化・社会など,自己と関係をもつ対象のすべてを指している。内山はこのような諸関係の総体である小さな世界を「ローカルな世界」(場=空間との関わりが強いときには「地域」)と呼んで,「安心と無事」という感覚をもたらす,人にとって欠かすことのできない生の基盤として重視している。というのも,人は自分では変えることのできない自然や風土とともに営みを続けてきたのであり,そうすることで特有の精神の習慣を身につけてきたからである。また,この営みの連続性(普遍性)を生活のなかで実感できることは,個人を越えた時間(時間的普遍性)と関係性とを生きることであり,それが「安心と無事」という感覚を生んできたからである。そして,そのためには何らかの記録や痕跡を通してこの連続性が目に見えることが必要であり,過去が記憶として受け継がれ生きていく具体的な場が人間には必要だと考えるからである。

近代的世界の問題点を次のようにまとめることができる。近代的世界は「ローカルであること」を解体しながら普遍的世界をづくりだし,そこに人々をのみ込んできた。近代的個人という理念もまた,具体的な諸関係のなかで生きる人間の世界を壊し,人間を普遍的な個,取替え可能な個人にしてしまった。自由・平等・友愛の理念はあまりに人間中心主義的である。その根底には,自然さえ支配できると考えるほど人間の知性を絶対視する人間観があり,それが人間が長い時間のなかで自然との間に築いてきた豊かな関係を視野の外に追いやってしまった。こうして人々は,「ローカルな世界」において日々の暮らしを通して思想・価値観・振る舞い方・考え方や感じ方を身につけてきたことも,それらを共有していることも実感できなくなって,自分の居心地のよさにしか関心を示さなくなった。要するに,普遍性と抽象的な個人とをよしとする近代の理念は,自然や過去などとのさまざまな関係から人々を切り離し,それによって人々の視野を狭め,複雑な諸関係のなかで展開される生活のさまざまな側面と,それが人の生にとってもつ意昧とを見えなくしてしまった。人々は「漂流する個人」になったのである。

「ローカルな世界」を強調することは小さな世界に閉じこもることを意味していない。大きな世界から小さな世界への視点の移行が進んでいるという。最初に大きな世界を構想し,それとの関係で小さな世界を見ようとする視点から,自分たちが暮らし,責任のもてる小さな世界を大事にしながら,その小さな世界のネットワークとして大きな世界を見るという視点への移行である。小さな世界に足場をもって,そこから大きな世界をとらえ直そうということである。

以上,第2節と第3節での検討からいえることは,「ローカルな世界」や 「地域」への着目が近代的世界とその延長線上にあるグローバル化とに対する根源的な批判と対抗,国家の役割変化と国家の相対化いうきわめて大きな文脈のなかで生じていることである。「地域」を考えるとき,この地殻変動の大きさと深さを忘れてはならない。
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