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やっと、3.11クライシスの本が出てきたけど

3.11クライシスの本

 今日の図書館は学生がいません。それでも、5階で並んでいます。

 新刊書コーナーには、3.11関係がかなり出ていた。その中を、見ると、二つのパターンです。一つは焼き直しです。もう一つは、ブログなどで書いたことを本にしています。つまり、理念なく描いています。

 皆、以前からクライシスを予測していなかったみたいです。その点では未唯空間の方が優れています。

図書館で借りること

 今日の図書館は学生がいません。それでも、5階で並んでいます。結局、28冊借りました。先週の続きの2冊があったので、30冊フルになりました。

 2週間前に見た、カントの純粋理性批判5をゲットできました。

28冊の新刊書

 369.36『ドキュメント チェルノブイリ』 1988年7月7日の焼き直し

 312.53『決断のとき上 ジョージ・W・ブッシュ』

 312.53『決断のとき下 ジョージ・W・ブッシュ』

 369.31『3・11クライシス!』 ロシアとの関係が強いみたい。「3.11クライシス」が私が命名しています。クライシスは分岐点を意味しますね。

 332.22『大恐慌下の中国』 市場・国家・世界経済 現代中国の状況かと思って借りたら、本当に1933年頃の中国だった。ハーバード大学歴史学部に、1999年に提出した博士論文を出したみたいです。今の中国とかにどういう影響があるのか。

 547.48『Webサイト仕組み・構築。運営がしっかりわかる本』 新米IT担当者のための 通勤時にさらっと読むだけでプロの知識が身に付きます!

 519.04『次世代の伝言』 自然の本質と人間の生き方を語る 対談は2月に終わっている。3.11を受けて、まえがきを追加している。「瞬時に3万人以上の方が40億年続けたかけがいのない命を失う悲惨な結果を招いている。」何となく違和感を感じた。

 130.2『齋藤孝のざっくり!西洋思想』 3つの「山脈」で2500年をひとつかみ 第一の山脈 西洋思想の始まりから〝アリストテレス帝国〟の建築まで、第二の山脈 近代合理主義による哲学の完成、第3の山脈 〝完成された哲学をぶっこわせ!という現代思想〟

 023『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり神の本が好き』

 672.1『消費者の歴史』 未唯空間での「消費者」が変わったことを、調べたかったが、単なる歴史物だった。

 675『マーケティング・サイエンス入門』 市場対応の科学的マネジメント マーケティングの本も、営業の役割は「売ること」になっています。それではマーケティングとは言えない。古い考えです。

 901.9『書物の灰燼に抗して』 比較文学編集

 914.6『一人で生きる練習帳』 明るい老後のために

 375.9『新しい歴史教科書』 中学社会 日本歴史はインチキだから嫌いです。なぜ、エネルギーごときで300万人も死ななければいけなかったのかの、説明がありません。兵士の言葉をありません。勇敢にたたかった。ウソでしょう。餓死したという事実が表わされていない。

 007.3『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』 ソーシャルメディアを小学校にたとえたらわかりやすかった! ネット時代の新しいマーケティング手法は「ソーシャルグラフ」を使え!! 誰もが自由に情報を発信し受けとれる新しい社会がやって来た!

 045『せまいルール』 吉野家の「つゆだく」の「だく」は10g

 332.1『大震災後の日本経済』 100年に1度のターニングポイント

 312.1『国家と政治』 危機の時代の指導者像

 913.6『山本五十六異戦録①』

 319.1『国家の存亡』 「平成の開国」が日本を亡ぼす

 334.31『2100年、人口3分の1の日本 人口減少は避けられない!』 人口変動で語る日本論 仕事、家族、恋愛のカタチが変わる!

 302.34『ウィーン・オーストリアを知るための57章』

 384.7『セックスメディア30年史』 欲望の革命児たち

 007.3『逆パオプティコン社会の到来』 ジョン・キムのハーバード講義 ウィキリーからフェイアスブック革命まで

 134.2『純粋理性批判5』 2週間前に本屋で見ていた本が手に入りました。

 302『100文字でわかる世界の大問題』

 335.8『サードセクター』 「新しい公共」と「新しい経済」

 539.04『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』
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ドイツのリトアニア占領時代のユダヤ人の状況

『キリスト教とホロコースト』より

一九四一年六月二十二日にドイツがソビエト連邦に侵略したとき、多くのリトアニア人は彼らを解放者として歓迎し、最初のうちは熱狂的に協力しさえした。ドイツの宗主体制の下で独立を願う彼らの希望はじきに阻まれた。代わってこの国は(ラトヴィア、エストニア、白ロシア〔今のベルラーシ〕を含む)オストランド総督府の一部として直接ドイツの管理下に置かれた。エードリアン・フォン・レンテルンは、この国を治める国家弁務官に任命された。独立リトアニアの回復をめざしていたユオザス・アンブラゼヅィツィウスを首班とするこの国の政権は、たちまち押さえ込まれた。独立をめざすリトアニア人がドイツとの共通の敵のソビエト連邦と闘っているという根拠でドイツとの協力を強く促し続ける主導的な民族主義者勢力を阻止できなかったからである。この状況は、ドイツが勝利しているかぎり揺らがなかった。一九四三年に始まるスターリングラードでのドイツの敗北に伴い、リトアニアの民族主義者はこの国を乗っ取ろうとするソビエトを阻止するために西側連合国に打診をし友好回復を模索しようとした。こうした動きがあるにもかかわらず、多くのリトアニア人は、ドイツ支援部隊に入り、ドイツの心証をよくしようとする行動で応じた。ユダヤ人殺しのことを言えば、特に占領の初日からいわゆるリトアニアのパルチザン、侵略に先立ってドイツで訓練され後に組織される歩兵大隊が自らの手で事態の処理を始めた。ドイツがソビエト連邦を攻撃した一九四一年六月二十二日にリトアニア人は街頭にいた多数のユダヤ人を殺戮する激しいポグロムの実行に取りかかった。ドイツ軍がカウナスに入ったとき、地元民が市中のユダヤ人を襲い、棍棒や斧で残忍な殺戮を展開した。それはリトアニア人の支配者のドイツ人にすら衝撃を与えた。多数の学生や知識人もこの破壊行為に加わった。ドイツの侵略後四ヶ月の一九四一年十月末までに八万人のユダヤ人が殺された。一九四一年十二月末までに、この国にもともといた二十三万五千人のユダヤ人の八十五パーセントがリトアニア人であった。

彼らはこの卑劣な行為を進んで演じることに志願した民兵やリトアニア警察に殺された。残ったユダヤ人は、悪名高い移動殺戮部隊によって殺戮された。ビルニュス郊外のポナリの森の中で数千人のユダヤ人がたった一人のドイツ人将校の命令の下、リトアニアの保安隊員たちに殺された。第七駐屯地や第九駐屯地といった軍事防衛拠点に連行されたカウナスのユダヤ人も同様であった。残ったユダヤ人は主に三つのゲットー、ビリニュス(一万五千~二万人)、カウナス(一万五千から一万七千五百人)、シャウレイ(四千五百~五千人)に集められた。多くの共同体は不意の襲撃で一掃され、彼らのこの受難の物語を語る者は誰一人として残っていなかった。リトアニアのユダヤ人はガス室で殺されはしなかったが多くの場合、墓穴を自ら掘らされた後に大量射殺によって殺された。リトアニアは、占領の第一段階の期間中、しかもこの国の地元民にユダヤ人の大半が皆殺しにされた最初の国であった。移動殺戮部隊を指揮した親衛隊のフランツ・W・シュターレッカーが報告したようにリトアニア人の補助部隊によって行われたユダヤ人の大規模な殲滅は、長年のユダヤ人による抑圧への自発的反応として難なく行われた。ビルニュスのゲットーは一九四三年に一掃され、ユダヤ人住民の多くは殲滅させられた。一例を挙げれば、リトアニア人のジャーナリストのクリマイティスに命令された三百名の部隊がカウナスの千五百人のユダヤ人の大量殺戮を行った。最初の殺しの熱気が鎮まった後に、ドイツ軍は計画を進め、生き延びたユダヤ人に過酷な制限を課した。ビルニュスのゲットーは一九四三年に一掃され、ユダヤ人住民は皆殺しにされた。一部の者は別の地域の強制収容所に送られた。一握りのユダヤ人は不可欠な労働力として生かされたが、彼ら(約二千名)もまた一九四四年七月の市の解放の前夜に殺された。カウナスとシャウレイではごく少数のユダヤ人の一部のみが、解放まで生き残ることができた。

要約するとドイツ占領下のリトアニアの二十二万五千人から二十三万五千人のユダヤ人のうち、ソピエト軍がこの国を解放したとき生存できたユダヤ人は三千名(パルチザン部隊に参加したり、部隊を創設するために森に逃げたユダヤ人を含め)にすぎなかった。その他数千人余が強制収容所と他の収容所に移送する強制行進を生き抜くことができた。
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次期ネットの検討

未唯へ

 奥さんはヨーロッパに行くつもりはないみたいです。自分で計画を立てましょう。とりあえず、9月か10月ですね。

 だけど、ヨーロッパを横断するルートがあるかどうかです。

 明日は、本の処理でかなり、忙しくなる。2日間で片付けないといけない。

次期ネットのコンセプト

 ネットワークをやる理由は、コラボレーションです。ライブラリです。

 大量データを渡すだけではなく、取りに行くにはどういうカタチにしたらいいのか。5千か所から、システムの助けなしに。

 当り前のことができるというのを拡大解釈させます。

 単にコスト削減ではなく、インターネットの世界では当たり前のことをできる環境を作って、販売店に渡します。

 ネットワークは作ることを考えて、要件を明確にします。

 販売店に分散用のPCをなくすためには、5千から取りに来るということです。そのためのキャッシュをキャリアに用意してもらいます。

次期ネットの検討

 次期ネットの検討資料をすべて集める。それを、未唯空間のサブ空間に置きます。やり方は変えません。だからA7の世界を作り出します。

 偶々の事象を偶々でなくて、4つの次元に分けます。偶々、起こることと、ストックのところはキッチリさせます。偶々、起こることで進化させていきます。

 アナロジーを使って、進化理論を使って、未唯空間を使って、表現します。

Sへの確認

 前ほど、拒絶反応はないです。どこにあってもいいようにしておきます。

 当り前のことが当り前にできると言うのは、簡単だけど、イントラそのものが制約になっている、それと基幹系のやり方そのものがダメですね。

 システムの発想ではお金だけかかります。コラボレーションしながら、その部分だけを変えていくという、差別化の方法です。それで区別します。

販売店は甘えている

 販売店は甘えています。インターネットの世界に比べて、メーカーが入り過ぎている。自分たちで解決すべきです。メーカーも参画するならば、先行きのことを考えて、事務局とかファシリテーションという概念を持たないといけない。

 一番、甘えているのは、変わる意識がないということです。従来通りで行こうとします。組織を変えるだけの力を持っていない。

 インターネットの世界はお客が苦労しています。イントラの世界は甘えている。

 名古屋の体質とよく似ています。

木金休みの時の本の処理の仕方

 木金休みになると、困りますね。金曜日夕方に新刊書が出るから、次の日から勤務です。木曜日まで20冊を持っているわけにはいかない。

 今は、金曜日に入手して、土日に本を片付けられる。

 感覚的には、[日曜日]の夕方に借りることになります。本当に忙しない。どう見ても、一度に片付けられない。

 多分、[月曜日]~[金曜日]に本を片付けます。会社も使います。[土曜日]、[日曜日]の夕方までは、未唯空間に使います。
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重工業施設は満洲にしかなかった

『中国はいかに国境を書き換えてきたか』より

重工業施設は満洲にしかなかった

 天然資源を求めて、満洲には多数の流民が流れ込み、馬賊・匪賊あるいは軍閥となって、略奪を繰り返してきたが、二十世紀に入ってから日本の経営によって満洲は重工業とインフラを有する土地に変貌した。

 当時の中国(長城以南)には、西欧列強がつくった製鉄所(武漢)や造船関係の工場(上海)、飛行機組み立て工場(昆明)などがあったものの、基本的には紡績、食品など軽工業しかなかった。他方、一九四三年の時点での中国大陸全体の工業生産高に占める満洲の割合は、機械類では九五パーセント、鉄鋼で九一パーセント、硫酸アンモニウムが六九パーセント、電力六七パーセント、セメント七六パーセントと、中国大陸の工業生産のほとんどを満洲が占めていた。また鉄道は、満洲全土での総延長は一万一〇〇〇キロ。全満洲の主要都市が鉄道でほぼ結ばれ、大連-奉天(現瀋陽)-新京(現長春)-ハルビンを結ぶ幹線では高速列車が運行されていた。道路は国道六万キロ、地方道五万キロ。鴨緑江に架かる橋二十四を含む約三百の橋梁があった。さらに、第二松花江の豊満ダム、牡丹江の鏡泊湖ダム、鴨緑江の水豊ダム(現在は北朝鮮)など、この三つだけで総発電量は八○万キロワットにも達した。

 日本が降伏する数カ月前の一九四五年四月の中国共産党第七回大会で、毛沢東は「もし、われわれがすべての根拠地を失っても、東北さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」と述べて、満洲に進撃することの意味を明確にしていた。それから三ヵ月後、日本が降伏する直前の八月八日に、ソ連軍が満洲に侵攻したのに続いて、毛沢東は東北占領を指令し、軍隊を満洲に派遣した。目的は、満洲の戦略的位置と満洲にある資源、さらに日本が建設した重工業施設であった。建国(一九四九年十月)四年後の一九五三年に、中国の第一次五ヵ年計画が始まるが、重工業基盤のあった満洲ではそれ以前の一九五一年から始まっている。今日においても、東北三省は機械製造工業、化学工業など全国で重要な位置を占めており、鉄鋼の鞍山、石炭の撫順、大慶油田はいずれも満洲にある。満洲は中国の経済発展に必須不可欠である。それは軍事大国を支える上でも不可欠である。

二回にわたる大きな区画改編

 建国以前の満洲は、黒龍江、興安、瞰江、合江、松江、吉林、安東、遼北、遼寧の九つの省に区分されていたが、建国後、興安省の全域、瞰江省と遼北省の一部が内蒙古自治区に併合され、それ以外の地域は合併して黒龍江省、吉林省、遼寧省の三省となった。建国から一九六九年までの期間、内蒙古自治区は満洲の興安省全域と瞰江省と遼北省の一部を含んでいた。

 一九六九年に図2-4のような大掛かりな重要な変革があった。興安省全域と合江省のかなりの地域が黒龍江省に併合され、遼北省、松江省全域、瞰江省、安東省の一部が吉林省に編入された。また遼北省、熱河省、安東省の一部が遼寧省に編入された。内蒙古の区域は全面的に縮小された。さらに内蒙古は西方地域でも縮小され、それまでの半分となった。

 この大掛かりな行政区画改編は一九七九年七月一日に、それ以前の区画に戻った。この二回にわたる区画の大きな変更は、二つの重要な政治的軍事的配慮からなされた。まず建国時期の行政区画の狙いは、蒙古民族の居住地区を対象に、内蒙古を中心として満洲に居住する蒙古民族を包摂して、その地域に漢民族の居住地区を混ぜることにより、蒙古民族が独立した社会国家をつくることを阻止することにあった。

  一九六九年における全面的な改編は、同年春に中ソ国境で起きた中国軍とソ連軍の軍事衝突を契機として生まれた「中ソ戦争」の危機に対処することを目的とした全面的な改革であった。すなわちソ連軍が中国に侵攻する場合、その経路は満洲東部の緩芥河方面と新疆地区を除けば、満洲東北端の満洲里から満洲に侵攻してくるソ連軍を黒龍江省で、中央部ではザバイカル方面からモンゴルを経由して北京に直進してくるソ連軍を内蒙古で、あるいは西北地区ではモンゴルから内蒙古を経て蘭州(甘粛省の省都)方面に侵入し、中国の核関連施設を破壊するソ連軍を甘粛省と寧夏回族自治区で迎え撃つという戦略構想に基づいて区画されている。そのことは「中ソ戦争」の危機がなくなった七九年七月に、それ以前の行政区画に戻っていることから裏付けられる。
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ドイツの快進撃に幻惑される

『昭和天皇』より

畑陸相に「国際信義は大切なり。満洲事変以来我国は国際信用を失ひあり」と嘆く昭和天皇は、二月二十一日、沢田茂参謀次長が「桐工作」、すなわち宋子良を通じた蒋政権との和平交渉開始を報告すると、「成功すれば真に結構」と大変喜んだ。。六月二十四日、交渉が進展し、蒋介石、汪兆銘、板垣征四郎の三者会談が検討されつつあることを知った昭和天皇は、木戸内大臣に、「七月上旬に葉山に行幸は如何なるものなりや」と尋ねた。これらの史料から、昭和天皇の桐工作への期待の大きさがわかる。日中戦争が収拾できれば英米との関係改善につながり、防共協定強化も必要なくなることはこれまでの経緯から明らかである。しかし、木戸は、これはまだ謀略段階で少数者しか知らない上、蒋政権側に、「陛下が此成果を心待ちに御待にあり居る様に印象づけることは好ましからず」として予定通り行動するよう進言した。結局、桐工作は、交渉条件か折り合わず、九月末に中止となる。

これと並行して、四月上旬からドイツ軍の電撃作戦か始まり、あっという間に西ヨーロッパを支配下に収めていき、五月末にはイギリス軍の大陸からの撤退が始まった。昭和天皇の、「独軍は対英本国上陸作戦を実施し得るや」という問いに対し、沢田参謀次長が「可能なり」と答え、さらに沢田が「独逸軍の攻撃精神の旺盛〔中略〕に比し英仏は政治は其日暮し 軍隊は充実せず 現状維持か精神堕落」と述べるなど、ドイツ軍の戦果にすっかり幻惑されてしまっていた。

政界でも、ヨーロッパの状況の影響で近衛を中心とする政界再編の動きが表面化しはじめた。木戸も内大臣就任前はこの動きに関与していた。しかし昭和天皇は「米内々閣をなるべく続けしむる方よろしからん」と考えていた。しかし、六月十七日、フランスのペタン元帥はドイツに休戦を提議し、のち二十二日降伏した。新聞には「欧州新秩序」の見出しか躍った。これにより、フランス領インドシナ(仏印)当局は、仏印北部から延びる米英からの蒋介石政権の援助物資輸送ルート(援蒋ルート)の一つを遮断し、六月二十日、日本陸軍の監視団派遣を認めた。

昭和天皇は、これに関連して、木戸に「我国は歴史にあるフリードッヒ大王やナポレオンの様な行動、極端に云へばマキアペリズムの様なことはしたくないね、神代からの御方針である八紘一宇の真精神を忘れない様にしたい」と述べた。この場合、「マキアペリズム」とは道義的に問題ある権力行使を、「八紘一宇の真精神」とは、公正な態度で他の地域と親睦を図ることを意味していると判断できるので、相手の窮地につけこむことに躊躇を感じていたことがわかる。しかし、昭和天皇は側近に気持ちを洩らしただけで、行動しようとした形跡はない。明らかに昭和天皇は気力を失いつつあった。

イギリス降伏間近とみた陸軍が六月十九日以降、イギリスにイギリス領ビルマと香港からの援蒋ルート封鎖などを要求した際も、このままでは、「香港占領と云ふことになり、結局、宣戦と云ふことにな」り、「米国は少なくともエムバーゴ〔支援〕〔の〕手段に出るだろう」と、悲観的な見通しを木戸に述べた。しかし、やはりそれ以上の行動には出なかった。ただし、イギリスの譲歩により開戦は避けられた。

フランス降伏でドイツがヨーロッパ中心部の覇権を確立したことに影響され、近衛文麿、有馬頼寧元農相らは、政界再編による国内体制強化による日中戦争収拾をもくろみ、二十四日、近衛は枢密院議長を辞任して新体制運動開始を表明した。昭和天皇はその進展状況に深い関心を持ち、近衛と連絡をとっていた木戸にたびたび状況を聞いている。

七月十四日、昭和天皇は、木戸に「内外の情勢により内閣の更迭を見るは不得止とするも、自分の気持は米内に伝える様に」と指示した。昭和天皇は米内内閣の存続をあきらめたのである。このころ、政界、軍部、新聞のいずれもが「欧州新秩序」に浮き足立っていたが、協調外交路線を持続してきた松田において、「ヴェルサイユ条約を初めとしての諸平和条約に依り規律せられたる欧州体制は、二十年の歳月を経て茲に崩壊を見るに至った〔中略〕欧州国際関係を支配する幾多の要因の交互錯綜によりて、欧州の旧体制が日一日と開放されて、所謂ニュー・オーダー(新秩序)の登場が急迫を告げて居る」と、ついにドイツの覇権を認めた。

外交進講役の松田さえドイツの覇権を認めたことは、昭和天皇が協調外交・融和路線継続の国際政治上の根拠をほぼ完全に失ったことを意味する。昭和天皇が気力を失った原因は、時期や状況から見て、これ以外に考えられない。イギリス危うしという状況か昭和天皇にとっていかに衝撃的だったかがわかる。
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双方向通信であるべき姿を作りたい

ローカルからグローバルになって、幸せになったのか

 ローカルからグローバルは、長州藩ではないけど、農民に兵器を渡すことで、旧組織に勝てることを証明した。それで農民はしあわせになったのか。結局、徴兵制で大陸まで行かされて、殺されて、憎まれた。完全に農業はなくなってしまった。

 これは、中国でも同じことが毛沢東で行われた。中途半端なグローバル化で数千万人が殺された。お互いの人口を減らすにはいいけど、それ以上の意味は持たない。そのように無理をしても、元に戻るしかない。

 だけど、アメリカは中国に市場を求めたのか分からない。日本に対して、市場を求めずにして、中国に入り込んでいったのはなぜか。やはり、国民国家が日本にあったからでしょう。闘うのに、これは便利です。

 ローカルからグローバルに考える癖は、数学から来ています。制限を求めないです。皆は自分の範囲を決めて、その中にいます。それを変えていくのです。一つの専門家の役割です。

販売店が生き残るには

 今回のネットワークの目的は販売店を生き残らせるためです。自分たちが存続できるためには、何が必要なのか。それを販売店自ら、気付いて、自分たちで構成を作っていくことです。メーカーはドンドン、図にのります。別になくても動くカタチにすればいいのだから。

 社会全体は、そういうリアルなものが中間にあるモノを要求しなくなります。役に立たないのであれば、役に立つようにしていかないといけない。その観点から見たら、何が必要なのかを考えたのが、実は販売店要望です。

 その上で、なぜ、クルマがつぶやくのか。ずっと、お客様のクルマの管理をするためです。クルマだけではダメです。お客様の管理をしないといけない。当然、販売店の方に行くけど、販売店に意識がない。今回のネットワークはその意識の部分です。

部品カタログのあるべき姿

 部品カタログのあるべき姿と言っているけど、送っている方法を述べているだけです。あるべき姿は送るだけでなく、コラボレーションをどうしていくのか。24時間の監視ではないけど、それをどうしていくかです。

 これは市民レベルと一緒です。送っておしまいです。売れればお終い。商品が売れればお終い。このメーカの姿です。本来のコラボレーションをさせていかないといけない。

 部品カタログと故障診断をつなげないのか。他メーカーでは当たり前です。作ればおしまいの世界でやっているからです。使う方から考えていない。なぜ、作る方で考えるかと言うと、それは簡単だからです。簡単なことだけやっていて、お客様の所につながっていない。

 カタログ検索も故障モード、修理モードからするとなると、部品構成の理解とサービスが必要です。部品構成から答を求めるには、意味を知らないといけない。

 イラストの見易さも一緒です。ユーザとのやり取りで、どうすればいいかを決めて、やっていけばいいです。そうして、進化させることです。そのためには、コラボレーションです。

 配信手段が変わっても、見に行く場所が違うだけです。どっちみち、そのためのデータを持つかどうかで決まります。それよりも、双方向です。そちらの可能性を作ります。あとは、ライブラリとコラボレーションのコンセプトを入れ込みます。

次期ネットの関する疑問

 2014年以前のニーズをどうするか。

 普及率100%を要求しているけど、それに対する根拠とできる可能性。何が変わった。

 付箋WANは代替なのか、普及率100%の道具なのか。

 NGNの思想は、ネット上でキャリアが商売することです。そのためのサーバーエリアをどこに設けるか、外部にするのか。そういったことがキャリアで異なる。
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ユーザーの環境はユーザーが作れるように

未唯へ

 歯が欠けています。土台が崩れています。

 今日は、ネットワークがどのように役に立つか、というよりも市民から見たときに役に立つことをまとめます。

 4時に起きたら、電気をつけて、そのままポケ~としておきましょう。何かが出てくるでしょう。資料を見ながら、やるのではなく、考えて、頭に浮かんだことを述べます。

大量データから意味を見つける

 何となく、部品表の論理チェックを思い出します。膨大な部品の組み合わせから、意味を持たせる。あの中に、設計者などの思いが入っている。意味があることから部品表はできている。データと意味とのやり取りをやっていた。

 デラックスとスタンダードとは何を替えるのか。個々の設計者が考えたものから、部品表の広大なプレーンを作り出します。一度、プレーンになったものから、設計者の論理を見つけ出します。

ユーザーの環境

 部品で商売している人はイントラでなく、インターネットの世界にいる。これはある面では、幸せです。制約がないし、コストは安い。守るものが少ない。

 発信する方からすると、相手は凸凹です。それに対して、どのようにやっていくかのバリエーションを作ります。相手の立場で環境を提供していくことです。その時に、必要なのは、ライブラリをどう持っていって、それをネットワークでどう見せていくいくのかが必要です。

 どのように見せていくのかは事務局的な発想です。相手に任せるのです。ファシリテーションして、そこでの答をインタープリテーションするのです。もう一つ重要なのは、コラボレーションです。対話していくことです。この部品はもっと分かりやすくしてほしいとかのニーズに対応することです。問題は、間違いなく渡すことです。

関連した作業をネットでつなげる

 同時に、検索した結果を修理するとか、修理にした結果を部品をどうしていくのかです。これは、部品の循環にも必要なプロセスです。インターネットの世界ではよくやられている。

 当然ながら、そこでのチャっターは商品経由でメーカーに伝わります。そういうライブラリが社会に用意されれば、それを使うところが出てきます。商売できます。マーケティングできます。今は、クローズな世界に入り込んでいます。

 送り出す方でしか考えていない、受ける方から工夫ができていない。凸凹なら、受ける方からの発想でないと答は出ません。それが本来の市民エネルギーです。

基幹システムの再構成には偶然を使わないと

 基幹システムは簡単にすることです。それで早く設計することです。偶然を使いながら、設計していくことです。他人任せでは設計できません。

 パートナーに知らせたいのは、この部分です。物を動かすといった時に、事務局は気付かせることです。気付いたものを深掘りさせて、相手に渡していくことです。コラボレーションは全体に必要です。商談すること自体がコラボレーションです。

 偶然は少ない方がいい。そうでないと疲れます。その代わりに、一つからどれだけ広げるか。これは完全にイメージの世界です。大体なものはそこに持ってきて、一つのシナリオにします。

未唯空間は無限次元の位相空間

 未唯空間で。全体のシナリオを表現している。詳細を使って、番外編を作りましょうか。それをサブ空間とします。「ガイドライン」の詳細のもう一つ、次元を作り出します。

 何しろ、無限次元を相手にしているので、いくらでも、次元はできます。だけど、基本となる、プレーンは一緒にして置きます。そうでないと、他の人には分かりにくい。だから、その次元を圧縮して、点にして置きます。集合=点です。様々なものをそこに入れることができる。それが詳細です。

 未唯空間は無限次元の位相空間です。ローカルから考えて、グローバルを考え出しました。様々な所に、異なる次元を抱え込んでいます

 本来のサファイアの概念がその中に入っているけど、名前が異なります。元々、未唯空間を作ったのは、データ整理用です。エンジンの諸元に対する性能をどう表現して、どう追い込んでいくのか、を考えて作りました。その意味で、発展形です。その概念を拡張したのです。
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プロボノワーカーを支える動機

『プロボノ』より

「ソーシャル」に向かうビジネスパーソン

 最近は「ソーシャル」という言葉が輝きを放ち、多くの人が日常的に口にするようになってきた。そこには大きく二つの意味がある。

 一つはストレートに「社会的な」という意味合いだ。

 社会起業家などに注目が集まっていることについては第1章でも述べたとおりだが、私的利益ではなく社会的な課題の解決や社会にとっての利益に対する関心が集まってきているなかで、「ソーシャルなテーマ」「ソーシャルな活動」は、決して特定のイデオロギーに傾倒した人だけが追い求める特殊なことではなくなってきているのだ。

 もう一つの「ソーシャル」という言葉の使い方は、「ソーシャルネットワーク」に代表されるような、人とのつながりを意味する使い方だ。英語の表現で、人と交流をすることを「ソーシャライズする」と言ったりすることがあるし、バーなどで人と会って話をするときだけ煙草を吸う人を「ソーシャルスモーカー」という言い回しなどもある。こうした表現から感じ取ることができる通り、人との関わりという意味が「ソーシャル」という言葉には含まれている。

 このような動きの背景にあるものは何だろうか。大きく三つの理由が考えられる。

  (一)仕事と職場に対する複雑な思い
  (二)先細りする企業の教育投資
  (三)広い視野を求められる仕事

 いまの社会人は、会社の方向性や将来性に対する不満や不安を感じながらも、会社を辞めることには慎重であるということ、一方で厳しい経済環境にある企業は従業員に対する教育投資を削減せざるを得ず、これまで以上に個々人で成長の機会を社外に見つけるべき状況にあること、さらに、企業は従来以上に社会の多様な主体との関わりを意識することが求められるようになってきた中で、社会人は自身の視野を広げるべきことが時代の要請となりつつあること、こうしたさまざまな背景が、社会人をして「ソーシャル」に向かわしめる要因ではないだろうか。プロボノワーカーの登場は、こうした日本の働き手の仕事をめぐる環境と密接に結びついているように思う。

プロボノワーカーの参加動機

 このような社会の背景と、実際のプロボノワーカーの姿とは、果たして見合っているだろうか。 そこで、筆者が運営するプロボノの活動「サービスグラント」に登録するボランティアの参加動機に迫ってみたい。

 上位三位までに並ぶ要素を眺めていると、「スキルを活かして」「社会貢献をしながら」「自身の成長にもつながる」という、プロボノのメッセージを、プロボノワーカーたちもバランスよく感じとっているように思われる。と同時に、自身の成長が最上位に上るのではなく、むしろ自身のスキルをもっと有効に活用したい、社会に生かしていきたいという声がトップに来るところに、プロボノワーカーたちのモラルの高さが感じられる。

 参考までに、この中で最もスコアが低かったのが「余暇活用」であった。これは時間が余っているといった表現を抽出したものだが、そうした回答は全体的に少数派だった。また、下から二番目となった回答が、将来、自身でNPOや社会事業を立ち上げたいと考えておりその参考としてプロボノに取り組もうとする声で、これは三九二人中二一人にしかすぎなかった。もちろん、起業を考えている人でも、自ら記入しない人もいるだろうが、自身でNPOのリーダーや社会起業家として立ち上がろうとまで考えている人はやはり少数派のようだ。

 下から第三位にあるのが仕事への疑問や仕事の達成感のなさについて触れたものである。つまり、いまの仕事が充実していないから、あるいは、仕事に対する不満があることが要因となってプロボノに参加するというストーリーは、全体を見渡した中で決して多数とはいえない。ビジネスパーソンがプロボノに向かう理由を、会社の仕事が不満だから、仕事が充実していないから、あるいは、会社に対する何らかの抗議の表れとして、といった理由で解釈しようとすれば、それは、プロボノワーカーに対する見方として、一面的に過ぎるものといえよう。
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クルマがつぶやく時代のネットワーク

未唯へ

 寒いですね。足が冷えます。名古屋の上だけが晴れています。山は見えないです。

 奥さんに6月の旅行の件、聞いたところ「阪田がどうなったのか」という言い方ですね。その答は「ない」だけです。

メーカーからの情報

 メーカーからは配信する効率だけでネットを使おうとしている。それで自分たちが作ったシステムを使うようにしている。

 今後の使い方を考えています。現在のプッシュ型だけでなく、プル型もできるようにする。データを色々な側面から見えるようにしていく。素人的にしていく。つまり、多くの人が使って、そこでの感想も循環させるやり方です。

アナロジーで考える

 これは、お客様状況からのアナロジーです。

 私の発想の中で、より多くの人が複雑に絡むことで、創発させるやり方が身についています。

 考えるベースはアナロジーです。一つが見えると、他のものが見えてきます。ネットワークの効果もその方に振ります。使う権利をより多くに人に渡していく。かつ、全体を制御する。それぞれのところがやっていることをネットワークでつないでいく。

クルマがつぶやく時代

 つぶやくためにはライブラリが必要です。ベースなしにつぶやいても意味がない。大量データにつぶされるだけです。

 今までは、そういうカタチで表を作っている人が、自分のお仕事をやってきた。より多くの人がそれのつぶやきをするようになります。

 クルマがつぶやくためには、センサーが必要です。これはレースの時の感想です。クルマからは色々な情報は出ているけど、それを聞くことができなかった。だから、センサーを作り出した。

 その時に、リアルな情報と、ストックする情報とそれらを解析するライブラリが必要だった。

背伸びしている

 今の時点で、自分ができることを考えている人間には「背伸び」に見えるのでしょう。夢がないことには夢は叶わない。

 先から見ている人間にとっては、あまりにものろいプロセスです。答は見えています。お客様状況把握からのアナロジーです。

未唯へ

 歯が欠けています。土台が崩れています。

 今日は、ネットワークがどのように役に立つか、というよりも市民から見たときに役に立つことをまとめます。

 4時に起きたら、電気をつけて、そのままポケ~としておきましょう。何かが出てくるでしょう。資料を見ながら、やるのではなく、考えて、頭に浮かんだことを述べます。

複雑なことを避ける

 皆、複雑なもの、自分の範疇にないことを避けます。複雑性が必要なときです。より多くの人が様々な所からアプローチしても、全体の制御がするためには、複雑性の考え方は必要です。

 部品にしても、検索するのと、使うのと、その結果をどうフォローするかはそこにお客様の声を入れるのと、これらは本来一緒です。

 これは図書館のライブラリと一緒です。そういうカタチで載せることで循環が始まります。単に部品が部品でなくなります。

 これから先は、インタープリターに任せないと。

ネットワークガイドの書き方

 ネットワークガイドを高度なものにしていくいく。高度とは何かというと、先から見たときに、この意味合いが分かるものです。その分岐点であることをパートナーにも分かるようにします。パートナーが分かれば、拡がります。
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17の忘れてはならない図書館のポイント

『知の広場』より

 1 図書館が柱となり、市民を巻き込み動かすこと。図書館は、小学校、警察、消防団と同じように、その地域にとって必要不可欠な機関である。市民の声が図書館に届くように運営し、行政が問題に取り組むよう仕向けること。

 2 その地区、町、国の性格に合わせること。どんな地域で、どんな人が住んでいるのかということに注目すること。特に、図書館に来ない市民に気を配ること。どんな人にとっても心地良く、文化的に豊かな図書館を創ることは共通の課題であるが、どこにでも有効なモデルというのは存在しない。

 3 丁寧な分析から出発し、どんな人が利用者となるかを理解すること。なぜなら、利用者というのは固定できないし、また、新たな利用者を獲得するのはとても大変だから。非利用者のもつ図書館のイメージについて、調査・研究を行うこと。

 4 変化に抵抗するのではなく一体となり、できることなら、変化の一歩先を行くこと。グーテンペルグ世代とiPad世代との間にある深い溝は、どうしたら埋められるのかよく考えること。

 5 人はどのように振る舞い、どのように動くのかを観察すること。そして、そこからより良い空間作り、開架方法、サービスの向上に役立つ手がかりを引き出すこと。また、私的空間での試行案からもヒントを得ること。

 6 建築、内装、職員の態度を通して、感じのいい場所だと目に見えるようにすること。市民が図書館で、あたかも地元の古い商店や、百年前に創業された広場のカフェに入った時のように、「本能的に」居心地がいいと感じられなければならない。

 7 形式ばらない雰囲気にすること。禁止行為のリストを貼り出すよりも、そうした行為が職員の力で自律的になくなるのが望ましい。ぶ叉全第戸を採用するのではなく、制限することで生まれる長所と短所を天秤にかけてみること。

 8 市民とのコミュニケーションは、即興でなされるべきではない。建築、色使い、内装、規則こ開館時間、職員の態度などの要素を包括的に検討した成果であるべきである。

 9 一般市民は、図書の専門用語は知らないし、知りたくもないという前提に立つこと。したがって、すべての案内標識は、到着したての外国人でも理解できる言葉やマークで示されなければならない。

 10 図書館の人工的な分類法は、の呂腎やアマゾン、その他の検索エンジンのように、インターネット上の共有や交換を容易にし、アクセスしやすくするはずである。

 11 批判精神をもち、独創的で、どんなことにも果敢に取り組める人以外には、将来、図書館でのポストはない。伝統的な図書館員を思い描くのは止めた方がいい。これからは、他分野出身の新たな考え方をもった図書館員、市民の出会いの場、文化イベントの場、地域の活発な場で必要とされることに対応できる図書館員が有利である。

 12 職場のヒエラルキーより実力を重視すること。全職員を同じ立場に置く人員配置も試してみる。

 13 図書館のプロジェクトやイベントに市民を参加させること。どんな種類の協会も受け入れ、場を提供すること。図書館は何より町の一部であり、そこにはたまたま本もあるだけのことなのだ。

 14 自由に動けない市民のいる所には、どこであろうと図書館の資料を持って行くこと。例えば、病院、養老院、刑務所など。

 15 図書館への入り口となる新しいコンテンツ(ブログや掲示板など)を作る際に、インターン生を巻き込むこと。彼らにとって、経験や討論のできる現実的な場にすること。自分の両親や祖父母にコンピューターのいろはを教えさせるなど、「デジタルーデバイス」と闘うように刺激する

 16 監視の目が気にならず、孤独な人々が出会うことのできるような、新しい都市空間を作りだすこと。共通の良識、人と一緒にいる歓び、市民である歓び、こうしたことを忘れてしまった人々が参加できる場を作ること。

 17 プロジェクトは、あらゆる側面、つまり、文化的、技術的、組織的側面から何度も見直されるべきであると意識すること。
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