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歴史字における観光

『よくわかる観光社会学』より

グランド・ツアー:近代観光へのテイクオフ

 大航海時代を経験したヨーロッパ人たちは,17世紀後半以降,理性に基づく科学的認識によって無知や迷信を払拭する啓蒙思想を発展させるとともに,世界中の知識や情報を所有したいという思いを膨らませた。「啓蒙」と訳される“Enlightenment”という英語は,文字通り,「闇(蒙)を啓く光(light)」という意味である。この時代風潮のなか,社会の安定を得て経済力を増しはじめた。

 イギリスの貴族や地主らは,ジェントルマン教育の総仕上げとして,息子たちを「光」,すなわち文化の先進国であるフランスやイタリアに外遊させるようになった。Fグランド・ツアー」と呼ぱれたこの旅には,お目付役として家庭教師が同行しており,なかにはその後歴史に名を残した知識人も少なくない。

 「文明の光を観に行く」--「観光」という新しい日本語を生んだ明治日本の岩倉遣欧使節団を想起させるグランド・ツアーだったが,経済力を蓄えたブルジョアの間でヨーロッパ諸国への旅が一般化するにしたがって形骸化した。

 “tourism”という新しい英語が生まれたのは1811年頃のこと。蒸気船や鉄道による交通革命の追い風を受けて,マス・ツーリズムヘの動きが始まった。

せめぎあう大衆化と差異化

 1841年7月,イングランド北部を貸し切り列車で行く鉄道の旅に,1000人余りの労働者が参加した。ツアーコンダクターは印刷業を営むトマス・クック。禁酒運動家の彼が,飲酒から「健全な娯楽」である旅へと労働者を引き寄せるべく考案した仕掛けこそ,すべてお任せの団体割引パックツアーだ。 1851年,世界初のロンドン万博ツアーの成功によって,「みんなで行けば安くなる」という新しい旅の常識は一気に広まった。それが,骨折り(travail)と語源を同じくする旅(travel)を,安全かつ快適に各地を回って元に戻ってくる周遊旅行(tour)へと転換させた。

 ほどなくトマス・クック社は海外に新たな展開を求め,アルプス登山やエジプト旅行などを手がけた。南北戦争(1861-65)直後の「アメリカ古戦場ツアー」は,観光が戦争を商品化する先例ともなった。その後,観光をはっきりとビジネスとして捉えた息子ジョンは,19世紀後半の植民地獲得戦争のなかで対象地を拡大していった。そのなかで,セイロン(現スリランカ)は「世界の庭園」,タヒチは「最後の楽園」など,ヨーロッパ人の感性に合わせた各地の観光化か進み,そのイメージが定着,固定化されることになった。

 19世紀末にはトマス・クック社のライバルとなるアメリカン・エクスプレス社が現れ、1910年代にアメリカ人のヨーロッパ観光ブームを牽引した。欧米を中心に観光の産業化か進むなか,差異化されたはずの観光が真似されることで,観光の大衆化はさらに進んだ。その延長線上に,交通手段の大型化,高速化に伴い,20世紀のマス・ツーリズムが姿を現した。

グローバル化時代の「観光の歴史学」

 「探検とは未知(unknown)の発見、旅はよく知られていないもの(ill-known)の発見,そして観光とはすでに十分知られているもの(well-known)の発見である」--歴史学者ピアーズ・ブレンドンのこの言葉は,欧米中心に進められてきた「観光の歴史」の中身を端的に物語っている。

 秘境という未知の空間の喪失,パッケージ・ツアー開拓の頭打ちなどにより,マス・ツーリズムの不振がとり沙汰されるいま,グローバル化やIT革命の流れとも相まって,「観光とは何か」の考え方も大きく変化しつつある。歴史学の分野でこの変化を象徴するのは, 2009年イギリスで創刊された『観光歴史学雑誌』だろう。同誌は,従来の歴史学の観光に対する関心の低さを反省し,欧米中心主義を脱して,非西欧社会とその文化のなかに観光という現象を置き直し,再考することを提唱する。それが歴史学にどのような局面を拓くかは,歴史家に託された課題である。
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