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地域再生にむけて

『よくわかる社会学史』より

都市と地域社会の持続可能性

 グローバリゼーションが進行するなかで,日本の都市は総人口が減少し,財政の逼迫や産業構造の変化などに直面しつつある。人口が集中し,社会的なインフラ整備が間に合わない少数の大都市を除いて,多くの都市の中心市街地や商業地区には閉店した店舗や空き地が目立っている。また,鉱山や機械産業などの在来型の産業都市は工場移転や操業休止によって,人口が急激に流出し,かつての活気を失っている。一方で,外国人居住者や社会的マイノリティ一層の増加,貧困層の滞留など,都市の住民層は多様化しつつあり,防犯や防災などの面で多くの課題をかかえている。情報インフラの整備と普及が進み,多種多様な情報が氾濫するなかで,様々な危機への対応が必要とされているが,一体的な対応はますます困難になりつつある。

 農山村では限界集落化という現象が着実に進行し,空き家や耕作放棄地が増加しつつある。世界の先進国の多くが農山村地域の人口減少と高齢化の進行という課題を抱えており,農山村地域の定住政策に力を入れるなど,地域の存続にむけた政策的な対応に追われている。さらに都市同様,様々な自然災害や人災への対応も必要になってきている。
都市の再生については,都市経済学や都市計画学などの隣接領域での議論が活発になってきた。これらの議論でキーワードとして登場する用語が持続可能性(サスティナビリティ)である。

都市の再生論--都市の危機から再生へ

 2005年北海道夕張市が巨額の借金を抱え,財政再建団体に指定され,事実上破綻したニュースは,日本中に大きなショックを与えた。放漫経営のツケが表面化するまで,「炭鉱から観光へ」をスローガンに多くの箱モノを建設してきた市の方針は行き詰まり,住民サービスの低下や税金の値上げなど,自治体の財政破綻は都市の危機として住民に大きな負担をしいている。

 都市の財政危機が最初に大きく話題になったのは,アメリカ・ニューヨーク市の財政破綻の問題が表面化した1975年春のことである。ニューヨーク市はこのままでは同年夏に期限を控えた市債30億ドル分の償還が困難であることが明るみになった。アメリカ第一の都市であるニューヨーク市の破綻は,アメリカ全体の経済に大きな影響を与える恐れがあり,その連鎖的な影響は各地の都市に広がることも予想された。結局,ニューヨーク市では市財政が州の管理下におかれ,多数の警察官や消防士,清掃員が解雇された。

 このような産業構造の転換や政策的な失敗による財政危機および地域の衰退はヨーロッパの都市でいち早く問題になっていた。炭鉱や鉱山の閉山,映画館の閉鎖など,地域の基幹産業の衰退は人口の急激な減少を招いた。こうした事態に直面して,考えだされてきたのが数々の都市再生プランである。そこに共通のコンセプトは持続可能な都市(サステイナブル・シティ)という考え方である。

新しい都市論

 21世紀に入り,都市再生の具体的な手法として,コンパクト・シティ、クリエイティブ・シティなどの概念が注目されるようになった。コンパクト・シティ論は1980年代後半から90年代にかけて、モータリゼーションの拡大普及に伴う郊外化の進行による都市の中心部の空洞化と,ゆきすぎた郊外化による中心市街地の衰退をうけて,中心市街地再開発の手法として商業・文教,居住施設の都心回帰を促し,都市の中心部に人の流れやにぎわいを取り戻そうというものである。こうした手法は北米ではニュー・アーバニズム(New urbanism)、大陸ヨーロッパではコンパクト・シティ,イギリスではアーバン・ビレッジと呼ばれた。アメリカのポートランドはその代表例であるが,日本でも青森市。仙台市,神戸市などにおけるまちづくりが該当する。

 クリエイティブ・シティ論は大きくわけて二つの流れがある。ひとつ目は1990年代からヨーロッパを中心にひろまったもので,イギリスの都市地理学者P.ホールを第一世代とする。ホールは世界都市論のさきがけとなった『ワールド シティーズ』(1966)を刊行し,その後,『都市と文明』(1998)でL.マンフォードの都市の文化を下敷きに,原ポリス→ポリス→メトロポリス→メガロポリス→ティラノポリス→ネクロポリスという輪廻を描き,廃墟の上にポリスが復活する構図を描いた。
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