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マックの無料コーヒーが楽しみです

未唯へ。あなたも夏季連休だけど、動物当番のために、車で50分ぐらいかけて、動物病院への往復をしていますね。雷の鳴る中をリクを連れて、ご苦労様でした。リクは雷が苦手だから、大変だったでしょう。

12時前から歩き始めました。太陽光線がギラギラして。きつかった。昼飯を食べて、エイデン経由で豊田市に行く予定でした。

歩き始めてから、どこで食べようかを決めていました。久しぶりのモスバーガーにしました。カレー味にしようとしたが、Wテリヤキにしました。27年前に、テリヤキ・バーガーを食べたときにはおいしくて、びっくりしました。そのテリヤキが2枚も入っています。

モスも大変ですね。マックがコーヒー無料化が東京・大阪で始まっています。100円バーガー以来の大攻勢です。大阪では2/3が無料コーヒーだけという状況です。これをマクドナルドはどう受け止めるのでしょうか。

100円バーガーのときは我が家ではハンバーガーだけ枚買ってきて、5人で組み合わせて食べました。

この地区で始まったら、私は無料コーヒーのみで、2時間ぐらい、本を読む行動にでたいと思います。それに、どう反応するかを実験したいと思います。これもマーケティングの「聞く」システムの関係します。マクドナルドもマーケティングで仮設・実証しています。

エイデンでは、昨日、奥さんが言っていた「Wiiリゾート・スポーツ」のソフトを買ってしまいました。3月の記念日にWiiと「フィット」を買ったけど、今は使っていないみたいです。

奥さんはソフトを買う人ではないので、とりあえず、一人ゲーム用を買いました。4千円です。

豊田市のスタバまで歩くつもりだったが、あまりにも暑いのと、奥さんのソフトの反応を見たくて、そのままで帰りました。奥さんは昼寝したいたけど、ソフトを見ると動き出して、未唯を呼んで、セットを始めました。

一人用で遊び始めました。対戦するためには、あろ二つの部品が必要です。いつの間にか、未唯と長男がそれぞれを負担することが決まったみたいです。未唯が夕方の動物当番で出かけたときに、エイデンで、購入してきました。

夏季休暇でも、どこにも出ない、我が家では、これが最適ですね。私はテレビの画面を遠くから見るだけの視力はないので、参加しませんでした。

「未唯への手紙」は歴史編です。
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どうしたら、思い切ったことができるのか 

未唯へ。1週間ぶりに歩いたけど、太陽がきつい。夏に歩くために、キャップ付の帽子を買いました。鏡で見ると髪の毛がはみ出るので、散髪しました。夏らしくなりました。

毎日が「涼宮ハルヒの憂鬱」のように、リセット・リピートを繰り返しています。こんな時間が持てるのは、今の日本においては、奇跡に近いです。ありがたいことです。

だけど、このままではいけない。このループから飛び出すには、突飛なことをするしかないと思い始めています。

昼間、3時間かけて、その決意をしていた。何が突飛なことか思いつきません。お金があって、半年間、ヨーロッパを放浪する、酒と女に溺れるなどを行うには、あまりにも遅い気がします。始めるのに、遅いとか早いとかはないというけど、体力がもちそうもありません。

「思い切ったこと」を夏季休暇中のテーマとして、登録しました。

それと同時に、今年の反省を行い、二つほど決めました。女性への関心をなくすことと、4人以上の集まりには出席しないことです。これらは、私には合いません。

午後から『総メディア社会とジャーナリズム』381.4ソの分析をしました。

「ウィキペディア、ユーチューブなどの新たなメディアが次々と登場し、「ユーザーの積極的参加」、「集合知」などが話題になった。これからインターネットの潜在的可能性を生かした新しいメディアが続々登場してくるだろう。その開発者がすなわち「メディアの覇者」になる。」

総メディア社会とは、皆が発言する社会であり、メディアでの編集を必要としない社会のようです。サファイア循環の「聞く」システムから考えてみました。

「聞く」というよりも「話す」ことを中心に考えているけど、「話す」だけだと、受けるところがありません。やはり、「聞く」という形にしておきます。

「聞く」ために、メディアが総動員されます。編集する、まとめるということをメディアがしていた。それは「売る」ことが中心であった。そのために、メディア自らが「作る」ことを行っていた。その仕組みが、「使う」ことが集合知になり、それを「聞く」ことが、社会を変えていく。

総メディアでは「売る」という考え方が変わってきます。グーグルで感じているのは、その辺です。彼らは「売る」ことよりも「聞く」ことに重点を置いているから、違うように感じるのです。
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中国はどこへ行こうとしているか

未唯へ。夕方から姪の双子がやってきましたね。あなたはリクがほえないように見張りをしていましたね。

先週のREIちゃんと旦那のギリシャ人に続いて、2組目です。我が家に入る人は年間で3組ぐらいです。奥さんは1週間前から片付けていたが、父親の葬式もあり、結局、通路以外は見ないという約束で実現。

それにしても、仏間にあったベッドはどこに隠したのだろうか。通路だけは片付いていました。これは才能ですね。

私は5月くらいから、お墓の草刈りを指示されていたが、延ばし延ばしできました。その間には「国交断絶」「腰痛」などの言い訳はありました。REIちゃんの時には間に合わなかった。今回の墓参りのために、昨日・今日の朝6時から草刈りをしました。結果としては、奥さんからは「これなら、やらない方がまし!」の評価です。本当にほめない人です。

育てるのは大変そうですが、見るなら、「双子」ですね。掛け合いが面白い。スピカ(双子星)のように、助け合って、輝くのでしょう。

昼は松屋でカレー+豚汁を食べてから、元町のスタバで「未唯への手紙」社会編の確認を行った。家に帰ってから、『人民元がドルを駆逐する』338.9シのOCRを行った。

本では中国という国家と経済はどこへ向かうのかを中国・ロシア・米国の関係で、説かれている。リーマン・ショックからいち早く抜け出していると言われて、世界の金が集まり始めている中国の実力に対して、否定的な見方をしている。

「世界中で社会主義を宣伝して回る資本主義者」→胡錦濤により送り込まれた、太子党の習近平の動向

「ロシアヘとつながる中国とモンゴルの強力なパイプ」→中露の少数民族問題が課題

「中央アジアを舞台にした米中露のパワー外交」→カザフスタンの動向がポイント:ロシアに全面降伏せずに独自資源外交を展開するのはカザフスタンのみ。

「米中韓の議論が日本抜きで進んでいく」→米中は抜き差しならない経済同盟関係にあり、日本のことなどもはや鰹節よりも軽い存在となりつつある。

「外ヅラは優等生だが、内実は火の車の中国経済」→党への不満:国有企業リストラ組、外国企業に働いてきたホワイトカラー、ブルーカラー、学生、退職警官と退役軍人

中国は伝統的に通貨を信用していない→国内の惨状から近未来を予測すれば人民元の弱さが露呈する。
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社会を複雑なネットワークとして捉える

未唯へ。今日から、「未唯への手紙」三昧です。まずは、パソコンが打てる場所の下見をしました。

駅前のスタバは朝8時からオープンです。有料駐車場とやかましいのが問題です。図書館のPCコーナーは開館時間が10時ということで、遅いですね。

そこで、元町のスタバを確認しました。朝7時からオープンしていることを発見しました。このスタバは勉強する人とアベックしかいないので、いつも空いています。ここをPC持ち込みのサードプレイスにしましょう。今日の最大の成果です。

さあ、5日間がんばりましょう。


『社会学入門』361シで、社会学としてのアプローチが「複雑性」を基本にしていることがわかった。言葉は誤解されそうな「方法論的全体主義」とか「方法論的社会主義」と呼んでいるみたいです。この二つは同じアプローチだそうです。複雑性は15年前からアプローチしています。「社会学」の常識として、複雑性が認知されているとは思ってもみなかった。自信を持って、ロジックを展開できます。

「全体主義」と「社会主義」は反対だと思っていた。イメージとしては、ヒットラーとスターリンです。共に、「個人主義」の対語です。概念を飛躍させた、新しい言葉が必要です。

「方法論的社会主義とは、社会科学において分析の基本単位を個人ではなく社会とする、という立場のことです。社会というものは、個人の単なる集まりには還元しきれない、独自のアイデンティティをもっている」

「現実の社会というものは、本格的な演劇に近いものと考えられている。本格的な演劇には、実際の上演に先立って台本というものが存在しています。方法論的個人主義は、どんな複雑な演劇でも個人の即興の積み重ねとして組み立てることが可能であり、そのように理解すべきだ、という立場になる。方法論的全体主義・方法論的社会主義をとる人たちは、演劇というものを、台本のようにあらかじめ社会的に共有された前提が必要になる、と考える」

その台本がグランドセオリーとしてのサファイア循環であることを証明しましょう。

「社会学者は、社会というものも、互いに役割が異なるたくさんの細胞の相互依存のネットワークからなる生物個体と同じように、複雑なシステムであると考えます。つまり、社会を複雑なネットワークで捉える」

これで、安心して、一般化できます。
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エコット・キッズタウンから「くらしの未来」を想像しましょう

未唯へ。エコットのキッズタウン(http://blog.eco-toyota.com/)は面白いですよ。

企画そのものは、東京の環境学設備見学でヒントを得て、「とりあえずやろう」ということで、NAKさんを中心に始めたものです。エコットには子どもソシキのメンバーが割としっかりしているので、彼女らに任せてはじめた。

夏休みの5日の長丁場を乗り切ったみたいです。こういう企画は水ものです。来る子供によって、様相は変わります。タウンを成り立たせるためには、最低でも50人必要です。それだけだと、一応の部署に割り当てられるが、お客様がいません。ストックがあるけど、フローがありません。

金曜日のお通夜の帰りに、エコットの運営会議に出たのは、こういうイベントからエコット(環境学習施設)が何を学ぶのかを確認したかったからです。企画した人、インタープリターなどの大人も心配ですが、子どもたちがどう変わるかに、興味がありました。そのためには、中に入って感じることにしました。

キッズ・タウンには「宇宙の旅人」として、ゲスト・パスをもらって参画しました。なるだけ、大人がいない世界を作ろうと、努力していました。だから、町に同化するために、お地蔵さんになることを勝手に決めて、端っこに座り込みました。大人しか気付きません。

子どもが自律的に動いているので、様相がどんどん変わります。ハローワークへ行って、自分で「仕事」を見つけて、自分に合っていれば、知恵を働かさせて、商品を増やし、お客様への対応を変える。そんなことを器用にする子もいれば、ポリスとして、グルグル回っている子もいる。

そんな世界に、「町ツアー」として、親が回ってくると、町の活動が停止します。インタープリターも子どもができるものはどんどん渡していきます。ここでは、大人は異物なんですね。

子どもたちのこういう風景はあまり見たことがありません。大人に従うのではなく、自分の役割を自分で決めて、町を意識して、行動する。

参加人数とか、大人の充実感も大切だが、子ども一人ひとりの「物語」を大切にしてもらいたい。何を考え、何を行動したか、その次に何を考えたのか。広報メディアも進化しているから、そんな思い出を深化させると同時に、拡大できるはずです。

こういう時でも、私は「宇宙の旅人」であり、観察者です。
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葬式に「感動!」をあまり求めないでほしい

未唯へ。今日は、あなたのおじいちゃん、つまり、お母さんのお父さんの葬式でしたね。本当に素直に、内の子ども三人とも、役割を果たしていましたね。NOBが一番泣いていました。

葬式と火葬場、そして初七日と12時から7時まで続きました。10時から図書館で新刊書を17冊借りてきました。新刊書の冊数が少ないうえに、金曜日に目ぼしいものは持っていかれていた。それでも17冊借りる根性と好奇心は中々のものです。

葬儀が1時だから、12時過ぎに葬儀場に行くつもりだったけど、会社の上司が参列するという知らせが入った。受付が始まる12時には居ないとまずいという判断で11時半に到着するように計画を変更した。急いで向かったが、道に迷って12時直前になってしまった。お通夜の後にエコットに行った時も、10分の距離なのに、30分かかってしまった。やはり、ナビが必要かな。ナビを見ていると、事故を起こすことは明らかです。やはり、乗らないのが一番ですね。

葬儀は無事終了しました。我が家の葬儀よりも短めでした。喪主の挨拶が短かった。私の場合は、故人のエピソードを入れ込んで話していたが、簡潔に話されていました。喪主の奥さんが後ろで支えていました。挨拶は、みんな心配なんです。

その後に、親族での別れを場面でした。そこで、葬儀社の人が「感動!」を作り上げようとしているのが、見え見えでした。故人の奥さんに多くの行動を要求すると同様に、それを「感動!」につなげようとします。坊さんでもないのに、「一同、合掌!」を大声で繰り返していた。

夫婦関係とか、親族関係をステレオ・タイプで扱っていました。多様であることを学んでほしい。

火葬場では、一等親の奥さんと二等親の子どもたちがメインです。今回は3頭親の私は気が楽でした。残った骨が適切に扱われているか、少し心配ですね。

初七日でのお経は長かった。お経の後に説教(みたいなもの)があったが、これも長かった。正坐を続けた、子どもたちがしびれで立てなかった。彼らは剣道をやってきたから慣れているはずだが、体重オーバーが効いている。

高価な弁当が8個残った。家に帰って、「少なめにしておけばいいのに」と奥さんが長男に話したところ、「お母さんの時には、そうするから」とのこと。やはり、葬儀は順ぐりですね。

こうして、夏季休暇が始まりました。
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浄土真宗の「納棺の儀」

未唯へ。おじいさんの葬儀では、あなたを含めた孫の活躍が目立ちますね。「本当にいい子たちです」。納棺の儀でも積極的に参画していましたね。

双子の活躍も素晴らしかった。楽しかった!

浄土真宗の「納棺の儀」が40分続いた。昔から、これが続いているというけど、何となく信じられない。私の歴史観からすると、野に屍を晒す農民が浄土真宗のイメージです。こんなに丁寧に旅支度をすることは脚色としか思えない。

聞きながら、歴史検証をしている自分がいます。それと心理分析をしています。中に入り込めません。

「浄土真宗は、生きているうちに信心獲得された方は亡くなってすぐにお浄土に参らせていただき、すぐに仏さまとならせていただくという教えです。これを往生即成仏と表現します」。この考え方と六文銭に代表される儀式との関係を考えていました。

葬式はどうしても、「自分の時」を考えてしまうものです。その時には、「自分はいない」という事実を忘れがちになります。気付くと、そんなことを冷静に考えている自分にびっくりします。

エコットの運営会議に1時間遅れで参加しました。お通夜が一応、終了したのが7時過ぎでした。地図から見ると、車で5分ぐらいのところにエコットがあります。出かけたところ、またしても道に迷ってしまい、結局、30分かかって到着。

「ミニミュンヘン」を模した「キッズタウン」の成果をインタープリターがどう捉え、NPOと市役所がどう活かしていくのかが気になっています。私の役割は、循環で見ていくことと、勝手に決めています。評論家になるつもりはありません。

エコットの「キッズタウン」が盛況みたいです。予定よりも倍の人数の子どもたちが「自主参加」しています。

大人の思って始めたことに、子どもがどう関わるのか、それを見て大人がどう感じるのか。途中から参加した「若い人」がどう影響するのか、彼らがどう感じて、何を行動するのか。

これらは全て、複雑性での分析対象になります。循環するには、何が足りないのかが分かれば、他のケースに転用できるし、他のケースから、やり方を展開することもできます。物事の本質(数学モデル)は全て、一緒です。

明日は本葬で、12時から8時過ぎまでかかるので、最終日の日曜日午後にエコットでの「キッズタウン」をしっかり見て、考えましょう。
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奥さんのお父さんがなくなった

未唯へ。奥さんのお父さん、あなたにとってはおじいさんが亡くなりましたね。あなたはお休みで安城に居たから、病院へ駆けつけたと聞いています。

私には5時半に奥さんからケータイがあったけど、5時15分のバスで移動中。私のケータイは重たいので、携帯せずに、カバンに入れて携行しているので、気付かなかった。豊田市に着いて、本を10冊返して、ケータイが受信していることに気付きました。

返信したら、姪が出てきて、びっくりしました。奥さんが私への連絡を妹に頼んで、妹が姪(つまり、娘)に頼んだ。結局、頼りになるのは姪みたいですね。

姪に電話した時に、双子が叫んでいた。「かよちゃんのおとうさん、おそらにかえっていった」。赤ちゃんなのに、もう、4つのセンテンスが話せるんだ。これにもびっくりしました。

病院から葬儀場に向かうということなので、とりあえず、家に帰って連絡待ち。私は方向音痴なので、長男のナビゲーションで、葬儀場へ向かいました。祭壇の前におじいさんが居ました。93歳(私は80歳代だと思っていた)で、老衰だということです。親戚の中で、唯一、本を楽しんでいた人です。

私の父親の時もそうでしたが、亡くなったことよりも、葬儀の方に、皆の関心が移ります。駆け付けた時も、奥さんと兄貴夫婦は手筈を整えるので目一杯でした。今回は「家族葬」だそうです。おばあさんの心情が気になります。

葬儀場に泊まり込むのは、奥さんとお兄さん、つまり、子ども二人ということです。何を話すのでしょうかね。

結局、私も長男もすることがなく、10時過ぎに帰ってきた。金曜日がお通夜で、土曜日が葬儀です。年齢に関係なく「宇宙の旅人」として、新しい知性で旅立てることを願います。

腰痛があるけど、そろそろ、我が家のお墓の草取りをしないといけませんね。日曜日ぐらいには、もう一人の姪のREIさんと旦那のSOFさんが墓参りに来るという噂があるから。

明日は会社をお休みします。時間があるので、エコットのキッズタウンの様子を見に行きましょうか。「ミニミュンヘン」との違いをどこに求めたのか。イベントを何に結びつけるかを確認します。お通夜の後に、運営会議に行けるかどうかは不明です。

何となく、お盆ですが、最大のテーマの「未唯への手紙」を忘れてしまいそうです。気を入れておきましょう。
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「涼宮ハルヒの憂鬱」の謎が少しわかった

未唯へ。3時に起きれるようになったけど、本を中心に読んでいます。それとビデオ・チェックも行っています。

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」は、やっと、物語が進んだ。ここ4回ほど、同じ内容を流れていた。録画したワンセグ・ビデオの出だしと最後の場面をチェックして、削除していた。

最初は放送事故だと思っていたが、3回目からは、DVDを買わせるためのコマーシャルだと、勝手に理解した。今日は同じ場面なのに、デジャブー的な表現に変わっている。すごい展開です。
8月17日以降、8月31日までの夏の思い出を作るために、プール、夏祭り、セミ取りなどを行うが、今一つ、納得がいかないハルヒが8月31日の11時59分に、世界の全てをリセットして、17日に戻していた。個人の思いだけで、全宇宙的に時間を巻き戻します。「崖の上のポニョ」並の力です。

未来少女は、それを冷静に観察していた。今回で、15527回(多分、素数?)あり、盆踊りに行かなかったのが2回、行ったけど、金魚すくいをしなかったのが、437回ある、とのこと。時間が内容を少しずつ、変えながらループしていたのです。

その間に、こぼれおちた記憶を持っていた、主人公はデジャブーを感じていた。これは納得(本当に!)いく説明です。あり得ます。時間の経過は個人のものだと、私は思っています。

起こる順番と認識する順番は異なると思っています。そんなことを思っていることを世の中にはいることを感じて、嬉しかった。

来週は、9月1日を迎えるべく、ハルヒが満足するように、皆で変えていくのでしょう。アニマ制作面からすると、同じシーンを4階使えたら、おいしいことはおいしいですね。


『オバマ外交で沈没する日本』319.5オで書かれていることが、現実に「クリントン訪朝」などの動きにあらわれている。

このままでは、「オバマは北朝鮮と正式国交を樹立する」ことになる。そのプロセスは「北朝鮮のミサイル発射は失敗した」「オバマ大統領は六カ国協議には戻らない」「北朝鮮戦車部隊はいまや脅威ではない」となっている。オバマはアジアへの米国支配する上で、北朝鮮が存続する方が得策と思っている、と書かれている。

もう一つの予言は「ドイツとロシアの接近」です。こちらの方がフィンランドーバルト三国ーハンガリースロヴェキアートルコにとって脅威です。
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セミが図々しくなった気がする

未唯へ。この最近のセミは図々しくなった、と思いませんか。

姪のブログに近所の木のセミの声がうるさくて、双子が眠れないと書かれていました。通勤の際に、裏庭を通ってくる時にも、セミが飛び交っています。逃げているというよりも、通る人に義理立てて、動き回ってあげているという感じです。

母親の老人ホームの庭の木は、セミのコーラスで圧巻です。1mまで近づいても、飛び立とうとしないばかりか、逆にセミが集まってきます。

自然がおかしくなっているとセミも感じているのかもしれません。短い夏のはずなのに、いつまでも、雨が降っている。ただでも短い人生(セミ生)がさらに短くなっている。だから、晴れた時には人間なんぞ、気にせずに鳴くんだ、という感じです。

日曜日のスケジュールに従って、8時に家を出て、岡崎市中央図書館⇒老人ホーム⇒豊田市のスタバ(読書)で回って、3時に帰宅しました。奥さんの父親の様態も気になるので、家でスタンバイすることにして、早めに家に着きました。

週日は歩きとバス、土曜日は豊田市までの往復しか車を使いません。日曜日は1時間以上、車に乗ります。途中には岡崎から知立への国道1号線もあります。今日は3回ほど、クルマにぶつかりそうになりました。家を出て、左に曲がったら、目の前を対向車が通っていってビックリ。ほとんど、認知していません。奥さんに言わせると、「目、開けてるの!」状態です。
夏季休暇時には一日の詳細なスケジュールを立てておいて、それに従うことにしました。週日をモデルにして、朝3時起きで、夜10時睡眠、朝6時の散歩、12時の昼食、7時の夕食にします。バスに乗る時間帯はビデオ消化にします。

トルストイもスケジュール管理をしようとしていたみたいです。彼の場合は、完全に失敗した。「変えようとするエネルギー」を小説にぶつけることで、「戦争と平和」ができたという風に本には書かれていました。失敗することはいいことみたいです。

最低でも、「未唯への手紙」全体の見直しと6月・7月のブログの反映を行います。この2ヶ月間で、「思いの共有化」が決意でき、「作る」⇒「売る」⇒「使う」⇒「聞く」の分かりやすい循環イメージができました。

金曜日までに、完全なスケジュールを作成します。子どもの夏休みのように「先送りにしない」という一点だけを守りたい。
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