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どうしたら、思い切ったことができるのか 

未唯へ。1週間ぶりに歩いたけど、太陽がきつい。夏に歩くために、キャップ付の帽子を買いました。鏡で見ると髪の毛がはみ出るので、散髪しました。夏らしくなりました。

毎日が「涼宮ハルヒの憂鬱」のように、リセット・リピートを繰り返しています。こんな時間が持てるのは、今の日本においては、奇跡に近いです。ありがたいことです。

だけど、このままではいけない。このループから飛び出すには、突飛なことをするしかないと思い始めています。

昼間、3時間かけて、その決意をしていた。何が突飛なことか思いつきません。お金があって、半年間、ヨーロッパを放浪する、酒と女に溺れるなどを行うには、あまりにも遅い気がします。始めるのに、遅いとか早いとかはないというけど、体力がもちそうもありません。

「思い切ったこと」を夏季休暇中のテーマとして、登録しました。

それと同時に、今年の反省を行い、二つほど決めました。女性への関心をなくすことと、4人以上の集まりには出席しないことです。これらは、私には合いません。

午後から『総メディア社会とジャーナリズム』381.4ソの分析をしました。

「ウィキペディア、ユーチューブなどの新たなメディアが次々と登場し、「ユーザーの積極的参加」、「集合知」などが話題になった。これからインターネットの潜在的可能性を生かした新しいメディアが続々登場してくるだろう。その開発者がすなわち「メディアの覇者」になる。」

総メディア社会とは、皆が発言する社会であり、メディアでの編集を必要としない社会のようです。サファイア循環の「聞く」システムから考えてみました。

「聞く」というよりも「話す」ことを中心に考えているけど、「話す」だけだと、受けるところがありません。やはり、「聞く」という形にしておきます。

「聞く」ために、メディアが総動員されます。編集する、まとめるということをメディアがしていた。それは「売る」ことが中心であった。そのために、メディア自らが「作る」ことを行っていた。その仕組みが、「使う」ことが集合知になり、それを「聞く」ことが、社会を変えていく。

総メディアでは「売る」という考え方が変わってきます。グーグルで感じているのは、その辺です。彼らは「売る」ことよりも「聞く」ことに重点を置いているから、違うように感じるのです。
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