goo

社会を複雑なネットワークとして捉える

未唯へ。今日から、「未唯への手紙」三昧です。まずは、パソコンが打てる場所の下見をしました。

駅前のスタバは朝8時からオープンです。有料駐車場とやかましいのが問題です。図書館のPCコーナーは開館時間が10時ということで、遅いですね。

そこで、元町のスタバを確認しました。朝7時からオープンしていることを発見しました。このスタバは勉強する人とアベックしかいないので、いつも空いています。ここをPC持ち込みのサードプレイスにしましょう。今日の最大の成果です。

さあ、5日間がんばりましょう。


『社会学入門』361シで、社会学としてのアプローチが「複雑性」を基本にしていることがわかった。言葉は誤解されそうな「方法論的全体主義」とか「方法論的社会主義」と呼んでいるみたいです。この二つは同じアプローチだそうです。複雑性は15年前からアプローチしています。「社会学」の常識として、複雑性が認知されているとは思ってもみなかった。自信を持って、ロジックを展開できます。

「全体主義」と「社会主義」は反対だと思っていた。イメージとしては、ヒットラーとスターリンです。共に、「個人主義」の対語です。概念を飛躍させた、新しい言葉が必要です。

「方法論的社会主義とは、社会科学において分析の基本単位を個人ではなく社会とする、という立場のことです。社会というものは、個人の単なる集まりには還元しきれない、独自のアイデンティティをもっている」

「現実の社会というものは、本格的な演劇に近いものと考えられている。本格的な演劇には、実際の上演に先立って台本というものが存在しています。方法論的個人主義は、どんな複雑な演劇でも個人の即興の積み重ねとして組み立てることが可能であり、そのように理解すべきだ、という立場になる。方法論的全体主義・方法論的社会主義をとる人たちは、演劇というものを、台本のようにあらかじめ社会的に共有された前提が必要になる、と考える」

その台本がグランドセオリーとしてのサファイア循環であることを証明しましょう。

「社会学者は、社会というものも、互いに役割が異なるたくさんの細胞の相互依存のネットワークからなる生物個体と同じように、複雑なシステムであると考えます。つまり、社会を複雑なネットワークで捉える」

これで、安心して、一般化できます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )