日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

寄り合い

2008年11月18日 | 生活・ニュース
               

「次の寄り合いがあるけえ一足先に失礼する」と会が終わると同時に急いで帰られた人のひと言が耳に残った。それは「寄り合い」。久しぶりというか長らく耳にしていない。懐かしい思いがした。

会議やミーティーング、会合に集会に打合せなどは、その目的を頭につければひと言で通じ合える言葉のひとつだ。こうした案内状に「寄り合い」は使わないだろう。

寄り合って相談する。これには口角沫を飛ばしたり、刺々しくて意地悪な感じの物言いを思わせない穏やかさを感じる。

よくでる「談合」。これも口角沫を飛ばすことはなく「ひそひそ」と穏やかに進むのだろうが、この寄り合いはいただけない。大手企業の留まるところを知らない陰での寄り合いには早く終止符を打ってほしい。

ぶらぶら歩いていたら、石垣の同じ穴から延び出た葉がある。他に幾つも穴はある。攻めあって出なくてもいいのにと思いながら、石垣の中の寄り合いはどんな様子か聞いてみたくなった。

(写真:石垣から延びたもみじは育つだろうか)
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子どもの蕾

2008年11月17日 | 自然 季節
               

坂道を上ったところにある桜の木。「ソメイヨシノ」と書かれた札が風に揺れている。すっかり葉を落とした桜、周囲の紅葉が「少し恨めしかろう」とちょっと同情しながら見上げたら、小枝の先に膨らんだものが見える。

葉を落としたら「春に向かって備えを初めていますよ」という子どもの蕾たちが空に向かって手を伸ばしている姿に見えた。そういえば桜紅葉という。このソメイヨシノは一足先に紅葉を終え、休むまもなく次に進んでいるのだ。

桜が綺麗に開花する条件のひとつに「暖かくなる前の寒さ」があるという。これからの長い冬を耐え抜いていく、小枝の先の子どもの蕾はそんな姿に見える。

思わずポッケトから手を出し子どもの蕾を撮った。綺麗に咲けよ、と声をかけながら。

(写真:ソメイヨシノの子ども蕾)

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ひつじ雲

2008年11月16日 | 自然 季節
               

秋空に誘われ、また家内の言いつけもあり久しぶりに花の苗の植付けや草抜きをした。さわやかな日ざしもあり思いのほか作業は進み、今日の作業はこれで終りにしようと、もみじの木の根っこ周りの草を抜きを始めた。

しばらくして薄暗くなり始めた。夕暮れにはもう少し時間があるはずだが、と思いながら枝の間から見上げた空に雲が一面に出ている。

白で厚ての四角い板のような雲が敷き詰た庭石のように並んで空を広く覆っている。ひつじ雲だ。日の傾きかけた西の方の一点は白く輝いている。夕焼けにはまだ早い時間だ。

ひつじ雲はまだら雲、むら雲ともいい、高積雲の1種で高度数㌔付近に発生する白い塊状の雲のことをいう、と説明がある。また、雲や隙間の形が、列をなして並んだように見えることが多いという。

地上からは見方によっては空の、いや自然の芸術にも見える。その裏側では、寒気団内部での争いの影響や、寒気団上部に暖気が接するなどと、発生の過程には激しい営みがある。そのためこの雲は「何か不吉な出来事の前兆雲」と、名前とはかけ離れたうわさ雲という。

地上でも表面は繕われて見えても、裏の駆け引きが分からぬまま、知らされぬままに進むことが多い。6割近くの人が賛成しない定額給付金、身近では米空母の艦載機移駐にともなう米軍住宅用地の問題がある。

寒くなってセーターを裏表に着ても着なおせる。でも為政者の裏表で困り泣くのは弱い庶民だ。民が富んで国が富む、米100俵で藩を再興した例もある。税の使途はよく見ておこう。

(写真:空に浮いた自然の芸術「ひつじ雲」)
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ふるさとフェスタ

2008年11月15日 | 生活・ニュース
        

秋は行事が多い。学校の運動会が終了する頃から「秋祭り」が始まる。毎週土、日は、ここらあたりの言い方では「あっちでもこっちでも」何かの催しが開かれる。

新聞の折込広告には、呼び寄せのために工夫した案内が「カラー写真」入りで派手に載っている。「祭り」や「まつり」と呼ばずに「フェスタ」という片仮名が目につく。

どの催しも地域振興、都市と農産地域の交流など大きな目標が掲げられている。地産地消はどの会場の案内にも見られ、この時期に最適な暖かい「特製の鍋」の振る舞いなどもある。

ある催しのスタンプラリーに参加したことがある。規定数の会場を回って記念品をもらい、さらに抽選で後日、地域の特産品が送られてきた。その時はモチまきにも出会い「大もうけ」した気にさせられた。こんな経験がまた行ってみよう、に連なるのだろう。

紅葉はようやく麓まで降りてきた。晩秋の1日、紅葉を眺めながらのフェスタめぐりもいいかも知れない。が、明日は朝方まで雨の予報になっている。「始まる頃には止んで」主催者は気がもめることだろう。

(写真:白壁と調和よく色づいた木々)
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干支の丑

2008年11月14日 | 陶芸
               

お歳暮やおせち料理の予約が始まっている。今の時節がら、百貨店の売り出しニュースの「エイエイオー」と拳を突き上げる映像を見るたび、売るほうの努力は並大抵なことではなかろうと眺めている。

来年の干支は2番目の「丑」。丑の意味を縁起的に言えば「肉は大切な食料に、力は労働にと社会に密接に関わる」もので、特長は「粘り強さと誠実」を表すそうだ。

昔々の大昔のある年の暮れのこと、神様が動物たちに「元日の朝、新年の挨拶に出かけて来い。1番早く来た者から12番目の者までは、順にそれぞれ1年の間、動物の大将にしてやろう」とお触れを出したそうな。

牛は「おらは歩くのが遅いだで、一足早く出かけるべ」と夜のうちから支度をし、まだ暗いのに出発した。牛小屋の天井でこれを見ていたねずみは、ぽんと牛の背中に飛び乗った。そんなこととは知らず、牛が神様の御殿に近付いてみると、まだ誰も来ていない。

我こそ一番と喜んで待つうちに門が開いた。とたんに牛の背中からねずみが飛び降り、ちょろちょろっと走って1番になってしまった。それで牛は2番目になった、というお話がある。牛の誠実さが伝わる。

陶芸教室で大胆にもその「丑」つくりを試みる。四苦八苦ほどではないがそれらしい形になった。素焼き、色付け、釉薬とまだ楽しみが残る。どんな丑が誕生するか粘土をこねた本人にもわからない。

(写真:作者は牛のつもりだが)
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感謝の心

2008年11月12日 | 生活・ニュース
                

舛添要一・厚生労働大臣は若いとき、揮毫をたのまれると「感謝の心」を書かれたという。逆境にあるときは、どうしても不満が多くなる。自分の努力不足は棚に上げて、失敗の原因を外に求めたがる。

人生「捨てる神あれば拾う神」ありで苦難は神の与えた試練だと思ってむしろ感謝する、このことが苦難へ対する勇気が湧き、他人を逆恨みする愚を避けれる、と書いている。

そして、すべての責任を他人に押し付け、自分の置かれた状況を嘆くのみでは、何の進歩もない、とも書かれ、逆境にあっても感謝の心を持つことだ、そこから謙譲の心が生まれると結んである。

多くの国民は先行きの希望が見通せないで不安になっている。逆境を越えるには先ず健康と安定した収入が必要になる。これをつかさどる省庁に大きな動脈瘤が形成され、先行き不安を助長している。

身に沁みる寒さは自然のものだけで十分だ。舛添さんのところから身に沁みる温かさを届けて欲しい。そうすれば逆境を脱した国民に感謝の心が芽生え、謙譲の心も生まれ先行きの明るい国になるだろう。

希望と仕事と家庭から「明るい明日」が導き出せる。

(写真:収穫に感謝された稲田は一休み)
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レシートは大切に

2008年11月11日 | 生活・ニュース
                

大型店では当たり前のことだが、街なかの小さなお店でレシートを手渡されると「ホッ」と思うし、しっかり管理されているんだとお店の価値を見直すことがある。

大型店の食品売り場のレシート、ときには驚くほど長いそれをチェックする買物客を見かける。ひと品ひと品、買った個数だけ打ち出されるからそうなる。人手では到底出来ない業だ。

このレシート、最近は「食の安全問題」で今まで以上に大切に大切に保管しなければいけい。商品の期限切れ、農薬、偽装など等で返品や返金が起きたときその証しをレシートがしてくれる。

どういう集計をされたのかレシートの発行枚数は年間580億枚という。これだけの発行枚数狙って、裏面に広告を挿入するという新しい商売が誕生するという。

そうだ、お店によっては確定申告に使えるレシートもある。見直して大切に保管してください。電気店では保証書を一緒に発行する。一見よく似ている。間違えて捨てないように気をつけよう。

商品名をじっくり眺めてください。誤字がよくあるそうですよ。キツネウドンがキッネウドン、ギュウニクがギェエニクと面白いそうです。暇があったら見てください。キーボードと関係付けるとなお面白いそうです。遊びにも使えるレシート、大切にしてください。

(写真:用済み後は資源回収に回るレシート)
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販売額は7兆円

2008年11月10日 | 生活・ニュース
                 

今は、電線が通っていればどんな人里を離れたところでも見かけられるカラフルな自動販売機、設置されれば撤去されるまでの365日24時間文句も言わず働いている。我家を出たところに酒販機はウオーキングに出かけるときはまだ休んでいる。

自販機について業界のまとめた資料がある。2007年末現在の設置台数は約541万台、小さな街でも角を曲がれば必ず目に入るのは不思議ではない。これの販売金額は約7兆円に達するという。

おなじみの飲料系・パンなどの食品系の自販機が設置台数、販売金額ともに全体の大よそ半分を占めている。伸びているのが乗車券や食券などの券類販売機という。苦戦はたばこでその原因は周知の通り、業界も認めている。

両替機にコインロッカー、駐車場精算機にパーキングメーターなども自販機の1種類で自動サービス機という分類に含まれることを知った。仕事の場から自販機が人に取って代わっていく様子が良く分かる。

夜ともなると小さな街の通りでは自販機の灯りが街路灯の役目を担っているのか、そう思わせるほど別の意味で役立っている。自販機の功罪は立場によっていろいろある。飲料や酒類の容器ポイ捨てをなくすれば功がより高くなるだろう。

タスポを所持しないと自販機でのたばこ購入は出来なくなった。酒類も朝の5時まで販売は停止されている。これに変わる24時間型のお店があり、夜型の生活に不便はなさそうだ。

地方、特に古い町並みの残るところでは自販機のデザインがその景観を壊している。歴史の宿る街にふさわしい自販機を開発して欲しい。

(写真:あさ5時前、街角の酒販機は休んでいる)
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冬の桜

2008年11月09日 | 生活・ニュース
               

吉香公園のロープウエー山麓駅広場前には2つの観光施設が並び、訪れる人も多い。ひとつは特別天然記念物「白蛇(しろへび)」の観覧施設。もうひとつは1974年、国の重要文化財に指定された目加田家がある。

白蛇はその色が名前どおり白で、赤い目をしたここ岩国だけに生息する青大将の突然変異という。目加田家は江戸中期の中級武家屋敷として当時のままの姿で保存されている。2施設とも一見の価値があります。

桜といえば春の花だが、その2施設の裏に、今、桜がさいている。これは返り咲きでなく冬に咲く桜として知られている桜。

ひとつは「ジュウガツザクラ」という。コヒガンの園芸品種。花は淡紅~白色の8重咲きで、㋃と10~12月頃の2回開花します。案内板にこう説明されている。

もうひとつは、ばら科のフユザクラ。この花は10月下旬から翌年の4月にかけて開花を続ける。そこから「フユザクラ」という名が付いたという。この桜が国の天然記念物に指定されている有名な公園が群馬県にある。

春の桜のような華やかさはない。木も大きくはない。葉の落ちた小枝の先に淡い淡い桃色の小ぶりな5弁の花びらが咲いている。花もちらほら。ちょっと淋しげな感じがする。

それでも季節はずれの桜と晩秋の紅葉との競演は、見ても良し、写真に撮っても良し、と同時に楽しむことが出来ます。

(写真:雨の水滴が重そうなフユザクラ)
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バラを泣かすな

2008年11月08日 | 生活・ニュース
               

紅葉の始まった錦帯橋そばの吉香公園、秋を探索される観光客の方や散策される地域の方で賑わっている。付近の武家屋敷の庭や白壁沿いにツワブキの黄色の花が調和よく咲き目を楽しませる。

その公園には訪れた人を楽しませる白や赤、黄などが咲いたバラ園がある。ここは毎週土曜日にボランティアの方が手入れされる。土つくり、除草、施肥、消毒などはもちろん、剪定や夏場の水やりなど年間休むことなく続く。

バラごとにその花情報、人で言えば個人情報が書かれた掲示がされている。花にうとい自分には何よりの情報で、カタカナで書かれた呼び名を見ながら「うまく付いている」などと感心している。

その花情報版がいくつか倒されたり曲げられたりしている。1枚は抜かれ、折られた足がそのそばに投げ捨てられている。犬や猫の仕業ではない。「こんなことをするやつはバラ園に来るな」といいたくなる。

社会生活の中で守るべきルールを知らないのかと疑う。知らないでも「自分がそうされたら」と思い浮かばないのかいつも不思議に思う。子どものころ上級生と遊ぶ中で喧嘩も含め身に付けたルールを思い出す。古きよき時代と笑われるかも。

先日、近くの無人駅の落書きを中・高校生が中心になって消したことを知った。彼らはその経験からバカな真似事はしないだろう。所かまわず増えるいたずら、先ずは親が力を出して欲しい。

(写真:抜かれ、折られたバラの表示版)
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