数本の桜の木がある。そこは、伸びた枝で覆われるほどの小さな公園。ベンチやいつも花が供えられた火伏地蔵がある。ここの桜は近所でも早咲きで、一足早く春を届けてくれるうれしい桜の木。どれほどの樹齢かわからないが、大きな木は二抱えほどの大きさだ。
この時期になると、桜の木は春への備えとして紅葉した葉は落ち葉となって散っていく。この公園も例外ではなく公園全体が落ち葉に覆われる。その落ち葉を掃き寄せた竹ぼうきの跡がついている。花のお供えや落ち葉掃き、ご近所の心づかいが伝わる。
錦帯橋上流の桜のトンネル沿いの歩道、この時期には落ち葉が積もっている。ある時、大きな袋に落ち葉一生懸命に詰めている人を見かけた。道路清掃と様子が違うので尋ねると「自家用の堆肥にする」という。落ち葉拾いで歩道は綺麗になり歩く人は喜ぶ、落ち葉は堆肥となって土へ還れて喜ぶ、側溝は落ち葉が詰まらないので喜ぶなど、連鎖していいことが起きている。
落ち葉といえば「濡れ落ち葉」という定年退職した夫を侮辱する言葉があった。今も続いているのだろうか。これは自立できない、妻に付きまとい離れないなどの実態を表したという。しかし、落ち葉はその勤めを立派に終えた証なのだ。今日は語呂合わせで「いい夫婦の日」という。「濡れ落ち葉や粗大ごみ」などと、定年退職した夫を卑下した人はそれを反省する日でもある。
手作りの堆肥で育った作物、どこで手に入るのでしょうか。