先ごろ東北で、木の幹に止まったまま死んでいるアブラゼミが見つかり話題になたっという。ヤマザクラの幹の高さ2メートルほどのところに、それはまるで生きているような状態で止まっている。発見した人は、羽の一部は朽ちていて死んでいると気づいたという。鳥などの餌にならずに残れたのが不思議だという専門家の話が添えられている。
子どものころから地面に落ちているセミの死骸は見ているが、木に止まった状態の死骸を見た記憶はない。夏休みの学習の一つとして作っていた昆虫の標本には必ず何種類かのセミが入っていた。木にとまるような姿で死骸となっていたセミは、あの標本のような姿をしているのではと思い浮かべてみた。
そんな話題を目にしたころ、知人の家で木の葉の裏にアブラゼミと思う脱け殻を見つけた。別に珍しくないが、最低気温が0度近くになった朝なので、夏の名残を感じさせると1枚残した。撮りながら、脱皮したセミは地面に落下したのでは、落下してほかの生き物の餌となったのでは、いや生き延びただろう、など具にもならないことを思っていた。それにしても、この抜け殻はいつまで標本のように葉隠しておれるのだろうか。
人も抜け殻の状態になる時がある。それは気力が抜け、ぼんやりして何もしたくない出来ない状態をいう。人はいつまでもそうではいられない、と気づくところが他の生き物と違うのかもしれない。しかし、シャキッとした葉の裏の脱け殻からには達成感を感じる。脱け殻と抜け殻、どちらの「ぬけがら」かで姿は変わる。自分は脱け殻を選びたい。
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