日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

デルビル

2013年03月02日 | 回想
            

 日本で電話が使えるようになったのは1890(明治23)年、東京ー横浜間だった。岩国では遅れること18年、1908(明治41)年と記録されている。当時は公の施設など限られたところしか使われなかった。1908年は路面電車が中国地方で最初に岩国に登場する前年にあたる。

 1942(昭和17)年4月の岩国市内の職業別明細図が手元にある。数多くの会社企業や商店が掲載されている。しかし電話番号の記載されていない店舗も多い。そして記載されいる電話番号はすべて3桁で、そこには市外局番などはない。市内専用だったことが伺える。

 昭和30年代のおわりころから一般家庭に電話が普及し始めた。地方では同40年代の初めは申請から設置まで相当期間またされた。やがて電話機にダイヤルが備わり、相手の番号を回すと直接つながり始める。プッシュ式、コードレス、携帯、スマホとその進歩についていくにはかなりの努力がいる。

 岩国学校教育資料館には明治29年の電話機が展示されている。それには「デルビル磁石式壁掛電話機」と表示されている。掛け方は「ハンドルをぐるぐる回して電話局を呼び、交換手が出ると『何番』と相手の電話番号を告げ、相手につないでもらう」と説明書きもある。掛けるところは見ているが使ったことはない。

 この電話機、終戦後、近くのお金持ちの家にあった。デルビルさんはその家の玄関そばに専用の部屋を与えられていた。今でいえば電話ボックス。そのドアのガラス越しに見える人の顔に似た四角い形、その下がかくれんぼので隠れ場所の一つでもあった。だが、呼び出す音を聞いた記憶はない。どんな音色だったのだろう。

 

 
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