日々のことを徒然に

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分別と分別

2018年04月20日 | 社会 政治

 分別(ぶんべつ)は種類によって区別・区分すること、「ごみを分別する」という例示が分かり安い。一方同じ書き方でも分別(ふんべつ)と読めば意味が異なる。後者は「道理をわきまえている、常識に従って物事の是非を判断する。また、その能力」と載っている。どちらもその意味を誤って行使するととんでもない混乱を起こす。

 家庭から出るゴミは、自治体の決められた分別(ぶんべつ)ルールに沿って所定の場所へ持ち出せば、環境汚染防止と美化、ゴミの資源化と再利用などが可能となる。これは社会人としての分別(ふんべつ)を備えていれば問題は起きない。近くの集積所、たまに両方の分別ない行為が放り投げられている。

 改ざん、ねつ造、隠蔽、圧力、セクハラ、シビリアンコントロール崩壊など霞が関発の報道を見ていると、そこに働く一部の人の分別(ふんべつ)を疑いたくなる行為が多すぎる。常識的にみれば、そのために国の政が足踏みし税の無駄遣いが続いている。世論を見ると、霞が関の説明を納得しない国民が7割余り、国民の分別(ふんべつ)に沿って誤りは誤りとして早急に認めるべきだろう。

 スーパーに設置された資源ごみ回収ボックス。ペットボトルを持ち込んだ時、ちょうどボックスからの回収作業中だった。話しかけると「汚れが落としてあるので気持ちよく作業できます」と担当の人。この小さな一角にも庶民の分別(ぶんべつ)と分別(ふんべつ)を知ることができる。来週からの霞が関はどう動くのだろう。
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