医師から「次回は検査をするので朝食抜きで来院ください」などと告げられれば仕方なしに欠食する。そういうこと以外に少々風邪気味だろうが腰が痛かろうが三度の食事を欠かすことはない日を送っている。食事とは、「生命を維持するために毎日何度か食物を食べること、またはその食べ物」という。確かに健康の証の一つに快食がある。
戦争が終わったころは遊び盛りの子どもで腹ペコ、母の作ったものは何でも食べ、幸いなことに空腹で泣いた記憶は無い。大家族だった我家、美味物ではなく菜園で出来たものが主だっただろう。豊かな食生活になり、こうした昔話に耳を貸す人はいなくなる。放送では世の中の美味いという食べ物をこれでもかというほど紹介する。食べ物を粗末にするとしか思えない番組も相変わらず続いている。
年齢を積むにつれ食べる量は少なくなる。自然界の理法にかなっていることと思うので心配することではない。ただ、食べる中身には気配りが必要と医師は助言する。同期の飲み会でも、料理は量より質に変わって久しいし、酒量もかなり減った。
同好会の花見、弁当と飲み物は各自持参が約束ごと。今年初めて近くの店に一つだけの注文だが愛想よくOKがでた。見本では何となく寂しい、ひとランク上のお任せを注文。ところが容器が大きすぎ照れくさいと思いながら蓋を開く、思っていた以上の中身に満足しながら「幾つになっても食べ物への欲はある」、そんな思いを笑うかのように桜の花びらが舞い降りてきた。
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