それは休日の朝、たばこの買い置きが切れたときに始まった。あとで出かけたときに買うから、と起きがけの1服をあきらめた。だが、買わないまま25年がたった。
2日目に女子社員から「体の調子が悪いのですか」と、上司からは3日目に「無理しないように」と声がかかった。「いや、吸ってないだけです」と意味不明の返事をした。喫煙の一時中止かと思っていた妻も、1週間たったころ禁煙らしいと気づいた。
禁煙は難しいという。でも、子どもの誕生を機に社内誌で「絶煙」を、小学生の娘さんからのたばこをやめてという手紙から「禁煙」をそれぞれ宣言し実行した同僚がいた。2人は禁煙の苦労を見せなかった。それは家族愛から出た本当の禁煙だったと思った。
起きがけの1服をやめてから25年、今も私の禁煙は続いている。これは何も「宣言」していない、だからいつからでも吸える、という気安さからだと思う。こんな心中を知らずに、完全禁煙したと妻は信じ喜んでいる。いまさら裏切れない。
25年前たばこを買わなかったのは、たばこを好きでなかったのかなと考えながらも、喫煙所での楽しんだ会話とそこに漂っていた煙のにおいを思い出す。
2007年8月30日 中国新聞広場 掲載
とても読みやすかったです。
感動したことがあったときにしか書けない私には不思議です。
こういう文章はどういうときに書こうと思われるのでしょう?
tatu_no_koさん撮影の写真、ホントに載せましたからね!
どんな写真が載るのか、心配ですが、了解しました。