子どもころ人口千人余りの地域に住んでいた。地域の幹線となる幅数㍍くらいの道沿いに軒を連ねて家が建っていた。印刷屋、畳にタバコ屋は複数、酒屋、塩販売、魚屋、米屋、そして食品販売の商店は数軒以上が幹線沿いにあった。今風に言えばそのどれもが個人商店で、どの店の人も顔を知っていた。食品店には子どもの喜ぶ菓子類も並び、それらには小さなおまけの品がついていた。今ならお宝鑑定で値がつくかもしれない。
幹線道路の一部が拡幅されるとそこはバイバスとなり地域の賑わいを連れ去った。 そのころ雑貨を除けば食材は歩いて買い物ができる、今に比べれば便利であった。時が移りその地域のお店は今では畳屋1軒だけとなった。買い物は遠くへ足を運ぶという不便がやってきた。さらにその地域も郊外の大型店舗に暖簾を譲り、車必需の買い物時代に変わった。
大型店は車での来場を予定して広い駐車場を備える。入店すれば食品だけでなく幅広い品が揃っており効率的な買い物が可能になった。さらに店舗間の競争に勝つため各種のサービスを競っている。わが家でもチラシを確認した家内が指定する店に車を走らせる。余分な購入を控える忍耐もたまには必要となる。
園児や幼児も陳列棚の間を巡るとき彼らには楽しい移動車のサービスがある。ハンドルを回す仕草に子どもらしさを感じる。そんな姿を見ながら思う。店員不在のコンビニが出現していることから、そう遠くない時期に小さな子供もAIやIoTに操られれば食材の買い物ができるようになるだろう、いやそうなる。試食売りのおばさんたちの仕事がなくなるのという問題が発生する。さて、どうするか。
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