日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ネギ坊主と擬宝珠

2013年05月04日 | 生活・ニュース
           

 生活の知恵、といえば高尚に聞こえるが本当は違う。我が家のプランタンのネギは移植したもの。ネギを買った時に元気そうで長いな根が付いているとそれを白い部分を10センチあまりのところから切り、植える。夫婦2人の食いぶちとしては十分な収穫がある。

 この移植は恥ずかしいことかと思ったら、同類の人も身近にありほっとしたことがある。この移植栽培も長くは続かないので、適当に植え変えているが最近は思い通りにならない。それは元気な根の部分が散髪の5分刈ほどに短くなり、移植に適さないものが店頭に並ぶ。自作ネギの増加が農家の出荷慮に影響しているのだろうか。

 ネギは暑さ寒さどちらにも強いのか素人でも大したことをしなくても育ってくれる。それだから味噌汁、冷奴、蕎麦、うどん、鍋などなどの薬味として1年中欠かせない食材の一つになっている。そんなネギも春になってねぎ坊主と呼ばれる花をつける。アブラナ科の黄色い花は「春がきた」と人々は迎えてくれる。一方、ネギの白い花は「坊主」と呼ばれ「春がきた」と応ずる人はいない。坊主には隠された意味があるのかもしれない。

 プランタンのネギにもネギ坊主が出来て春を告げている。早めに摘み取れば十分に食材として使える。坊主は天ぷらにすると苦みがあって美味い、と聞いたが口にしたことはない。この花に似たもの、似せたものがある。それは橋の欄干の柱頭や神輿の屋根にある擬宝珠(ぎぼし)。

 名勝・錦帯橋の欄干も平成の架け替えで擬宝珠が消えた、と記憶している。以前の欄干の親柱は下方が四角形、上部は円柱状に加工され擬宝珠がついていた。架け替えが終わり初めて渡ったとき、形が変わっていて驚いたのを記憶している。架け替え後は親柱全体が四角形のため擬宝珠は似合わないかもしれない。変えたことに何か意味があるのだろうか。個人的には擬宝珠、それは歴史を感じさせるから。
コメント (4)
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