みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主にあって

2024年09月13日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 6章1−9節

 日本のニュースでは木曜日も残暑がとても厳しいと報じられていましたが、当地では最低気温7度、最高気温15度と涼しさを通り越して寒ささえ覚える一日でした。まだ風邪から抜け切っていないこともあり、長袖シャツやタイツへと衣替えをしました。

 前章後半からの、キリストにあって一つであることの人間関係における実践は、父(親)と子、奴隷と主人へと広がりを見せていきます。これらの関係においても、5章21節の「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」は共通の土台です。

 父と子の関係でも、子どもたちは両親に従え、父(親)たちは子どもを怒らせてはいけないとの命令は、一方通行のものではありません。5章21節の原則を踏まえての命令であることを忘れずに受け止めたいのです。

 2節の「あなたの父と母を敬え」は十戒における人間関係の戒めの最初に置かれているものです。敬うことは従うことへと通じます。父たちは子を育てる務めを持ちます。どちらにも「主にあって」「主の教育と訓戒によって」ということばが伴っていることが大切かと思います。

 親を見るときに、子どもがそうあってほしいというあり方を必ずしも持っていないということは少なくないでしょう。それは、子どもを親が見るときにも言えることでもあります。しかし、その関係の間に主がおられるという事実を踏まえることの大切さをここから考えます。

 5節から9節までの勧めは、今でいうなら被雇用者と雇用者の関係にそのまま適用できる基本です。しばしばトラブルになりかねないこの関係においても、間に主がおられるということをおぼえられて初めて、ここでのパウロの勧めは意味を持ち、力を持つのではないかと考えるのです。


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