みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神に従う

2018年04月13日 | 創世記

創世記 43章1−15節

 木曜日の午後、近くの教会でしている外国人のためのドイツ語会話に参加しました。集まったのは私たちのほかに、イランとアフガニスタンからの方がたで、互いに拙(つたな)いドイツ語を用いていっしょうけんめい伝え、また聞こうとする1時間でした。導いてくださるドイツ人の方は常に笑顔で、きちんと正しい表現に導いてくださいます。ありがたい!

 絶対にベニヤミンはエジプトに行かせないとの父ヤコブの堅い心も、激しい飢饉の前に動かざるをえませんでした。父は子どもたちにエジプトに食料を買いに行ってほしいと願いますが、その時に父の前に立ったのは四男のユダ。

 ユダは、ベニヤミンを一緒に行かせてくれるのならばエジプトに行く、そうでなければ行かないとはっきりと伝えます。渋る父に、彼は自分がすべての責任を負うので何とか連れて行かせてほしいと再度頼みます。9節を繰り返し読むと涙が出そうになります。ヨセフを売り飛ばしたときの態度となんと違うことでしょうか。

 ユダの願いと約束が心からのものであると知ったヤコブは、ついにベニヤミンを連れて行かせると決断します。決断をするとヤコブの指示は的確で、具体的です。すべてを神にゆだねようとする姿勢も見られます。

 「私も、息子を失うときには失うのだ」ということばが心に響きます。

 この時のユダと父のやりとりは、自分の利益を先に図ろうとするものではなく、相手のことを思ってのことです。ユダは父のことを精一杯思い、父はユダの熱意に心を動かされてこれまで自分の手元に置いて囲っておいたものを手放そうと決断します。この二人のやりとりから、神に従うとはこのようなことなのではないかと考えるのです。

写真:満開のマグノリア


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