みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ほむべきかな

2018年12月24日 | クリスマス

ルカの福音書 1章67-80節

 日曜日の午前は、市内の老人ホームの敷地内にある国教会の礼拝に参加しました。そこに、すてきなクリッペ(飼いばおけを中心とした降誕のオブジェ)がありました。一つひとつが南ドイツ、オーバー・アマガウで作られた木彫りのものです。きょうから数日、左から右へと写真で紹介します。「クリスマス・スペシャル」です。

 ルターはザカリヤについて、「不信仰が沈黙せしめた人を、聖霊が預言者へと変える」と語ったそうです。妻エリサベツに男の子が生まれるという御告げを信じなかったために閉ざされた口が開かれて、ザカリヤは最初に神をほめたたえました。そして、「ほむべきかな」と始まる神への賛美、わが子の歩みについての預言がザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス)です。

 この賛歌から「あわれみ」ということばを心に留めました。神がご自分がお選びになった民を見捨てることなく、お救いになったのは神のあわれみによるのだとザカリヤは歌います。きのうは礼拝で、この前にある57-66節から「神がなさる不思議」というテーマでみことばを届けさせていただきました。

 私たちの思いをはるかに超えて、神がなさる救いのお働きは不思議というほかありません。ザカリヤは個人として神の不思議を経験しました。長い間の沈黙の中で彼は、神との豊かな交わりに導かれ、声には出すことがなくても神との対話を重ねていったのです。

 曙の光として、暗闇と死の影に住んでいた者たちを照らしてくださろうと、神が人となっておいでになったという不思議を心に留め、「ほむべきかな」と声を上げます。


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