ヨハネの福音書 1章14−18節
「聖なる夜」と呼ばれる24日、オンラインで賛美礼拝を持ちました。たくさんの讃美歌を歌い、クリスマスに関連した聖書を読むだけでしたが、幸いな1時間でした。最後の賛美は「馬槽の中に」。その前に歌う「羊はねむれり」とともに、日本人による讃美歌の傑作です。ことばと曲の間にかい離がなく自然に歌うことができると、いつも思いながら賛美しています。
14節の「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」ということばは、何度読んでも感動します。神が約束されたメシア(救い主)は、ご自分の民として描かれているイスラエルの人々が期待したようにはおいでになりませんでした。
ヨハネは「ことばは人となった」と書きます。神であるお方、この世界をお造りになった方が人となったのです。日曜日の「みことばの光」は、詩篇104篇を読みます。この詩篇では天地を創造された神の輝きがほめたたえられています。人がどれほど賛美してもし尽くすことのできない「尊厳と威光を身にまとっておられる」方が、人となられたというのはありえないこと。それは、私たちの間に住むためでした。
人となって私たちの間に住んでくださった方と出会えなかったならば、私は今ごろ何をしていたのだろうかと、考えることがあります。あるいは、生き甲斐は何かと求めながらも得られないまま、老人になってしまったのかもしれません。「クリスマスおめでとう」という挨拶は、こんな者の間に住んでくださったことゆえの、自分への「おめでとう」なのではないでしょうか。
クリスマスおめでとうございます。
娘の学校の先生がクリスマス前の最終登校日に、「本当なら『クリスマスおめでとうHerzlichen Glückwunsch zu Weihnachten』とあいさつするべきなんじゃないか? だってイエス様の誕生を祝うわけだから」と言っていて、娘は「日本語のあいさつの方が、理にかなっているんじゃないか」と思ったということでした。
そうかもしれません。ただ、肝心の日本人のなかに、「おめでとう」と言う本当の意味や、誰に対しての「おめでとう」なのかを知らない人がほとんどなのですよね。