ルカの福音書 1章57−66節
昨日は早朝に、尊敬する同労者の葬儀にオンラインで参列させていただきました。司式者は召された師から洗礼を受けた方。たましいを振り絞るように、詩篇23篇を告別説教として説いてくださいました。葬儀はわが身を省みる時でもあります。
今日から25日まで、「みことばの光」ではクリスマスに関連のある聖書を読みます。今日はザカリヤとエリサベツ夫妻にヨハネが産まれたことが記されている箇所。
この老夫妻に子どもが与えられるという約束が与えられたことについては、同じ章の5−24節にあります。ザカリヤはその時以来子が産まれるまで口が聞けなくなります。長い間の沈黙の末に彼の口から出たのは神への賛美でした。産まれた子の名は、当時の慣習によるならば、父の名を継ぐことでした、あの特別な体験がなければ、二人ともその子の名前を「ザカリヤ」とすることに異議は当然ありません。率先してそのように名づけたことでしょう。
しかし、エリサベツは「ヨハネ」としなければならないと言い張ります。慣例を破ろうとするのです。彼女は神の約束を信じること、命令を守ることを選び取りました。
子の名を「ヨハネ」とするのは、それは神が夫ザカリヤに命じたこと。夫へのことばは妻にしっかりと伝えられていました。夫の口が利けないほぼ1年近くの間の夫妻の交わりは、これまでになく豊かなものではなかったかと想像するのです。
書き板にザカリヤが「ヨハネ」と書いたその時、ザカリヤの口が開かれました。神が開いてくださった口から最初に出たのは神への賛美。二人の行動の一部始終を見ていた周囲の人々は神への恐れをいだいたと65節にあります。