みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主に頼るか自分に頼るか

2024年10月05日 | イザヤ書

イザヤ書 22章

 出かけていて冷蔵庫が空っぽでしたので、「買い出し」に…。風邪が抜けきれないので、それにたくさんの買い物もあるので自動車での買い物でした。鶏もも肉を購入して、今回は自分で骨取りをしてみました。肉屋さんほどは上手ではなかったですが、何とか7個分の骨を取りラップして冷凍。骨でスープを作り、いただきました。

 本章はエルサレムへの神の宣告です。「幻の谷についての宣告」から始まります。エルサレムは周囲を谷に囲まれていることからそのように呼ばれているのかもしれませんが、エルサレムが深い闇の中にあったことを表すことばだとも思われます。しかも、そこに住む者たちはそのような深刻な状況にあることを知らないで、騒ぎまくっているのです。

 5節には、「恐慌と蹂躙と混乱の日が、万軍の神、主から来る」とあります。エルサレムは主がご自分の民とともにおられる都でした。しかしここでは、主がこの町を混乱に投げ込むと言われているのです。そしてエルサレムは敵に囲まれてしまいます。また8節には、「主はユダの覆いを除かれた」とあります。主は確かにこの町を守っておられました。しかし今、この町を守る主の覆いは除かれてしまいます。

 9−11節は、アッシリアの来襲に備えて、ヒゼキヤ王がエルサレムの水源ギホンの泉からの水を的に奪われてしまわないようにトンネルを掘らせたという出来事と重なります。いわゆるヒゼキヤトンネルのことです。しかし、11章後半で神は、おまえたちは大国の来襲に備えて大規模な土木工事を行ったが、最も大切なことに欠けていると言っておられます。それは神の助けを仰ぎ求めることです。

 自分の力でさまざまなことができるようになると、神に頼らなくなるということが多いのではないかと、ここからいろいろと考えます。昨日、久しぶりに生まれて半年ぐらいの孫の一人と妻が対話を楽しんでいました。もちろん相手からは話しことばが出てきません。しかし、彼女は大きな声で何かを話そうとしています。赤ちゃんは泣き声で自分の思いを回りに伝えようとします。その姿を見つつ、いろいろなことを身につけ、できるようになると、叫び求めるというのが難しくなると、こんなことを考える時でした。

 神に頼るか、それとも自分を頼りにするのか、の選択を迫る箇所でもあります。 

 写真*ピシディアのアンティオキア


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