みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

覚えておられた

2023年01月13日 | 創世記

創世記 8章

 隣町を訪ねました。すっかり葉を落とした樹の上のほうから鳥の鳴き声が……。交唱のようでした。写真は土曜日のストラスブールで撮りました。春はそこまで来ています。

 箱舟に入ってから一年以上経って、ノアたちは箱舟から出て来ました。箱舟に入るのも、箱舟から出るのも、神のことばに従っての行動でした。この間、箱舟の中で何があったのかについて聖書は何も語っていません。

 1節に「神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣および家畜を覚えておられた」とあります。神がともにおられ、神が覚えておられたことゆえに、箱舟の中でのさまざまな出来事を、互いに乗り越えていくことができたのではないかと、想像します。

 「神がともにおられる。神が覚えておられる」というのは、もちろん私たちにとって何よりの支えです。さまざまな不自由を経験する中でも、恐れや不安で安眠が妨げられるときにも、神を信じる者へのこの約束を想い起こすならば、次へと向かう力になります。

 神のことばによって箱舟から出たノアが最初にしたことは、祭壇を築くことでした。それが彼らの新しい生活の出発点です。祭壇では罪の贖いと主が救ってくださったことへの感謝と献身を表す動物のいけにえがささげられました。信仰者の歩みは礼拝から始まります。

 21節で神の約束が明らかにされます。そこに、一見矛盾しているのではないかと思わせることばが並びます。「わたしは、決して再び人のゆえに大地にのろいをもたらすことはしない」ということばと、「人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ」ということばです。

 神は人をあきらめたのでしょうか。いいえ、結局は罪人である人を、その罪ゆえに罰するならば救いはありません。ここで神は、人をあわれまれ、祭壇で捧げられるいけにえの犠牲によって罪の赦しと救いを与えるという道をとられたのです。


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